●伏見稲荷大社(ふしみいなりたいしゃ)
稲荷神の神使の狐、そして朱い鳥居が特徴の稲荷神社の総本社である伏見稲荷大社。宇迦之御魂大神を主祭神として、佐田彦大神、大宮能売大神、田中大神、四大神の五柱の神が祀られており、これらは穀物・農業の神様としても知られています。本殿の裏手には千本鳥居と呼ばれる奉納された数多くの鳥居のトンネルがあり、一番の見所にもなっています。

<住所>
京都府京都市伏見区深草藪之内町68
<アクセス>
JR稲荷駅を下車すぐ。京都駅からはJR奈良線で約5分、140円です。境内自由。
駅の改札を出ると、左前方には大きな第一鳥居がみえます。鳥居は一基(いっき)、二基(にき)・・・と数えます。この先、おびただしい数の鳥居が待ち構えています。

伏見稲荷大社の歴史は、渡来人の秦氏の祖先、伊侶巨秦公が勅命によって伊奈利山(稲荷山)を神として祀ったのが起こりとされます。
第二鳥居の先には楼門があり、その先に外拝殿、そして写真トップの御本殿と続きます。本殿は応仁の乱で焼失し1494年に再建されたもの。国の重要文化財にも指定されています。
本殿から奥宮をへと通り過ぎると、有名な千本鳥居があります。
分かれ道もあったりします。寺社の参拝では何かと時計回り(右回り)が多いので、取りあえず左から入ろうと思ったら人の流れで右側へ・・・ 違う場所に出るのかと思いきや、すぐに同じ場所へと合流しました。
名所でもある千本鳥居。これら数多くの鳥居は全て奉納されたもので、江戸時代以降に広がった風習とのこと。鮮やかな朱色は古来より魔除けの効果があるとも言われています。尚、神社の説明によれば伏見稲荷大社の鳥居は、稲荷大神様のお力の豊穣を表す色とのこと。そして、この伏見稲荷大社には、信者から奉納された1万基以上の鳥居があると言いますから驚きです。
千本鳥居を抜けると奥社奉拝所(奥の院)へ到着します。奉拝所の右手に、おもかる石という人気スポットがあります。まず、灯篭の前で願い事をしてから石を持ち上げます。その時に感じる重さが、自分が予想していた重さよりも軽ければ願い事が叶い、重ければ叶わないとする試し石です。
境内には数多くの鳥居の他にも、このキツネさんを多く見かけます。本殿前にも狛犬ではなく、宝玉と鍵をくわえた狐像が対で置かれています。稲荷大神様のお使いである狐は本来、白狐と呼ばれる目には見えない狐なのだそうです。本来、狛犬が犬ではないのと同じですね。
奥の院で引き返す人も多いのですが、ここから石段を上っていく人も多いようです。しばらく石段の上り、突き当たったT字の分かれ道が三ッ辻。左手に進めば違った景色を見ながら下山し、土産物屋へたどり着きます。半数がここで断念し左手に進みます。右手に進めば四ッ辻方面へ。
きつねうどんや、いなり寿司も食べられる、ちょっとした休憩所もあります。稲荷神社では昔から供え物の中に狐の大好物といわれる油揚げがありました。これらの事から私達に馴染みのある油揚げを使った食べ物が、きつねうどんや、お稲荷さんなどと呼ばれるようになったそうですよ。
四ッ辻までは辛い辛い石段が続きますが、段差がそれほどないので、ゆっくり歩いても四ッ辻までは比較的短時間で到着します。そう言いながらも、後半はかなり息が切れまが・・・。
四ッ辻に到着です。そこそこの展望が楽しめます。この伏見稲荷大社、外国からの観光客にとって京都の中でも清水寺や金閣寺、あるいは奈良の大仏様と同じくらい人気のある観光地なのですが、ここらへんは日本人が大半を占めます。かなり疲れますし・・・
四ッ辻、つまりここから4方向へと道があるのですが、左の石段を上れば御幸奉拝所に着きます。正面の道は右手の道とつながっており、お山を一周(健脚で30分)することができます。大半の人は、ここでさすがに引き返すようです。
ここが御幸奉拝所なのでしょうか、お山を一周するつもりが方向を間違えたことに気付き引き返します・・・ ここには数多くの小さな祠が祀ってありました。
稲荷山を巡拝できる、お山の参道は、信仰心の欠片もない私にとっては、単なる運動でしかありません。運動といっても標高は233mだそうですが。
こちらは御膳谷神蹟。厳かな雰囲気とは、まさにこのような場所を指すのでしょうか。なにやら空気が一変したような感じがします。たぶん、気のせいです・・・
もう、意地になって山頂(一ノ峰:上之社神蹟)まで到着しました。疲れますけど、小さな祠が無数にある稲荷塚を幾つも見られる、お山一周コース。時間がある方は是非どうぞ。

●醍醐寺(だいごじ)
真言宗醍醐派総本山の寺院である醍醐寺は、応仁の乱や文明の乱にて五重塔を残して全て焼失してしまいましたが、1598年に豊臣秀吉が北政所らを花見の宴(醍醐の花見)に誘ったことをきっかけに復興されました。金堂をはじめ、京都府域最古の五重塔などが国宝に指定され、世界遺産にも登録されています。

