794年に桓武天皇により定められた京の都、平安京。以来、日本の首都としての長い歴史があるだけに、二条城や清水寺、天龍寺、宇治上神社など京都には多くの文化遺産をはじめとする社寺が多く存在し観光名所が豊富です。特に紅葉シーズンには全国から多くの観光客が訪れるため、街は恐ろしいほどに混雑します。のんびりと京都を観光される場合は、この時期は外したほうが無難であります。

<お土産>
八つ橋、生八つ橋、漬物など。京都のお土産
京都の繁華街と言えば少し離れた四条河原町(しじょうかわらまち)周辺になります。地図では青丸で囲った部分が繁華街です。青の縦ラインが中でも賑わいのある商店街です。四条通と河原町通が交差する場所を中心に寺町通、新京極通も賑わいがあります。京都駅からはバス、又は電車で河原町駅又は祇園四条駅が祇園へも近く観光には便利です。

地図上のオレンジ線は京都の台所、錦市場です。

地図の赤丸で囲った祇園周辺が歓楽街になります。花見小路通は一見さんお断り(紹介制)の料亭も多く、敷居が高いのですが、昔ながらの町並みは観光客には人気のスポットです。

紫円が高級料亭の建ち並ぶエリアです。紫の縦ラインが観光客には人気の撮影スポット?
四条河原町と比べると賑やかさはありませんが、とにかく観光客だらけです。外国人の姿も数多く見られます。
京都は何時行っても観光案内所やレストランは満員御礼です。観光の移動手段となるバスは路線も複雑で車内も混雑することが殆どなので、鉄道で移動できる場所であれば上手く利用しましょう。駅のホームも多くて、こちらはこちらで多少混乱しますが・・・
京都の中心繁華街でもある河原町通から1本奥のアーケード街も、若者を中心に賑わいがあります。河原町通と並行する寺町通は豊臣秀吉の都市計画によって多くの寺院を集めたとされ、現在も本能寺、天性寺、矢田寺などのお寺が通りの途中にあります。同じく並行した新京極通も明治頃に出来た通りで賑わいがあります。
そんな中でも、観光客に人気があるのが錦市場です。土産物を買うのにも食べ歩きにも嬉しいスポットです。
寺町通にある本能寺は、1582年に織田信長が自刃したといわれる寺です。当時、信長の家臣であった明智光秀の謀反によって本能寺は急襲され、信長は討たれました(本能寺の変)。現在の本能寺は焼失のために、1587年に豊臣秀吉によって実際には少し離れたこの場所に建てられ、さらに1928年に再建されたものです。尚、信長の墓は上京区にある阿弥陀寺にあり、阿弥陀寺開基の清玉上人が信長、信忠の遺骨を持ち帰り、多くの家臣とともに供養されたと伝わり、全国に数ある信長の墓の中でも、この阿弥陀寺が本廟とされます。
河原町駅から祇園四条駅に向かう途中(四条通)に四条大橋があります。そこから祇園方面を見た写真と、隣の写真はその下を流れる鴨川沿いの納涼床で、京都の夏の風物詩の1つとなっています。
祇園の中でも観光客に人気の場所は、花見小路通(はなみこうじどおり)でしょう。四条大橋を渡ってしばらく歩けば通りを見つけることが出来ます。写真は四条通を右に曲がった建仁寺方面。左に曲がった辰巳大明神のあたりも夜は幻想的な風景に包まれます。
四条通を花見小路通を越えて先に進めば、八坂神社があります。日本三大祭りの1つとしても知られる祇園祭は有名ですね。
毎年、7月1日から1ヵ月行われる八坂神社の祭礼、祇園祭。古くは疫病退散を祈願したこのお祭りですが、特に前祭でもある山鉾(やまぼこ:やまほこ)巡行と呼ばれるイベントには、ありえないほどの多くの人が祇園周辺に集まります。
京都の代表的な観光地の位置関係を分かりやすくしてみました。この地図では京都中心部に存在する世界遺産を表示しています。おおむね、世界遺産=人気、定番の観光スポットとなりますが、この他にも南禅寺や三千院、三十三間堂、京都御所に平安神宮などなど数多くの観光名所があります。紅葉シーズンは特に週末の京都市内中心部の道路は大変混雑します。効率よく行動したい場合は、マイカーではなく電車、バスでの移動が無難でしょう。

