●岸和田城
楠木正成の一族、和田高家が築いたとされる岸和田城。後に羽柴秀吉が紀州征伐の拠点として城郭整備し、天守閣もこの時に築かれました。本丸と二の丸の形が機織器の縦糸を巻く『ちきり』に似ていることから別名ちきり城とも呼ばれていました。1827年に落雷によって当時の建造物は全て焼失し、現在では当時の遺構は堀と石垣だけになってしまいましたが、昭和29年に再建されています。

<住所>
大阪府岸和田市岸城町9-1
<アクセス>
南海電気鉄道の蛸地蔵駅から徒歩10分程度です。岸和田駅からも少しだけ遠くなりますが、同じく徒歩でのアクセスが可能です。

<入場料>
300円。10:00〜17:00(入城は16時まで)岸和田城、岸和田だんじり会館、きしわだ自然資料館の3館共通券700円もあります。
最寄駅の駅名にもなっている蛸地蔵は、近くにある天性寺の別名であり、根来寺勢に攻められて落城寸前の機器にあった岸和田城が、地蔵菩薩の化身の法師と無数の蛸が救ったという縁起が伝わっています。私の場合、往きは蛸地蔵駅からで帰りは岸和田駅から帰りました。岸和田駅前にはアーケード商店街もあり、ぶらぶら見学しながら歩けば、あっという間に到着です。
岸和田城のお堀です。石垣の根元にある通路(周堤帯)のようなものは有名な犬走りと呼ばれるもの。敵にとっては侵入の足掛かりとなり、とても不利な構造ですが、脆い石垣を補強するために設けられたと考えられています。
岸和田城は1827年の落雷によって天守が焼失し、その後天守は再建されぬまま、明治時代には廃城となります。残念ながら現存する遺構は堀と石垣のみとなっています。
1584年には小牧・長久手の合戦に出陣した秀吉の隙をついて3万もの大群が岸和田城に攻め込んできますが、これを約5000もの兵で守り切ったとされます。ちなみに、城内の資料展示はかなり少ないです。
現在ある天守閣は昭和29年に建てられた3層3階の天守ですが、1653年に石垣修復のために初代岸和田藩主の岡部宣勝が幕府に提出した岸和田城図では5層の天守が描かれています。3層3階でも大阪湾も一望でき、見晴らしはとてもいいです。

●岸和田だんじり会館
江戸時代から続く伝統ある岸和田だんじり祭。岸和田だんじり会館では、現存する最古の岸和田型だんじりの展示や、迫力あるだんじり祭りの映像を大型マルチビジョンで紹介しています。

<住所>
大阪府岸和田市本町11-23
<アクセス>
岸和田城に同じく南海電気鉄道の蛸地蔵駅から徒歩10分程度です。

<営業時間>
600円。10:00〜17:00(入館は16時まで)岸和田城も寄られる方は、岸和田だんじり会館、きしわだ自然資料館の3館共通券700円がお得です。
入館してすぐにイベント広場があり、ここでは『だんじり祭り』の映像を毎時、15分・45分の30分間隔で上映しています。大型マルチスクリーンで映し出される映像は迫力満点!カメラワークなんかも最高で、ちょっと感動。
こちらの紙屋町だんじりは、1841年に完成したと伝わり、幕末・明治・大正・昭和・平成と長きに亘り活躍してきたそうです。平成2年の祭りを最後に現役を退いたとのことです。
紀州街道の町並みというコーナーですが、見所は思ったよりも少ないです。
明治34年に制作された沼町だんじり。製作費2千円と書いてあるんですが、当時の貨幣価値が分からず、高いのか安いのかピンときません・・・
こちらのだんじりは、かつて五軒屋町で曳行されていたもので、現存する岸和田型最古のだんじりなんだそうです。五軒屋町だんじりは1804年〜1829年頃に制作されたと推定され、昭和62年まで京都にあったそうですが、なぜ京都まで運ばれたかは謎なんだそうです。
とにかく彫刻が細かいこと細かいこと。立体感が半端ないっす。
フロアは1〜4階まであり、ミニだんじりコーナーとか体験コーナーとかがあります。だんじりの技と匠の彫り物はちょっとだけ見応えあると思いますが、基本的に上階は見所少ないと思います・・・

●服部天神宮
足の神様として知られる服部天神宮。もとは医薬の祖神、少彦名命を祀る神社として開かれた社ですが、菅原道真が京から太宰府へと赴く道中、こちらで足病の平癒祈願をし、治ったことから後に天満宮として合祀されたたそうです。

