●柴又帝釈天(しばまたたいしゃくてん)
柴又帝釈天の名で知られる経栄山題経寺は、寺伝によれば行方不明になっていた本尊、日蓮聖人御親刻の板本尊が帝釈天のお堂が荒廃したのを歎き、その復興を計ったところ本尊を見出し、ついにご本尊の再来の法悦にあったのだそうです。一般には映画「男はつらいよ」の寅さんの故郷のイメージの方が馴染みがありますね。

<住所>
東京都葛飾区柴又7-10-3
<アクセス>
東京駅からはJR山手線(内回り:上野方面)、JR京浜東北線で日暮里駅→京成本線で京成高砂駅。そこからはローカルな京成金町線で隣の柴又駅まで。柴又駅からは寅さんの像の右奥が参道の入り口になっています。
駅を降りるとフーテンの寅像が出迎えてくれます。この寅さんの銅像は、旅に出る寅さんが、さくらの方を振り返ったシーン(第40作)がモチーフとなっているらしいです。当然、記念撮影も大人気です。
柴又駅から帝釈天までの200mあまりの参道は鰻屋、団子屋、土産物屋が建ち並びます。焼き鳥や手羽先、もつ煮込み、うなぎの短冊、何故か大人気のキュウリなどなど、食べ歩きするのには楽しい帝釈天参道です。
明治29年に江戸期建築の最後の名匠と言われた坂田留吉棟梁によって造りあげられた、総欅造りの豪壮な二天門。両脇には平安時代に造られたといわれる四天王、増長天と広目天が安置されています。残りの持国天と多聞天はトップの写真、帝釈堂内にあります。尚、本堂は帝釈堂の右側に建っていますが、本尊の板本尊は帝釈堂のほうに安置されています。
参拝後は江戸川の渡し舟として有名であった矢切の渡し場所まで散策してみるのもお薦めです。ちなみに、向こう岸まで100円で渡れます。渡ったから何なの?といった感じになりますが。。。
当時の風景ですね。似ているような似ていないような。さて、ここからは山本亭(100円)の中を通って寅さん記念館へ向かいましょう。ちなみに、この山本亭の庭園は、米国の日本庭園ランキング3年連続全国第3位と柴又マップに書いてあった・・・ なんとも微妙な順位ですな。
寅さん記念館は入場料500円で、実際に撮影で使用されたセットを見ることができます。資料展示も充実していて、寅さんファンにはたまらない場所です。
映画で見たまんまのセットには感動します。「男はつらいよ」を知らなくても、どこか懐かしい昭和の雰囲気は心落ち着きます。
こちらはミニチュアの町の風景なのですが、とても細かく作られていて驚きます。
すげ〜、細部にまでリアルに作られています。帰りは柴又の川魚料理店、川千家で美味しい鰻を食べて帰りましょう。

●靖国神社(やすくにじんじゃ)
国家のために尊い命を捧げられた人々の御霊を慰め、その事績を永く後世に伝えることを目的に創建された靖国神社。靖国神社には現在、幕末、明治維新、戊辰戦争、西南戦争、日清戦争、日露戦争、満洲事変、支那事変、大東亜戦争などの戦没者、246万6千余柱が祀られています。

<住所>
東京都千代田区九段北3-1-1

境内自由ですが、隣接する遊就館(ゆうしゅうかん)は玄関ホールから先は800円です。
<アクセス>
最寄駅はJR総武線の市ヶ谷駅、飯田橋駅、又は地下鉄の九段下駅、市ヶ谷駅、飯田橋駅になります。東京駅からは徒歩で25分程度かかりますが、江戸城跡(皇居東御苑)を見学し、天守台の裏手から武道館方面へと向かえば疲れも感じません。

