●尾瀬ヶ原
福島県・新潟県・群馬県にまたがる尾瀬(尾瀬国立公園は栃木県を含む4県にまたがる)にある尾瀬ヶ原は、その昔に燧ケ岳の噴火による土砂が、水はけの悪い場所に堆積したためにできた湿原です。尾瀬の敷地の大半は大正時代に国の電力不足を補うために、水力発電所用のダム地として東京電力が所得した土地で、現在も東京電力の所有地となっています。季節ごとに見せる美しい景色の尾瀬には、毎年多くのハイカーや登山客が訪れます。
<アクセス>
群馬県側からは上越新幹線の上毛高原駅から高崎駅⇒沼田駅⇒関越交通バス⇒戸倉(鳩待峠バス連絡所)⇒富士見下、鳩待峠へ。バスは20〜60分間隔とバラつきあり要確認です。

新潟県側からは上越新幹線の浦佐駅から南越後観光バス⇒奥只見湖(遊覧船)⇒会津バスで、沼山峠、御池、小沢平へ。

福島県側からは会津若松駅⇒西若松駅⇒会津高原尾瀬口駅⇒関越交通バスで沼山峠、御池へ。
尾瀬への入口は複数ありますが、アクセス面で群馬県側(沼田口)、福島県側(会津口)から入るルートが車、鉄道ともに便利です。緑の線で結ばれたルートが尾瀬の定番コースで、こちらは沼田口からのアクセスとなります。車の場合、群馬県側の駐車場は鳩待峠、富士見下、大清水の3つがあります。鳩待峠(駐車料金:2500円)が起点となりますが、おおむね週末や混雑期はマイカー規制されており、この場合は手前の尾瀬戸倉(駐車料金:1000円)からバス(ほぼ毎時)、又は乗合タクシー(人数が集まり次第出発)で鳩待峠まで移動(約15分、片道900円)します。尚、尾瀬戸倉からは富士見下方面への移動も可能。
鳩待峠から山の鼻までは下り勾配が3.3kmあります。つまり帰りは上り3.3kmということです・・・ 山の鼻ではトイレ休憩(1回100円程度の協力金)や飲食もできます。ただし、飲み物などは割高なので、雨合羽やタオル同様に必ず持参しておきましょう。ここから先は平坦な道となり、分岐を右手の尾瀬ヶ原方向へと進んでいきましょう。あっ、そうそう、道中に数ヶ所ある熊よけの鐘は必ず鳴らしておきましょう。確実にいるみたいですよ熊が・・・
山の鼻から牛首分岐までは2.2kmです。分岐は建物等があるわけでもなく、見落とさないように注意しましょう。ここにはトイレはありません。ここから先のトイレは2.3km先のヨッピ吊り橋をこえて、さらに1.9km先の東電小屋か、2.2km先にある竜宮十字路あたりになります。
尾瀬のベストシーズンは、初夏〜盛夏までの間で、特に水芭蕉の咲く6月頃と、湿原が黄色で染まるニッコウキスゲの咲く7月中旬頃が人気の季節。10月の紅葉シーズンも次いで人気があります。写真は晩夏となる9月・・ 花は少ないものの、木道が人で埋め尽くされる心配もなく、のんびりとハイキングを楽しめる時期です。尚、木道は右側通行です。長い時間歩いていると、ふと振り返った拍子とかに、木道から落っこちそうになります。木道を踏み外しても、さほど高さはありませんが、骨折する人が多いそうなので注意です。
こちらはヨッピ吊り橋です。ヨッピ吊り橋から竜宮十字路までの距離は1.5km。このルートで折り返した場合の総距離は約17kmとなります。景色はたいして変わりないので、体力のない方は牛首分岐で折り返してもいいでしょう。この場合は約11kmの総距離となります。逆に体力が余っている方はマップの緑線のルートで総距離約20kmです。歩くスピードは人それぞれですが、健脚であれば時速4km(早足でもゆっくりでもないスピード)を目安にしてください。参考までに時速4km⇒1時間で4km進むスピード。時速3km:のんびり、時速5km:1人の場合、時速6km:やや早足
9月頃は湿原に咲く花の種類が少ない時期ですが、それだけに元気に咲いている花は広い湿原ではよく目立ちます。写真はイワショウブ。
稲の穂のような姿のアブラガヤ。いかにも秋っぽいですね。
ミヤマアキノキリンソウ。これもイワショウブと同じく、9月の湿原では目立ちます。
鳥帽子に似ているところから名が付いたトリカブト。そう、あのトリカブトです。花や茎など全部に毒があるので要注意。
オオマルバノホロシと言うらしいです。なんとも美味しそうな実です。
未(ひつじ)の刻(午後2時)頃に花を咲かせることから、名が付いたヒツジグサ。なんとも可愛らしい花です。お昼頃から池溏(ちとう:池沼のこと)にポツポツと咲き始めます。