京都観光には事前に市バス専用一日乗車券カード500円や、京都観光一日・二日乗車券1200円・2000円(京都市バス、京都市営地下鉄、京都バス)などを購入しておくと大変便利でお得です。

京都駅のバス乗り場は路線も多く複雑です。リンク先の京都市交通局 市バスの乗り方 市バス主要停留所案内図 などが困ったときにはとっても便利です。

京都の観光は他県と違って、寺社巡りが殆どです。ある程度の予備知識があれば、より一層に観光が楽しめます。日本の歴史や神社、寺院についても、多少は勉強しておきましょう。
京都にも嵐電(らんでん:京福電気鉄道)の名で親しまれている路面電車があります。路面と言っても一部分だけですが、その走る姿は可愛らしく、嵐山や仁和寺、映画村、北野天満宮などの有名な観光地にも接続します。乗り方は後払いで、運賃は全駅210円です。本線と北野線が帷子ノ辻駅で分岐しますが、この時の乗り換えは切符、料金清算等は行わず、目的地の駅で降りる時に各車両前の運賃箱、又は駅の改札で支払います。嵐電1日フリーきっぷ(500円)、市営地下鉄や映画村とのセット等のお得な切符も取扱っています。

●二条城(にじょうじょう)
1603年、徳川家康が征夷大将軍に就き、日本の統治を任され江戸幕府が誕生した場所でもある二条城。その後、1867年に大政奉還(徳川慶喜が朝廷、つまりは天皇に日本の統治権を返上)が行われるまで、徳川家が日本を支配してきました。この大政奉還が行われたのも二条城であり、まさに江戸時代を代表する貴重な文化遺産です。

<住所>
京都市中京区二条通堀川西入二条城町541
<開城時間>
8:45〜16:00 休城日は、1、7、8、12月の毎週火曜。休日の場合は翌日。他、年末年始。入城料金600円。残念ながら御殿内の写真、ビデオ、スケッチなどは禁止です。

<アクセス>
京都駅からバスで二条城前を下車。電車の場合は二条城前駅。
立派な唐門と二の丸御殿です。二の丸御殿内は、大広間や白書院など全ての部屋が見所で、襖絵や絵画、彫刻など息を呑むほどに感動します。この素晴らしさが分かればもう大人ですね。
現存する歴史的庭園の中でも最も優れた作品の1つに数えられているという二の丸庭園。隣の写真は本丸にある天守閣跡。
二条城は古くは足利氏の居城で、時代とともに豊臣秀吉や織田信長、徳川家康らの京の滞在中の屋敷として整備されました。現在の二条城は家康によって建てられたものです。

写真は天守閣跡から望む二条城。当時、天守閣は五層もあったらしいのですが焼失してしまいました。ちなみに本丸御殿は明治時代に京都御苑内の桂宮邸から移築したもので、本丸庭園も火災で失われ現在の庭園も明治時代になってからのものです。

●清水寺(きよみずでら)
京都の一番の観光名所は二条城かもしれませんが、人気順で言えば一番は清水寺でしょう。ましてや紅葉シーズンともなれば写真の通りの混雑ぶりです。

<住所>
京都府京都市東山区清水1

<拝観時間>
6:00〜18:00無休 300円。
<アクセス>
京都駅からバス約15分、五条坂又は東山五条で下車。四条河原町からはバスで清水道下車。どちらも、そこから徒歩10分程度。最寄駅は清水五条駅ですが徒歩で25分程度かかります。紅葉シーズンでバスが混む場合はお薦めです。

