●大涌谷(おおわくだに)
40万年前の火山活動の名残りを今に伝える箱根の大涌谷。今も尚、あちこちから噴煙が立ちのぼっていて地球は生きているんだなぁと実感できる場所でもあります。

<アクセス>
横浜や都内からはJR、小田急線の小田原駅にて箱根登山鉄道(小田急)へ乗り換え箱根湯本駅まで。箱根湯本駅からは箱根登山鉄道(登山電車)で強羅(ごうら)駅。さらに強羅駅からはケーブルカーで早雲山駅。さらに、さらに早雲山駅からは箱根ロープウェイで大涌谷駅となります。
<住所>
神奈川県足柄下郡箱根町仙石原

登山鉄道、ケーブルカー、ロープウェイの全てを乗り継ぐと往復3000円程度の運賃がかかります。そんな方のために箱根登山電車とケーブルカーが乗り放題の一日乗車券(トコトコきっぷ:1540円)があります。購入は箱根湯本駅や小田原駅でできます。他にも周辺の観光にお薦めの箱根フリーパス(5140円)などもあります
こちらは箱根ロープウェイの大涌谷駅から見た大涌谷。尚、箱根ロープウェイは早雲山駅から約8分、840円(往復1510円)です。

大涌谷は常に火山ガスが発生していて、水蒸気が大半を占めるものの硫化水素ガスや二酸化硫黄も微量に含まれ呼吸器疾患のある方は注意が必要です。
大涌谷は江戸時代には地獄谷と呼ばれ、現在の地名の大涌谷や近くの小涌谷はそれぞれ大地獄、小地獄と呼ばれていました。この地獄の湯で茹でた黒玉子がここの名物であり、硫黄と鉄分により卵の殻は黒くなっています。黒玉子は6個で500円(バラ売り不可)で、1個食べると7年寿命が延びるそうですよ。なぜ7年なのかという理由は、七福神の『7』=縁起が良いとのこと・・・


●箱根神社
古くは聖占上人が駒ヶ岳を神体山として祀り、757年に万巻上人によって創建された箱根神社。祭神には箱根大神(ニニギ、コノハナノサクヤビメ、ホオリ:山幸彦の三神)を祀り、昔から多くの旅人が険しい箱根の山々を無事に越えられるよう祈ったそうです。

<住所>
神奈川県足柄下郡箱根町元箱根80-1

境内自由です。
<アクセス>
横浜や都内からは小田原駅にて箱根登山鉄道へ乗り換え箱根湯本駅まで。駅からはバスで約35分、960円で元箱根(又は元箱根港)を下車。バス停から徒歩10分程度です。観光名所でもあるためバスの運行本数はそこそこあります(日中は10分間隔程度)。箱根神社(元箱根)⇔箱根関所は約10分、170円となります。尚、駐車場は無料です。
車の場合、アクセスはいたって簡単。箱根湯本前の国道1号線をひたすら直進。注意点は途中、宮ノ下で1号線が左折することくらいです。そして芦ノ湖に到着したら右折してしばらく進めば神社に到着します。地図の旧東海道は一部道幅も狭く、カーブ(七曲り)も多いものの、湯元駅付近の渋滞を避けることが出来ます。
樹木に囲まれ静寂な空気に包まれています。先に見えるのは第三鳥居で、第一鳥居は元箱根港あたりに、どど〜んと建っています。
第四鳥居から石段の上のほうに小さく見える第五鳥居までちょっとした運動です。足腰悪い方は石段のない迂回路がございます。
写真トップに見える幣殿と奥には右写真の拝殿、さらに奥に本殿があり、これらが一体になった権現造りと呼ばれる建築様式になっています。