●吹割の滝(ふきわれのたき)
約900万円前に起こった火山噴火に伴って発生した大火砕流が冷えて固まった溶結凝灰岩。この岩の割れ目に沿うように、溝から流れ落ちる河水は東洋のナイヤガラともいわれています。

<住所>
群馬県沼田市利根町大字追貝
<アクセス>
沼田方面から尾瀬へと向う国道120号線(日本ロマンチック街道)沿いにあり、車の方は尾瀬の帰りにでも寄ってみるとよいでしょう。バスでは吹割の滝を下車。バスは20〜60分間隔と時刻にバラつきあり要確認です。

駐車場は市営の無料駐車場が沼田側にありますが少し離れます(土産物屋の端っこあたりです)。一番近い駐車場は尾瀬の帰り道にある、最初に見える道路左側の有料駐車場です。多くは買い物や食事をすれば無料。料金はおおむね500円程度です。
東洋のナイヤガラ?えっ、これが・・・ しかしながら観光客は意外と多いようです。滝も写真で見るよりかは格段に迫力があります。尚、滝での事故が多いようなので、くれぐれも近寄り過ぎないように注意です。散策コースもあるよ。

●富岡製糸場
西洋の技術を取り入れて建設した、当時世界最大規模を誇った富岡製糸場。明治5年に政府によって最初の模範工場として誕生し、フランス人によって設計されたとは言え和洋折衷の木骨レンガ造という珍しい建物群が当時のまま保存されています。

<住所>
群馬県富岡市富岡1-1
<開場時間>
9:00〜17:00 500円。

<アクセス>
JR高崎駅からローカル列車でもある上信電鉄に乗換え約30分、上州富岡駅を下車。駅からは徒歩10分程度です。尚、切符は高崎駅⇒上州富岡駅の往復切符と見学料がセットになったものが大変お得です。高崎駅の上信電鉄の乗り場で購入可能(1640円)。
かなりローカルです。途中には無人駅があったりします。上州富岡駅では下りる際、全ドアが開きます。行く前に覚えておくと安心です。。。
駅からは徒歩10分程度。タクシーも多く停車しています。曲がり角に道案内が必ずありますので迷うことはないでしょう。

富岡製糸場では毎時、ガイド案内(1時間)が無料で行われています。特にガイド無しでも資料館みたいなものもあり問題はありません。又、ガイド中に途中で抜けたり、違うガイド案内の集団と合流したりすることも可能です。
最初に見える建物が東繭(ひがしまゆ)倉庫。木骨レンガ造という構造で、西洋のレンガ積みと日本の建築方法である木の骨組みを組み合わせています。一階は事務所として、二階は乾燥させた繭を保管していた建物だそうで、最大で2500石の繭を貯蔵できるそうです。1石=10貫=37.5kgとすると約93tもの繭が貯蔵可能となります。繭が93t・・・ピンときませんけど。

