●方広寺(ほうこうじ)
天台宗の寺院である方広寺は、奈良東大寺にある大仏の代わりとして豊臣秀吉が大仏を造立を発願し、その大仏を安置するために建てられました。

<住所>
京都府京都市東山区正面通大和大路東入ル茶屋町
<拝観時間>
9:00~16:00 境内自由ですが本堂拝観は300円。

<アクセス>
三十三間堂から徒歩約5分。京都国立博物館を挟んだ奥になります。
方広寺を有名にしているのは、普段は観光的には脇役でもあるこの梵鐘です。重要文化財にも指定されていますが、もっと重要なのはこの鐘に刻まれている国家安康 君臣豊楽という文字です。
この文字が豊臣氏を滅亡へと導く口実として徳川家康が利用したのです。家と康の字を分断し、豊臣を君主とすると読んだのです。一概には口実とはいえないとする説もあり、家康はこの文字の解読に五山の僧たちに助言を求めていますし、家と康の文字を割ったのも事実前例のないことでもありました。なんにせよ、そんな鐘が現存していて、このように見れることが感動でもあります。文字は見やすいように白っぽくなぞられてますけど・・
天井画も綺麗に残されています。
隣には豊臣秀吉を祀った豊国神社があります。豊国神社の唐門は伏見城の遺構と伝え、二条城から南禅寺の金地院を経て、ここに移築されたもので、西本願寺、大徳寺の唐門とともに国宝三唐門の1つなんだそうです。方広寺へ行くにはこの唐門手前を左手へ。

●阿弥陀寺(あみだじ)
丈六の阿弥陀如来を本尊とし、蓮台山を号する浄土宗の阿弥陀寺。開創の清玉上人は織田家と深い親交があり、本能寺の変の折に織田信長、信忠父子及び家臣らの遺骸を当寺に持ち帰り埋葬したと言われています。その数年後に現在の地に移転していますが、全国に数多くある信長の墓の中でも、この阿弥陀寺が信長埋葬の地として最も有力とされています。

<住所>
京都府京都市上京区寺町通今出川上ル鶴山町14
<拝観時間>
9:00~16:00 境内自由。

<アクセス>
京阪の出町柳駅から徒歩約15分。出町柳駅までは京都駅からJRで東福寺駅を経由し約30分です。
写真は山門です。トップの写真は本堂で、信長、信忠父子の木像が安置されています。阿弥陀寺は信長の墓があるお寺として最も有名な場所ですが、不思議と訪れる人は少ないです。
こちらが織田信長の墓です。信長の戒名である総見院殿(贈)大相国一品泰巌大居士の名が刻まれている右側が信長、左が信忠の墓となります。本能寺は大火となった上に、信長の墓が全国に多くありすぎて、果たして本当に遺骸がここに埋葬されているのかは謎です。
清玉上人の墓もあります。清玉上人に正親町天皇は深く帰依し、東大寺大仏殿の勧進職を命じるとともに、当寺を勅願所としています。

●建仁寺(けんにんじ)
寺伝によれば建仁寺は1202年、将軍源頼家が寺域を寄進し栄西禅師を開山として宋国百丈山を模して建立されたとのことで、京都五山の第三位の格式を持つ寺院です。

<住所>
京都府京都市東山区大和大路通四条下ル小松町
<拝観時間>
9:00~16:30(季節変動あり)境内自由ですが、本丈、法堂内、枯山水庭園などは500円となります(年末年始は拝観中止)

<アクセス>
京阪電気鉄道京阪本線(京阪)の祇園四条駅より徒歩約7分、 阪急電鉄京都本線(阪急)の河原町駅より徒歩約10分。
広い境内の建仁寺。境内には多くの塔頭(小院)も点在しています。
重要文化財の勅使門です。鎌倉時代頃のものと考えられています。元来は平重盛の六波羅邸の門、あるいは平教盛の館門を移建したものといわれているとのことです。
別名、望闕楼と呼ばれる三門は、静岡県の安寧寺から移建したもので、江戸時代に建立されたものらしいです。
1765年に建立された法堂。天井に描かれた双龍図は平成になって描かれたもの。
こちらの写真は重要文化財でもある方丈で、トップの写真は本坊になります。年末に訪れたため拝観中止とは知らず、中には入れませんでした・・・ 機会あればまた今度来てみます。。。

●天橋立(あまのはしだて)
古くから白砂青松の地として有名で、3.6kmの砂嘴と約5千本の松並木が美しい景色を織りなす天橋立。日本三景(松島・天橋立・宮島)の一つにも数えられ、「天橋立股のぞき」で有名な傘松公園から見る天橋立はまさに絶景。