<住所>
大阪府豊中市服部元町1-2-17
<アクセス>
阪急宝塚線の服部天神駅を下車すぐです。
露店が出ているこの道は江戸時代、大坂から池田、能勢、亀岡に通ずる主要幹線道路として、人と馬の往来が激しかった能勢街道なんだそうです。その道程の中間に位置した服部天神宮は足の神様として崇敬を集め、全国から参詣の善男善女と能勢街道往来人の宿場との2つを兼ね備えて、境内外は非常な賑わいを呈し、旅籠、料亭、茶店が軒を列ねて、江戸中期から末期にかけてが最盛期であったそうです。
こちらは足踏み石の祈願台座。御利益は足病平癒・健脚とのことですが拝殿あるのでパスします。というか行列半端ない。実は私、凄いマイナーな神社へ来たつもりだったのに、この人混みに正直驚きました。な、なにがあるんだぁ!って。どうやら訪問時は豊中えびす祭の真っ最中で人出が多いことがわかりました。
駅側からアクセスすると境内が迷路のようで拝殿がどこにあるのか。ようやく見つけた拝殿も、境内の外までず〜っと長い行列が続いてどこが最後尾だか分からないほどでした。
ただ私、この2ヶ月後に42.195kmの東京マラソンが控えてまして、何が何でもお参りしたかったのです。ちなみにですがこの1ヶ月後、ハーフマラソンで歩けないくらいの肉離れを起こし御利益は疑問でしたが...練習サボりまくりだったので努力も兼ねないと御利益は期待できないようですよ。
拝殿手前にある手水舎。足の神様だけあって、お堂に草履がたくさん奉納されています。間違いなく努力した人のみが報われるのでしょう(涙)
手水舎手前には学問の神様、藤原道真(ふじわらのみちざね)の立派な銅像がありました。足の神様なのに学問の神様の銅像って。。
奈良時代の公卿であった川辺左大臣藤原魚名公の墓。藤原道真は大宰府へと左遷させられる道中に、自身の足病の平癒祈願としてここへ立ち寄ったのですが、同時に藤原魚名公の墓参りもしています。藤原魚名(ふじわらのうおな)もまた道真と同じく大宰府へと左遷させられた身。昨日は人の身、今日は吾が身にふりかかるさだめかと嘆いたらしいですよ。
末社の豊中えびす社も大きくて立派な建物です。言わずと知れた商売繁昌の御利益のある、えびす様を祀っています。総本社である西宮神社の御分霊を勧請したえびす様は、地元では豊中のえべっさんとして呼ばれ親しまれているそうです。
豊中えびす神社にお参りした後は、裏手に回って念押し祈願をするのをお忘れなく。「えべっさん、頼んまっせ!」と板をハンマーでドンドンと叩きましょう。

●原田神社
社伝によれば原田神社の創建は奈良時代以前、天武天皇の時代までさかのぼるという古社。室町時代には将軍足利家より神領として西牧六車庄の寄進をうけ、東は豊嶋群榎坂村(現吹田市江坂)から、西は川辺群富松村(現尼崎市富松)にわたる72か村の氏神として栄えました。

<住所>
大阪府豊中市中桜塚1-2-18
<アクセス>
阪急宝塚線の岡町駅を下車すぐ。
駅前の岡町商店街から楽々アクセス!大阪は都市部だけではなくアーケード商店街がどこにでもあるので楽しいですなぁ。
商店街の脇にある原田神社。ひっそりとした佇まいで、ちょっとした公園のような感じです。

もとは祇園社(ぎおんしゃ)とも牛頭天王社(ごずてんのうしゃ)とも呼ばれていたそうで、1688年に原田大明神の神号を得て現在の社名になったのだとか。残念ながら原田神社は、1578年の兵火によって社殿や宝物類が焼失してしまっています。
社殿焼失の後、江戸時代の1652年に建立された本殿は国の重要文化財に指定されています。五間社流造の形式をもつ珍しい特徴をもった建築物らしいです。トップの写真は本殿手前にある拝殿になります。
摂社の十二神社本殿。國常立命などを祀っているらしい。建材の多くが取り替わっているものの、建立自体は安土桃山時代まで遡るとか、遡らないとか...
アマテラスを祀る神明社も隅っこに、ひっそりと佇んでいました。
ひっそりとした神社に相応しくないほどの朱色の鳥居、鳥居、鳥居。この稲荷社、境内で一番目立っていました。鳥居の奥に百度石と社殿があります。



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