ちなみにトップの写真は西繭倉庫です。
こちらは繭の乾燥場で、運ばれてきた繭をベルトコンベアーで二階に上げて乾燥していたそうです。繭の乾燥はカビの発生防止と繭の中の蛹(サナギ)を殺すための目的で行われ、115℃〜120℃の高温から始まり徐々に50℃程度まで下げ、作業は5〜7時間もかかったそうです。
多くの工女が全国から集まってきた富岡製糸場。明治5年に工女募集が行われた際には、当時は指導者でもあったフランス人が工女の生き血を採って飲むと言う噂が流れていたそうで、人集めも一苦労であったとか・・・
横浜が開港した当時、ヨーロッパでは微粒子病が蔓延していました。その結果、日本の輸出品は蚕糸類(生糸と蚕種)に特化していきました。しかし当時の日本は、座った状態で手動で歯車の器械を操り糸取りをする座繰製糸といった生産方法であったため良質な生糸を大量生産できず、粗製濫造や奸商の横行が問題化します。生糸貿易で生じた問題が改善されないまま明治維新を向かえた日本に諸外国からは強い不満の声も上がり、問題を解決する目的で政府資本による模範器械製糸場が誕生することとなりました。
石炭を燃やす際の煙対策として建設された煙突。当時の煙突は暴風によって倒壊し、現在見られるものは昭和14年に建設されたものです。
こちらは明治5年から昭和62年まで糸を生産していた繰糸場(そうしじょう)。創業当初は300台の繰糸器が設置され、全国から集まった女性たちが働きながら器械製糸の技術を学び、後に地元の工場で指導者となって器械製糸技術の伝播に大きく貢献したそうです。
工場内には他にもフランス人男性技術者の住居や日本人の工女に器械による糸取り技術を教えるために雇われたフランス人女性教師の住居、首長ポール・ブリューナ一家とそのメイドが住んでいたブリューナ館などの建物群を見学することができます。敷地内は広いですが見学は1時間もあれば十分でしょう。

●高崎白衣大観音(たかさきびゃくえだいかんのん)
慈眼院(じげんいん)の境内にある高さ41.8mもある高崎白衣大観音は、高崎市のシンボル的な存在で、観音様の名で親しまれています。胎内には20体の仏像が安置され、観音様の肩の部分まで上ることが出来ます。

<住所>
群馬県高崎市石原町2710-1

<胎内拝観料>
観音様は慈眼院の境内にあり、見学自由ですが胎内の拝観は9:00〜17:00(11〜3月は16:30まで)、300円です

<アクセス>
上越新幹線、上信電鉄を含む高崎駅の西口から出ている、ぐるりんバス(観音山線片岡先回り)で白衣観音前を下車です。約20分、均一200円。白衣観音前の手前、観音山頂を下車して土産物屋さんの建ち並ぶ参道を歩いて向かう(徒歩5分程度)のもお薦めです。尚、バスは1〜2時間に1本と本数が少なく注意です。
洞窟観音へ行かれる場合は、先に観音様を見学してから自然歩道(約1km)→洞窟観音と向かうのがお薦め。逆ルートは上り坂となるので疲れます。
全国のダルマの生産量の大半を占める高崎市。だるまは禅宗の開祖である達磨(だるま)の坐禅姿を現したもので、現在では宗派を問わず縁起物として扱われ、参道には名物の高崎だるまを主とした土産物が売られています。
観音様は慈眼院の境内にあり見学は自由ですが、胎内(観音内部)は有料です。9階建ての観音様の内部は窓が小さめで夏場は物凄い湿気と暑さです。
昭和11年に建立された白衣大観音。各階にはカラフルな仏像が安置され、20体もの名立たる仏さんがいらっしゃいます。
展望窓からは関東平野、上毛三山、浅間山、信州の山並みなどを望むことができます。
鎌倉時代の北条重時による創建と伝えられ、関東八十八ヵ所霊場の第一番札所でもある本堂は昭和61年に白衣大観音建立50周年を機に新本堂として再建されたもの。他、境内には縁結びに御利益がある光音堂(こうおんどう)、試験合格などに御利益のある大師堂などもあります。
観音様のある慈眼院からは洞窟観音(約1km)まで続く自然歩道があります。途中、道を右にそれれば、観光スポット?ひびき橋があり、道は染料植物園へと続いています。
ひびき橋です。白衣大観音ですら全国的には知られていない観光スポット。この橋はさらなるマイナースポットと言えるでしょう。
洞窟観音まで続く自然歩道。週末だと言うのに誰も歩いていません。行楽シーズン、混雑する場所を避けたい方には、周辺はお薦め観光地と言えるでしょう。