<住所>
京都府京都市伏見区醍醐東大路町
<アクセス>
京都駅からはJRで山科駅まで行き、地下鉄東西線に乗り換え醍醐駅まで約20分、450円。醍醐駅からは徒歩約10分。山科駅や六地蔵駅からバス(220円)もあります。

<参拝時間>
9:00〜17:00(季節変動あり) 入山料600円。三宝院との共通券は1000円、三宝院、霊宝館との共通券は1500円。
総門を抜けると左手には醍醐寺の塔頭(子院)、三宝院があります。こちらは後で拝観するとして、参道を進めば、すぐ先には1599年に建立された国宝の三宝院唐門があります。
さらに進めば豊臣秀頼によって1605年に再建された仁王門(西大門)があります。
仁王像は重要文化財にも指定されています。

トップの写真が国宝にもなっている金堂(本堂)で、醍醐天皇の菩提を弔うため第一皇子、朱雀天皇が936年に着工し、第二皇子の村上天皇の951年に完成したそうです。本尊として薬師如来坐像が安置されています。現在の金堂は豊臣秀吉の発願によって紀州から移築され、子である秀頼が1600年に落慶したもの。
ドド〜ンと立派な写真の五重塔も国宝で、951年に建立されたもの。こちらも醍醐天皇の菩提を弔うために建てたれたものです。951年と言えば、平安時代の頃なのですから驚きです。五重塔の正面には清瀧宮拝殿と、重文の清瀧宮本殿とが建っており、まさに文化財のオンパレードです。
弁天堂のある池あたりまでが、下醍醐と呼ばれる場所で、当時はここから先(山内)は女人禁制だったそうです。このため、女性信者は上醍醐との境にある女人堂をたどって参籠していたんだそうです。ちなみに、この先の上醍醐も文化財のオンパレードで、薬師堂や清瀧宮拝殿などの国宝が待ち構えています。尚、紛らわしいのですが、下醍醐にもある清瀧宮拝殿、本殿は上醍醐の拝殿、本殿の分身とのこと。
再び境内入口近くまで戻り三宝院へ。こちらも先ほど見学した唐門や国宝の表書院など文化財のオンパレードです。ここの見所は、なんと言っても秀吉が設計したとされる美しい庭園でしょう。ただ残念ながら撮影禁止。せめて庭園くらいは・・・

●下鴨神社(賀茂御祖神社)
下鴨神社(しもがもじんじゃ)の名で知られる賀茂御祖神社(かもみおやじんじゃ)は、上賀茂神社(賀茂別雷神社)の祭神である賀茂別雷大神の母神、玉依姫命と祖父神の賀茂建角身命を祀っています。天皇家との関係も深く、日本神話の中で神武天皇の東征の際に大和への道案内をした八咫烏(やたがらす)は賀茂建角身命の化身といわれています。創建は不明ですが、京都の賀茂社として上賀茂神社とともに世界遺産にも登録されています。
<住所>
京都府京都市左京区下鴨泉川町59

<開門時間>
6:30〜17:00 境内自由。

<アクセス>
バスでは下鴨神社前下車すぐ。電車では京阪本線もしくは叡山電鉄の出町柳駅を下車し徒歩10分です。
神服殿(しんぷくでん)は夏、冬の御神服を奉製する御殿であったそうです。
トップの楼門や上の写真の臨時の内侍所の舞殿(まいどの)も重要文化財。左の写真の御蔭祭のときに御神宝を奉安する橋殿も重文です。
こちらは歌会などが行われた細殿(ほそどの)。これも重文です。あまりにも重要文化財が多すぎるので以後、割愛していきます・・・
御手洗川(みたらしがわ)は、土用の丑に日にこの川に足を浸し、疫病や病い封じを祈願する場所なのですが、普段は水が流れておらず、土用が近づくと、こんこんと水が湧き出す不思議な川なのだそうです。京の七不思議の1つとされ、その様をかたちどった云われる、みたらし団子の発祥のところでもあるとのこと。
この門の中には干支の社が建ち並び、それぞれの生まれ年に参拝できるようになっています。この中門の奥に本社がありますが、角度が悪くて写真掲載はやめときます・・・
お供えの御料を煮炊きし、調理する大炊殿(おおいどの)。古くは、この社殿ではご飯、餅、ぶと、お菓子など穀物類が調理され、お酒は酒殿、魚貝鳥類に贄殿で料理されていましたが、1470年の乱の兵火によって焼失してしまったそうです。その後、同場所に再建されて重文にも指定されています。酒殿は退転、贄殿は、供御所の一間に充てられました。

●上賀茂神社(賀茂別雷神社)
上賀茂神社(かみがもじんじゃ)の名で知られる賀茂別雷神社(かもわけいかづちじんじゃ)は、賀茂氏の祖神である賀茂別雷大神を祀っています。天皇家との関係も深く、日本神話の中で神武天皇の東征の際に大和への道案内をした八咫烏(やたがらす)は賀茂別雷大神の祖父神である賀茂建角身命の化身といわれています。創建は不明ですが、京都の賀茂社として下鴨神社とともに世界遺産にも登録されています。
<住所>
京都府京都市北区上賀茂本山339