こちらは仁王門。応仁の乱で焼失しますが、その後に再建されたものです。2003年になって、はじめて大規模な保存修理が行われ再塗装もされています。なので、テッカテカに輝いていますね。
778年、奈良時代の末に開基(創立)された清水寺。伝承によれば延鎮(僧)がある日、木津川の北流に清泉を求めてゆけとの夢のお告げで音羽山麓にたどり着きます。そこで延鎮(えんちん)は滝のほとりで千手観音を念じ続けている修行僧、行叡(ぎょうえい)に出会います。年齢200歳と言われる行叡は、あなたが来るのを長いこと待っていた。と、観世音菩薩の威神力を祈りこめた霊木を授け、別の場所へと旅立っていきます。そして後を頼まれた行叡は千手観音像を彫作して行叡の旧庵にまつったのが、当寺のおこりだそうです。その2年後、音羽山に鹿を求めにきた坂上田村麻呂が延鎮と出会いますが、殺生の罪を説かれます。改心した坂上田村麻呂は、のちに仏殿を寄進し、ご本尊に十一面千手観音を安置、行叡と協力し本堂の改築、地蔵尊と毘沙門天を造像します。清水寺は度重なる火災によって焼失し、現在の本堂は1633年に徳川家光の寄進により再建されたものです。
清水寺までは坂道を10〜15分程度歩かなくてはなりません。メインの五条坂には土産物屋が沢山あって歩くだけでも楽しいです。人気観光地だけあって松原通との合流地点はさらなる人・人・人の渦です。
写真は有名な七味家本舗。五条坂と松原通の合流地点にあります。辛さの中に旨みあり。是非お土産に。
時間に余裕があれば、かつての参道、三年坂(三寧坂)も風情あってお薦めです。七味屋を左に曲がった先が三年坂となります。
さらに先には二年坂もあり、こちらも石畳の風情ある通りとなっています。ただ、ご覧の通りに週末はひどい人混みとなります。連休や年末年始、紅葉シーズンは想像を絶する状態です・・・
徒歩での清水寺周辺の観光ルートとしては次に三年坂・二年坂へ抜け高台寺方面へと観光していくパターンと、五条坂を下り三十三間堂方面へと向かうパターンがあります。
本堂を出ると、古くから縁結びの神として伝わる地主(じしゅ)神社があります。こちらも徳川家光によって再建されたものですが、創建は日本の建国以前であり本殿前の恋占いの石は研究により縄文時代のものであるというから驚きですね。社殿は本堂と同じく、国宝だけではなく世界遺産にも登録されているんですよ。
本堂から見えるのは奥の院。こちらも江戸時代に建てられたもので、本堂と同じく舞台造り(懸造)になっています。一般的に見る清水の舞台はこの奥の院付近から撮影したものです。
本堂本尊の千手観音立像は秘仏のため、33年に1度しか見ることができません。丁度、私が行った時は、ご開帳があった期間だったのですが、物凄い行列のため断念。。

それにしても、いい眺めですね。有名な弁慶と牛若丸が出会った五条の橋も実際には清水寺辺りだったと言う話です。
下から見る舞台も迫力があっていい眺めですね。なんでも、本堂の柱には1本も釘が使われていないんですって。又、物事の決断をする時に使う「清水の舞台から飛び降りるつもりで」の喩えの言葉の舞台とはこの本堂のことで、実際に舞楽を奉納するための舞台として使われていたものです。ちなみに江戸時代に本当に飛び降りた人も過去には多くいたそうで、意外と生存率は高いようです。
奥の院の崖の下にあるのが音羽の滝。清めの水として古来より黄金水、延命水と呼ばれ寺名の由来にもなっています。3本の筋から水が落ちていますが、どれを飲んでもご利益は一緒です。
二年坂の先にある五重塔。あまりにも立派なので清水寺のものかと間違えてしまいますが、こちらの五重塔は法観寺という寺院のもので通称、八坂の塔と呼ばれています。もともとは聖徳太子が如意輪観音のお告げにより建てたれたもので、幾度もの火災により現在の塔は1440年に建てられました。また国の重要文化財にも指定されています。

●金閣寺(きんかくじ)
京都の一番の観光名所を二条城、人気順では清水寺とするならば、外国人に一番人気があるのは通称、金閣寺と呼ばれる鹿苑寺(ろくおんじ)ではないでしょうか。なにせキンキラキンの寺ですからね。なんとも分かりやすい。。 そうは言ってみても、実際に目の前にすると誰でも感動する金閣寺。

<住所>
京都府京都市北区金閣寺町1

<拝観時間>
9:00〜17:00無休 400円。
<アクセス>
京都駅からバスで約40分程度。紅葉シーズンは周辺道路渋滞のため想像がつきません。電車の場合は北野白梅駅から徒歩で20分程度かかりますが、バス混雑時の場合はお薦めです。
もともとは朝廷(天皇中心の政治)に仕える西園寺家の所有する西園寺を1397年に足利義満が譲り受け、北山の山荘(北山殿)を邸宅としたのが現在の鹿苑寺(金閣寺)です。足利氏は初代征夷大将軍(天皇により任命された軍の指導者)の尊氏からはじまり義詮、義満と続き、義満は南北朝の統一を実現し15代将軍義昭が織田信長によって追放されるまで室町時代は続きます。