高さ約25m、重さ約100tもの第一鳥居を過ぎると、靖国神社の前身でもある東京招魂社の創建を発案した大村益次郎の銅像があり、第二鳥居を過ぎた場所には立派な神門があります。この神門には皇室の紋章として知られる直径1.5mもの大きな菊花紋章があります。
さすが靖国神社!境内は縦長ですが意外に広いです。靖国神社の特徴は、神社と言っても日本神話に登場する神様を祀っているのではなく、民間人を含む戦没者などを神霊として祀っている点にあります。問題は、いわゆる戦争犯罪人と呼ばれた方達も祀られていることから、度々ニュースでも取り上げられますね(靖国問題、A級戦犯合祀問題)。
トップの写真が拝殿で、奥には本殿があり、右に行けば美しい神池庭園があります。近くには戦友会、ご遺族による多くの献木があります。「二度とまた会えまじと思う故郷の老いたる母に遺髪送らん」そんな言葉を目にすると胸が締め付けられるような思いがします。 
拝殿から左奥へと進むと、ほとんど参拝者が立ち入らない場所に元宮がひっそりと建っています。こちらは幕末の戦争の真っ最中に倒れた志士の御霊をなぐさめるため、京都の同志たちが幕府に隠れて密かに建てた小祠(神さまを祀る小さな社)で、それから70年後の昭和6年、靖国神社に奉納され、最初の元をなす神社として、元宮と呼ばれています。
たとえ戦争犯罪人であっても、国のために一命を捧げて亡くなったわけですから、その死者の慰めとして祀ってあげることには個人的には賛成です。しかし、そんな思いも写真の遊就館に入ると・・・ 零戦が誇らしげに展示され、戦争を美化しているような印象は拭えません。ただ、百田尚樹の永遠の0 (ゼロ)などを読んでから行くと、この零戦も違った見え方になるかと思います。

何はともあれ我々、戦争を実際に体験していないものが語るのにも限界がありますし、そもそも神社、神道とは一体なんぞや?と考えると奥深い話でもあります。

●多摩動物園(多摩動物公園
多摩動物園の総面積52.3haという広大な園内は神奈川県にある、よこはま動物園ズーラシアと並び日本最大級の規模を誇ります。敷地にいる約360種もの動物の他には昆虫園も見応え十分です。

<住所>
東京都日野市程久保7-1-1
<開園時間>
9:30〜17:00 ※4時をすぎると見られなくなる動物もあります。
600円。年末年始、水曜日休園。

<アクセス>
京王線、多摩モノレールの多摩動物公園駅を下車すぐ。新宿からは京王線で高幡不動駅。そこから京王動物園線で多摩動物公園駅まで約40分、330円です。尚、車の場合は駐車場は有料です。
さすがは敷地面積52.3ha!日本最大級です。あまりに広いのでシャトルバス(無料)があったりします。ただし65歳以上の方、お体の不自由な方、および付添いの方を優先とします。
人気のライオンコーナーです。幾つもの群れがいて、ライオンが唸った時の声は迫力があります。子供ライオンがじゃれている様子も可愛い。

ライオン園では、ライオンバスに乗って間近かでライオンたちを見ることができます(350円)。
時速100km以上のスピードを出すチーター。かっちょええ〜!
首の長〜いキリンも動物園の定番ですね。キリン同士の決闘では、あの長い首をブルンブルン振り回して戦います。
アフリカ園のアフリカゾウではなく、パンフレットにも載っていないアジア園のインドゾウです。違いを聞かれても困るのですが・・・

ちなみに、多摩動物園はアフリカ園、オーストラリア園、アジア園、昆虫園とに分かれています。全部見てまわって3〜4時間くらいでしょうか。急いでいても最低2時間の見学時間はほしいところです。
コアラです。眠っています。コアラって1日に20時間以上も眠っているのですから、こんなショットになってしまうのは仕方がありません・・
ゴリラに次いで大きな類人猿、オラウータンです。
カワウソです。水に潜ったり木をよじ登ったり、動きが可愛いです。
レッサーパンダです。可愛いとしかいいようがありません。
お猿さんも動物園の定番です。定番のわりには意外と見落としやすい場所にあったりします。
ワシ、タカのコーナーの巨大なゲージ。園内が広いので動物達も伸び伸びと生活しています。人間目線ですけど・・・
ウォークインバードケージです。ゲージの外から鳥を見るのではなく、我々人間が見られる立場となります。
昆虫園と聞くと、今まで見てきた大型の動物達に比べて見劣りしてしまいますが、なんのなんの。昆虫園も行かなければ多摩動物園の魅力は半減です。写真は昆虫園のグローワームのコーナーです。グローワームとは普段は洞窟に棲むヒカリキノコバエというハエの仲間の幼虫のこと。光に寄ってくる虫をネバネバした糸にくっつけて食べるそうです。
こちらはハキリアリ。こいつらの餌はキノコで、葉っぱをちぎって巣に持ち帰り、この葉にキノコ菌を植え付けて巨大なキノコ畑をつくるそうです。
木の葉のような虫、その名もコノハムシ。写真の正面に3匹もいるのが分かりますか?枯れている部分まで似せなくてもいいと思うのは私だけでしょうか。
昆虫園も本館と昆虫生態園に分かれていて、こちらは昆虫生態園の大温室ドームです。写真では分かりませんが、恐ろしい数の蝶がドーム内を舞っています。まさに『楽園』とはこのような場所のことを言うのだろうと想像できる場所です。虫嫌いな人には地獄ドームでしょうが・・・