<開門時間>
8:30〜16:00 境内自由。

<アクセス>
バスでは上賀茂神社前で下車すぐ。
重要文化財に指定されている外幣殿(御所屋)
こちらの重要文化財の細殿の前には怪しい砂が盛られています。
この立砂(たてずな)は、盛砂とも云い「たつ」とは神様のご出現に由来した言葉であり神代の昔、ご祭神が最初に降臨された本殿の後2kmにある円錐形の美しい形の神山に因んだもので一種の神籬(神様が降りられる憑代)とのことです。
重要文化財の舞殿。
重要文化財の幣殿。
重要文化財の楼門奥にある本殿、権殿は国宝です。
楼門の横っちょにあるこんな末社ですら重文・・・ あまりにも重要文化財多いので、下鴨神社と同じく割愛していきます・・・
しつこいようですが、片岡橋も重文で、右にある写っていない玉橋も重文です。
ちなみに境内には、建造物だけでも国の重要文化財に指定されているものが30以上もあるんですって。
さすが京都です。もう、こちらの北神饌所(庁屋)なんか、境内の隅っこにあるせいで、1628年に建てられた重要文化財であっても見学者は皆無です・・

●鞍馬寺(くらまでら)
寺伝によれば、鑑真の高弟、鑑禎(がんてい)が770年に草庵を造り、毘沙門天を安置したのが始まりとされる鞍馬寺。能の演目の1つでもある鞍馬天狗でも知られ、牛若丸(源義経)は鞍馬山にて小さい頃を過ごした場所でもあります。

<住所>
京都府京都市左京区鞍馬本町1074
<愛山費>
200円。9:00〜16:30。ケーブルカー(片道100円)も利用可。

<アクセス>
叡山電鉄の鞍馬駅(終点)から徒歩約3分。京都駅からは電車で約1時間です。
観光に特化した列車ってのもいいものですね。
小雨が降っていますが、山奥に来ると雨もまた風情があってよいものです。
この立派な仁王門は明治44年に再建されたもの。
仁王門から振り返ります。別に写真撮らなくてもよかったんですが、皆さん撮っていたので、つい・・・ 

ここから山頂本殿まで約1kmあるそうです。仁王門をくぐった右手にはケーブルカーで楽々山頂までアクセスできますが、途中に重要文化財の由岐神社拝殿があるとか、清少納言や牛若丸も歩いた道であるとか、健康のためにも、できるだけ歩いて下さい。なんて書いてあるんですよ。
渋々、歩いて由岐神社に到着です。
これが拝殿ですね。1610年、秀頼によって再建と書いてあります。傘さしてなければ、このミニ登山も最高なんですが。先を急ぎましょう。
なんか階段が多くなってきましたな。そうこうして、なんとかトップ写真の本殿に到着です。
本殿脇にあるこの小道から奥の院、さらには貴船神社に抜けられるそうです。天気が良ければ、牛若丸も歩いたかもしれないこの道を迷わず行くのでしょうが・・・
取りあえず様子見で、どんどん先へと進んでしまいました。序盤、道が整備されていたのには騙されました。そして、ある程度進むと引き返せない状況に・・・
同じように歩いている人もそこそこいるのですが、足場が泥土でぐちょぐちょしている上に、アップダウンも激しかったりします。奥の院まで来たらもう引き返せません。雨の日や雨上がりは電車+バスの方が断然オススメです。そして後半、沼地のような登山道となり、靴は完全に浸水してしまいました。最後まで靴が浸水しないよう歩いていたのに無念。

●貴船神社(きふねじんじゃ)
日本神話に登場する神武天皇の母神である玉依姫命がこの地に水神を祀ったことから、以来、水を司る神の高おかみを祀ようになった貴船神社。古来より、雨乞の社として日照りを願うときには白馬が、長雨を願うときには黒馬が奉納されていましたが、度重なる御祈願のため絵馬に変えて奉納され、絵馬発祥の地としても知られます。

<住所>
京都府京都市左京区鞍馬貴船町180
<開門時間>
6:00〜20:00(季節変動あり) 境内自由。

<アクセス>
叡山電鉄の貴船口駅から徒歩約20分。駅から貴船(神社まで3分程度)まで、おおむね10〜16時であれば約15分間隔でバスが運行しています。

他、天気が良ければ鞍馬寺から奥の院を経由しての山越えコース(30〜60分)もオススメ。
鞍馬寺からなんとか貴船へたどり着くことが出来ました。小雨だった雨もいつの間にか本降りです。
え〜、貴船神社の読みは「きふね」でこの地域は同じ字でも「きぶね」と呼ぶそうです。縁結びの神様としても有名な貴船神社ですが、女流歌人の和泉式部のエピソードから復縁のご利益もあるそうですよ。

帰りは車の置いてある鞍馬寺までバス+電車であっというまに帰れました(涙)。


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