現在の金閣寺は、第3代将軍の義満の死後に義持によって舎利殿(お釈迦様の骨を祀った建物)を残し破却、応仁の乱(天龍寺の項目を参照)での焼失、さらには金閣寺放火事件でも焼失し、昭和30年に当時の資料をもとに再建されたものです。
現存していれば凄いことなのですが、何故か世界遺産に登録されています。でも、金箔がペタペタと貼られたお姿は圧巻ですねぇ。ちなみに、普段我々が金閣寺と言っているのは、鹿苑寺にある舎利殿(しゃりでん)のことを指しているので、左の写真を見て「うわ〜!金閣寺すげ〜!」と言うのは正式には間違いなんですよ。

●銀閣寺(慈照寺)
銀閣寺の名で知られる慈照寺(じしょうじ)は、元は室町幕府の第8代征夷大将軍、足利義政によって建てられた山荘(東山殿)で、後に寺(東山慈照寺)となりました。義政の死後に完成し、東山文化を代表する建物物である写真の観音殿と東求堂(とうぐどう)は国宝であり世界遺産にも登録されています。

<住所>
京都府京都市左京区銀閣寺町2
<拝観時間>
8:30〜17:00(季節変動あり) 500円。

<アクセス>
京都駅から100系統のバスで銀閣寺前を下車し徒歩約5分。バスは約30分で230円ですが、週末や紅葉シーズン等は渋滞も激しく40〜50分かかります。
混雑を避けたい方は哲学の道を歩きながら法然院⇒永観堂⇒南禅寺。そこから徒歩約10分の場所にある地下鉄、東西線の蹴上(けあげ)駅から京都駅に戻るのがお薦めです。尚、銀閣寺から蹴上駅までは約3kmです。
哲学者であった西田幾多郎がこの道をよく散策していたという、哲学の道。週末でも歩く人は少なく、通り沿いにはお寺も多く点在し、横には琵琶湖から京都へと水を運ぶ琵琶湖疏水(水路)があり、なんとも京都らしい雰囲気を味わえます。紅葉シーズンや桜の季節が特にお薦めですが、それはそれで混雑するのが難点ですね・・・
応仁の乱(天龍寺の項目を参照)の後で経済的にも大変な時期だと言うのに義政は酒宴や書画、作庭にと大忙し・・・ そんな義政の山荘、東山(とうざん)殿に造営されたのが1489年頃に建てられた写真の観音殿です。北山鹿苑寺の金閣(舎利殿)に対して一般的に銀閣(観音殿)と呼ばれています。単に対比して呼ばれるだけであり、銀閣と言っても残念ながら銀箔は貼られてはいません。当初は銀箔が貼られる予定であったという説もありますが謎です。
こちらは東求堂(とうぐどう)で、義政の持仏堂だった場所になります。1486年に建てられたこの東求堂も国宝となっています。特別公開時に別途見学料で方丈(本堂)とともに内部を見ることができます。
大きな池のある庭園は苔寺として知られる西芳寺を模して義政が造ったものとされますが、幾度もの改修によって当時の面影はありません。見学した後に少し高台の方に向かうと、昭和6年に発掘された室町時代の面影を残す庭園があります。お茶の井と呼ばれる井泉は義政公愛用のお茶の井跡で、現在でもお茶会等の飲料水として使用されているそうです。
ちなみにこちらが境内図となります。見学時間はおよそ40〜50分くらいでしょうか。右図だけ見ると、とてつもなく広く感じてしまいますが、興味がない方が見学すれば一周しても15分程度です。
こちらは展望所からの景色です。御覧の通り、展望所と言ってもあんまり高くありませんので、楽々ここまで上れます。
銀閣の屋根は、サワラ(椹)の板を3cmずつずらしながら重ね、竹釘でとめていく柿葺(こけらぶき)と呼ばれる工法なんだそうです。

