●源光庵(げんこうあん)
1346年に大徳寺の徹翁義享(てっとうぎこう)によって開創された古刹、源光庵はその後の1694年に卍山道白(まんざんどうはく)によって開山し、臨済宗から曹洞宗に改宗されました。枯山水庭園を覗ける通称、悟りの窓と呼ばれる丸窓と、迷いの窓と呼ばれる角窓が見所。他、伏見城の遺構と伝わる血天井も有名です。

<住所>
京都府京都市北区鷹峯北鷹峯町47
<拝観時間>
9:00~17:00 拝観料400円。

<アクセス>
JR二条駅、又は地下鉄烏丸線の北大路駅からバスで鷹峰源光庵前を下車です。
こちらは山門。京都なので源光庵に限りませんが紅葉もそこそこ有名ですし、ススキでも有名らしい?です。トップの写真が卍山道白に帰依した中田静家居士の寄進によって建立されたという本堂です。その右には開山堂があります。
さて写真を撮り忘れた開山堂を抜けて本堂へ。源光庵と言ったらこの丸窓(円窓)が最も有名です。悟りの窓と呼ばれるこの丸窓は、禅と円通の心を表し、円は宇宙を表現しているのだとか。窓の奥には枯山水庭園が見えます。
開山堂から見た北山を借景とした枯山水庭園。木が邪魔で山とか見えませんけど・・・ 枯山水って白砂が無いと寂しいですね。
丸窓の右側には角窓もあります。この角窓は迷いの窓と呼ばれ、人間の生涯を象徴し、生老病死の四苦八苦を表しているそうです。
本堂内の天井は、伏見桃山城の遺構となる床板が使用してあります。徳川家康が上杉景勝の征伐へ向う間に伏見城を預かった忠臣、鳥居元忠。石田三成の軍勢と交戦するも、鳥居方の1800余人の多くは討死し、残る380余人が自刃した時の痕跡が今も天井に残されています。
くっきりと残る足跡・・・ 他、伏見城の遺構となる床板は、同じく京都の養源院や正伝寺、宝泉院などにも天井板として使われています。

●大報恩寺(だいほうおんじ)
真言宗智山派の寺院で千本釈迦堂の名で知られる大報恩寺。1221年に藤原秀衡の孫、義空上人が、猫間中納言光隆の家卒、岸高より寄進を受けたこの地に、小堂を建て一仏十弟子像を安置したのが当寺の起りといわれています。応仁の乱にて諸堂の多くを焼失しますが、現在唯一残る本堂(釈迦堂)は国宝にも指定され霊宝殿とともに見所の1つ。

<住所>
京都府京都市上京区今出川通七本松上ル溝前町
<拝観時間>
9:00~17:00 境内自由ですが、本堂内は500円となります(霊宝殿含む)。

<アクセス>
京福電気鉄道の北野白梅町駅より徒歩約15分、バスでは上七軒を下車。近くには北野天満宮もありますので、セットでの観光が効率がよさそうです。
おかめの物語
鎌倉時代の初め長井飛騨守高次という棟梁とその妻阿亀が住んでいました。そのころ千本釈迦堂の本堂を建立することになり、高次が総棟梁に選ばれ造営工事は着々と進んでいきましたが、高次ほどの名人も信徒寄進の四天柱の一本をあやまって短く切りおとしてしまったのです。夫の姿を見た妻の阿亀は「いっそ斗栱(組物)をほどこせば」というひと言、この着想が結果として成功をおさめ、見事な大堂の骨組みが出来上がったのです。
女の提言により棟梁としての大任を果し得たという事が世間にもれきこえては……と、おかめは自ら自刃して果てたのです。高次は上棟の日亡き妻の面を御幣につけて飾り冥福と大堂の無事完成を祈ったといわれ、またこの阿亀の話を傳し聞いた人々は貞淑で才智にたけた阿亀の最期に同情の涙を流して菩提を弔うため境内に宝筺院塔を建立し、だれ言うとなくこれを「おかめ塚」と呼ぶようになったのです。
本堂の屋根は檜(ひわだ:檜皮)葺き、純和様の寝殿造り、堂内部は内陣外陣区画の鎌倉初期の遺構をとどめるもので、内陣に内々陣四天柱のある釈迦念佛の道場、本尊に釈迦如来(秘仏)を祀ります。
柱には応仁の乱の時の刀槍の傷跡が残されています。大きなバッテン印のように見えるとこです(他にも小さい傷多数)。本堂とともに建物は小さいですが、重文がゴロゴロと転がっている霊宝殿も大きな見所となっています(撮影禁止)。訂正:転がってはいません。

