●三室戸寺(みむろとじ)
8世紀頃に光仁天皇の勅願により創建されたとされる三室戸寺は、西国三十三所観音霊場十番の札所としても知られている古刹であり、千手観音菩薩を御本尊としています。花の寺としても知られ、広大な庭園では季節ごとに紫陽花やつつじ、蓮や紅葉などが楽しめます。

<住所>
京都府宇治市菟道滋賀谷21
<拝観時間>
8:30~16:30(冬季は16:00まで) 500円。

<アクセス>
京阪宇治線の三室戸駅を下車し徒歩約15分です。駅改札を出て左にひたすら直進(途中Y字路は左)です。
朱色の美しい山門が出迎えてくれます。
本堂までは長い階段が続きます。一応、迂回路もありますよ
階段を上りきると出迎えてくれるのが狛・・・狛蛇です。宇賀神と書かれていますが、耳をさわれば福がくる、髪を撫でると健康長寿とのことです。
狛蛇と同じく、当寺には縁起を担ぐものが多くあります。こちらは牛の口にある玉をさわると勝運がつくと伝えられている勝運の牛。
こちらは狛兎の福徳兎。球中の玉子が立てば運気があり、足腰健全になると伝えられています。
写真トップが江戸時代に建てられた本堂で、本堂の右脇にあるこの阿弥陀堂もまた江戸時代に建てられたものとなっています。
鐘楼もまた江戸時代に建てられたもの。奥に見える三重塔に惹かれて本堂から右手に進んできましたけど、実は本堂の左手には室町時代に建てられたという重要文化財の十八神社があったらしいです。残念・・・ 来る前に予習しとくべきでした。というか境内マップを要確認すればよかったです(涙)
鐘楼の裏手にある源氏物語宇治十帖内の浮舟の古蹟(旧浮舟社)
--- 源氏物語 宇治十帖の第7帖、浮舟より ---
正月、中君のところに宇治から消息があった。浮舟(うきふね)のことを忘れられない匂宮(におうのみや)は、家臣に尋ねさせたところ、まさしく浮舟は、薫君にかくまわれて宇治にいることがわかった。そして、ある夜、闇に乗じ、薫君の風を装って忍んで行く。浮舟が事に気づいた時にはもう遅かった。浮舟は、薫君の静かな愛情に引きかえ、情熱的な匂宮に次第にひかれていく。薫君は物思いに沈む浮船を見て、一層いとおしく思われた。
如月の十日頃、雪の中、宇治を訪れた匂宮は、かねて用意させていた小舟に浮舟を乗せ、橘の小島に遊び、対岸の小家に泊って一日を語り暮らした。浮舟は、二人の間でさまざまに思い悩んだ末、遂に死を決意する。『橘の小島は色もかはらじを この浮舟ぞゆくへ知られぬ』橘の小島の色は変わらなくとも、私の心はこの小舟のように不安定である。

こちらの写真が心惹かれた三重塔。これまた江戸時代に建てられたものだそうです。京都府の指定文化財に指定されています。
枯山水の石庭も紅葉シーズンもあってか美しいです。
池泉もまた素晴らしく、京都でも市街地を離れると、途端に訪れる人も少なくなり凛とした静かな空気が漂い素敵な場所でした。

●萬福寺(まんぷくじ)
黄檗山萬福寺は、日本三禅宗の1つ黄檗宗の大本山で、江戸時代初めの寛文元年(1661年)、中国の僧、隠元元禅師により開山されました。境内には中国風の建築物が数多く建ち並び、その多くが重要文化財に指定されています。

<住所>
京都府宇治市五ケ庄三番割34
<拝観時間>
9:00~17:00(受付16:30まで) 拝観料500円。

<アクセス>
JR奈良線、あるいは京阪宇治線の黄檗駅を下車し徒歩約5分です。尚、京阪宇治線の隣駅には三室戸寺もありますので、セットで行かれるのがオススメです。
1661年に建立され国の重要文化財に指定されている総門。すでに中国っぽい雰囲気ですね。ちなみに黄檗山萬福寺は中国の福建省にある同名の寺に由来するそうです。
総門の次に目の前に現れるのが重要文化財の三門です。1678年の建立となります。
とにかく境内が広いっす。
こちらは1668年に建立された天王殿。
天王殿の中心には弥勒菩薩の化身とされる布袋像が安置されています。
裏側には韋駄天像も安置されています。
その脇には四天王も安置されています。どれも来日していた明の仏師・范道生の作だそうです。
トップの写真は重文の大雄宝殿(だいゆうほうでん)で萬福寺の本堂となります。建立は1668年で、堂内には釈迦如来、迦葉尊者、阿難尊者などが安置されています。
大雄宝殿の十六ならぬ十八羅漢像も立派です。開山の隠元禅師は中国においても高名な僧であったらしく、初め隠元は度重なる招請に応じ来朝したものの、中国に残された弟子たちの強い希望もあり、3年間の滞在で帰国する予定でした。しかし、日本の帰依者たちも日本に留まることを強く希望し、1660年には徳川幕府によって土地が与えられ、隠元のために当寺が建てられることになり、結局は隠元は日本に留まることを決意したそうです。
繰り返し言いますけど、どうゆう順路で見学すればよいのか悩むくらい広いです。
重文の斎堂前には 開梆(かいぱん、魚梛、ぎょはん)という巨大な木製の魚が吊るされています。これは叩いて食事や法要の時間を知らせるためのもので木魚の原型と言われています。尚、斎堂とは食堂のことであり、黄檗僧がもたらした中国風の精進料理である普茶料理もご賞味して頂けるとのことです。また、開山の隠元禅師は、隠元の名に由来するインゲンマメや、孟宗竹、スイカ、レンコンなどをもたらしたとされます。隠元すげ~!なのであります。
こちらは雲の形をした法具で雲版(うんぱん)と呼ばれるもので、主にお堂への出頭を促す合図を送るための鳴物なんだそうです。
こちらの1662年建立の法堂もまた、国の重要文化財に指定されています。
こちらは見学者ほとんどスルーの開山堂。これまた重要文化財です。とにかく重要文化財の諸堂が多く、他の紹介は省略しますが、諸堂だけではなく、見応えある仏像など見学にはかなりの時間を要しますので注意です。

