●長谷寺(はせでら)
牡丹の名所としても知られる長谷寺は686年、天武天皇の御願により道明上人によって創建され、それより50年後に徳道上人が聖武天皇の勅願をうけ楠の霊木をもって十一面観世音菩薩の尊像を造立し、大伽藍を建立して祀った真言宗豊山派総本山の寺となります。長く続く登廊や国宝の本堂に十一面観音立像など見所も豊富です

<住所>
奈良県桜井市初瀬731-1
<入山時間>
8:30〜17:00(4月〜9月) 9:00〜16:30(10月〜3月) ※牡丹まつり期間等時間延長あり。入山料金 500円。

<アクセス>
最寄駅は長谷寺駅となり、JR奈良駅からはJR桜井線で桜井駅、そこから近鉄大坂線で長谷寺駅まで約1時間、530円です。
近鉄大阪線の長谷寺駅を下車し徒歩15分程度で長谷寺に到着です。車の方は有料駐車場あり(500〜700円と、かなりバラつきあり)。
参道には多くの土産物屋さんが建ち並びます。草餅や三輪そうめんなど、この地方ならではの特産品も売られています。
長く続く土産物屋を抜けると見えてくるのが立派な仁王門です。1885年の再建とはいえ重要文化財に指定されています。
仁王門から本堂までは写真の登廊(のぼりろう)を通っていきます。重要文化財で1650年に建立されたもの。とにかく長い登廊です。
写真トップの国宝でもある本堂は、正堂、相の間、礼堂からなり、本尊十一面観世音菩薩立像は、巨大でキンキラ・・息を呑む美しさです。又、本堂は清水寺や室生寺など観音様を祀る寺院に多い、舞台造(懸造)となっていて、ここから望む景色は最高です。
遠くには五重塔も見えます。桜と相俟っていい写真でしょ?3重くらいしか写ってませんけどね・・・
寺域は広大で、見学できる伽藍も広く、見学するには最低でも1〜2時間は要します。
で、さっきも見た五重塔です。昭和に建てられた塔ですが、今や長谷寺のシンボルタワー的な存在となっています。よく知りませんけど・・・

●室生寺(むろうじ)
女人禁制だった高野山に対し、女人高野として名高い室生寺は高野山と同じく真言宗に属していますが、女人の入山を古くから許可していました。681年に役行者(役小角)を開祖とし、後に弘法大師(空海)の手によって伽藍の整備が行われ、境内には金堂や五重塔をはじめ釈迦如来像、十一面観音像等多くの国宝、重文が残されています。

<住所>
奈良県宇陀市室生区室生78
<入山料>
600円。8:00〜16:00(季節変動あり)

<アクセス>
最寄駅は室生口大野駅となり長谷寺と同じようなアクセス方法となります。JR奈良駅からはJR桜井線で桜井駅、そこから近鉄大坂線で室生口大野駅まで約1時間、670円です。駅からは奈良交通バスで約15分、430円で室生寺に到着です。バスは日によりますが1日1本程度でシャクナゲの花が咲く頃(4月下旬〜5月上旬)は1日2本程度になります。タクシーで約10分。ちなみに、徒歩だと約6km、90分程度かかります。歩く場合は地図の矢印をひたすら直進です。車の方は有料駐車場あります。
入口のなる仁王門です。両脇に立つ仁王像は凛々しい顔立ちではなく、笑ってしまいそうな可愛らしいお顔をしています。
仁王門を抜けて少し急な石段を上ったところにあるのが写真トップにある金堂で、平安時代に建立され国宝に指定され観音寺に多い懸造(かけづくり:舞台造)となっています。内陣に安置されている十一面観音立像(国宝)、文殊菩薩立像(重文)、本尊釈迦如来立像(国宝)、薬師如来立像(重文)、地蔵菩薩立像(重文)、十二神将立像(重文)には圧巻です。

右の写真は金堂の左手にある鎌倉時代に建立された弥勒堂で重要文化財に指定されています。本尊弥勒菩薩立像(重文)と釈迦如来坐像(国宝)を安置しています。
さらに石段を上ると本堂(灌頂堂:かんじょうどう)が見えてきます。鎌倉時代に建立されたもので国宝です。内陣に本尊如意輪観音菩薩坐像が安置されています。
すぐ近くには南北朝時代の公家として当時、高い身分と権力のあった北畠親房の墓と思われる五輪塔があります。重要文化財でもあります。
再び石段を少し上れば、またまた国宝に指定されている五重塔があります。奈良時代に建立され、法隆寺の五重塔に次ぐ古塔らしいです。
五重塔の左脇から弘法大師を祀る奥の院、御影堂(大師堂)へと道が続いています。
ある程度進んだところで待ち構える長い石段。とにかく上るのを後悔するくらい果てしなく続く石段です・・・ 途中には水子供養のためか、地蔵さんと一緒に玩具や縫いぐるみが不気味に置かれていたりします。
で、こちらが汗だくで辿り着いた御影堂(大師堂)です。写真では分かりづらいですが、舞台造(懸造)のお堂は多少の景色も楽しめます。鎌倉時代に建立され重要文化財にも指定されています。

