槍ヶ岳や穂高岳、乗鞍岳などの3000m級の名山が連なる北アルプスや、避暑地としても知られる軽井沢、上高地など自然豊かな長野県。現存12天守の1つでもあり、国宝にも指定されている松本城や周辺の古い町並みが残る城下町、江戸時代に宿場町として栄えた妻籠宿や奈良井宿なども風情があってお薦めです。武田信玄と上杉謙信との戦いの舞台にもなった善光寺も人気の観光スポットです。

遠方からのアクセスには不便を感じる長野県ですが、東京駅から長野駅までは長野新幹線で約90分。
<お土産>
蕎麦、野沢菜、りんごの他、駅前にある『りんごの木』で売っている、りんごの樹とアップルパイは個人的にオススメです。長野県のお土産

長野駅前も活気がありますが、県下一の繁華街・歓楽街と言えば長野電鉄の権堂駅周辺なります。距離は長野駅、善光寺ともに徒歩10分程度です。
こちらが権堂駅前の権堂アーケード街。県下一の・・・といっても他の地方都市のアーケード街とあまり変わりません。
善光寺雲上殿から見た長野市内。ここから善光寺本堂や長野駅、権堂駅、遠くには川中島の戦いで上杉謙信の本陣が置かれていたといわれる妻女山まで見渡せます。

●上高地(かみこうち)
何億年も前からの地層が隆起してできた北アルプスの標高約1500mに位置する上高地。全国でも屈指の観光名所だけあって毎年多くの観光客が訪れます。

<住所>
長野県松本市安曇上高地

<アクセス>
JR松本駅から松本電鉄上高地線で新島々駅(新島々バスターミナル)まで行き、そこから上高地行きのバス乗り換えます。
周辺は排気ガスから自然を保護するためにマイカー規制がされています。車で来られる方は沢渡駐車場でバスに乗り換えます。高山方面からアクセスする場合は高山駅(高山濃飛バスセンター)から、車の方は平湯駐車場からバスに乗り換えます。大型連休などの混雑期は、それはそれは恐ろしい混雑振りとなります。一人旅や癒されたい方は注意が必要です。
上高地を代表する場所といえば河童橋(かっぱばし)が有名ですが、バスを大正池で下り、そこから河童橋まで歩いて行くのが個人的にお薦めです。トップの写真及び左の写真が大正池。写真では伝わらない感動が待っています。
こちらの川の景色も素晴らしいですね。ポカ〜ンと眺めるだけで癒されます。この後、田代湖に寄り道して河童橋を目指します。
梓川(あずさがわ)沿いに自然研究路を進むと、大正池から1km程度歩いた地点に直進2.8km河童橋と右手0.1km田代湖と書いてある案内板があります。現在の田代湖は大半が土砂に埋まっているため、湖という感じではありませんが、わずか100mなので田代湖も寄り道しておきましょう。
この先、大正池地区からコースは川の右手を進むコース(バスターミナル地区)と、橋を渡って川の左手を進むコース(ウエストン地区)とに分かれます。どちらも似たような景色ですが、左手のウエストン地区方面へ進むと写真のウエストン碑があります。英人牧師ウォルター・ウエストンは明治21年から28年までの日本滞在中に槍ヶ岳や穂岳の山々を数多く歩き、我が国に近代的な登山意識をもたらし、日本山岳会結成のきっかけを作ったそうです。
写真が上高地を代表する観光名所でもある河童橋。多くの観光客は河童橋だけを目指し、ここでバスを下り、少し休憩した後に再び帰っていくようです。なので、ここだけ物凄い人の数となります。
この橋から西穂高岳や奥穂高岳、前穂高岳、明神岳などの3000m級の迫力ある山々を見渡すことができます。
上高地の一般的なコースとしては、大正池→河童橋。又は河童橋のみのパターンとなりますが、元気がある方はさらに河童橋地区から明神地区へと進んでみましょう。コースは梓川の右手と左手とに分かれますが、往きと帰りとで、両方歩いてみるのがよいでしょう。
眺め的には左手を進むコースの方が良いようです。緑が一段と多くなり、これまた美しい眺めです。
明神地区の見所となる明神池までは往復で6km程度歩くことになりますが、平坦な道で景色も素晴らしいので思ったよりは疲れないかと思います。
こちらが穂高神社奥宮の神域となる明神池(みょうじんいけ)。神社の境内となるため拝観料300円が必要となります。尚、穂高神社の本宮はJR穂高駅近くにあり、奥穂高岳の山頂には嶺宮が祀られています。
境内といっても社殿があるわけでもなく、あるのは美しい池のみです。それにしても透き通った池の水は飛び込みたくなるような美しさです。
明神池で気持ちよさそうに泳ぐブラウントラウト。
ボケ〜っとするのには静かでよい場所です。
我慢、我慢。泳ぎたい衝動に駆られます・・・
マガモも気持ちよさそうに泳いでいます。
マイカーでお越しの方は乳白色の湯で有名な白骨(しらほね)温泉に立ち寄ってみては如何でしょうか。静かな温泉地で入浴のみでも可能な旅館が多いのも嬉しいですね。温泉地入口に案内所もあります。

