●地獄谷野猿公苑
温泉に浸かるサルとして世界的にも有名な地獄谷野猿公苑(Jigokudani Monkey Park)は、どちらかと言えば日本人よりも外国人に人気のある観光地で、動物園よりもより自然に近い状態でのサルの観察が可能です。年中無休ですが、温泉に浸かるサルを観察するのであれば冬季がオススメです。

<住所>
長野県下高井郡山ノ内町大字平穏6845
<入苑料金>
500円。9:00頃〜16:00頃(夏季は8:30頃〜17:00頃)無休。

<アクセス>
JR長野駅からは長野電鉄長野駅(長野駅から徒歩1分)から湯田中駅(1160円、約1時間:特急は+100円で利用できます)。湯田中駅からは長電バス上林線、又は白根火山線でそれぞれ上林温泉、上林温泉入口を下車(280円)。さらにそこから徒歩約30分です。電車及びバスの本数は少なめなので注意です。タクシーの場合は湯田中駅より2000円程度です。
上林(かんばやし)温泉入口から上林温泉のバス停まで徒歩で約5分です。無料の駐車場から先は車の通行は出来ません。そこから悪路を徒歩で約25分です。
湯田中駅です。さらに、ここからバスで約15分くらい移動します。タクシーだと駅裏には日帰りの温泉施設があるのですが、料金が300円と安く露天風呂もあって時間に余裕がある方は寄ってみるとよいでしょう。
ここから先は悪路なので、スニーカーやハイヒールはやめておきましょう。尚、道はほぼ平坦になってます。
噴泉から煙がシューシュー唸りながら立ち上っています。この手前の階段を少し上がったところからが有料ゾーンとなります。
大きな露天風呂が見えてきました。サルは餌づけされているとはいえ、野生のサル(ニホンザル)なので、あちこちにサルの姿を目にすることが出来ます。場所によっては物凄く離れた場所にもウロウロしています。
施設では普段のサル達の保護・観察を目的としているため、最低限の餌付けはしていますが、餌づけはショーではないとの考えから、給餌の時刻は公表していないそうです。なので、訪問するタイミングによってはサルが入浴していない場合もあるみたいです。
ここにいるサル達は人を恐れないため、かなり近くまで寄ることができます。携帯のカメラでも楽々接写が可能ですよ。
突然、足元を横切る親子ザル。彼らは人を恐れないと言うか、全く人間の存在を無視しているかのように生活しています。
毛づくろいしているサルや、遊んでいる子ザルを観察していると時間が経つのも早いです。アクセスの不便さからか、この日も日本人観光客よりも外国人が目立ちました。動物園のサルを観察するよりは数倍楽しいこと間違いなしなので機会があれば是非どうぞ。
 
●上田城跡公園
第1次上田合戦では真田勢、2000余りに対し、徳川軍約7000を撃退し、関ヶ原の戦い(第2次上田合戦)でも東軍約3万8000といわれる兵力に対し、2000余りの兵力でこれを撃退。大坂夏の陣では真田信繁が家康本陣まで攻め込み、家康も自害を覚悟したほどの強さを誇った真田氏の居城、上田城。真田幸村(信繁)の父である真田昌幸によって1585年には一応の完成をみたものと考えられています。残念ながら明治の廃藩置県により廃城となりますが、遺構として櫓、石垣などの一部が残っています。
<住所>
長野県上田市二の丸6263番地イ

<アクセス>
上田駅から徒歩約12分。駅からバスを使用時は公園前下車、200円。

<営業時間>
園内見学自由、ただし上田市立博物館、山本鼎記念館、上田城櫓門は 8:30〜17:00、三館共通券250円(公園外にある施設を含む五館共通観覧券もあり)。尚、西櫓は見学自由。
駐車場は無料ですが、お花見シーズンは大混雑するので注意です。