女人高野として名高い室生寺。女性の為のお寺ですから、女性であれば一生に一度は訪問して欲しい場所です。もちろん男性にもオススメで、個人的には全国ベスト3に入る程、お気に入りの寺院です。

●金峯山寺(きんぷせんじ)
その昔、吉野山(よしのやま)から山上ヶ岳(大峯山)付近までを金峯山(きんぷせん)と総称し、山上の山上ヶ岳には山上蔵王堂(大峯山寺)、山下(さんげ)の吉野山には山下蔵王堂(金峯山寺)があり、これらを中心とする寺内町が形成されてきました。役小角(役行者)を開祖とした金峯山寺には国宝の仁王門、蔵王堂が保存され周辺一帯は桜の名所としても全国的に有名です。

<住所>
奈良県吉野郡吉野町吉野山
<開門時間>
8:30〜16:30 境内自由ですが内陣400円。時間、拝観料金は季節により変動。

<アクセス>
近鉄吉野線の吉野駅からロープウェイ(片道360円/往復610円)の吉野山駅まで。そこから徒歩約10分。
有名な吉野山の桜は下千本、中千本、上千本、奥千本の4つのエリアに分かれています。山下から山上に向かって植えられている約3万本の桜は、その標高から咲く時期も微妙に違い、長い期間にかけて花見を楽しむことができます。ロープウェイの吉野山駅から右手(順路とは逆方向)に5分くらい進んだ場所に下千本の絶景ポイントがあります。そこから山頂に向かって歩いていきます。車の方はシーズン中は平日でも朝の9時くらいから車両通行止めになるため上のマップの「現在地」付近の駐車場に車を止めましょう(有料)。順路的には吉野山駅⇒銅の鳥居(重文)⇒金峯山寺の仁王門(国宝)、蔵王堂(国宝)⇒東南院⇒吉水神社と、こんな感じでしょうか。時間があれば如意輪寺や他にも創建の古い寺院が沢山あります。尚、下千本〜奥千本までは花見をしながらだと往復でも2時間以上はかかります。切のよいところで引き返しましょう。
修験道(山伏)の開祖、役小角(役行者)が、山へ籠もり厳しい修行を行い金剛蔵王菩薩に出会います。これを感得し蔵王権現像を彫ったとされる木材が桜の木であり、神木(霊木)として平安時代の頃より桜の苗は寄進され続け、古くから桜の名所としても知られています。
写真の桜の下には吉野山へと登る急坂、七曲があります。この付近一帯が下千本と呼ばれる場所で、昔の一目千本という眺めもこの辺りのことを言うそうです。元録のころの「吉野紀行」という書物に「日本が花」七曲など過ぎゆくに、もろ人桜苗を求め植えて蔵王権現に奉る。みずからも又桜三十本を植えさせてと、記してあるそうです。
下千本を眺めながら黒門を抜け、しばらく歩くと大きな鳥居が見えてきます。それが写真の銅の鳥居で、室町中期に建立されたもので重要文化財にも指定されています。
見学路というか参道には多くの土産物屋さんが建ち並びます。休憩がてらに葛切りなどを食べちゃうのもいいですね。私のお薦めは、脂の乗った鯖の押し寿司を香りのよい柿の葉に包んだ柿の葉寿司(柿の葉すし)です。日持ちしませんが、お土産にも喜ばれます。尚、柿の葉寿司の葉は、桜餅の葉のように食べませんので注意です。
そして見えてくるのが先の写真にもチラリと見えた金峯山寺の仁王門です。蔵王堂(本堂)とともに国宝にも指定され室町時代に建てられたものです。
本堂となる立派な入母屋造りの蔵王堂です。1592年頃に再建されたものですが、仁王門とともに国宝です。室町時代中期の作で、東大寺大仏殿に次ぐ大建築。金峯山寺の本尊は3体の金剛蔵王権現で、それぞれ過去・現在・未来の三世にわたる衆生の救済の意があるそうです。残念ながら秘仏のため特別公開など以外では見ることができません。堂内にある蔵王権現立像も秘仏と同じく重要文化財となっています。また、吉野山と同じく世界文化遺産にも登録されています。
霊地を開くときには通常、中心になる伽藍を建て、そこから東南の方角にあたる場所に寺を建てます。金峯山寺より東南に位置するここ東南院(とうなんいん)も役小角(役行者)が開山したと伝わります。又、宿坊(宿泊施設)もあり、一般の寺とは違う一面もあります。
東南院のほぼ向かいにある吉水神社(よしみずじんじゃ)の入口となる鳥居です。元は吉水院といい、天武天皇の白鳳年間に役の行者が創建したものと伝えられ格式の高い僧坊であったものが明治8年寺号を廃して吉水神社と改め、後醍醐天皇、楠木正成、吉水院宗信法印を合祀しています。吉水神社は紀伊山地の霊場と参詣道の1つとして世界遺産にもなっています。
吉水神社は、吉野の歴史を代表する殿堂で1185年、源義経が兄頼朝の迫害を逃れて最愛静御前、弁慶らと共にここに身を隠されて世にその純愛物語を伝えています。また1336年、後醍醐天皇が京の花山院を逃れて吉水院宗信の援護のもとに当社を行宮とされ血涙の歴史を記された南朝の大舞台でもあります。降っては1594年、豊太閤が当社を本陣として大花見の盛宴を催し、天下にその権勢を示したのは有名です。この神社を有名にしたのはその由緒もさることながら実は現存する書院であってわが国書院建築史の第一頁に位する本格派の建物で初期書院造の代表的傑作とされています。いまもなお書院内に義経潜居の間、弁慶思案の間、豊太閤花見の間等が残されています。
吉水神社を過ぎたあたりが中千本で、写真はさらに山上にある上千本の光景です。さらに奥には奥千本もあり山下から山上まで長い期間、花見を楽しむことができます。尚、山上にある大峯山寺もその昔は金峯山寺と言う1つの同じ寺院でした。大峯山寺へ行かれる場合は20km以上も離れている上に完全な登山となりますので注意です。しかも未だに女人禁制なので特に女性は注意です。

