●西本願寺
浄土真宗本願寺派本山の寺院である西本願寺。正式な名前は龍谷山本願寺であり東にある東本願寺(真宗本廟)と区別するためにそう呼ばれています。南無阿弥陀仏でも知られる浄土真宗の宗祖は親鸞(しんらん)です。親鸞入滅(死去)後、大谷に石塔を建て遺骨をおさめますが、墓所が簡素とのことで末娘の覚信尼が大谷廟堂を建て遺骨を移しし、これが本願寺の発祥となります。

<住所>
京都府京都市下京区堀川花屋町下

<アクセス>
京都駅からバス。徒歩では15分程度です。
<拝観時間>
1、2月  6:00-17:00
3、4月 5:30-17:30
5〜8月  5:30-18:00
9、10月  5:30-17:30
11、12月 6:00-17:00
境内無料 書院など非公開の場所は事前申し込みで見学可能です。尚、毎日ある法話は誰でも聴聞することができます。
妙法蓮華経(法華経)で知られる天台宗の延暦寺との対立や、本願寺勢力(一向一揆)と織田信長との戦い(石山合戦)などで、度重なる焼失や本拠地も何度も変えることになります。11年に及ぶ戦いの末、和議が成立しますが、ここで教団には穏健派と強硬派とに内部分裂が起こります。豊臣秀吉が天下を統一すると、ようやく現在の土地を寄進され落ち着きます。その後、徳川家康が将軍の時代には石山合戦後に内部分裂した経緯から、ここから東に東本願寺を建立します。勢力が拡大していく本願寺の分割を図ったとされる説もあります。

●東本願寺
西本願寺と同じく浄土真宗の真宗大谷派に属する東本願寺。通常は西本願寺に対して東に位置するのでこう呼ばれますが、正式名称を真宗本廟と言い、親鸞聖人の死後に廟堂を建立したことが発祥となります。

<住所>
京都市下京区烏丸通七条上る
<アクセス>
京都駅から徒歩約10分。駅から京都タワー方向へ真っ直ぐなので、分かりやすいと思います。

<参拝時間>
5:50〜17:30(季節変動あり) 境内自由。
トップの写真と同じく、こちらは宗祖である親鸞聖人の御真影を安置する御影堂(ごえいどう)。西本願寺が本願寺派の総本山であるのに対し、東本願寺は西本願寺より分流した大谷派の総本山となります。江戸時代の度重なる火災によって、残念ながら現在の建物は明治28年に再建されたものですが、木造建築としては世界最大。
こちらは阿弥陀堂。東本願寺の建造物は全てが明治時代に再建されたものとなっていますが、その姿すら修復工事中で見れず・・・

そこそこ有名な観光スポットではありますが、西本願寺と同じく、比較的に訪れる人は少ない場所です。

●三十三間堂(さんじゅうさんげんどう)
正式名称を蓮華王院といい、本堂は観音菩薩の変化身三十三身にもとづき、内陣の柱と柱の間の数が33あることから通称、三十三間堂と呼ばれます。もとは後白河上皇が発願し平清盛に命じて離宮として建てられたものであり、後に火災で焼失し、1266年に本堂である三十三間堂だけが再建されました。

<住所>
京都府京都市東山区三十三間堂廻り町657
<アクセス>
京阪電気鉄道の七条駅から徒歩約5分。バスでは京都駅から博物館三十三間堂前を下車です。京都駅からも徒歩圏内ですが、20分程度かかりま

<開門時間>
8:00〜17:00(季節変動あり) 拝観料600円。
堂内は残念ながら全て撮影禁止ですが、本尊である国宝の千手観音坐像をはじめ、風神雷神など国宝クラスがズラリと並ぶ様は圧巻です。さらに、その後ろにはおびただしい数の千手観音像がギッシリとすしづめ状態で安置されています。写真の軒下では江戸時代、弓術を競って約120mも先にある的をめがけて矢を放つ、通し矢と呼ばれる競技も盛んでした。
実際に、江戸時代に矢が放たれたのはこちら側(西縁の南端から北端)からだそうです。堂内見学後にでも、ぐるっとまわって覗いてみましょう。今でも距離は60mと短いものの、大的全国大会は恒例のイベントとなっています。
江戸期、尾張・紀州両藩による通し矢「天下一」の争奪戦は民衆の評判となりました。縁側の柱や軒に残る鉄板は、雨あられと飛びくる矢からお堂を守るために徳川第三代将軍家光が付加したものです。
当時、数ある種目の中でも花形と言われていたのが全堂大矢数でした。約120mもある軒下で一昼夜24時間、矢を射続けるという「大矢数」は身命を賭けた凄絶な競技で、江戸時代を通じて、約八百万人がこれに挑み、時々のおもいをのせて放たれた矢数も延べ百万本に達すると伝えられます。
弓矢を遠くへ飛ばすとなると、技術的に失速を計算して弧を描くように弓を射らなければなりません。そうなると当然、軒が邪魔になるわけで、写真のような有様になります・・・
1686年、4月27日に紀州藩の和佐範遠(大八郎)が総矢数13053本中、通し矢8133本で天下一となった記録が残ります。これが現在までの最高記録だそうで、この記録を出すのには、5〜6秒に1本の矢を射る必要があります。矢継ぎ早という言葉は、まさにこの事を言うのでしょう。
重要文化財でもあるこの築地塀は、豊臣秀吉が寄進したもので、太閤桐の文様を用いることから太閤塀とも呼ばれています。
三十三間堂の見所として、国宝の本堂と堂内の諸仏(国宝・重文)、重文の太閤塀ともう1つ重文の門があります。ただ、場所が拝観受付場所を出て右回りにぐるっと歩いていかないと見れません。写真がその門である南大門。豊臣秀吉が1595年に造立した大仏殿方広寺の南門として築いたものだそうです。