箱根大神(箱根三所権現)は勝負事の神様とも言われ、伊豆へと流罪となった源頼朝もここで祈願したことによって平家を滅ぼすことができました。また、関東の武家だけでなく、あの徳川家康も篤く信仰していたとされ、豊臣秀吉による小田原攻めにより焼失した社殿も家康により再建されたものです。
写真は平安時代、源頼義が安倍氏追討に際して表矢を献納したと伝わる矢立のスギ。境内には他にも女性に人気の安産杉、芦ノ湖の中にあった湖底木、けけら木など見所も少々・・・ 近年のパワースポットとしての人気だけでなく、外国からの観光客も多く訪れる神社です。
本殿からまっすぐ芦ノ湖側へと下りていくと、観光パンフレットでも見かける芦ノ湖に浮かぶ平和の鳥居です。明治天皇や昭和天皇も参拝に訪れた箱根神社。鳥居の上に掲げられている扁額の平和の文字も吉田茂の直筆と、多くの大物が訪れています。

箱根神社のすぐ近くには芦ノ湖に住むといわれている九頭龍大神を祀る九頭龍神社があります。


●箱根関所
江戸幕府が江戸防衛のために1619年に設置した箱根関。全国に設置した53ヶ所の関所のうち東海道の新居(静岡県)、中山道の碓井(群馬県)、木曽福島(長野県)と並んで規模も大きく、江戸に近いことからも特に重要な関所として考えられていたようです。

<住所>
神奈川県足柄下郡箱根町箱根1
<開館時間>
9:00〜17:00 年中無休 観覧料500円(箱根関所資料館と共通券)

<アクセス>
横浜や都内からは小田原駅にて箱根登山鉄道へ乗り換え箱根湯本駅まで。駅から湯本駅・宮ノ下・小涌園経由 箱根町行バスで約40分、960円で関所跡入口を下車。観光名所でもあるためバスの運行本数はそこそこあります(日中は10分間隔程度)。参考として箱根神社(元箱根)⇔箱根関所はバスで約10分、170円となります。車の場合、駐車場は有料ですが隣接する旅物語館であれば無料です。
全国に現存する関所は残念ながら静岡県の新居関所のみとなっており、箱根関所も明治2年に新政府により関所制度が廃止されその役割を終えました。現在の箱根関所は当時の資料の解析や発掘調査を経て平成19年に復元されたものとなっています。

関所の建物は全て渋黒塗装で黒く塗っています。柿渋と松を焼いた「すす」を混ぜたもので防腐効果とあわせ建物の化粧として用いたものだそうです。
順路は上の写真、大番所の脇を抜けて役人の休息場であった勝手板の間や物置などから見ていきます。
大番所・上番休息所の建物の中で、関所役人や定番人が詰めている面番所と呼ばれる部屋です。
一般的に関所では「入り鉄砲に出女」を取り調べたと言われていますが、この箱根関所では、江戸にいる大名の妻などの人質が逃げ出さないよう、主に「出女」に対する取調べを行っていたそうです。後ろに立つ女性は人見女(ひとみおんな)。定番人の母親などで、小田原藩から雇われ、女性の旅人が箱根関所を通過する際、髪を解いたりして、取り調べをしていました。
隣にある上の間です。この部屋は客間であり、常時、人はいませんでした。ただし、旅人を脅す道具として、鉄砲や弓が飾られていました。最後に箱根関所資料館で少し関所についての勉強をして終了です。全体のおおよその見学時間は30分〜1時間です。
写真はここから車で10分くらいの旧東海道沿いにあるお玉ヶ池。1702年、伊豆大瀬村太郎兵衛の娘、お玉は関所破りの罪で処刑されました。お玉は奉行先の江戸新田嶋から国元に帰る途中、手形がないので箱根関所を通ることができず裏山を通り抜けようとしたのです。処刑は、お玉が本道をそれて裏山である屏風山に踏み入った坂道の所で行われ、お玉の首を薺ヶ池で洗ったといわれています。このためいつの頃からか、この池がお玉ヶ池と呼ばれるようになったそうです。
石畳の美しい東海道の一部である箱根旧街道は、1618年に江戸幕府が元箱根に至る古い山路を広げてつくった街道で、1635年の参勤交代の制度ができて一層交通が盛んとなったそうです。現在残っている石畳は、1863年2月、孝明天皇の妹、和官内親王が14代将軍徳川家茂のもとに降嫁されるにあたり幕府が時の代官に命じ1862年に改修工事を完成させたものだといわれているそうです。箱根の山越えは東海道の中でも一番の難所でした。
歴史好きには湯本駅まで続く人気のハイキングコースとなっています。道中には一里毎(約4km)に旅人の目印としてつくられた塚( 土盛り)の一里塚や、400年の伝統を持つ甘酒茶屋(名物は甘酒と力餅です)、難所中の難所である猿滑坂や、お玉ヶ池などがあります。時間と体力がない方は、湯本駅からバスで(旧街道)畑宿経由 元箱根港行で甘酒茶屋まで26分、700円。旧街道石畳 27分、750円。お玉ヶ池29分、840円。寄り道としては箱根関所⇔甘酒茶屋を直通で結ぶバスルートがないため参考ルートとしては湯元→甘酒茶屋→箱根神社(元箱根)→箱根関所、又は逆ルートがいいでしょう。いずれにせよ1時間1〜2本と運行本数が少ないので注意です。
湯本駅近くまで来ると、箱根の日帰り温泉として人気のある天山湯治郷があります。スーパー銭湯のような近代的な雰囲気の温泉に飽きた方には最高のロケーションです。

