有名な東京ディズニーランド、東京ディズニーシーなどの周辺にはショッピング施設やホテルなどが建ち並び、これらを総称して東京ディズニーリゾートと呼び、千葉県の定番観光スポットとなっています。千葉県には他にも紅葉の名所、養老渓谷や絶壁の上から見下ろす「地獄のぞき」がある鋸山、魚介類の美味しい銚子や館山、長い海岸線が続く九十九里浜は海水浴にも人気があります。

千葉県一の繁華街となると、千葉駅から千葉中央駅にかけてが賑わいがあり、特にガード下には多くの若者を中心に人通りが多いです。又、船橋駅周辺も東京都に近いこともあり同様の賑わいがあります。
<お土産>
成田山の米屋の栗ようかんや銚子の佃煮、ぬれ煎餅など観光地独自の土産物が多いのですが、なんといっても千葉県を代表する土産物は落花生でしょう。千葉駅の駅ビルにあるオランダ屋の落花生パイをはじめ、和菓子・洋菓子もお土産として人気があります。
千葉県のお土産
遠方からだと千葉県の旅行というよりも、東京観光+ディズニーランド&ディズニーシーの旅行プランが多いかと思いますが、千葉県にもたくさん観光名所があるんですよ。東京駅を基点とした場合、JR総武線快速で千葉駅まで約40分。そこから先は総武線、成田線、蘇我駅で分岐する内房線、外房線が千葉観光での主力路線となります。

又、千葉県には成田国際空港があり、東京駅からは成田エクスプレスを利用すれば約1時間で成田空港まで。JR快速エアポート成田では約90分。上野駅からは京成スカイライナーで約1時間です。

●成田山新勝寺(なりたさんしんしょうじ)
成田山新勝寺は、京都府にある智積院を総本山とする真言宗智山派の寺院で、本尊は弘法大師(空海)によって造像された不動明王像で秘仏となっています。成田山(なりたさん)の名で親しまれ、全国の初詣参拝者の数では常にベスト3に入っているほど人気のお寺です。

<住所>
千葉県成田市成田1

<アクセス>
東京駅からはエアポート成田(JR総武線快速)で約70分、成田駅下車で徒歩10分程度。近くには京成成田駅もあり、東京駅からは日暮里駅を経由し、そこから徒歩10分程度。尚、嬉しいことに境内は自由に入ることが出来ます。

駅から新勝寺までの参道には名物でもある鉄砲漬や羊羹などの土産物屋が数多く建ち並んでいます。
毎年7月の7〜9日前後に行われる成田祇園祭では、山車(だし)や屋台(やたい)が参道の坂を駆け上る姿を見学することができます。
昔は利根川や印旗沼などで多くの川魚や鰻が獲れたため、今でも昔ながらの味を伝える鰻屋があちらこちらに建ち並んでいます。写真は有名な川豊(かわとよ)。すぐ隣にも菊屋という有名なう鰻屋さんがあり、こちらも昼時は行列をつくるほどの人気のお店です。
こちらの川豊さん、美味しい鰻が食べられると言うだけではなく、早い(10分くらい)、安い(1500円、上2000円、肝吸い100円)、旨いんです。その理由として、客の注文を待たずに次から次へと鰻が大量に焼かれています。持ち帰りの鰻も大人気です。

※2015年現在、うなぎ高騰で2300円〜
正門となる総ケヤキで造られた総門は、開基1070年記念事業として2008年に建立されたもので、門の上には不動明王像や大日如来像などの八体仏が奉安されています。
総門をくぐり抜けて先へ進むと、重要文化財でもある立派な仁王門が正面に見えてきます。
仁王門を抜けると、トップの写真の大本堂が正面に、右手にはカラフルな三重塔が見えてきます。他にも鐘楼や聖徳太子堂、一切経堂など省略しますが、見所が多く何度訪れても見飽きないのが新勝寺の魅力です。
大本堂から左手へと進めば旧本堂である釈迦堂があり、釈迦如来、文殊菩薩、普賢菩薩、千手観世音菩薩、弥勒(みろく)菩薩が奉安され重要文化財となっています。
大本堂と釈迦堂との間の階段を上ると額堂があり、これまた重要文化財となっています。
昔は願い事が叶ったお礼として神様の乗り物であったとされる馬などを奉納していたそうですが、庶民にとって高価な馬は簡単に買えるものではありません。そこで時代とともに木の板に馬の絵などを描いて奉納したのが絵馬なのです。江戸時代に建立された額堂には、信徒から奉納された様々な絵馬が懸けられています。
大日如来が奉安されている光明堂で、しつこいようですがこれも重要文化財。尚、左手には先程紹介した額堂、右手には昭和になってから建てられた開山堂があります。
昭和59年に建立された平和大塔。塔内には大日如来、阿しゅく如来、宝生如来、阿弥陀如来、不空成就如来の五智(ごち)如来が奉安されています。ちなみに、写経もここで行っています。
成田山新勝寺は真言宗のお寺です。真言宗とは空海(弘法大師)が広めた宗派であり、密教(真言密教)とも呼ばれます。京都にある東寺と同様に密教の神様は大日如来(だいにちにょらい)です。又、奈良の東大寺にある大仏、毘盧遮那仏(びるしゃなぶつ)のことを密教では大日如来と呼びます。新勝寺の本尊となる不動明王(ふどうみょうおう)は大日如来の化身(使者)とも言われますが、そもそも大日如来とは宇宙そのものであり人間ではありません。なぬっ!って感じですね。この宇宙の真理を理解(生きることに対しての苦などから脱した者)、つまりは悟りを開いた人を仏陀(ブッダ)と呼びます。仏教の開祖でもある釈迦(しゃか)も仏陀であり、こちらは実在した人物。そろそろ頭が混乱する頃なのでお話はここまで・・・
とにかく成田山新勝寺の境内は広いこと広いこと。見学時間は最低でも1時間は見ておきましょう。