●江戸東京たてもの園
小金井市にある、小金井公園内の江戸東京たてもの園は両国にある江戸東京博物館の分館で、江戸時代から昭和初期までの復元建造物が建ち並らび、現地保存が不可能な文化的価値の高い歴史的建造物を移築し、復元・保存・展示しています。

<住所>
東京都小金井市桜町3-7-1
<開園時間>
9:30〜17:00(10月〜3月は16:30まで)
月曜、年末年始は休園。400円、学生さんや、65歳以上の方はさらに安くなります。

<アクセス>
JR中央線で東京駅から約40分、新宿駅からは約20分の武蔵小金井駅からバスで5分程度、江戸東京たてもの園前を下車。アクセスに関しては公式サイトにて、かなり詳しく書かれています。
見学ゾーンは大きく3つに分かれていて、宇和島藩伊達家の屋敷の表門などがあるセンターゾーン、三井財閥、三井八郎右衞門などの山の手の住宅や、江戸時代の民家が建ち並ぶ西ゾーン、昔の花屋や居酒屋、銭湯など下町の町並みが再現されている東ゾーンなど見所満載です。
江戸時代の民家が建ち並ぶ西ゾーン。観光客に人気の東ゾーンと比べて見学者は少なめ?というか見学時間が短いのでしょう。人影もまばらです。
施設内の敷地は広大で、見学時間は1時間以上をみておきましょう。何故かパンフレットには載っていない鬼太郎の家(イメージだそうです。)もあったりしますよ。
下町の風情を楽しむことができる人気の東ゾーン。写真は明治初期に創業した千代田区にあった武井三省堂(文具店)。
こちらは大正から昭和初期にかけて現在の港区白金で営業していた小寺醤油店。
古き良き昭和の銭湯もあります。写真は昭和初期まで足立区千住元町にあった銭湯、子宝湯。
当時、関東地方の銭湯に多く見られた富士山の絵は、ケロリン桶のように全国的なものではありませんが、やっぱり昭和の銭湯には富士山の絵がお似合いですね。
1856年頃に建てられたと伝わる鍵屋(居酒屋)です。台東区下谷の言問通りにあった鍵屋を昭和45年頃の姿に復元したものだそうです。
こちらは明治時代のものと思われる、須田町派出所。他にも都電7500形や明治時代、皇居近くにあった電燈など珍しいものも多く点在し、これら全てを見学しようと思ったら大変です。
たてもの園のある小金井公園はさらに広大で、公園内にはソメイヨシノをはじめヤマザクラ、サトザクラなどの桜の木が約1800本も植えてあり、お花見シーズンには多くの人が訪れる都内でも有数の桜の名所として知られています。

●松陰神社(しょういんじんじゃ)
幕末の思想家・教育者で私塾、松下村塾(しょうかそんじゅく)を主宰し、明治維新を成遂げた多くの若者を教育した吉田松陰。しかし、安政の大獄に連座し江戸の伝馬町の獄中にて30歳の若さで刑死されました。その後、当時の門下生らによって松陰先生の御霊を祀り1882年に神社が創建されました。境内には吉田松蔭の墓の他、山口県萩市に保存されている松下村塾を模したものも建てられています。