●洞窟観音
若くして観音霊場の建設を思い立った山田徳蔵。私財と情熱を傾けて動力や土木機械のない時代にツルハシやスコップなど全て人力にて昭和2年に着工し、80歳の生涯(昭和39年まで)を閉じるまで400mもの洞窟を掘り続けました。洞窟内は多くの観音像が安置され、巨岩名石が連なる神秘的な空間となっています。

<住所>
群馬県高崎市石原町2857
<営業時間>
9:00〜17:00(12〜3月は16:00まで) 800円(山徳記念館との共通券)。

<アクセス>
バスのルートは高崎白衣大観音と同じで、ぐるりんバス(観音山線片岡先回り)で洞窟観音入口を下車です。約20分、均一200円。
夏場でも洞窟内は涼しくて気持ちがいいです。
序盤は両脇はコンクリートで壁が造られています。一定間隔にある通路のくぼみ部分に様々な観音像が安置されています。
中にはこんな広い空間もあります。池や滝も石で再現され、まさに洞窟内の名園?と言えるでしょう。
さらに進むと、さらに広い空間が現れます。山田徳蔵がその生涯を閉じるまでコツコツと掘っていたかと思うと驚きです。
まるで京都やん!
この事業と成し遂げれば、将来立派な観光事業となるとも考えていた山田徳蔵ですが、今では後に着工した白衣大観音の方が有名になってしまいました。
観音信仰に帰依し、子孫にも必ず掘り続けさせると明言していた山田徳蔵の執念の400mもの坑道。
洞窟を見学した後は徳明園(とくめいえん)へと向かいます。園内には近代漫画を築いたとされる北沢楽天の作品が展示してある山徳(やまとく)記念館があります。
洞窟観音と同時に造成が進められた回遊式日本庭園は北関東一の名園としても評価され、多くの石仏や石彫りも見ることができます。
山田徳蔵のコレクションに北沢楽天の作品が多数含まれていたことから建てられた山徳記念館。内部は撮影禁止だそうですが、展示スペースが物凄く狭く、見応えは・・・です。

●少林山達磨寺(しょうりんざんだるまじ)
1680年、一了行者が霊夢の導きに依って当地を訪れ信心を凝らし一刀三礼して達磨像を彫り安置します。当時、領主であった酒井雅楽頭忠挙公が領地巡回の際に、その霊勝を知り此処を訪れ厩橋(前橋)城から見て南西(裏鬼門)方位の当地に裏鬼門除けのために寺院建立を発願したのが達磨寺の開創の由来となっています。

