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●瑠璃光寺(るりこうじ)
瑠璃光寺は1471年に建立された陶弘房の菩提寺の安養寺が前身で、後に毛利輝元によって移転されました。国宝の五重塔も1442年に大内義弘の菩提を弔う為に弟の盛見が、この地にあった香積寺の境内に建立し、後に移築されたものです。境内は香山公園の一角にあり、他に毛利本家の墓所、香山墓所や明治維新の史跡、枕流亭など見所も多いです。
<住所>
山口県山口市香山町7-1 境内自由 |
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<アクセス>
JR山口駅から山口市コミュニティバス(大内ルート)で約15分、香山公園五重塔前を下車。バスは1時間1本程度の運行です。尚、山口駅、上山口駅から徒歩だと30分程度かかります。 |
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瑠璃光寺の見所といえば、この国宝の瑠璃光寺五重塔ではないでしょうか。応永の乱をおこしたことでも知られる室町時代の武将、大内義弘。1442年に兄義弘の菩提を弔う為、弟の盛見が、この地にあった香積寺の境内に建立し、後に移築されたものだそうです。建立されたこの五重塔は檜皮葺屋根造りで高さは31.2mあります。上層にゆくにつれ間をつめている為に初重の丈が高く柱も太いために安定感があり存在感があります。 |
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香山公園内にある瑠璃光寺の境内は広く見所も満載です。広いって言っても見学時間は毛利家墓所なんかと合わせてみても30〜60分程度だと思います。 |
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広さはこんな感じです。池とか梅園もあるから広いっす。 |
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梵鐘の作風は素朴で撞座の蓮華座の中房に花弁を造る工法は珍しい。そう説明されても何言ってるか分かりませんね・・・ 廻廊入口にある梵鐘は、もとは山口市にある末寺であった光明禅寺のものとして鋳造されたもので、光明禅寺の廃寺によって移されたそうです。 |
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廻廊は両脇に横に縦にと本堂を囲うようにつくられています。 他にも県下一大きい、しゃもじとか仏足石、水子地蔵、身切地蔵など見所?的なものも多かったです。 |
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山門から内側はこんな感じになっとります。写真トップの本堂内陣には本尊の薬師如来に脇侍の日光・月光菩薩や十六羅漢などが安置されてます。1471年に建立された瑠璃光寺は陶弘房(すえひろふさ)の菩提寺で、陶氏は大内家筆頭家老で代々周防国の守護代をつとめた名門の家柄。瑠璃光寺は中国三山の1つ(瑠璃光寺・大寧寺・龍文寺)にも数えられていたんだってさ。 |
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だれも見に行かない場所に金毘羅神社があります。こちらは香川県の金毘羅神社(金刀比羅宮)より勧請したもので、大内氏一族代々の鎮守の神として祀られ本宮とおなじく大物主神と崇徳天皇の二柱を祀ってます。 |
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公園内にある大内弘世像。室町時代、中国地方を中心として西国一の勢力を誇っていたのが大内氏でした。室町時代の山口を中心とする文化は大内文化と呼ばれ、大内弘世が西の京として京の都をモデルに街づくりを行い、現在の山口市の礎を築きました。ここまで登場してきた義弘や盛見は大内弘世の子になります。 |
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瑠璃光寺の見学を終え、香山墓所方面へと散策してみると、突然明治維新の史跡が現れます。こちらの沈流亭は元は山口の旧家安部家の離れで、幕末に薩長両藩が密議を重ねた場所でもありました。建物自体は昭和35年にこの地に移築されたもの。ポツンと、ものすごい浮いてる場所にあったりします。本来はもっと付属の建物があったそうなんですが、移築を繰り返すうちに、この建物だけになったそうです。 |
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建物内は無料で見学できます。薩長両藩が密議を重ねた場所・・・と、まぁ凄い建物なんですが無料で見学できます。おまけに係員とか誰もいません。見学者も先ず来ませんし・・・
円窓がお洒落ですね。1階は薩摩・長州藩の著名人を紹介するパネルなんかがあります。 |
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2階のこの奥の座敷の間が討幕の為に出兵の密議を交わしていたという場所。幕末、七卿落ちや禁門の変(蛤御門の戦い)などで対立していた長州藩と薩摩藩ですが、1866年に土佐の坂本龍馬の仲介によって倒幕を目指し薩長同盟が結ばれました。その後、出兵を協議するために、この沈流亭の階上には薩摩藩の西郷隆盛、大久保利通、小松帯刀(小松清廉)に長州藩の木戸孝允(桂小五郎)、広沢真臣、品川弥二郎、伊藤博文などが密議をしたと伝わります。 |