●化野念仏寺(あだしのねんぶつじ)
化野は古くから風葬地として知られ、寺伝によれば810~824年頃に空海がこの地に葬られた人々を供養するために千体の石仏(あるいは遺骸)を埋めたとされます。その後、法然の常念仏道場となり、念仏寺と呼ばれ真言宗から浄土宗に改められました。境内には付近から出土、散乱した多数の石塔や石仏が立ち並んでいます。「生」が化して「死」となる『化:あだし』の字は、はかない、むなしいの意。

<住所>
京都府京都市右京区嵯峨鳥居本化野町17
<拝観時間>
9:00~16:30 拝観料500円。

<アクセス>
JR嵯峨野線の嵯峨嵐山駅、又は嵐電嵐山本線の嵐山駅からでも徒歩約30分かかるため、駅からタクシー、又はバスで鳥居本を下車し約5分。時間があれば徒歩10分程度のところにある愛宕念仏寺にも立ち寄ってみましょう。
化野念仏寺の入口です。秋には紅葉がとても綺麗な場所なんだそうです。
時代も古いのでしょうが、散乱した石仏を集めただけあって角がだいぶ丸くなってしまった石仏さん達です。
とてつもなく大きな仏舎利塔。
境内はこんな感じです。撮影は可能ですが、西院の河原の一部アングルと水子地蔵などは撮影禁止となっていますので注意です。
こちらが夥しい数の石仏が配列安祀されている西院の河原です。この西院の河原の中央には通路があるのですが、そこからの撮影は何故だか禁止となっています。囲いの外からであればその場所も含めて撮影可能だけに、意味ありげでちょっと怖いです・・・ 毎年8月23・24日には数千体の無縁仏にロウソクを灯した千灯供養も行われるそうですよ。
トップの写真が本堂で、隣には水子地蔵尊があり、その脇には竹の小径と呼ばれるなんとも美しい竹林があります。
竹林を抜けると六面六体地蔵があります。地獄、餓鬼、畜生、修羅、人道、天道の六つの世界にそれぞれ六体のお地蔵様がいて「オン・カカカ・ビサンマエイ・ソワカ」と唱えながら時計回りにお参りするそうです。
ここから歩いて10分くらいの場所に愛宕念仏寺というお寺があるのですが、道中には嵯峨鳥居本伝統的建造物郡保存地区というのがあります。その昔、室町時代末期頃には農林業や漁業を主体として開かれた集落。江戸時代には愛宕詣での門前町としての性格も加わり農家、町屋の他に茶店も建ち並ぶようになったそうです。

●愛宕念仏寺(おたぎねんぶつじ)
寺伝によれば、奈良時代の764年から770年頃、称徳天皇により建立された愛宕寺に始まります。平安時代の初めには、鴨川の洪水により堂宇が流失したため、比叡山の僧であった千観内供(伝燈大法師)により中興され比叡山の末寺となりました。参拝者によって彫られた1200体にも及ぶ表情豊かな羅漢の石像が見所です。寺名の由来は、愛宕の地に建てられたことと、千観がいつも念仏を唱えていたことから。