●善光寺(ぜんこうじ)
日本最古の仏像といわれる一光三尊阿弥陀如来を本尊とする無宗派の仏教寺院、善光寺。本尊の如来像がその昔にインドから朝鮮半島にあった百済から渡ったのがはじまりで、廃仏派のよって仏像は捨てられてしまいますが、本田(本多)善光によって大阪で発見され長野県飯田市にある元善光寺に祀りました。そこから今度は現在の善光寺に渡るも、武田信玄によって甲斐善光寺に行き、その後も織田信長や豊臣秀吉の手に渡るなどし、結局は徳川家康の手によって今の善光寺に落ち着きました。

<住所>
長野県長野市元善町491
<アクセス>
JR長野駅から徒歩約25分。又は市内循環バス(ぐるりんバス:100円)で善光寺大門を下車。

<拝観料>
境内自由ですが、本堂の内陣は500円。、善光寺史料館が拝観できます。お戒壇めぐり(内陣券が必要)は名物なので是非。
参道には多くの店が建ち並び、蕎麦屋をはじめ、野沢菜や、そばまんじゅう、おやきに唐辛子など長野県の土産物も全てここで手に入ります。参道を抜けると見えてくるのが写真の仁王門です。焼失のため現在の仁王門は1918年に再建されたものです。
さらに進んでいくと1750年に建立された写真の山門(三門)があります。牛に引かれて善光寺参りという民話から、山門にある善光寺の「善」の文字は牛の姿(牛の角)のような文字になっています。又、善光寺の文字は鳩字の額とも呼ばれており、3文字の中に鳩が5羽隠されているそうです。
続いてトップの写真の本堂へ向かいます。本堂には、お釈迦様の御遺骨がある仏舎利や御本尊が安置されている瑠璃壇、本田善光(読みは、ほんだよしみつ。ぜんこうではなかったりする・・・)と、妻の弥生、子の義佐の祀ってある間も並んでいます。他にも美しい菩薩や観音様もありますが、なんと言ってもお薦めなのが、お戒壇巡りです。、お戒壇巡りとは、真っ暗(全く見えません)な回廊を巡り、極楽の錠前に触れることで真上にいる秘仏の御本尊様と結縁を果たし、往生の際にお迎えに来ていただけるという約束をいただく場所です。尚、御本尊は絶対秘仏であり、7年に1度の御開帳で姿を現すのは身代わりの前立本尊となっています。
一生に一度は善光寺詣りと言われるくらい、一生に一度お参りすれば極楽浄土できるとあって、江戸時代の頃には伊勢と並んで善光寺参りは庶民にとって大変な人気があったようです。又、男女平等を説く寺院であることから特に女性には人気だったようです。是非、一生に一度は訪れてみてください。

●松本城
全国でも現存する天守は12しかなく、そのうちの1つである松本城は、室町時代に小笠原貞朝が築城させた深志城が前身です。一度は武田軍によって奪われるも、再び取り返し、武田家滅亡後は徳川家康の支配下となります。今の天守の形となったのは、豊臣秀吉が天下統一後に家康を関東に移封させ、石川数正が城主になってからのことです。もっとも数正は完成を見ずに亡くなっていて、のちに数正の子である石川康長が城主となっています。