●等持院(とうじいん)
臨済宗天龍寺派の寺院、等持院は元は仁和寺の一院でしたが、1341年に足利尊氏によって夢窓国師(夢窓疎石)を開山として中興し、足利氏の菩提寺である中京区三条高倉の等持院の別院としました。尊氏が没した後には等持院と改め、本寺の等持院と統合されました。

<住所>
京都府京都市北区等持院北町63
<拝観時間>
9:00~17:00(受付16:30まで) 拝観料500円。

<アクセス>
京福電気鉄道、嵐電の等持院駅から徒歩約5分です。
入口となる山門です。
山門からくねくねと歩きながら表門へ。表門の先に写真トップにある庫裏があり、こちらで拝観料を支払います。
本山の天龍寺と同じく、等持院の見所でもある達磨図。ちなみに達磨図は禅宗の開祖、達磨大師を描いたもの。
本堂の戦国武将、福島正則が建てたとされる方丈(移築)の前には美しい枯山水庭園があります。鴬張りの廊下も心地よく、訪問時は週末にもかかわらず、この景観を独り占め状態。京都の中でも穴場的な観光スポットなので静かな時間を過ごせますよ。
夢窓国師による作庭とも伝わる蓮の花の形をした池泉回遊式庭園の芙蓉池。
丘の上には室町幕府八代将軍の足利義政によって建てられた茶室、清漣亭(再建)が建っています。
サンダルに履き替えて奥にある心字池を一周します。
その途中には宝筐印塔がひっそりと建ち、こちらは室町幕府初代将軍、足利尊氏の墓所となります。

●高台寺(こうだいじ)
臨済宗建仁寺派の寺院である高台寺は、1606年に豊臣秀吉の正室である北政所(ねね・出家後は高台院湖月尼)が秀吉の菩提を弔うために建立した寺院です。美しい彩色天井の開山堂や華麗な蒔絵や秀吉の坐像が安置された霊屋、伏見城から移築された傘亭(安閑窟)など重要文化財も多く見所満載です。

<住所>
京都府京都市東山区高台寺下河原町526
<拝観時間>
9:00~17:00 拝観料600円

<アクセス>
最寄駅は祇園四条駅となりますが、駅からはかなり歩きます。ただし周辺は見所も多く、健脚であれば、清水寺から産寧坂⇒二寧坂と進むコースや八坂神社経由、あるいは建仁寺経由で散策がてら歩けば全く苦になりません。ちなみに京都駅、又は祇園四条駅からのバスでは東山安井バス停を下車し徒歩約5分となります。
桃山時代を代表する国の史跡・名勝にも指定されている広々とした庭園で小堀遠州の作とされます。清水寺も近いので観光客がうじゃうじゃと歩いているのが分かります。
なので、本堂でもある方丈の枯山水庭園も見事でしたが、人が多過ぎてすぐに先へと進みます。尚、写真トップは入口となる庫裏です。
それにしても、なんか宇宙を感じる枯山水・・・
庫裏から方丈、庭園と見学し、続いては1605年に建てられた重要文化財の開山堂です。
書院と開山堂を結ぶ廊下と重文の観月台も素敵ですが、開山堂と霊屋を結ぶ臥龍廊はよりセクシーで素敵です。ちなみにここは渡れません。
高台寺一番の見所でもある秀吉と北政所を祀っている霊屋です。秀吉と北政所の木像が安置され、桃山時代の漆工芸美術の粋を集めた高台寺蒔絵は一見の価値有です。
こちらは千利休の意匠による茶席で伏見城から移築したとされる傘亭。
傘亭の名の由来は内部が傘を開いたように見えることから。
傘亭と土間廊下でつながっている時雨亭。正式には安閑窟と呼ばれるそうです。こちらも伏見城から移築されたものとされ、傘亭と同じく国の重要文化財に指定されています。
帰り道にミニ竹林があるんですが、何気に素晴らしいです。



京都府の観光