<住所>
東京都世田谷区若林4-35-1
<開門時間>
7:00〜17:00 境内自由

<アクセス>
東京急行電鉄の世田谷線、松陰神社前駅から徒歩5分程度。新宿駅からは京王線の下高井戸駅で世田谷線に乗り換えます。下高井戸駅までは京王線で約10分、150円。松陰神社前駅までは世田谷線で約10分、140円。
松陰というのは号で、名前は矩方、通称寅次郎。幼い頃は虎之助と呼ばれていました。鎖国制度の時代、吉田松陰はペリーの軍艦への乗船を計画するなどしますが失敗し、その罪により投獄されます。その後に出獄を許されますが、不平等条約でもある日米修好通商条約に調印した井伊直弼らに不満を抱いた松陰は、塾生などとともに意見書を送り再び投獄されます。松陰は老中暗殺計画の詳細を正直に自供したため、これが直弼の怒りを買い30歳の若さで刑死されました。尚、その反動により井伊直弼も桜田門外の変により暗殺されました。
旧大山道(矢倉沢往還。現在の世田谷通り)から松陰神社に至る道の入口に建てられていた道標。境内には他にも門下生の伊藤博文、山縣有朋などの縁故者より明治41年に奉献された32基の石燈籠などもあります。
松陰先生の教育道場であった松下村塾は、叔父の玉木分之進が1842年に寺子屋を開いて、松下村塾の看板をかけたのが村塾の名の起こりです。実際に先生が塾生に教育を施した年月は2年半程であったそうで、松下村塾で薫陶をうけた塾生はおよそ90名前後といわれおり、久坂玄瑞、高杉晋作、木戸孝允、山縣有朋、品川弥次郎、伊藤博文など明治維新を通し近代日本の原動力となった多くの逸材を輩出させたことは特に有名です。本神社にある松下村塾は山口県萩の松陰神社境内に保存されている松下村塾を模したものです。
教育の目的は
君臣の義(君主と臣下の間で守るべき正しい道)
華夷の弁(日本と外国の違いを明確にすること)
奇傑非常の人(人並み外れた優秀な人材)
を育むことでした。身分に関係なく誰でも入塾でき、先生は塾生それぞれをよく観察、記録し、そこで気付いた大切なことは手紙にして渡しました。先生が手を加えて正していく教育ではなく、自分で気づかせ、個性を生かす心の通い合う教育でした。
吉田松陰の死から4年後の文久3年(1863)に、松陰先生の門下生であった高杉晋作、伊藤博文等によって、当時長州毛利藩藩主、毛利大膳大夫の所領で大夫山と呼ばれていたこの地に改葬されました。

●豪徳寺(ごうとくじ)
豪徳寺は世田谷城主、吉良政忠が1480年に亡くなった伯母の菩提のために建立したと伝える弘徳院を前身とし、1633年には彦根藩世田谷領の成立後に井伊家の菩提寺に取り立てられ、藩主である井伊直孝の法号により豪徳寺と改称しました。娘の掃雲院は多くの堂舎を建立、寄進し、井伊家の菩提寺に相応しい寺観に改めました。境内には幕末の大老、井伊直弼をはじめ井伊家代々の墓があります。

<住所>
東京都世田谷区豪徳寺2-24-7 境内自由。
<アクセス>
松陰神社からも近く、同様に東京急行電鉄の世田谷線、宮の坂駅から徒歩5分程度。ちなみに、小田急線の豪徳寺駅からは徒歩10分程度。
1679年に完成の後、今日まで移動なく当寺に伝わる梵鐘(ぼんしょう)。なんでも、工芸的に優れた完成度の高い梵鐘だそうで、製作者の藤原正次は別に釜屋六右衛門とも名乗り、当時江戸で名のあった鋳物師であったそうです。
こちらは新しく建立された三重塔。よ〜く眺めてみると可愛らしい猫の彫刻があったりします。理由は後ほど・・・
こちらもまだ新しい本堂です。本堂の手前には写真トップにある仏殿があります。豪徳寺の仏殿には五体の仏像が安置されていて、胎内銘札によると江戸時代(1677年)に井伊直孝の娘、掃雲院が父の菩提を弔うために洛陽仏工祥雲(らくようぶつこうしょううん)に、五躯一具として造らせたものだそうです。仏殿内には入れませんが窓から覗くことができます。
墓所には大坂夏の陣で功績をあげた直孝、幕末の大老でもあり桜田門外の変で暗殺されたことでも知られる直弼などの墓があります。他、早世した井伊家子息子女や江戸で亡くなった藩主とその家族の墓石もあり、これらを合わせると300基余りの数があるそうです。尚、井伊家の墓所は豪徳寺の他、滋賀県の永源寺、同じく滋賀県の祥壽山清涼寺にもあり、徳川四天王の一人でもあり、関ヶ原の合戦でも活躍し、井伊の赤備えとしても恐れられた井伊直政の墓は祥壽山清涼寺にあります。
こちらは仏殿の左手にある招福殿。ここ豪徳寺には招き猫発祥の地とする説があり、江戸時代に彦根藩の藩主である井伊直孝が豪徳寺の前をを通りかかった時に、そこの和尚の飼い猫が手招きするような仕草をするのを見て直孝は寺に立ち寄りました。すると後から激しい雷雨が降りはじめ濡れずに済んたそうです(別説では雷に打たれずに命拾いした)。直孝は大いに感謝し、これが縁で後に豪徳寺は井伊家の菩提寺となりました。
猫が片手を挙げる可愛らしい仕草の招き猫。豪徳寺では招福猫児(まねぎねこ)と呼び、願いが叶った分だけ招福猫児が奉納されるそうです。