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かつて天井には雲龍の絵があったとされていますが、現在は何もありませんでした。あれ?なんか血天井っぽくないですか。なんか物凄く怖い天井なんですが、説明書きもありませんし、後でネットで調べてみても何も情報はありませんでした。う〜ん、手に付いた血痕にしか見えんのですが・・・ |
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沈流亭のすぐ隣にあるのが露山堂。1863年に萩藩主であった毛利敬親は幕末の政情に処するため藩庁を萩から山口に移し、今の県庁のところに政治堂を建てました。そのとき政治堂の近くの一露山の麓に茶室を設け、一露山の一の字を省いて露山堂と名付けたのがこの建物なんだそうです。ここもまた敬親が家来らと討幕の密議をこらした建物(茶室)とのことで、明治24年にここに移築されたそうです。 |
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瑠璃光寺の五重塔から歩いても5分程度の場所にある香山墓所(香山墓地・毛利家墓所)は、毛利本家の墓所で、13代敬親公が文久年間に居城を萩から山口に移して、この地を造成し以降の墓地として使用されたもの。 |
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香山墓所手前のこのあたりで手を叩く(強く)か足踏み(強く)をすると美しい音が返ってきます。うぐいす張りの石畳と呼ばれ人為的に造られたものではないそうですが、あまりに見事な反響音には驚きます。 |
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●洞春寺(とうしゅんじ)
吉田郡山城において75歳で没した戦国大名の毛利元就の菩提寺で、毛利氏の防長移封のよって萩城内からこの地へと移されました。観音堂、山門が国の重要文化財に指定されています。
<住所>
山口県山口市水の上町5-27 |
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<アクセス>
瑠璃光寺の隣にあるためセットで観光するのがオススメです。尚、山口市コミュニティバス(大内ルート)だと洞春寺を下車となります。 |
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この地には1400年頃に大内盛見が建立した国清寺があり、この山門はその国清寺の創建当時のものと言われているそうです。全国的にも数少ない四脚門は、奈良時代から建造され始め、もっとも格式高い門とのことです。よく分かりませんが、そう書いてありました・・ 一応、重要文化財にもなってます。 |
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境内はこんな感じです。参拝者は皆無です・・・ 写真トップにある本堂は焼失により江戸時代に再建されたものとなっています。 |
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鐘楼門。年代は不明ですが江戸時代あたりのものらしい。上層には梵鐘が掛かっております。 |
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山門と同じく重要文化財にも指定されているこの観音堂は1430年に大内持盛を開基とする滝の観音寺の仏殿として創建されたもので、大正4年に当寺境内に移されたとのことです。 |
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●山口大神宮
山口大神宮は、1520年に大内義興が伊勢から神霊を勧請した古社で、伊勢神宮と同じく素木神明造りで内宮、外宮の社殿が造営されています。
<住所>
山口県山口市滝町4-4 |
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<アクセス>
JR山口駅から徒歩で約25分。バスでは県庁前を下車し徒歩5分程度。 境内自由。 |
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大神宮に相応しい広くてそこそこ長い階段があります。ちなみに、そんなに境内は広くはありません。 |
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江戸時代の頃は伊勢神宮の神霊を迎えた神社はこの山口の大神宮のみであったっため、九州や西国の各地から多くの人が参拝に訪れたらしいです。写真は神楽殿。 |
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こちらはイザナギ・イザナミを祀る多賀神社。イザナギ・イザナミの名が出てくるあたり、さすが大神宮!って感じします。しません?・・・ |
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神明造りとか言われてもよく分かんないのですが、ようするに大雑把に言えば高床式倉庫みたいに角が二本生えてるやつが神明造りって言うんですな・・・
写真が外宮で奥に内宮があります。トップの写真はその両方を写したものです。伊勢神宮と同じく外宮では豊受大御神を、内宮では天照大御神を祀っています。 |