<住所>
長野県松本市丸の内4-1
<観覧料>
610円 8:30〜17:00(延長時あり) 年末年始休み。

<アクセス>
JR松本駅からバスで松本城黒門を下車。
JR松本駅から歩いても15分程度です。歩いて散策すれば当国第一の名水と賞された源智の井戸や、一応は観光スポット?なのであろう、なわて通りもあります。
こちらが、なわて通り。小さな商店が並ぶ通りで、地元の人だけでなく観光客もいない寂しい通りです。ちなみに、なわて(縄手)の名前の由来は、松本城を設計する際に測量用として縄をはったことからきているらしい。
松本は都内から比較的に近い場所にあり日帰りで行くことも可能なため、大型連休などの混雑期は物凄い観光客の数となるので注意です。
松本城の見所は圧倒される黒漆塗りの外観に、城内の丸太柱。さらには唐破風や千鳥破風の美しさに、写真の松平氏の頃に増築された月見櫓(つきみやぐら)でしょうか。その名の通り月見櫓は、お月見をするためだけの贅沢な櫓です。
どこのお城も同じですが、数々の展示物が並んでいますが、現存天守だけあって数は少なめです。お城自体が巨大な展示物ですからね。又、現存天守であるため当時からの急な階段となっていますので、足腰の弱い方は要注意です。
城内には多くの矢を射る為の小窓(矢狭間:やざま)や、鉄砲用の小窓(鉄砲狭間:てっぽうざま)があります。 松本城には、この矢と鉄砲の狭間(さま)が全部で25ヶ所もあり、こちらも沢山あるってことで見所?です。
最上階から見る北アルプスの眺めは絶景であるのは言うまでもありません。ちなみに写真は本丸(城の重要な建物があった場所)を見下した景色です。

●旧開智学校(きゅうかいちがっこう)
明治6年に開校した小学校(開智学校)を復元したもので、洋風の建物がいかにも明治時代っぽいですね。正確には明治時代に多く見られた擬洋風と呼ばれる建物で、見よう見まねで洋風の建物を真似たものです。

<住所>
長野県松本市開智2-4-12
<観覧料>
300円 8:30〜17:00 年末年始及び、12月から2月までの月曜休館。

<アクセス>
松本城からは歩いて5〜10分程度。お城からも近いので、時間に余裕があればセットで見学しておきましょう。
明治時代を代表する擬洋風建築である旧開智学校は1876年に建設されたもので、擬洋風建築としては日本最古のものとなります。

●軽井沢(かるいざわ)
避暑地として知られる軽井沢には周辺に多くの別荘が建ち並び、都内からも比較的に近いこともあり夏場には多くの観光客が訪れます。かつて中山道(旧中山道)の軽井沢宿があったところには旧軽井沢メインストリート(旧軽井沢銀座、旧軽銀座)と呼ばれる商店街があり土産物屋を中心に賑わいをみせます。

<住所>
長野県北佐久郡軽井沢町軽井沢
<アクセス>
長野新幹線、しなの鉄道の軽井沢駅から徒歩約25分。本数は少ないですがバスも利用可能です。町内循環バスでは約5分(140円)で旧軽井沢を下車です。車でお越しの方は周辺駐車場、500円程度。
トップの写真が旧軽井沢メインストリートで、通りには手作りジャムや衣類に雑貨などの店が建ち並びます。明治21年に宣教師アレクサンダー・クロフト・ショーが軽井沢で最初の別荘を建てたことから、後に多くの別荘も周辺に建てられました。通りの奥には日本聖公会軽井沢ショー記念礼拝堂があり、別荘第1号でもあるショーハウスが展示されています。

駅前の道を直進すれば、右手に商店街の入口が見えます。交差点を右手に行けば旧軽井沢メインストリート、左手に行けば紅葉の名所でもある雲場池(くもばいけ)があります。こちらも駐車場は500円なのですが、ほんの少し離れた場所に無料の駐車場もあります。メインストリートからは徒歩20分程度です。
こちらが雲場池(くもばいけ)です。スワンレイクの愛称を持ち、四季を通じて軽井沢ならではの風景を描いてくれます。
軽井沢駅の隣駅、中軽井沢駅近くには明治期のキリスト教者、内村鑑三の功績を記念して建てられた教会、石の教会 内村鑑三記念堂があります。石とガラスで出来た教会はロマンチックですね。
車では旧軽井沢方面から中軽井沢駅の交差点を右折し約2〜3分程度、石の教会の小さな案内看板のある道を左折です。最寄駅は中軽井沢駅となりますが、軽井沢駅から1時間1本ペースでシャトルバスが出ています。

駐車場の奥(注:手前はホテルです。)に石の教会があります。礼拝堂は見学可能ですが、式がある時間帯及び、撮影は禁止(通路階段は可)です。地下に内村鑑三に関する展示物(少々)があります。

●戸隠神社
宝光社、火之御子社、中社、九頭龍社、奥社の五社を配し、日本有数の霊地として知られる戸隠神社は、縁起によると学問行者が修験を始めた年代を849年頃としていて、これが戸隠寺(奥院)の起源となったそうです。その後200余年を経て1058年に宝光院が、さらに1089年に中院が開かれたそうです。明治の神仏分離によって寺を廃し、奥院、宝光社、中院と名称を改めました。