<住所>
京都府宮津市天橋立
京都府宮津市大垣(傘松公園)
<アクセス>
北近畿タンゴ鉄道の天橋立駅を下車です。天橋立駅までは、京都駅からは特急で約2時間、在来線で約3時間です。対岸にある傘松公園までは、駅からバスで傘松ケーブル下か神社前を下車です。
傘松公園まで天橋立松並木を徒歩で通り抜ける場合は約60分。レンタサイクルで約20分、観光船で横断することも可能です(天橋立桟橋⇒一の宮桟橋960円)。
海辺から傘松公園へ行くリフト・ケーブルカー乗り場までは土産物屋さんが多く建ち並びます。近くには彦火明命を祭神とする元伊勢籠神社(もといせこのじんじゃ)があり、こちらからも通り抜けることができます。
鎌倉時代に作られた狛犬は重要文化財に指定されています。1対なので反対側にももう一匹います。失礼、もう一体ですね。
ケーブルカーかリフトを使って山上まで行くのですが、どちらで行っても値段は同じ往復660円です。各所要時間はケーブルカーが4分・リフトが6分で、ケーブルカーは15分毎に運行しています。営業時間は8:00~17:00で冬季はケーブルかーのみ運行 年中無休です。
展望台の全体風景です。トップがこの場所からの眺望です。天橋立駅側にある遊園地、天橋立ビューランドからの眺めも最高で、同じようにリフトかモノレールで山頂まで行きます(往復850円、遊具券は別途)。天橋立ビューランドからの眺望を飛龍観と呼び、傘松公園からの眺めは股のぞき観(斜め一字観)とか昇龍観と呼ばれています。
股下から天橋立を覗く景色が、天に架かるかけ橋のように見えるそうで、股のぞき観(斜め一字観)と呼ぶらしいです。ここから反対側にある股のぞき発祥の地まで2~3分山を上ったところに股のぞき発祥の地という場所があります。ここと同じような感じで景色もほぼ同じなんですが・・・
帰りはケーブルカーもよし。
リフトで帰るもよしです。天気がいい日はリフトが断然オススメですよ。

●伊根の舟屋群(いねのふなやぐん)
海岸線に沿って海面スレスレに建ち並ぶ舟屋は1階は舟置き場、2階は住居となった機能的な家屋です。一帯は重要伝統的建造物群保存地区にも選定され、どこか懐かしい風景を見ることができます。

<住所>
京都府与謝郡伊根町
<アクセス>
天橋立駅からバスで約45分、伊根湾めぐり・日出バス停を下車です。バスは傘松公園側のケーブル下や神社前も通過します。
主な撮影スポットはマップ左側から遊覧船乗り場や漁港の駐車場(繁忙期は有料?)、道の駅「舟屋の里公園」(一望できます)、郵便局前となっています。伊根湾めぐり遊覧船(680円)もオススメです。
遊覧船乗り場近くの舟屋群です。トップの写真と同じ場所でマップでは一番左の撮影スポットになります。伊根湾の入口には大きな青島があり、その伊根湾の中にある舟屋群は、風の影響を受けにくく、いつでも海は穏やかなんだそうです。私は船舶免許を持ってるほど釣りが趣味なのですが、ちょっとオカズ釣ってくる~って言って10分くらいしてアジとか持って帰ってこれたら幸せ。憧れます正直・・・ 
道の駅「舟屋の里公園」からの眺望。望遠レンズがないと撮影は厳しいですが、伊根湾全体を見渡すことができます。ここにあるお食事処「油屋」は人気のグルメスポットです。 
マップの一番右側です。バスを利用する場合は伊根郵便局前が最寄りのバス停になりますが、本数が少ないので要注意。

●泉涌寺(せんにゅうじ)
皇室ゆかりの寺院として広く御寺として親しまれている当寺は、弘法大師がこの地に草庵を結んだ事に由来し、法輪寺と名付けられた後に一時仙遊寺と改名。後に順徳天皇の御代(1219年)に当寺の開山と仰ぐ月輪大師俊芿が1226年に主要伽藍を完成させ、その時に境内の一角から清水が涌き出たことにより泉涌寺と名を改めました。