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稲荷神社もあったりします。他にも奥社(岩戸社)がここから徒歩で10分程度離れた場所にあります。 |
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●龍蔵寺(りゅうぞうじ)
698年、神変大菩薩と崇められた僧、役小角が豊後国彦山から掛錫し、奥の院の岩窟に紀州熊野権現を勧請し、秘宝の護摩供を厳修し、「龍の蔵」と名付けたことに始まってたと伝えられる龍蔵寺。ついで741年、行基菩薩がこの霊域に留まり、自ら千手観音を掘り寺を建て泰安して「龍蔵寺」と名付けたそうです。大内氏、毛利氏の時代にはその守護寺とされ、一般庶民からも深い信仰を集めました。
<住所>
山口県山口市吉敷1750 |
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<入山料>
200円。 7:00〜17:30
<アクセス>
JR山口駅よりマイカー・レンタカー・タクシーで約15分。 |
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訪問時は週末だというのに人影もまばらでした。こちらは紅葉の名所でもあり時期には多くの方が訪れるんですって。 |
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高さ45mもある龍蔵寺のイチョウ(天然記念物)は推定樹齢900年とされるもので、役の行者が植えたと伝えられています。イチョウが寺院などに多く植えられているのは、その葉の水分が火勢を防ぐからだと言われています。 |
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イチョウの木の下にある洞穴観音。長生きしたい方、又、母乳の出ない方に御利益があるらしいです。洞穴観音→洞窟観音と思い、戒壇めぐりみたいなワクワクを期待してましたが勘違いでした・・・ |
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こちらは護摩堂です。他にもカエル観音、水子地蔵、聖徳太子像に将軍地蔵像・・・と様々なものが安置?されてます。トップの写真の観音堂を含め多くは江戸時代に建てたれたもので、観音堂の正面には駒つなぎの絵馬というものがあります。この絵馬の中の馬は夜な夜な抜け出して、吉敷の田畑を荒らしたので、室町時代の有名な画家である雪舟(せっしゅう)に頼んで手綱を書いてもらったというもの。後にそれでも出るので切り刻まれたらしい(笑) |
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10mもある大聖青不動明王なんてのもあります。 |
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その横には綺麗な滝があります。三層の名滝で山口三名滝の1つとされる鼓の滝(吉敷の滝)。この奥、奥の院までの間には999滝あるとのこと。滝のお不動様(上の写真の不動様です)が1滝お隠しになったそうです。人の世が乱れてきた時、1滝出して千滝として大蛇(龍ともいう水神の事)を出したという。つまり大洪水を起こして流してしまうとの戒めらしい。龍(洪水・大蛇)を蔵にしまっている寺名の由来にもなっています。 |
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その昔、役の行者、小角が飛来し、当山の奥の院にある磨崖窟で護摩の秘宝を修したと伝えられ、以来多くの行者が、この岩窟にこもり修行したとのことです。とのことで、磨崖仏見たさに滝の上のほうにある奥の院を目指します。写真は途中にある、つづみ橋から。にしても、999滝もあるってのは疑問です(笑) |
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すぐ奥の院にたどり着くと思ったら大間違い・・・ ここから先、体力に自信のある方みたいな事が書いてあるんですが、もう引き返せない。道も険しいどころではありません。 |
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で、ようやく着きました。窟内の仏は五百羅漢であり、その修行中に彫ったものとされます。 |
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おお〜、これが磨崖仏ですかぁ。どうやってその昔に彫ったんでしょう?足場かけるのも大変です。壁面には弘法大師作といわれる大日如来と思われるものが彫ってあります。写真だと分かり辛いですね。
何はともあれ美味しいお茶を頂きながら住職さんのお話も聞けて、心休まるいい場所でした。 |
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●豊栄(とよさか)神社・野田神社
毛利元就を祀る豊栄神社と毛利敬親と元徳を祀る野田神社。
祭神はそれぞれ異なりますが、同じ敷地に建ちます。
<住所>
山口県山口市天花1-1-2 |
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<アクセス>
JR山口駅からコミュニティバス(大内ルート)で約8分、野田を下車です。山口駅から歩くと25分程度かかります。尚、境内は自由です。 |
