●酬恩庵(しゅうおんあん)
寺伝によれば、鎌倉時代に臨済宗の高僧大應国師(南浦紹明)が開いた妙勝寺は戦火により衰退します。後に六代の法孫に当たる一休禅師が堂宇を再興し、師恩にむくいる意味で酬恩庵と命名したとされます。一休禅師とは説話やアニメでもお馴染みの一休さんのことであり別名、一休寺とも呼ばれています。一休禅師は88歳で亡くなるまで、ここで晩年を過ごされたそうです。

<住所>
京都府京田辺市薪里ノ内102
<拝観時間>
9:00~17:00 500円。

<アクセス>
JR片町線の京田辺駅から徒歩約15分。バスでは近鉄の新田辺駅から京阪バスで一休寺か一休ヶ丘を下車し徒歩5分とのことです。
総門です。一休さんが伝えたとされる名物の一休寺納豆はここでしか手に入りません。
1650年に建てられた浴室で重要文化財に指定されています。前田利常が当寺再建時に新築したものだそうです。
この門の奥に一休禅師の墓があります。扉に菊花紋が彫られていてますが、一休宗純は後小松天皇の子でもあることから、宮内庁が御陵墓として管理されています。
88歳で亡くなられた一休、臨終の間際には『死にとうない』と言ったそうです。一休さんは他にも名言?を数々残しているんですが、中でも『心配するな、なんとかなる』は、本当に禅師が残した言葉かどうかは定かではありませんが大好きな言葉です。
東司、いわゆるトイレも何気に重要文化財だったりします。
この先にトップの写真にもある本堂があります。1429~1441年にかけて足利義教によって建てられた本堂もまた国の重要文化財に指定されています。
庫裏から方丈(どちらも江戸時代に再建されたもので重文)へ抜けると南庭があり、美しい枯山水庭園となっています。江戸時代あたりのものらしいですよ。誰もいないので、のんびりと静かな時間を過ごせました。
裏手にある北庭(蓬莱庭園)もまた江戸時代のもの。南庭と北庭の間にある細長い東庭(虎丘庭園)は室町時代のものだそうです。
室中の間の奥には重要文化財でもある一休禅師の木造が安置されています。
こちらは礼の間で客人を通す部屋とのこと。81歳の時に一休禅師は大徳寺の住職になりましたが、当寺から大徳寺へと通われる際には、写真中央にある輿(こし)に乗られて行ったそうですよ。
こちらは壇那の間。どの部屋にも複製画ですが、狩野探幽による素晴らしい障壁画が画かれています。
大正時代に改築されたという開山堂です。
一休さんと言ったら頓知(とんち)しか思い浮かべないんですが、そんな中でも屏風の虎退治は有名な話です。ある時、室町幕府将軍の足利義満が一休に対して、屏風絵の虎が夜中に抜け出して暴れるので縛り上げて欲しいと意地悪な事を言いました。そこで一休さんは、では縛り上げますので虎を屏風絵から出して下さいと切り返したそうです。義満は感服しながらも、屏風絵に画かれた虎を出せるわけがなかろうと言うと、さすがに出てこない虎を縛り上げるのは私でも無理ですと一休さんが返したそうです。理にかなった返答、実にお見事ですなぁ。
鐘楼もまた再建時(1650年)につくられたもので重要文化財になっています。

●海住山寺(かいじゅうせんじ)
寺伝によれば745年に聖武天皇の発願で大盧舎那仏(東大寺の大仏)を造立し、その工事の平安を祈るために良弁が藤尾山観音寺と名づけ開創されました。後に焼失し、長らく再建されなかった当寺ですが、鎌倉時代に中興され海住山寺と名付けられました。

<住所>
京都府木津川市加茂町例幣海住山20
<拝観時間>
9:00~16:30 拝観料は400円ですが、ハイキング・写真撮影・散策等の方は入山料として100円のみになっています。

<アクセス>
マイカー又はレンタカーで。他、JR関西本線の加茂駅からコミュニティバスで約70分。運行本数が少ないので注意です。
山門ですが、駐車場が別の場所(右の方)にあるため、実際にここから入る人は恐らく皆無でしょう。駐車場までは車でもその道のりは急坂で運転するのが大変でした。麓から徒歩となると完全な登山になります。
鎌倉時代(1214年)の国宝の五重塔です。曼荼羅や十一面観音が安置されていますが、毎年10月の最終土曜日から数日間だけは開扉されて拝観できるらしいですよ。
鎌倉時代に建立されたとする重要文化財の文殊堂(経蔵)。
写真トップの本堂は明治時代になってから建てられたもの。お馴染みの、おびんずる様もいらっしゃいました。他にも苦ぬき観音・地蔵に、ぼけ止め地蔵、やるき地蔵、もち上げ大師など楽しそうなお地蔵さんが多くいらっしゃいます。

●浄瑠璃寺(じょうるりじ)
奈良仏教の宗派である真言律宗の浄瑠璃寺は歴史が古く、平安時代後期に義明上人の開基によって創建されました。国宝の本堂や三重塔は勿論のこと、本堂内に安置される国宝の木造阿弥陀如来坐像9体や四天王像は必見です。