余談ですが滋賀県にある彦根城のマスコット、「ひこにゃん」は彦根藩藩主、井伊直孝に縁があることから豪徳寺の寺伝に登場する白猫をイメージしたものとなっています。

●日原鍾乳洞(にっぱらしょうにゅうどう)
関東随一の規模を誇る日原鍾乳洞は、大別すると旧洞、新洞とあり、旧洞は平安時代に発見され江戸時代には弘法大師が修行したと言う噂の「弘法大師の学問所」も洞窟内にあります。新洞のほうは、昭和37年夏に東海大学の奥多摩調査隊日原鍾乳洞探検隊 によって発見されもの。

<住所>
東京都西多摩郡奥多摩町日原
<営業時間>
8:00〜17:00(季節変動あり) 無休 600円。

<アクセス>
東京駅、新宿駅からはJR中央線で立川駅。そこからJR青梅線の終点、奥多摩駅より西東京バス東日原行きで約30分 終点で下車し徒歩約30分。バスは1〜2時間に1本程度なので注意です。平日であれば鍾乳洞行きのバスも日に5本程度運行しています。こちらはバス停から徒歩10分程度。車で来られる方は道路の幅が狭いので運転には注意です。
写真は鍾乳洞の入口です。わざわざ遠方から見学しに来るような観光スポットではありませんが、東京観光に飽きた方はどうぞ。。 
洞窟内の温度は年中摂氏11℃内外とのことで、夏場は涼しくて気持ちがいいです。
こちらは弘法大師が修行したと言う噂の弘法大師の学問所。隣には水音が美しい音色で反響する水琴窟(すいきんくつ)などもあります。
洞窟内には冷たい水も流れています。冷たいっ!

順路は新洞(分岐点)を一旦通り過ぎ、旧洞の行き止まり(トップの写真)まで行って、帰りに新洞のコースへと向かいます。美しい鍾乳石が見られるのは新洞側ですが、急階段と足場が滑りやすいので注意です。
つらら状になった鍾乳石や石筍(下から突き出てきたもの)、石柱(鍾乳石と石筍が合体したもの)など鍾乳洞ファン?でなくとも感動ですよ。
こちらは日原鍾乳洞からも比較的近くにある奥多摩湖(人造湖)。JR奥多摩駅からバスも出ていますが、見どころは特にありません。車で来られた方は休憩がてら寄ってみては如何でしょうか。ちょっぴり怖いドラム缶橋もあるよ。。
車でアクセスされる方は奥多摩周遊道路のドライブもお薦めです。頂上付近の駐車場から見える景色には感動まちがいなしです。ただし、脇見運転は要注意です。なぜなら「事故を起こすと救急車が到着するまで約2時間かかります」と言う恐ろしい看板が。。。 

この景色、もはや東京都とは思えない場所です。周遊道路の先(檜原村側)には都民の森といった施設もあり、広大な森林には立派なハイキングコースが整備されています。

●鳩ノ巣渓谷(はとのすけいこく)
奥多摩湖より比較的近くにある鳩ノ巣渓谷。巨岩が連なる川沿いにはハイキングコースが整備され、東京都とは思えない景色を味わうことができます。紅葉の名所としても知られる場所です。