直接に行かれる場合、箱根湯本駅からは駅前の国道1号線を渡った場所にある旅館組合巡回バスが便利です。早雲通り方面に乗車し奥湯本入口を下車、約10分100円です。路線バスの場合は220円で、どちらも毎時2本程度の運行です。


●石垣山一夜城歴史公園
石垣山は1590年、豊臣秀吉が小田原北条氏の本拠小田原城を水陸15万の大軍を率いて包囲したとき、その本営として総石垣の城を築いてから石垣山と呼ばれるようになりました。この城を秀吉が一夜にして築いたようにみせかけたという伝承から、石垣山一夜城とか太閤一夜城などとも言われています。

<住所>
神奈川県小田原市早川字梅ヶ窪地内
<アクセス>
JR早川駅より関白農道を経て徒歩約40分。箱根登山鉄道入生田駅より徒歩約50分。マイカー、又はレンタカーが便利です。季節運行ですが小田原駅から観光回遊バスもあります。尚、早川駅から根府川駅まで約12kmのウォーキングコース(3時間以上)もあり・・
石垣が残っている程度で、アクセスも悪いせいか、よほどの歴史好きしか訪れない場所でもあります。逆に歴史好きには、これほどの石垣が残っていることに感動するでしょう。たぶん・・・

マイカーであれば、駐車場から山頂までは、登山と言った感じではなく、丘に登るといった感覚でいいかと思います。
秀吉は、この城に滞在していた100日余りの間に天皇の勅使を迎えたり、千利休や能役者、猿楽師等を呼び寄せました。また自ら淀君などの側室も呼び、参陣の諸大名にもこれにならうよう勧めたと言われています。この城は単に小田原攻めの本営であるというだけでなく、太閤秀吉の威信を示すと共に、長期戦に備えた本格的な城構えであったといえます。
この城が一夜城と呼ばれるのは、築城にあたり、山頂の林の中に塀や櫓の骨組みを造り、白紙を張って白壁のように見せかけ、一夜のうちに周囲の樹木を伐採したためと言われています。しかし、実際には約4万人が動員され80日間も費やしたそうです。写真トップが本丸跡、左の写真は天守台跡です。他にも二の丸跡や井戸曲輪跡などもあります。
よく目を凝らせば、遠くに小田原城も見えます。ものすごく樹が邪魔しているんですけど・・・


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