西櫓は真田神社の奥にあり、つまり地図ではもう少し左側になります(画像編集ミスりました)。博物館から西櫓までは少し遠く感じますが歩いて5分程度の距離です。
古写真を基に復元された東虎口櫓門です。左に南櫓、右手には木の陰になって見えませんが北櫓があります。上田城の櫓は明治の廃城のおりに、1棟(西櫓)を残してあとは取り払われてしまったそうです。このうち2棟(南櫓・北櫓)については、市内に移築されて残っていたため、現在の地へ再移築されたそうです。尚、上田城に天守があったかどうかは今も不明なのだそうです。
真田信之が松代に移封を命じられた際に、この石だけは父の形見として持っていこうとしたが、微動だにしなかったという真田石(写真の中のすごく大きな石)。現在ある石垣は真田氏にかわって上田城に入った仙石氏(忠政)が造ったもの。
堀も遺構として残っていますが、水色がかなり茶色でした。
東虎口櫓門を抜けると正面に真田神社があります。真田氏、仙石氏、松平氏の歴代の上田藩主を祀っているそうです。
真田神社の左奥に真田井戸という井戸があります。案内板によれば、この井戸からは、抜け穴があって城北の太郎山麓の岩に通じていたと書いてあります。真田井戸の先にあるのが、写真トップにある西櫓です。

西櫓は、江戸時代初期に真田氏の後に城主となった仙石氏によって建てられ、上田城で建築当初のままに残されている唯一の建物です。櫓の名称は江戸時代には特になく「西櫓」の名称も南櫓と北櫓が復元された後につけられた名だそうです。内部は入れませんが見学自由です。
眞田神社にある御神木である眞田杉。築城当時より真田三代を始め仙石、松平とこの城の栄枯盛衰を見てきた老木だそうです。倒木の恐れあり伐採。
家康が恐れた武将として武田信玄と並んで名の挙がる真田昌幸。また、子である幸村(信繁)は大坂夏の陣では真田の赤備え(鎧を赤で統一)で圧倒的に優勢だったはずの徳川家康の本陣まで攻め込み、家康は三方ヶ原の戦い以来となる二度目の自害を覚悟したそうです。
第一次上田合戦
武田信玄に仕えていた昌幸は、信玄亡き後は織田信長に臣従し、本能寺の変の後は北条氏直に仕えます。後に北条氏を裏切り敵対する家康に寝返りますが、徳川と北条との間で結ばれた和議により、家康によって昌幸は北条氏への沼田領の譲渡を命じられます。これに反発した昌幸に対し、1585年、徳川勢7000人余が上田城を攻め込みます。この時、迎え撃つ真田勢は2000人程度でしたが、昌幸の見事な策略にはまり、徳川勢は大敗します。この戦いで徳川方1300人余の死者に対し、真田方は40人程であったとされます。

第二次上田合戦
秀吉亡き後に行われた1600年の関ヶ原の戦いでは、昌幸は東軍の家康方についていましたが、子の幸村(信繁)とともに離反します。親子での話し合いの結果、この時、真田一族を守るために長男の信幸だけが東軍についています。戸石城を守っていた幸村(信繁)は、攻めてくる軍勢が兄の信幸だと知ると、あっさり城を捨てて上田城に引き上げたそうです。関ヶ原の戦いの前哨戦ともいわれる上田城合戦では、徳川勢38000人に対し、昌幸・信繁率いる真田勢は2500〜3500人程度であったと言われ、真田勢の策略、奮闘によって徳川勢は大敗し、これにより徳川勢を率いる徳川秀忠は関ヶ原での決戦に遅れたともいわれています。関が原の戦い後は、敗れた西軍の昌幸・幸村父子は信幸(信之)や本多忠勝の助命嘆願もあり、死罪を免れ九度山に流罪となりました。幸村(信繁)は大坂の陣にて討死。
上田城は真田信之が松代に移封した後は、仙石氏、松平氏と城主も変わりますが、残念ながら明治になって取り壊されました。写真は明治7年に払下げとなり、取り壊しが進んでいた頃の本丸大手口の櫓門と隅櫓。
真田家の旗印である六文銭(六連銭)。六文銭は仏教では三途の川の渡し賃とされ、不惜身命、死を覚悟するという強い覚悟が示されています。大坂夏の陣図屏風で、真田隊の旗に六文銭が見られないのは兄、信幸(信之)に配慮してのことだとも言われています。
上田城、上田藩に関する資料が展示されている上田市立博物館。他の見学施設として上田城櫓(南櫓・北櫓)、山本鼎記念館(明治の画家)があります。共通観覧料金、250円。