桜の花見シーズン以外では見所は金峯山寺の仁王門、蔵王堂、吉水神社となりますが、吉水神社に関しては空いている時間を狙って訪問したため、時間が早すぎて(拝観9:00〜)開いていませんでした・・・

新薬師寺
747年に光明皇后が夫である聖武天皇の病気平癒のために建てられた新薬師寺。本堂内にある国宝の薬師如来坐像と、それを囲むように配置された国宝、十二神将立像が見所となっています。

<住所>
奈良県高市郡明日香村飛鳥682
<アクセス>
市内循環バスでは破石町を下車し徒歩約10分。

東大寺大仏殿から二月堂⇒春日大社⇒春日山原始林を抜けて新薬師寺へと徒歩で向うことも可能ですし、バスを待っている時間を考えるとあまり差はありません。
拝観入口となる写真の南門の他、東門や鐘楼なども重要文化財に指定されています。ただし、重文はおろか国宝、はたまた世界遺産ですら文化財の多い奈良・京都では新薬師寺もその影は薄く、訪れる人も少ないようです。

尚、薬師寺と新薬師寺とは宗派が違い(法相宗と華厳宗)、場所も異なります。新薬師寺の新は、あたらしいという意味ではなく、あらたかなという意味があるそうです。

●飛鳥寺(あすかでら、安居院:あんごいん)
飛鳥時代、仏教を受け入れようとする蘇我馬子と、それに反対する物部守屋がいました。両者は武力で決着をつけることになり(法隆寺参照)、蘇我馬子は戦いに勝利したら仏寺を建立することを誓います。結果、馬子が勝利し日本最古の本格的な寺院となる法興寺(飛鳥寺の前身)を建立。やがて都が平城京へ移り法興寺も奈良市にある世界遺産、元興寺へと移りました。元々あった法興寺も本元興寺→飛鳥寺→安居院と呼ばれ残りましたが、時代とともに衰退していきました。