<住所>
東京都西多摩郡奥多摩町棚沢

<アクセス>
JR青梅線の鳩ノ巣駅から徒歩約10分。車でのアクセスは都内側から来ると、国道411号(奥多摩湖へ向かう道)、鳩ノ巣駅付近のトンネル手前を右折、無料駐車場あります。
現在のようにトラックや、鉄道などの運搬手段が無かった時代、奥多摩の木材は多摩川を使って下流まで運びました。上流で伐採した木材は、この下の渓谷で集積され、さらに、約1.5キロ下流の寸庭というところで、いかだに組んで六郷まで運びました。集積場となった水神の森に、2羽のハトが巣を作り、とても仲むつまじかったので、人々は鳩ノ巣と呼ぶようになりました。
ハイキングコースは、鳩ノ巣駅を基点とした場合、隣駅の白丸駅、または古里駅へ抜けるように歩きます。1時間30分程度のいい運動です。
ハイキングコースは、とてもよく整備されていますが、途中道が細い場所、崖のようになっている場所(多少です)もあり、小学生以下のお子さんは注意です。また、写真のような地獄の石段もあり注意。ハイキング目的以外は、この石段を見たら引き返すのがベストです。

●東京都檜原都民の森
三頭山の中腹にある197haの広大な森林、都民の森。森にすむ動植物を紹介している森林館には、丸太切り体験施設や、緑に囲まれたレストランもあります。ハイキングコースは手軽な森林セラピーロードをはじめ、三頭山山頂を目指す本格的なコースまで用意されています。

<住所>
東京都西多摩郡檜原村7146
<施設利用時間>
9:30〜16:30 月曜休館 無料の大型駐車場有。

<アクセス>
東京駅、新宿駅からはJR中央線で立川駅。そこからJR青梅線で拝島駅。さらにJR五日市線で終点の武蔵五日市駅。駅からはバスを乗り継ぎます。公式サイトにて詳しく書かれていますのでそちらを参照のこと。車では檜原村側の奥多摩周遊道路入口付近。奥多摩湖側からは奥多摩周遊道路の出口付近となります。
私の想像では都民の森へ来る方の半数は休憩、残りの半数が森林館(バス停、駐車場から徒歩10分程度、周辺のミニ散策できます。)まで。そして少数が、森林セラピーロードを歩き、三頭大滝を目指します。
こちらが三頭大滝。意外と立派な滝だったりします。ここまで森林館から徒歩20分程度です。
森林館、三頭大滝へと向かう方は軽装備で十分ですが、そこから先は登山コースとなり、道も険しくなっていきます。
園内では四季折々に様々な植物に昆虫、野鳥などを見学することができます。
登山コースには野鳥観察小屋なんてものもあったりします。都民の森園内では、現在までに85種類の野鳥が確認されているそうです。
さすが登山コース、どこが道なんだか分かりませんね。登山される方は十分な装備をして三頭山の山頂を目指してみては如何ですか。こちらはコースにもよりますが往復4〜5時間コースです。

●深大寺(じんだいじ)
東京都調布市にある天台宗別格本山、浮岳山昌楽院深大寺(通称:深大寺)は本尊を深沙大王像(阿弥陀三尊像)とし、関東では浅草寺に次いで古い歴史を持つ寺院です。また、江戸時代には全国の諸大名にも評判の美味しい蕎麦として有名だった深大寺そば。今でも多くの蕎麦屋が周辺に建ち並びます。

<住所>
東京都調布市深大寺元町5-15-1

境内自由
<アクセス>
京王線のつつじヶ丘駅、又は調布駅からバスで約15分です。アクセスに関しては公式サイトにてかなり詳しく書かれています。JR新宿駅の西口改札方面にある京王線の新宿駅(始発駅)は、別に新線新宿駅がありますが、どちらも途中の笹塚駅で合流し調布方面に向かうことができます。
寺伝によれば福満という青年が豪族の娘と恋仲となりました。娘の父母はこれに反対し、娘を湖にある島へとかくまってしまいました。諦めきれない福満は深沙大王に祈願し、現れた亀の背に乗って島に渡ることができ、娘の父母もこの奇瑞を知って二人の仲を許し、やがて生まれたのが深大寺を開いた満功上人(まんくうしょうにん)であったそうです。満功上人は出家し法相宗を学び、733年の帰郷後に一宇(いちう)を建て深沙大王を祀ったそうです。そんな恋物語により、深大寺は縁結びの寺としても有名です。
深大寺で最古の建造物(1695年)の山門を抜けると正面に、トップの写真の本堂があります。本堂は火災により大正8年に再建されたもので、阿弥陀如来像(本堂内は非公開)を祀っています。