<住所>
京都府京都市右京区嵯峨鳥居本深谷町2-5
<拝観時間>
8:00~17:00 拝観料300円。

<アクセス>
JR嵯峨野線の嵯峨嵐山駅、又は嵐電嵐山本線の嵐山駅からでも徒歩約40分かかるため、駅からタクシー、又はバスで愛宕寺前(おたぎでらまえ)を下車するのが良いでしょう。化野念仏寺も近いのでセットで立ち寄るのがいいでしょう。この場合、景観の素晴らしい伝統的建造物郡保存地区を通り抜け徒歩約10分程度です。
江戸中期に建立された仁王門。両脇に安置する仁王像は鎌倉時代に造られたものだそうです。
先代住職であった公朝作の仏像仏画の置いてある羅漢洞というミニトンネルを抜けて本堂を目指します。
千二百羅漢の寺と言われるだけあって、見所は数多くの羅漢さんたちです。写真トップは重要文化財でもある本堂です。他にも境内は狭いながらも地蔵堂や、ふれ愛観音堂、三宝の鐘に多宝塔などのミニスポット?があります。
当寺の復興のために1200人の参拝者によって昭和56年から10年間彫られたという石像。とにかく一体一体の表情が見ていて飽きないです。
最初は五百羅漢だったそうなのですが、いつの間にやら1200体にもなってしまったようです。
羅漢様は修行中の身であり、仏様ではないのでこれらの石像を石仏とは呼びません。この羅漢さんは仏ではなく、蛇拳を極めるための修行なのでしょうか・・・
ここから歩いて10分くらいの場所にあだしの念仏寺というお寺があるのですが、道中には嵯峨鳥居本伝統的建造物郡保存地区というのがあります。鮎の塩焼きを食べながら一休みしてみては如何でしょうか。

●法界寺(ほうかいじ)
日野薬師として親しまれ、東光山と号する真言宗醍醐派の寺である法界寺は、藤原氏の流れをくむ日野家の山荘を寺に改めたことに始まります。浄土真宗の開祖である親鸞の生誕地としても知られ、国宝の阿弥陀堂と同じく国宝の阿弥陀如来坐像、内陣の壁画などが見所です。

<住所>
京都府京都市伏見区日野西大道町19
<拝観時間>
9:00~17:00(10~3月は16:00まで) 500円。

<アクセス>
市営地下鉄東西線の石田駅から徒歩約20分です。車であれば世界遺産でもある醍醐寺にも近く、セットでの観光がおすすめです。
本堂は写真トップにある薬師堂で国の重要文化財にもなっています。堂内には秘仏の薬師如来や十二神将が安置されているらしいです。
見所は本堂(焼失のため移築されたもの)ではなく、国宝にもなっている阿弥陀堂と堂内にある阿弥陀如来坐像、こちらも国宝。残念ながら撮影は禁止ですが、藤原時代といわれる仏像に、天人壁画や彩色もわずかに残る四天柱の絵画など見応えあります。尚、訪問時は自分も含め2人だけという、京都の中でも穴場スポットの部類に入ります・・・

●正伝寺(しょうでんじ)
創建は鎌倉時代までさかのぼり、南禅寺を大本山とした臨済宗の寺院(南禅寺派)である正伝寺は、伏見城の遺構を移建したと伝わる重要文化財の本堂(方丈)と、本堂の襖絵、土塀越しに見える比叡山を借景とした枯山水庭園が見所です。他、伏見城の遺構である床板を天井板とした、ちょっと怖い血天井も必見です。

<住所>
京都府京都市北区西賀茂北鎮守菴町72
<拝観時間>
9:00~17:00 拝観料300円。

<アクセス>
市営地下鉄烏丸線の北大路駅からバスで神光院前を下車し、徒歩約15分。
アクセスが悪いのが致命的、京都の中でも穴場スポットの部類に入るであろう正伝寺です。
何気に参道が長く遠い・・・ 本堂までは5分程度要します。おまけに誰もいないし・・・
こちらのお寺は比叡山を借景とした枯山水庭園が見所となっています。たまたまでしょうか、こちら本堂でもある方丈にはカメムシがたくさん歩いてたり飛んでいたりと恐ろしい数が足元にいました・・・
方丈とともに襖絵も国の重要文化財に指定されています。この畳の上にもカメムシが沢山・・・
方丈の広縁の天井は、伏見桃山城の遺構となる床板が使用してあります。徳川家康が上杉景勝の征伐へ向う間に伏見城を預かった忠臣、鳥居元忠。石田三成の軍勢と交戦するも、鳥居方の1800余人の多くは討死し、残る380余人が自刃した時の痕跡が今も天井に残されています。
他、伏見城の遺構となる床板は、同じく京都の養源院や正伝寺、宝泉院などにも天井板として使われています。ちなみにこの後、私は数時間身体からカメムシの匂いを発していました・・・