<住所>
長野県長野市戸隠3690 境内自由。
<アクセス>
長野駅からは川中島バスで約1時間、目的地に合わせて宝光社宮前、中社宮前、奥社で下車(冬季は中社からタクシー)。
<すべて徒歩で移動した場合の目安時間>
宝光社⇒火之御子社 約10分(約2km)
火之御子社⇒中社 約15分(約1km)
中社⇒奥社・九頭龍社 約60分(約4km)

マイカーの場合は、宝光社(20台分)、中社(100台分)、奥社・九頭龍社(100台分)前にそれぞれ駐車場があります。混雑期はすぐに満車になるので注意です。火之御子社は2〜3台分の駐車スペースのみです。奥社・九頭龍社までは駐車場からでも徒歩で約35分かかります。
宝光社までは270余段の石段が待っています。足腰の弱い方のために女坂もあります。

中世には、戸隠山は武田、上杉の争乱に巻き込まれ、甲越両軍の戦略によって絶えず危難に脅かされたので、三院の衆徒らは一時、大日方氏の領内水内郡小川の筏が峰に移り、約30年の歳月をここで送った後に戸隠山に帰ったそうです。
宝光社の社殿は戸隠神社五社のうち最も古く1861年に建てられ、祭神に天表春命(あめのうわはるのみこと:中社の祭神、オモイカネの子とされます)を祀っています。社殿は神仏習合時代の面影を残す寺院建築の様式を取り入れた権現造りとなっています。
拝殿周りは宮彫師、北村喜代松の彫刻による見事な龍・鳳凰・麒麟・唐獅子牡丹・象の木鼻・十二支などで飾られています。
天岩戸に隠れたアマテラスを見事に誘い出した(詳しくは宮崎県の天岩戸神社を参照)、天鈿女命(アメノウズメ)を祀る火之御子社。駐車場もなく、こじんまりしているせいか五社の中でも、ここを訪れる観光客は少なく静かな佇まいです。手前に2台くらいの駐車スペースがあります。徒歩では宝光社から約10分、中社からは約15分です。
天八意思兼命(あめのやごころおもいかねのみこと:オモイカネ)を祭神として祀る中社は、1087年に創建され、神話に名高い天照大御神(アマテラス)が須佐之男命(スサノオ)の度重なる非行をお怒りになり、天岩屋戸にお隠れになった時、神楽を創案し、万民をして安んぜしめたと言う知恵の深い神様です(詳しくは宮崎県の天岩戸神社を参照)

訪問時、屋根の補修工事のため全体像わからず・・・
奥社の入口です。下馬の石碑がいいですね。今時、馬で来る人いないっちゅ〜の。
奥社参道は序盤、中盤は平坦な道となっています。両側には小川が流れマイナスイオンもたっぷりです。戸隠神社の中でも一番人気の奥社なので、できれば観光客の少ない早朝あるいは午前中に歩くのがオススメ。左手には広大な戸隠森林植物園があります。
こちらは中間地点にある美しい朱塗りの随神門(旧仁王門)。ここまで約1km、15分程度かかります。この参道脇には明治時代以前は12もの院坊があったそうで、参道脇には屋敷後や旧講堂跡なども点在します。
随神門から先は景色が一変します。江戸時代初期に植えられたクマスギが、約500mにわたって右側には約150本、左手には約130本もあり、樹齢は400年をこえるそうです。
ここから石段が待ち構えています。この石段、勾配は緩いのですが地味に疲れます。平安時代末は修験道の道場として都にまで知られた霊場だったそうで、神仏混淆のころは戸隠山顕光寺と称し、当時は「戸隠十三谷三千坊」と呼ばれ、比叡山、高野山と共に「三千坊三山」と言われるほどに栄えました。つまり、これも修行なのですね。感謝・・・
本社の祭神である天手力雄命(アメノタヂカラオ)を当山に迎えたといわれる九頭龍大神を祀っている九頭龍社。奥社はすぐ近く(ほとんど隣)にあります。奥社の手前にあり、地主神で創建は奥社より古いとなれば本社?と思ってしまいますが、あくまで奥社が本社なんだそうです。
トップにある写真は戸隠神社の御本社となる奥社。雪崩被害を受け倒壊し、残念ながら木造ではなく近代的な本社に変貌・・・ この奥社(本社)には天岩戸に隠れたアマテラスを自慢の怪力で引っ張り出した(詳しくは宮崎県の天岩戸神社を参照)天手力雄命(アメノタヂカラオ)を祀っています。そして、アメノタヂカラオが投げ放った岩戸が、ここ戸隠に落ちたと伝えられています。尚、九頭龍社とは別に、奥社の隣(すぐ横)に建っているのは絵馬殿ですので、お間違えなく。帰りには美味しい戸隠そばを食べることも忘れずに^^


長野県の観光