●養源院(ようげんいん)
豊臣秀吉の側室であった淀殿が父の浅井長政の追善のため、1594年に政伯法印を開山として建立した養源院。建立後に火災にあい、1621年に淀殿の妹で徳川秀忠夫人の崇源院が伏見城の遺構を移して本堂を再建しました。

<住所>
京都府京都市東山区三十三間堂廻り町657

<拝観料>
500円。営業時間 9:00〜16:00
その後は徳川家の菩提所となり、歴代将軍の位牌を祀り、本堂の廊下の上の天井は、関ヶ原の合戦前、家康の命を受けて伏見城を死守した鳥居元忠以下の武士が自刃した時の廊下の板を天井に上げ、その霊を弔ったもので、俗に、血天井として呼ばれています。はっきりとした手形、足跡は少ないものの、汚れ具合は京都にある他の血天井と比較しても、いい感じ?です。又、本堂の杉戸及び襖の絵も重文で見応えあり。鴬張りの床はキュキュっといい音してます。ガイド案内もしてくれます。ただ、残念ながら撮影は庭以外すべて禁止です。建物内はかなり狭いです。アクセスは三十三間堂(南大門側)から徒歩1分のです。

●北野天満宮
学問の神様としても知られる菅原道真を祀る北野天満宮。創建は947年と伝えられ、1607年に豊臣秀頼により造営された本殿は国宝に指定されています。天満宮と言えば、福岡県の太宰府天満宮が有名ですが、こちらも全国天満宮の総本社となっています。

<住所>
京都府京都市上京区馬喰町
<参拝時間>
5:00〜18:00 境内自由。

<アクセス>
京福電車の終点、北野白梅町駅を下車し徒歩約10分。バスでは北野天満宮前を下車すぐです。
広々とした参道ですが、国宝建造物がゴロゴロしている京都の中では、恐ろしいほどに空いています。道真が可愛がっていた梅の木が没後に京都から福岡の天満宮まで梅が飛んでいったとされる伝説から、境内にも梅が多く植えられています。このため、梅の見頃や年末年始、受験シーズンだけは混雑します。また、毎月25日(菅原道真の生誕及び命日)に行われる縁日も多くの人出があります。
立派な楼門が見えてきました。かなり古そうに見えますが明治になってから建立されたものです。
どこの天満宮でも置いてあるのが牛の像。境内には色んな顔をした牛さんが多くいます。天満宮に牛がいる理由は福岡県の大宰府天満宮を参照。
北野天満宮の見所としては写真トップの国宝の社殿、重要文化財の東門、同じく重文のこの三光門などが挙げられます。
拝殿奥にあるこの本殿も含めて国宝となっています。
本殿の裏手には天満宮創建よりも古く鎮座する地主神が祀られています。境内には他にも文子天満宮とか絵馬所、神木とか見所?があります・・・

●平安神宮
明治28年に平安遷都1100年を記念し、桓武天皇を祭神として創建された平安神宮。社殿は、平安京の政庁の中心である朝堂院の形式を、およそ三分の二に縮小して復元したものです。

<住所>
京都府京都市左京区岡崎西天王町
<参拝時間>
6:00〜18:00(季節変動あり) 境内自由。但し、神苑拝観料は600円。こちらは8:30〜17:30(季節変動あり)。