●松尾大社(まつのおたいしゃ)
松尾大社は、伏見稲荷大社の創建にも深く関わりのある渡来人の秦氏が、松尾山大杉谷の磐座の神霊を勧請して自らの氏神として当地に社殿を建立したのが起こりと伝わります。秦一族は酒造が特技とされ、酒の神様としても知られる他、当社の霊亀伝説より、亀を神使いとした全国的にも珍しい神社となっています。

<住所>
京都府京都市西京区嵐山宮町3
<アクセス>
阪急電鉄嵐山線の松尾大社駅から徒歩約5分です。京都駅からのアクセスは複雑で、比較的楽なアクセスでも地下鉄烏丸線で四条駅、そこから徒歩で阪急電鉄京都本線の烏丸駅へ。そこから桂駅で阪急電鉄嵐山線へ乗換え松尾大社駅まで約30分、430円です。ちなみに隣駅が嵐山駅終点なので、他の観光地との組み合わせで、そちら側からアクセスする方が得策です。尚、右地図では松尾駅になっていますが2013年に松尾(まつお)大社駅に改称したらしいです。

尚、境内は自由で、庭園拝観は500円、9:00~16:00となります。
マルーンの阪急は渋い色で大好きな車両です。1つ先の駅には観光客に大人気の嵐山駅があるのですが、松尾駅と言ったら松尾大社くらいしか見所もなく、静かな駅であります。
駅を下りるとすぐに大きな鳥居が出迎えてくれますが、さらに先にも大きな鳥居が出現します。あ、そうそう、松尾大社の読み方はちょっと変わっていて、『まつのおたいしゃ』と読むそうです。誰かに道を尋ねる時には注意ですね。
立派な楼門です。普段は静かな神社なのでしょうが、当日は観月祭というのが行われて多くの人が訪れていました。
写真トップが1397年に建立された重要文化財にも指定されている本殿。松尾造りという変わった建築法です。右写真は夫婦和合、恋愛成就するとされる相生の松。
松尾大社と亀の繋がりは深く、境内には松風苑という庭園もあり、その庭園奥には亀の井という酒造時に入れると酒が腐らないといわれる霊泉があります。霊亀の滝というのもあります。写真は松尾大神様のお使いと伝わる亀。撫でると長生きするそうですよ。
手水舎にも可愛らしい亀がいます。伝説によれば、この谷より『首に三台(三つの星)をいただき、背に七星を負い、前足に離の卦を顕わし、後足に一支あり尾に緑毛・金色毛の雑った長さ八寸の亀』が現れ、左京の人が神主と共に朝廷に参上したところ、嘉瑞なりとして霊亀と改元せられ、亀は再び元々の谷に放たれたと言う言われがあります。

石清水八幡宮(いわしみずはちまんぐう)
日本三大八幡宮のひとつに数えられ、やわたのはちまんさんと親しまれる石清水八幡宮は、羽柴秀吉と明智光秀の天王山の合戦などで知られる男山山頂に鎮座する八幡大神(八幡神)を祀った神社で、都の鬼門(北東)にある延暦寺とともに裏鬼門(南西)を守護する神社でもあります。美しく見事な彫刻が施された本殿をはじめ、多くの建造物が重文に指定され、、織田信長奉納とされる黄金の樋や信長塀(築地塀)も見所の1つ。
<住所>
京都府八幡市八幡高坊30

<拝観時間>
5:30~18:30(季節変動あり) 境内自由。

<アクセス>
京都駅からはJR奈良線の東福寺駅で京阪本線に乗り換え八幡市駅まで約40分、450円。八幡市駅からはケーブルカーで3分、男山山上駅を下車し徒歩約5分。
伊勢神宮ともに天皇家から崇敬されてきた二所宗廟の一つ、石清水八幡宮。日本三社、さらには日本三大八幡宮の一社でもあり、写真トップの本殿は重文にも指定されています。そんなパワースポット的な要素を兼ね備えた石清水八幡宮ですが、観光客の人気はない様子。訪問時はGWの昼時でしたが、人影が殆ど見当たりません・・・
室町幕府の6代将軍であった足利義教(義円)は当社にて、くじ引きで選ばれた将軍でもあります。くじ引きって・・・ 本殿裏手にも重要文化財の摂末社が多く建ち並んでいます。
独特な形の信長塀です。名古屋にある熱田神宮のと比べても、それはそれは長い塀です。



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