<住所>
群馬県高崎市鼻高町296 

境内自由です。
<アクセス>
高崎駅からは、ぐるりんバス少林山線で約20分、200円。バスは周回しますが、往きは系統番号1 乗附先回りで少林山入口、帰りは系統番号2 豊岡先回りが時間的にお薦めです。尚、運行本数は1時間1本程度なので注意です。
他のアクセスとしては、JR信越本線で2つ先の群馬八幡駅まで行き(200円)、駅から徒歩約20分。駅を出て前の道路を左へ行き、踏切を越え大きな道路18号線を陸橋で渡り、碓氷川を越えた突き当りの道を左折です。尚、運行本数は1時間1本程度なので、バスの時刻表を見比べながら行くのがよいでしょう。
こちらは入口となる総門で、平成9年に建立されたものです。額には山号でもある少林山の文字が見えます。
うっ!長い石段が・・・ 階段が辛い方は、右手にある坂道から迂回が可能です。石段を上った右手には130体程の庚申塔(庚申塚)が建てられています。庚申塔とは、中国から伝来した道教から生まれた庚申信仰によって建てられたもので、似たようなものでは、集落などの守り神、または旅の安全を願って建てられたとされる峠の神様、道祖神と混同されることもありますが、本来は別々の目的(信仰)で建てられたものとなっています。
道教の伝説によれば、人の体内にいるとされる三尸の虫(三虫)が日頃の宿主の悪事を監視しているらしい。そして60日に一度(庚申の日)、寝ている間に天帝に悪事を報告するのだそうです。人々はこの庚申の日に猿田彦や青面金剛を祀って眠らずに過ごしたそうです。尚、悪事がばれると、120歳という天寿からその罪過の分だけ差引かれ早死にさせられるそうです。
茅葺き屋根が特徴の当山最古となる建物、観音堂です。いつ頃に建てられたのかは不明ですが、もともとは経蔵だったものをも、1792年の大改修により現在の姿になったそうです。尚、トップにある本堂や達磨堂などの諸堂は明治の火災により焼失しています。
本堂には奉納された数多くの『だるま』が置かれています。もともと、一了居士が達磨大師の像を彫ってお堂に安置したのが寺の起こりです。名物でもある高崎だるまは縁起だるまとして知られ、毎年、正月七草の縁日(1月6日〜7日)には日本最大となる、だるま市、七草大祭だるま市が開かれ、多くの参拝客や観光客でにぎわいます。
本堂の左手にある達磨堂には、津軽だるま、姫路、京都・・・と、各地各様のだるまが展示してあります。もともと、一了居士が達磨大師の像を彫ってお堂に安置したのが寺の起こりです。のちに領主であった酒井公が水戸光圀公(黄門さま)に相談して光圀の佛教の師であった心越禅師を開山として迎えました。
少林山達磨寺の公式サイトによれば、今から200年程前、天明の飢饉の後に農民救済として九代東嶽和尚が坐禅だるまを彫りました。だるまは次第に繭の形に似た繭型だるまになり農家に広まります。蚕が当たり、農家が安泰ならば商人は大繁盛。段々評判になるにつれて形が丸く、起上りやすくなり、現在の縁起だるまの形となっていったそうです。養蚕農家が七転び八起きにあやかり、願いを込めて片目(向かって右)に墨を入れました。やがて蚕が良い繭を作ると、残った片目にも墨を入れるようになったそうです。
境内の端の方には洗心亭という建物がありました。世界的な建築家であり工芸家であるブルーノ・タウト氏が、ナチ政権をのがれて日本に上陸し、日本に滞在した期間の大部分(昭和9〜11年)を過ごした場所として名高いらしい・・・ 尚、建物内には入れません。

●不二洞(ふじどう)
奈良時代に村人が猿を捕まえようとして偶然に発見されたと伝えられる不二洞。以後、庚申の穴(猿の穴)や、この山が大福寿山であることから大福寿穴とも呼ばれ、400年程前に川和部落吉祥寺(きっしょうじ)を中興した温洞悦厳上人が探検し、不二洞と改名して世に広めたそうです。洞内の全長は約2.2kmもあり、関東一の規模を誇るといわれています。

<住所>
群馬県多野郡上野村川和
<営業時間>
8:30〜17:30 600円。入洞は終了の1時間前まで(冬季は帰路の林道が真っ暗になるため17:00頃まで)。

<アクセス>
山奥なのでマイカー又はレンタカーが便利。高崎駅からは約10分、240円でJR新町駅まで。JR新町駅からはバス約2時間、1750円、上野村役場を下車し徒歩約40分。JR新町駅からは土・日・祝日・夏休み期間限定の、かんながわ号一日フリー乗車券1500円も有。かんながわ号二日間フリー乗車券2500円がお徳(車内販売のみ)。いずれにせよバスの本数が少ないので注意です。
近くには上野スカイブリッジと呼ばれる大きな吊り橋があります。手前が不二洞側で、橋を渡るとバンガローやキャンプ場、ローラーすべり台などの遊具もあります。尚、橋の通行料金は100円です。
こちらは橋の上から見た景色。秘境とも呼べそうな山奥なので景色も最高です。
関東最大規模というだけあって洞窟見学は楽しめそうですね。マップを見ると入口近くにある螺旋階段が気になりますが・・・
さて、料金も払ったし洞内へ・・・と思ったら上り坂がしばらく続きます。
ようやく入口かと思ったら、長い上りのトンネルが続きます・・・
こんどこそ、見学スタート!と、その前に螺旋階段を上っていくようです。しかも148段とか書いてあるし・・・
洞窟内の温度は年間を通して約10℃だそうです。自然の冷気に包まれた洞内は、特に夏にオススの観光スポットです。
天井からつらら状に固まった鍾乳石、岩面に滴り落ちて盛り上がった石筍、両者がつながって柱のようになったものを石柱と呼び、1cm成長するのに100年もかかるともいわれています。
不二洞で一番の見所となるのが写真トップの灯の柱。洞内で一番大きな石柱があります。見学コース最後には、高さ約10mの上を見上げれば青空が見える幻想的な空間もあります。
見学コースは約600m程度で、え?もう終わり??と思うほど、あっさりと見学は終わってしまいます。帰りは写真のような林間コースを歩いて元来た場所へと戻ります。