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豊栄神社も野田神社も同じ敷地にあるんですが、それぞれ別の宗教法人らしいです。手前にある野田神社の鳥居から入ります。 |
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厳かな雰囲気を漂わせているとは、たぶんこんな感じのことを言うんでしょうね。トップの写真は野田神社の本殿(たぶん)です。野田神社の祭神は、幕末維新の時に藩士を指揮して近代国家の成立に貢献した毛利敬親と、敬親の養子で幕末維新の時には父敬親を補佐した毛利元徳が祀られています。 |
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奥が豊栄神社になります。豊栄神社の祭神は戦国時代に中国地方八ヶ国を治めた大名、毛利元就で、孫の輝元が萩城に移った時に、城内に社を建てたのが始まりとされます。明治2年には山口に移され、この年に朝廷から元就の神霊に対し豊栄の神号を賜わりました。 |
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三本の矢
元就は隆元・元春・隆景の三人の息子に1本の矢を折るよう命じ、これを難なく折ると、次は3本の矢の束を折るよう命じますが、息子たちは誰も折ることができませんでした。元就公が臨終に際して息子たちに、一本では折れる矢も束ねれば折れないことに例えて、兄弟の協力一致を説いたという説話が有名です。これは1557年に元就公が61歳の時にしたためた隆元・元春・隆景宛の「三人心持ちの事」で始まる自筆書状がもとになっているとされます。 |
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●萩反射炉(はぎはんしゃろ)
反射炉は西洋で開発された金属溶解炉で、当時鉄製の大砲を造る際には必要不可欠なものでした。日本も欧米列強に対する危機感から全国数ヶ所で導入されましたが、現在遺構として残るのは、ここ萩の反射炉と伊豆韮山(静岡県)のみとなっていて、我が国の産業技術史上たいへん貴重な遺跡とされます。
<住所>
山口県萩市椿東4897-7 |
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<アクセス>
JR東萩駅から萩循環まぁーるバス(東回りコース)で萩しーまーとを下車し、徒歩約5分です。尚、見学自由です。 |
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反射炉の構造は、炉と煙突とに大きく分かれ、アーチ型の炉では、後方の燃焼室で焚いた燃料の炎や熱を天井に反射させ、前方の溶解室に置いた金属を溶解しています。
ちなみに近年の研究では当時の萩藩には実用炉の存在は認められず、萩反射炉は試験炉であったという見方が有力視されているそうです。 |
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●大正洞(たいしょうどう)
その昔、戦乱の折、里人が牛を奪われるのを恐れてここに牛を隠したので「牛隠し洞」と呼ばれていました。大正洞の名は、大正10年に時の赤郷村長の大島政一氏父子らが牛隠しの奥に大洞穴を発見し、その年号と発見者の名前にちなんでつけられたものです。
<住所>
山口県美祢市美東町赤2666-1 |
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<営業時間>
8:30〜17:15 1000円。年中無休。
<アクセス>
車の場合、秋吉台から約10〜15分程度です。バス(秋芳洞行)ではJR東萩駅から約45分、大正洞を下車です。ただし、日に2本のみ運行・・・ |
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手前に道の駅くらい大きな無料の専用駐車場があって、人も沢山いるんですが、この大正洞へ向う人は皆無でした。 |
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1000円という高めな料金を支払って小道を進みます。写真では左側が順路で、帰りは右の小道から戻ってきます。 |
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ここが入口です。尚、受付ではマグシーバーを渡されます。ポイントを通過するたびにイヤホンから音声ガイドが流れてきて便利なアイテムです。 |
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こんな細い通路もあったり。ちなみにこの場所は、よろめき通路って言うらしい。 |
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こんな地底湖もどきみたいなものもあったり。ものすごく浅いです。 |
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こんな池(蓮池)もあったり。←たぶん一番の見所。
一応、鍾乳石もちょこちょこあります・・・
秋芳洞を見学した後だけあって正直、見所というか感激するようなポイントはないんですが、人が全くいないので探検気分は味わえます・・・ |
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