<アクセス>
市営地下鉄、東西線の東山駅を下車し徒歩約10分。バスでは京都会館・美術館前を下車すぐです。
正門となる應天門(おうていもん)は平安遷都千百年にあたる明治28年に復元されたものですが、堂々たる朱色に輝く神門は重要文化財に指定されています。
同じく重文の大極殿(だいごくでん)は、古代の役所の建造物のなかで最も重要な建物で、天皇が政務を執られ朝賀・即位(ちょうがそくい)などの重要な儀式が行われました。規模はこれでも往時の二分の一だそうです。
大極殿の両端には平安京朝堂院の様式を模した蒼龍楼(そうりゅうりょう)と白虎楼(びゃっころう)が建っています。
こっち側が白虎楼です。全くもって同じですね・・・ どちらも重文に指定されています。
歴史の浅い平安神宮なので見所らしきものは少ないのですが、本殿の背後には約三万平方メートルからなる広い神苑があります。
こちらは神苑内にある明治時代に京都電気鉄道が運行していた日本最古の電車らしいです。創建とも深い関係があることからここに保存されているとのこと。
ただでさえ人気の少ない平安神宮(外国人観光客は多いです)なのに、神苑ともなると有料であるせいか、拝観する人は一段と減ります。
でも、のんびりとした時間を過ごしたい人には最高の場所です。神苑は花菖蒲の名所でもあるのですが、私が訪れた時には睡蓮がポツポツと可愛らしく咲いていました。
神苑は四つの池を中心に各時代の庭園様式を取り入れた池泉回遊式の明治を代表する庭園で、国の名勝にも指定されています。
神苑作庭者である小川治兵衛が手掛けた臥龍橋(がりゅうきょう)。ここに使用された飛石の石材(白川石)は天正17年に豊臣秀吉が造営した三条・五条両大橋の橋脚とのことです。神苑内には全部で50数個の石柱が保存されているそうですよ。
奥に見える建物は、京都御所から移築された泰平閣(橋殿)。
同じく東神苑にある尚美館(貴賓館)も京都御所から移築されたものだそうです。

●東寺(とうじ)
教王護国寺(東寺)は、国家鎮護のために平安時代に建立された官寺のひとつ。823年には空海(弘法大師)に下賜されて真言密教の道場となります。度重なる内乱等によって焼失してしまい、現在の五重塔は1644年に再建(金堂は1603年)した貴重な文化遺産となっています。

<住所>
京都府京都市南区九条町1
<拝観時間>
金堂・講堂は500円で8:30〜17:30(冬季は16:30まで)特別公開される五重塔、宝物殿、観智院の組み合わせによって共通券の拝観料が異なります。

<アクセス>
京都駅から徒歩15分程度。1つ先の東寺駅からは7〜8分です。
密教
大乗仏教には顕教(けんぎょう)と密教(みっきょう)とがあります。詳しくは奈良県の法隆寺、東大寺を参照して下さい。顕教での仏は毘盧遮那仏であり宇宙そのものなので姿、形がなく喋ることもできません。なので、お釈迦様などが代わりに人々に教えを説きます。密教では仏を宇宙一体の大日如来(だいにちにょらい)とし、直接教えを説くことができます。しかし、心を研ぎ澄まさなければ聞くことの出来ない教えなので秘密の教えなのです。ちなみに五重塔、講堂は大日如来ですが、本堂となる金堂の本尊は顕教の薬師如来(やくしにょらい)となっています。
講堂になります。拝観受付の手前にある食堂です。意味は同じでも読み方は「じきどう」ですのでお間違えなく。こちらは拝観料を払わなくても見学が可能です。
御影堂(大師堂)は国宝ですが、こちらも無料で見学が可能です。
ここからは有料。写真は重要文化財の講堂です。再建された建物ですが、それでも室町時代の1491年というのですから驚きです。東寺の見所は五重塔は当たり前なのですが、講堂、金堂の諸仏も見所の1つでもあります。
1603年に再建され、国宝でもある金堂では薬師如来坐像を安置します。薬師如来といえばやはり、それをお守りする十二神将像も見所となります。
木造塔としては日本一の高さ(54.8m)でもある五重塔。その存在感たるや半端ではありません。新幹線の車内からもよく見えますし。再建により建てられたのは1644年ですが国宝に指定されています。

●東福寺
紅葉シーズンの京都は人気の観光スポットですが、中でも一番人気の紅葉スポットが全国各地から観光客が訪れるここ東福寺(とうふくじ)です。観光には平日が断然お薦めで、その混雑振りは半端なものではありません。

<住所>
京都府京都市東山区本町15-778

<アクセス>
京都駅から1つ先の東福寺駅を下車し徒歩5分程度。
<拝観時間>
9:00〜16:00 秋の特別拝観は8:30〜16:30 共に受付は30分前に終了。通天橋・開山堂 400円、方丈八相庭園 400円。

東福寺の公式サイトから引用しますと、創建は「摂政九条道家が,奈良における最大の寺院である東大寺に比べ,また奈良で最も盛大を極めた興福寺になぞらえようとの念願で,「東」と「福」の字を取り,京都最大の大伽藍を造営したのが慧日(えにち)山東福寺です。」とあります。
こちらは正門となる三門。室町時代に再建されたものですが、禅寺としては現存する日本最古のものだそうで国宝となっています。
こちらは国内で最大最古の禅堂。僧侶になるための修業道場であり昔は400名以上の僧が修行を行っていたそうです。
禅堂の奥に見えるのが東福寺の本堂です。それにしても紅葉シーズンのピークでは御覧のように物凄い観光客の数です。
なかでも人気の撮影スポットは、トップにある通天橋からの眺め(右の写真)です。こちらでは先程の写真の比ではないほどの人・人・人で埋め尽くされ、写真を撮るのも一苦労です。



京都府の観光