<住所>
奈良県高市郡明日香村飛鳥682
<拝観時間>
9:00〜17:30(季節変動あり)拝観料350円。4月7〜9日は花会式のため休み。

<アクセス>
近鉄橿原線の橿原神宮前駅から周遊バス(赤かめ)で約20分、飛鳥大仏前下車すぐ。バスの本数は1時間1本程度。飛鳥駅にも赤かめバスの発着ありますが多少、橿原神宮前駅からより運行本数少ないです。駅前にレンタサイクルあり、天気が良ければ石舞台古墳と一緒に自転車で廻るのもありですね。
今見る飛鳥寺は小さなお寺で、建立当時の建物は焼失により失われ、写真トップにある現在の本堂は1825年に再建されたもの。しかしながら当時の寺域は、南北290m、東西200〜250mの規模を持ち、飛鳥では大官大寺とともに最大規模の寺院であったそうです。
こちらは本尊でもある銅像釈迦如来坐像です。飛鳥時代の作品ですが補修も激しく現存する箇所は不明らしいです。珍しくここ飛鳥寺では写真撮影が全て可能です。
お釈迦様のお隣には聖徳太子立像も安置されています。
お寺の裏側を出た少し先に、嘘か本当か蘇我馬子の孫でもある蘇我入鹿の首塚(五輪塔)もあります。権力争いによって父の蘇我蝦夷とともに、山背大兄王(皇族)らを自害に追い込み、日本書紀にも悪人として扱われている蘇我入鹿ですが、中大兄皇子や中臣鎌足(藤原鎌足)らによって暗殺され、翌日には蘇我蝦夷も自害し蘇我氏は滅亡します。何故こんな場所に入鹿の首塚があるのでしょう。誰かが祟りじゃ〜!と騒ぐ事件、疫病、天災等でもあったのでしょう。。。
その後に有名な大化の改新によって天皇中心の政治へと時代は移っていきました。中大兄皇子(天智天皇)⇒・・・⇒・・・⇒昭和天皇⇒現在の今上天皇 こんな感じです。

●石舞台古墳(いしぶたいこふん)
蘇我馬子(6世紀末〜7世紀前期)の墓と伝えられる石舞台古墳は、我が国最大の方形墳であり、30個の岩の総重量は約2300tにもなります。特に天井石は約77tもあり、造られた当時の優れた土木・運搬技術がうかがわれます。

<住所>
奈良県高市郡明日香村島庄

<見学時間>
8:30〜17:00 250円
<アクセス>
飛鳥寺と同じく橿原神宮前駅から周遊バス(赤かめ)で約30分、石舞台を下車、徒歩約5分です。

626年に蘇我馬子は死去しここへ埋葬されたそうですが、蘇我稲目説とかもあるそうです。なにせ埋葬品の大半は盗掘にあっているため確かなことは今も不明とのこと。
石舞台古墳は早くから石室を覆っていた盛土が失われ、巨大な天井石が露出していたことから石舞台の名前で親しまれています。

確かに天井岩を生で見ると、機械のなかった時代によくもこんな大きな石を積んだものだと感心させられます。

●大神神社(おおみわじんじゃ)
日本国内で最古の神社としても知られる大神神社。日本神話によれば、大己貴神(おおなむちのかみ:大国主神、オオクニヌシ)が少彦名神とともに国造りをしていましたが途中で常世の国へと少彦名神が帰ってしまいます。どうしたらよいものかと呟くと、私を三輪山へと祀れば国造りに協力しようと大物主神が申し出ます。こうして三輪山に大物主神お鎮めになったのがはじまりです。御社名は大神を「おおみわ」と称し、八百万の神々の中、三輪の神は神霊のお働きが著しく広大なことから大神(おおみわ)と称えられました。
<住所>
奈良県桜井市三輪1422

<アクセス>
JR桜井線の三輪駅から徒歩15分程度。境内自由。

ニニギ降臨時にアマテラスより自身の御神体として授かった八咫鏡。後にこの神鏡を鎮座させる地を求めていた道中に、一時的に祀られた(元伊勢)のがこの大神神社(三輪明神・三輪神社)となります。日本神話については宮崎県、三重県等のページ参照。
駅から歩いてくると、入口となる二の鳥居が見えてきます。ちなみに一の鳥居は反対方向(駅より先)、国道169の近くにあります。それとは別に迫力満点の大鳥居も建っています。こちらの神社は何故かパワースポットとしても全国的にも人気のある神社で、女性を中心とした若者の参拝者を多く見かけます。日本最古!というのがパワーの源なのでしょうか・・
大物主大神を三輪山に祀っていることから、三輪山を神体としていて本殿が存在しません。写真は1664年に徳川家綱によって造営された拝殿で重要文化財に指定されています。拝殿奥には見学不可ですが三ツ鳥居(三輪鳥居)と呼ばれる鳥居があり、鳥居が3つ合体した珍しいものが建っているそうです。
境内はとても広く、他にも稲作豊穣の願う巳の神杉(みのかみすぎ)や、多くの摂社、末社があります。写真は衣掛杉(ころもがけのすぎ)で古事記にある三輪山伝説からつくられた、謡曲「三輪」に登場する杉です。この謡曲にでてくる玄賓僧都(げんぴんそうず)が女人から欲しいといわれて与えた衣が掛かっていた杉と伝えられています。なんと、玄賓が衣を与えた女性は神様(三輪大神)だったのですΣ(゚Д゚ υ)
んでもって神様は衣を与えたと思ってはいけません。私も取ったとは思っていませんとか都合のよいことを言うんです。そんでもって三輪明神にまつわる伝説をウンチャラと語るのだそうです。



奈良県の観光