●諏訪大社
起源は定かではありませんが、国内では最も古い神社といわれる諏訪大社。全国の諏訪神社の総本社でもあり、7年目毎(6年に1回)の寅と申の年に行われる御柱祭は全国でも有名です。

<住所>
長野県諏訪市中洲宮山1(上社本宮)

<アクセス:本宮>
JR上諏訪駅から、かりんちゃんバスで約50分。本数が1〜2時間に1本なので注意です。境内自由ですが宝物殿は500円(上下社共通券は800円)です。

諏訪大社は二社四宮からなっています。

長野県茅野市宮川2030(上社前宮)
長野県諏訪郡下諏訪町193(下社春宮)
長野県諏訪郡下諏訪町5828(下社秋宮)
写真は上社本宮の参道です。土産屋さんも店舗数は少ないですが建ち並んでいます。四宮全てに参拝する場合、移動には車が大変便利です。近くには無料の駐車場もあります。
写真にある白い枝のない大木は、一の柱です。社殿の4隅には御柱(おんばしら)と呼ばれる神木がたち、御柱祭の度に四宮分(4宮×4本)の大木が山から切り出されます。
こちらは明神湯と呼ばれ、往古より諏訪明神御愛用の温泉だそうで、諏訪の温泉の基とも伝えられているそうです。
二の柱の横には布橋と呼ばれる廊下があります。橋ではないんですが、昔は近くの諏訪湖の水がここまで溢れることもあったそうです。
こちらが参拝所です。この奥にあるのがトップの写真の本殿・・・ではなく、拝殿です。なんと諏訪大社には本殿がなく、右手の山が御神体(神体山)となっています。あまり触れられていませんが、日本神話においては主祭神である建御名方神(タケミナカタ)がタケミカヅチに投げ飛ばされ、この地から出ないことを約束した場所となっています(詳しくは島根県・出雲大社を参照)

●諏訪湖(すわこ)
諏訪湖は周囲が約16kmもある大きな湖で、周辺の観光名所は乏しいものの、遊覧船やボートに乗ることもでき冬のワカサギ釣りも人気があります。

<住所>
長野県諏訪市〜岡谷市

<アクセス>
上諏訪駅、下諏訪駅、岡谷駅などから湖を一周するスワンバス(150円、1日券は300円)がお薦めです。
諏訪湖では上諏訪駅周辺が一番栄えています。湖に浮かぶ怪しいブロンズ像、八重垣姫像もありますし・・・ 物語としては諏訪明神の霊力によって氷の上を渡ったそうな。上諏訪機関区に配属されていた蒸気機関車D51もありますし・・・

ちなみに、トップの写真は諏訪湖を一望できる立石公園から撮影したもの。アクセスは上諏訪駅から霧ヶ峰高原方面に向かいマイカー、又はタクシーで15分程度。

●高島城
豊臣秀吉の家臣、日根野織部正高吉によって設計され、1598年に完成した高島城。初代藩主、諏訪頼水から10代藩主、諏訪忠礼に至る270年の間、諏訪氏の居城として威容を誇ってきました。1875年に天守閣は撤去され、現在の城は昭和45年に復元されたもので、一部の石垣と堀が遺構として現存します。

<住所>
長野県諏訪市高島1-20-1

<営業時間>
年末年始を除く9:00〜17:30(10〜3月は9:00〜16:30) 300円。

<アクセス>
JR上諏訪駅から徒歩約15分。諏訪市役所の隣です。尚、駐車場は市役所と兼用しています。

高島城は別名を諏訪の浮城とも呼ばれ、当時は諏訪湖の波が城の石垣に迫っていたそうです。


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