<住所>
京都府京都市東山区泉涌寺山内町27
<拝観時間>
9:00~16:30(冬季は16時まで)500円。

<アクセス>
JR奈良線及び京阪本線の東福寺駅から徒歩約10分です。当寺の別院でもある雲龍院や東福寺も近いので観光にはセットでどうぞ。
重要文化財にも指定されている桃山時代の大門。泉涌寺の山号である東山の額を掲げているので東山門とも呼ばれているそうです。
大門をくぐり拝観料を払うと、すぐ左手には楊貴妃観音堂があります。756年、古代中国美人の一人として有名な唐の玄宗皇帝の妃、楊太真(楊貴妃)が命を落とすと、皇帝玄宗は亡き妃の面影を偲ぶため、香水によって等身坐像にかたどった聖観音像を造ったと伝わります。1255年、中国に渡った弟子の湛海はその像を持ち帰り泉涌寺に安置したそうです。1956年までは秘仏であったそうですが、現在はその姿をいつでも拝むことが出来ます。絶世の美女と言われた楊貴妃の姿をした観音像もまた重要文化財となっています。
それから仏殿へと向かいます。一見すると広そうな境内に見えますが、思ったほどではないようです。
仏殿手前には浴室があります。さて、ちょっと汗でも流すか。と言うのは無理でして、こちらはかつて僧侶が身を清めるための浴室とのこと。床下に鉄釜で湯を沸かす竈があり、その蒸気を床上に入れる古式の蒸し風呂だそうです。
手前の建物が写真トップにもある重文の仏殿で、1668年に徳川家綱によって再建されたもの。堂内の運慶作(鎌倉時代)の三世三尊佛(過去・現在・未来)や雲竜図に飛天図、裏側にある白衣観音図なども見所です。尚、創建当初の伽藍は応仁の乱によって殆どが焼失。
仏殿の奥にあるのが、お釈迦様の遺骨を納める舎利殿。月輪大師の弟子であった湛海が持ち帰ったとされる舎利殿に納められた仏舎利は、釈迦の歯にあたるとされ、説法をされる口にあることから特に尊い舎利だと言われているそうです。
皇族方や天皇しか通れないという勅使門です。
奥には入れませんが勅使門の先には明治天皇によって再建された霊明殿があります。さらにこの建物の奥には月輪陵と呼ばれる四条天皇をはじめ後水尾天皇から仁孝天皇までの陵や灰塚、墓などがあります。
泉涌寺の名の由来となった清泉を覆う屋形で、1668年に再建された泉涌水屋形です。
今でも清水がコンコンと涌(湧)いています。たぶん。

●雲龍院(うんりゅういん)
真言宗泉涌寺派の別格本山で、室町時代の1372年に後光厳法皇が竹巌聖皐律師を招いて自らの菩提所として建立したという寺格の高い雲龍院。重要文化財の本堂をはじめ、それらに安置される諸仏や室町時代につくられた、走る大黒天、悟りの窓など見所も満載です。

<住所>
京都府京都市東山区泉涌寺山内町36
<拝観時間>
9:00~16:30 400円。

<アクセス>
泉涌寺より徒歩1~2分です。泉涌寺からは大門を出て左手に進んで、次の分岐を左に進んでください。このまま直進すると坂を下り、知らない道へと抜けてしまいます・・・反省。
雲龍院への道を曲がり損ねると、そこには皇族方の墓が点在していました。
皇族専用の入口となる勅使門。
境内はこんな感じです。右手に本堂がありますが、正面は勅使門から入らないと全体像は見れませんし、裏側は書院になっていて、こちら側からも本堂の全体像は見れません。
書院の蓮華の間にある、しきしの景色。雪見障子の四角いガラスから椿(ツバキ)、燈籠(トウロウ)、楓(カエデ)、松(マツ)の違った絵を眺めることが出来ます。
この角度からが絶好の見学スポットらしいです。ここに貼り付けている写真サイズが小さくて、灯篭以外はよく確認できませんが、確かに左から順に椿、灯篭、楓、松と眺めることが出来ます。
美しい庭園です。冬景色ですけど。。
奥の建物は霊明殿。皇族の位牌堂のため中には入れません。中央の灯籠は徳川慶喜寄進によるもので、元々は孝明天皇陵にあったもので、幕末の混乱時に薩摩藩が放り投げたものを、こっそり住職が夜中に持ち帰ったのだとか。
写真トップの本堂の龍華殿は重文に指定されていますが江戸時代に再建されたものとなっています。内陣には鎌倉時代作の本尊の薬師如来坐像や脇侍の日光・月光両菩薩も安置されています。
パンフレットには何も載っていませんでしたが、大徳寺の龍源院を思い出すようなとても美しい枯山水がありました。
ツカツカと歩いて有名な悟りの窓を目指します。途中にはこれまた有名な、室町時代作の走り大黒天がありますが、残念ながら撮影禁止でした。
悟りの間にある迷いの窓。生老病死四苦八苦、人生における苦しみを象徴しているそうです。
同じく悟りの間にある有名な悟りの窓です。禅における悟りの境地を表しているそうです。円窓と言えば京都の源光庵や鎌倉の明月院が有名ですが、こちらは訪問者も少なく、じっくりと悟りを開くことが出来そうです。たぶん。



京都府の観光