●法然院(ほうねんいん)
鎌倉時代に浄土宗の開祖でもある法然が弟子である安楽と住蓮とともに念仏修行をした草庵。その後に院は荒廃することとなりますが、江戸時代になり万無が草庵跡に念仏道場を建てることを発願し、弟子の忍澂とともに再興したのが法然院です。本堂や方丈に庭園と見所は多くあるものの、一番の人気スポットは写真の苔生した茅葺きの山門です。

<住所>
京都市左京区鹿ヶ谷御所ノ段町30
<拝観時間>
6:00〜16:00 入山は無料。

<アクセス>
京都駅からバスで浄土寺を下車し徒歩約10分。哲学の道沿いにありますので、銀閣寺や南禅寺とセットで歩きながら観光するのがお薦めです。
こちらは境内側から撮影したものです。トップの写真は草木が密生しているため暗く写ってしまいましたが、境内側から見る山門は明るく写ります。
こちらは本堂です。地味な本堂なので、こっちまで足を運ぶ人は少なく感じました。。。堂内には本尊である阿弥陀如来坐像が安置されています。尚、重要文化財でもある方丈の襖絵や方丈庭園などは特別公開日のみ見学可能なので注意です。

●永観堂(えいかんどう)
永観堂(禅林寺)は弘法大師(空海)の弟子、真紹僧都が平安時代に真言密教の道場として五智如来を本尊として建立したのがはじまりです。現在は浄土宗の寺院として本尊に阿弥陀如来像を安置し、顔が横を向いている事から、みかえり阿弥陀と呼ばれ見所の一つでもあります。

<住所>
京都府京都市左京区永観堂町48
<拝観時間>
9:00〜17:00(秋は変動) 拝観料600円(秋の寺宝展は1000円)。

<アクセス>
最寄バス停は南禅寺・永観堂道となりますが、位置関係から銀閣寺〜南禅寺のセットでの観光がお薦めです。尚、ここから市営地下鉄東西線の蹴上駅まで徒歩で約20分です。
参道の道幅は広く、その上に観光客も少なく静寂に包まれていて心安らぎます。しかし、これが紅葉シーズンともなると、広い参道も多くの人で埋め尽くされます。
釈迦堂、御影堂、阿弥陀堂など建物は多く、急いで見て廻っても30分以上はかかります。できれば見学時間は1時間以上はみておきましょう。
1597年に建てられた(1607年に四天王寺より移築)永観堂の本堂、阿弥陀堂。本尊で顔が横を向いている阿弥陀如来像、通称「みかえり阿弥陀」は永観が50歳の頃、修行中に本堂を歩きながら念仏を唱えていると、永観の前に本尊の阿弥陀如来が一緒に加わったそうです。夢ではないかと立ち止まる永観に、阿弥陀如来が振り返り「永観、おそし」と声を掛けたと言う伝説があります。その姿を仏像にしたのが、みかえり阿弥陀(阿弥陀如来像)です。このお姿には自分よりおくれる者たちを待つ姿勢や自分自身の位置をかえりみる姿勢等、横をみかえらずにはいられない阿弥陀仏の心を表しているいるんだとか。
残念ながら本尊、みかえり阿弥陀像をはじめ、美しい襖絵などの多くの文化財は撮影不可となっています。順路は一通り建物内を見てまわり、山の斜面に沿って造られた珍しい臥龍廊(がりゅうろう)と呼ばれる階段を上り再び引き返します。
その後は屋外に出て多宝塔からの素晴らしい展望を満喫し、放生池のまわりを一周しながら癒されちゃって下さい。
訪れた日は雨が降っていて展望は今一つなのですが、伽藍(建物)はそれぞれ廊下でつながっていている為、雨にも強い観光スポットでもあります。

●南禅寺(なんぜんじ)
臨済宗南禅寺派の大本山で1291年、亀山法皇(開基)の離宮の地を賜り禅寺として無関普門(大明国師)によって創建されました。規庵租円(南院国師)によって伽藍が完成した南禅寺には多くの国宝、重要文化財もあり見所も豊富です。

<住所>
京都府京都市左京区南禅寺福地町

<拝観時間>
8:40〜17:00(季節変動有り)
<アクセス>
京都駅からバスでは南禅寺・永観堂道を下車となりますが、紅葉シーズンや、桜の咲く季節を除いても市内は大変混雑するため京都駅⇒地下鉄烏丸線、烏丸御池駅⇒地下鉄東西線、蹴上駅まで約20分、250円。そこから徒歩で向かうのがお薦めです。