本堂左手には、写真の元三大師堂があります。こちらも火災によって1867年に再建されたもので、元三大師像を祀っていますが、こちらも通常は非公開で、御開帳は25年に一度だけです。尚、少し離れた場所にある深沙大王堂には寺名の由来である深沙大王像も安置されていますが、こちらも秘仏となっています。
釈迦堂にある銅造釈迦如来倚像(重要文化財)は明治42年に元三大師堂の壇の下から発見されたもので、こちらは見学することができます。写真では顔が写っていない上のほうにある仏像です・・・ その下にあるのが普段は公開していない毘沙門天立像(多聞天)です。
境内には他にも重要文化財にも指定されている梵鐘や、なんじゃもんじゃの木(ヒトツバタゴ)などがあり見どころも多い?です。ゲゲゲの鬼太郎ファン(鬼太郎グッズも充実した鬼太郎茶屋があります。)以外は、特別な信仰心がない限り県外から訪れる人は皆無ですが、東京観光に飽きた方はどうぞ。。

●巣鴨地蔵通り商店街
通称「おばあちゃんの原宿」と言われる巣鴨にある巣鴨地蔵通り商店街。原宿に負けないくらいの若者が・・いえ、お年寄りが多く足を運びます。商店街には、まんじゅうや、煎餅、佃煮、茶、海苔、薬、靴、果物、魚屋などの店が建ち並び、婦人服などはファッション的に老人向けのものしかありません。

<住所>
東京都豊島区巣鴨3-35-2

<アクセス>
JR山手線の巣鴨駅から徒歩5分程度です。
商店街の手前には眞性寺(しんしょうじ)があり、江戸六地蔵の1つである巨大な銅像があります。かつては江戸の六街道の出入口にそれぞれ銅像が置いてあったそうですよ。ちなみに巣鴨は旧中山道の出入口であったそうです。
商店街はとっても賑わっています。なんでも、毎月4の付く日は縁日だそうで、これが週末に重なったりすると賑わいがさらに増すらしいです。
巣鴨の名物、塩大福もお年寄りに大人気です。商店街には他にも、まんじゅうや、煎餅、珍しいものでは干しバナナなんかも売っています。
途中には高岩寺(こうがんじ)があり、とげぬき地蔵尊の名でも有名です。本尊、とげぬき地蔵(延命地蔵尊)の名の由来は、毛利家の女中が口にくわえた針を誤飲してしまい、水と一緒に御影を一枚飲み込んだら、無事に針を吐き出すことが出来たという話から。 この時、針は御影を貫いた状態で出てきたらしい。尚、御影は受付で売っています。
とげぬき地蔵(延命地蔵尊)は秘仏のため公開はしていません。この為、勘違いされる方も多いのですが、写真はとげぬき地蔵ではなく、自分の悪いところを洗うと治ると言われている洗い観音(聖観世音菩薩)。洗うのに順番待ちしているほど人気が高い観音様です。
派手な赤パンツを売っている店としても有名なマルジ。靴下から女性用のふんどしまで赤一色です!勿論、男性用の赤パンツもあります。
商店街を抜けると都電荒川線の庚申塚駅(こうしんづかえき)に到着します。このあたりまでの約780mが巣鴨地蔵通り商店街で、 そこから荒川線沿いの道路をしばらく歩くと四谷怪談でも有名な、お岩さんの墓や遠山の金さんの墓や、手塚治虫、千葉周作、芥川龍之介といった有名人の墓も多くあるんですよ。商店街にもマップがあります。
怪談話では恐ろしいイメージのお岩さんですが、実際のお岩さんは怪談話であるような額の腫れ上がった顔をしていたわけではありません。夫との仲が悪く病気になってしまったお岩さん。亡くなった後に田宮家で不幸が続き、その後にここ妙行寺の法華経によってわざわいが消えたそうです。四谷にあった妙行寺はお岩さんの墓とともに明治時代にこの地に移転しました。

他にも境内には都内の全うなぎ商の菩提心により建てられたうなぎ供養塔や、魚がしで犠牲になった生類の魚がし供養塔もあります。。。 



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