<住所>
京都府木津川市加茂町西小札場40
<拝観時間>
9:00~17:00(本堂の拝観に限り冬季は10:00~16:00) 本堂拝観300円。

<アクセス>
JR加茂駅から木津川市コミュニティバスで約20分、浄瑠璃寺前を下車です。本数は1時間1本程度あります。JR奈良駅、近鉄奈良駅から急行バス(約30分570円)も本数は少なめ(12時台除く毎時運行)ですが運行しています。参考までに徒歩だと加茂駅から約70分、岩船寺からだと約40分(ゆるやかな下り坂1.7km)とのこと。
お土産屋さんを抜けていきます。葛きりや葛うどん、柿羊羹など充実した商品が数多く並んでいますが、アクセスや知名度のせいでしょうが、訪れる人は地元の人以外は少ないようです。
山門から中は自由に入ることが出来、三重塔や本堂も拝観できます。ただし、国宝の九品仏を拝む場合のみ拝観料がかかります。

写真トップが国宝の本堂(九体阿弥陀堂)で、平安時代・藤原時代に流行した九品往生(阿弥陀さまが衆生を極楽に迎え導くにあたり九種の段階・方法があるという教え)に基づいて盛んに建立された九体阿弥陀堂の唯一の現存例だそうです。撮影禁止ですが、本堂内には国宝の九品仏阿弥陀如来坐像 9躯、四天王立像などがずらり横一列に安置され圧巻です。是非とも見逃さないように。
寺号はこの三重塔の内陣に安置されている薬師如来の浄土「瑠璃光浄土」からきているそうです。記録によれば平安時代末期に京都一条大宮よりこの地に移築されたとする三重塔は、平安時代に平安京にあった建造物で唯一現存しているもので、国宝に指定されています。内陣に安置されている薬師如来や壁画は重文指定されていて、毎月8日・彼岸の中日他の好天時には開扉されるそうです。他、1月8日から3日間だけ拝める秘仏の大日如来像や同じく秘仏の吉祥天女像も年に3回程度開扉され見れるそうですよ。
梵字の阿字をかたどったといわれる池を中心に東に薬師仏、西に阿弥陀仏を配した庭園は極楽世界(浄土伽藍)をこの世に現したもので、浄土思想より、太陽が沈む西側にある本堂側を彼岸、境内の東に位置する三重塔を現世(此岸)とします。平安時代には京都を中心にこのような寺も数多くあったといわれていますが、今では全て失われ当時のまま現存するのはここ浄瑠璃寺だけだそうです。

●岩船寺(がんせんじ)
真言律宗の寺院である岩船寺は、聖武天皇の発願によって行基が建立した阿弥陀堂がはじまりとされ、後に空海(弘法大師)の甥である智泉が灌頂堂や報恩院を建立し、浄土信仰の霊地として栄えたこの土地に移し、寺号を岩船寺にしたと伝わります。多くの文化財を持つ岩船寺、阿弥陀寺とともにセットで行かれる方も多いそうです。

<住所>
京都府木津川市加茂町岩船上ノ門4
<拝観時間>
8:30~17:00(季節変動あり)

<アクセス>
JR加茂駅からコミュニティバスで約15分です。浄瑠璃寺と同じ系統のバスとなります。参考までに徒歩だと駅から約90分、浄瑠璃寺からだと約40分(上り坂1.7km)とのこと。尚、浄瑠璃寺から岩船寺までバスで約6分、200円です。セットで行かれる場合は、コミュニティバス1DAY TICKET(400円)または奈良交通路線バスの1DAY PASS(500円)などがお徳です。
静寂な境内には四季折々の花が咲き誇ります。特に紫陽花が有名であり、関西の花の寺と呼ばれシーズンには多くの人で賑わいます。訪問時はシーズンではないので、ほぼ貸切見学状態でした・・・
重要文化財にも指定されている十三重石塔。鎌倉時代のものだそうです。トップにある写真は本堂で、こちらは昭和になってから再建されたものとなっています。
重要文化財の三重塔で、室町時代に建てられたものだそうです。
境内はこんな感じです。花の寺ということで散歩コースみたいなのもあるようでした。訪問時は殆ど花が咲いていないんでアレなんですが・・・
周辺は平安時代後期から鎌倉時代にかけて、多数の石仏や寺院が造立されるなど仏教文化の花開いた土地で、石仏の里としても多くの人々に親しまれでいます。写真は石造りの地蔵菩薩で鎌倉時代のもの。
石室不動明王像で鎌倉時代のもの。こちらは国の重要文化財に指定されています。珍しい一枚岩の屋根付です。
同じく重要文化財の五輪塔で鎌倉時代にくつられています。
山門を出て石段を登ると白山神社と春日神社が並んで建っています。手前は江戸時代に建てられた春日神社で、奥が岩船寺の伽藍守護のために室町時代に建立されたという白山神社で、この白山神社だけ重要文化財に指定されています。江戸時代と室町時代、組み物が江戸時代の方が多少しっかりしている程度しか違いが分かりませんでした(笑)



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