南禅寺周辺は湯豆腐がとても有名です。なんでもこの辺りが湯豆腐の発祥となる場所らしく、境内図の豆腐マークは中でも有名な順正さん。
こちらは伊勢伊賀の領主、藤堂高虎が大坂夏の陣で戦没した藩士の霊を弔うため、1628年に建立寄進された三門(山門)で重要文化財となっています。尚、三門は上ることができ、拝観志納金は500円。
三門の奥には法堂があります。法堂(はっとう)とは講堂のような場所で、もっと簡単に言えば勉強部屋みたいなものです。また、南禅寺は主要建築物が一直線に並んでいて、これは禅宗様式の特色をよく表しています。
法堂の天井には明治大正期の画家、今尾景年の大作と云われる幡竜(雲龍図)が画かれています。水神としても知られる龍(竜)ですが、現在の建物は明治26年の火災によって焼失し1909年に再建されたものです。
トップの写真が国宝の方丈(ほうじょう)で本堂や金堂のようなものです。住職の住まいでもあり、正面に大方丈があり奥に小方丈があります。多くの障壁画をはじめ、江戸時代初期の代表的な枯山水庭園は小堀遠州の作と伝えら、虎の子渡しの庭(中国の説話による)とも呼ばれ見所の一つでもあります。尚、方丈庭園などの見学には拝観志納金としては500円かかります。
こちらは当時(鎌倉時代)の面影を残す南禅院の庭園です。この南禅院の見学にも拝観志納金として300円かかります。湯豆腐食べて一通り見学しようと思ったら結構な出費となります・・・
南禅院の手前には美しいレンガ造りのアーチ構造の水路があります。この水路閣(琵琶湖疏水)は琵琶湖から京都市内に向けて引かれていて、西欧技術が導入されて間もない明治時代に日本人のみの手で設計、施工されたもので国の史跡に指定されています。
こちらは蹴上駅に向かう途中にある金地院です。南禅寺の塔頭、金地院は1400年頃に室町幕府4代将軍、足利義持の帰依を得て京都北山に開創し、後に以心崇伝(いしんすうでん)和尚が1605年に現在地に移建されたものす。

●渡月橋(とげつきょう)
嵐山を代表する景観、渡月橋。鎌倉時代の亀山天皇が、橋を渡るように移動してゆく月を見て「くまなき月の渡るに似たり」と述べたことから渡月橋と名付けられたそうです。現在の橋は昭和に架けられたものですが、嵐山の風景に溶け込むように欄干部分は木造となっています。

<住所>
京都府京都市右京区嵯峨中ノ島町
<アクセス>
嵐山(阪急)駅からアクセスする場合
京都駅から地下鉄烏丸線で四条駅→徒歩で京都本線の烏丸駅から桂駅→阪急嵐山線で終点の嵐山駅。そこから徒歩約10分

嵐山(京福)駅からアクセスする場合
京都駅からJR山陰本線で嵯峨嵐山駅。そこから徒歩約20分。
嵐山は紅葉の名所であると同時に桜の名所でもあります。又、お盆の時期には有名な五山送り火(ござんのおくりび)の場所としても知られています。毎年、日本では祖先の霊を迎える迎え火、そして霊たちがあの世へと帰っていくための送り火を行う風習があります。京都の五山送り火は毎年8月16日に行われ、渡月橋からは山に点火された鳥居形と大文字が見えます。同時に渡月橋の下を流れる桂川では死者の魂を弔ってお盆の供え物を川に流す灯籠流しも京都の夏の風物詩となっています。
紅葉シーズンは嵐山は人気のスポットですから、そりゃ〜物凄い人で溢れかえっています。ここから天龍寺やトロッコ列車に乗って保津川渓谷の眺めを楽しむのもいいですね。ちなみにトロッコ列車の始発駅はトロッコ嵯峨駅ですのでお間違えなく。

●竹林の道
嵐山の景観として渡月橋と同じく有名なのが、映画の撮影やドラマでも使用されることの多い竹林の道です。天龍寺北門から大河内山荘まで続く竹林は、心落ち着く癒しの空間です。