●瀬林の漣痕(恐竜の足跡)
瀬林の漣痕(せばやしのれんこん)は、中生代(約1億年前)にこの地方が海に面していた頃、水深の浅い「流れのあと」が砂浜に残って化石となり、その後の地殻変動により現在のような崖となって姿を現したものだそうです。昭和60年には、専門家の研究により「恐竜」の足跡が残されていることが証明されました。

<住所>
群馬県多野郡神流町神ケ原瀬林
<アクセス>
JR新町駅からバスで1時間30分、1520円。古鉄橋(中里合同庁舎前)を下車し徒歩40分。マイカー、レンタカーを利用している方は不二洞とセットでの観光がよいでしょう。バスは平均2時間に1本程度。
化石などを販売している土産物屋・食事処の前には恐竜像が置いてあります。
岸壁を観察すると、中生代に生息していた生物(貝類など)の生活の痕跡も認められます。大きなポツポツと開いている穴は、日本列島では初めての発見となった大型・中型の数種類の恐竜の足跡だそうです。
拡大してみました。穴の周りに筋があるので、ズブっと何かがめり込んだような感じはありますが、コレってほんとに恐竜の足跡?といわれると、今ひとつ信用出来ませんね。ただ専門家が言うのですから間違いないのでしょう。それに多くの化石が見つかっていたりもしますから。マイナースポットとはいえ、ロマンを感じる物凄い場所だと思います。

●岩宿遺跡(いわじゅくいせき)
岩宿遺跡発見以前、当時の日本では縄文文化が日本列島最古の文化であると考えられていました。しかし、この遺跡の発見によって日本列島にも旧石器時代の人々が生活がしていた事がわかり、日本文化の始まりが1万年以上も古く遡る事になりました。
<住所>
群馬県みどり市笠懸町1946-1
<アクセス>
JR両毛線岩宿駅から徒歩約20分。高崎駅からはJR上越線で新前橋駅。そこからJR両毛線に乗り換え約40分、580円です。
<開館時間>
史跡岩宿遺跡は見学自由ですが、岩宿博物館、岩宿ドームは
9:30〜16:30月曜休となっています。博物館は300円、岩宿ドームは無料。
博物館から史跡、岩宿ドームまでは徒歩で5分程度離れた位置となっています。
こちらは岩宿博物館。見た感じ大きな博物館のようですが、入ってみると悲しいくらいに狭いスペースに石器がパラパラと置かれている程度です。旧石器時代についての細かな説明(当時の生活の様子)などあると嬉しいです。このため、お子さん連れで学習も兼ねる場合は、岩宿ドームでビデオを見たあとで博物館へと向かうことをお薦めします。
館内は借物が多いとの事で撮影禁止です。撮影許可の申請をすれば撮影自体は可能なようです。マンモスは撮影OKでした。本物の骨や歯の化石も展示されていました。
博物館を見学したあとは、写真トップの史跡岩宿遺跡へと向かいます。1万年以上も前の日本列島にも、人が住んでいたことをはじめて証明した祈念すべき発掘地点となります。向かい側には岩宿遺跡発掘のきっかけとなった石槍が発見された場所で、関東ローム層の観察と約8分間のビデオを上映している岩宿ドームがあります。
岩宿遺跡の発見者である相沢忠洋は、1946年晩秋この地ではじめて関東ローム層の崖面から石器を採取しました。それまで関東ローム層の中には人類文化の痕跡はないという、長い間の考古学界の常識はくつがえされ日本列島における旧石器時代段階の遺跡として、初めての発見となりました。


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