<住所>
京都府京都市右京区嵐山
<アクセス>
嵐電嵐山駅、又はJR嵯峨嵐山駅から徒歩約10分です。道案内もあるので迷うことは少ないかと思います。嵯峨嵐山駅からは駅を出て小道を右に進み、突き当りを左、すぐ右です。嵐電嵐山駅からはトロッコ嵯峨駅やJR嵯峨嵐山駅方面へ広い道路を進み、野々宮バス停のある小道を左へ進んでください。
ここも嵐山では有名な観光地だけあって、観光シーズンは人が溢れて情緒も何もありません。行くのであれば朝早くをオススメします。

●天龍寺(てんりゅうじ)
臨済宗天龍寺派大本山の寺院である天龍寺は、開基(創立者)は足利尊氏で初代の住職でもある夢窓疎石(むそうそせき)が後醍醐天皇の菩提を弔うため寺院の建立を尊氏に進言し開創(開山)しました。本尊は釈迦如来。天龍寺は応仁の乱による焼失以外にも何度もの火災に遭い、現在の天龍寺は1934年に再建されたものですが、京都五山つまりは足利氏の格付けランキング1位の天龍寺なのですから、世界遺産に登録されているというのも納得ですね。

<住所>
右京区嵯峨天龍寺芒ノ馬場町68
<アクセス>
基本的に渡月橋とアクセスは同じです。
嵐山(阪急)駅からアクセスする場合
京都駅から地下鉄烏丸線で四条駅→徒歩で京都本線の烏丸駅から桂駅→阪急嵐山線で終点の嵐山駅。そこから徒歩約20分

嵐山(京福)駅からアクセスする場合
京都駅からJR山陰本線で嵯峨嵐山駅。そこから徒歩約15分。
見事な白砂の敷かれた庭園、曹源池(そうげんち)庭園は時間が経つのも忘れるくらいに素晴らしい眺めです。この庭園の拝観料が500円で、諸堂参拝(大方丈・書院・多宝殿)は100円追加。他、特別公開の法堂の雲龍図は別途500円です。
達磨図がある寺院は数ありますが、何故かここ天龍寺のものが一番有名ですね。ちなみにこの達磨は禅宗の開祖である達磨大師の姿を描いたものとなっています。達磨図と合わせて天井に描かれた雲龍図も見所?となっています。

応仁の乱
戦国時代も大変な時代だったのですが、その前の室町時代も混乱した時代でした。東北や九州での武家同士の紛争、関東一円の内乱、享徳の乱(きょうとくのらん)、そしてこの一帯でも内乱はおこります。この内乱によって天龍寺をはじめ、渡月橋や清水寺、金閣寺など京都を焼き尽くしたのが応仁の乱です。

室町幕府の第8代征夷大将軍、足利義政。当時、日本全土で発生していた飢餓や疫病。ここ京都周辺も同様で、その光景は賀茂川が死骸で埋まる程だったと言います。対応策として義政は施食を命じたそうですが、とても対応しきれません。これらの災害に加えて、土一揆や各地での勢力争い。政治に対して嫌気が差した義政は、花の御所を改築したり酒宴や茶、作庭に没頭します。さらには、まだ若いのに早く隠居して楽しい生活を送ろうと、自分に子供がいないことを理由に弟の義視に将軍の座を譲ろうとします。再三の説得にようやく義視は将軍になる決意を固めます。ところが、しばらくして義政に子供が出来、将軍後継者をめぐる争いがおこります。
これが発端となり守護大名の細川勝元と山名持豊(山名宗全)も仲が悪くなり、これに斯波氏や畠山家での家督継承権をめぐる争いも加わります。そして、義視を将軍にしようとする細川方の東軍と、義尚を将軍にしようとする山名方の西軍とに別れ、戦いがおこります。戦況は長引き京都はすっかり焼け野原になり両軍は戦いに勝っても得るものは無い状態にまでになります。1473年になると宗全が、続いて勝元が相次いで死去し義政が将軍職を義尚に譲って和睦が成立し11年にも及ぶ戦いは結局、引分けに終わりさらには泥沼化する戦国時代へと突入するのであります。ちなみに、そんな戦いの中、原因を作った義政は趣味に没頭、さらに隠居後も酒宴や書画、作庭にと大忙し・・・ そんな日本一のダメ将軍と言われた義政は、銀閣寺を造営しますが完成を待たずに死去。う〜ん、ある意味凄い人だったんですなぁ。



京都府の観光