●鋸山・日本寺(にほんじ)
725年に聖武天皇の勅詔により行基によって開山された日本寺。本尊は写真にある大きな仏像、薬師瑠璃光如来(やくしるりこうにょらい)です。昔から薬師如来は病苦を救う医薬の仏様としても知られ、左手に大きな薬壺を持っているのが特徴です。又、境内となる鋸山はとてつもない広さで見所満載です。

<住所>
千葉県安房郡鋸南町鋸山

<拝観時間>
8:00〜17:00 600円

<アクセス>
JR内房線の浜金谷(はまかなや)駅を下車し徒歩10分程度で鋸山ロープウェー乗り場へ。隣駅である保田(ほた)駅からのアクセスも可能。この場合はロープウェーの利用はありません。
山麓駅から山頂駅までは、片道500円、往復930円。山頂展望台からは東京湾が一望できます。ロープウェーを使わずに、山頂まで登山でのアクセスも可能ですが実際に登っている人は少数です。

又、ロープウェーを利用する場合は、山頂から日本寺まで階段をかなり下ります。つまり、帰る時には階段をかなり上ることとなります・・・ なので、電車でアクセスされた方は、JR浜金谷駅→ロープウェー→鋸山(日本寺)→JR保田駅のルートが、疲労も少なくお薦めです。
ロープウェーを降りて展望台で景色を楽しんだ後は百尺観音を目指しましょう。写真は百尺観音までの道で、両脇の石壁はとてつもない迫力があります。ここ鋸山(のこぎりやま)で採れる石は房州石と呼ばれ、江戸時代から盛んに採石が行われ昔から港湾や積石、建築物の材料として有名だったそうです。
そして、こちらが百尺観音。昭和41年に6年の歳月をかけて完成した観音石像は、世界戦争戦士病没殉難者供養と近年激増する東京湾周辺の航海、航空、陸上交通犠牲者供養のために彫刻されたもの。
百尺観音の次は地獄のぞきへと向かいます。高低差を見ると分かりますが、結構きつい階段が待ち構えています・・・

鋸山という名称は、石切によって露出した山肌の岩が鋸の歯状に見えることから鋸山と呼ばれるようになったそうです。
お寺に興味が無い方は、こちらが鋸山のハイライト!地獄のぞきです。いや〜落っこちそうで怖いですねぇ。と言っても実際には突き出ている場所に立っている感じはしないので、それほど怖くはありません。
ここから先は、所々にある石仏を眺めながら、かなり長い階段を下り日本寺の本尊である大仏さんを目指します。
名工、大野甚五郎英令が1779年から1798年に至る前後21年間、門弟27名とともに生涯をかけて刻んだ石仏はなんと1553本!
あっ、あんな所にも!とまあ、こんな具合に至るところに石仏が安置されています。日本寺は石仏が多い分、首のない石仏も多く見かけます。悲しいことに明治時代には神仏習合の慣習を禁止した神仏分離によって廃仏毀釈運動がおこりました。寺院などでよく首のない石仏を多く見かけるのはこのためです。
この東海千五百羅漢、ひとつとして同じ顔がないのがユニークですね。中には怠けている姿の仏さんもチラホラと見かけます。
聖徳太子もいたりします。又、日本寺には良弁僧正、慈覚大師、弘法大師らも訪れたことがあるそうですよ。
ん〜、あの人は一体何をこねているんでしょうねぇ。他にも境内には紹介しきれない位、多くの石仏が安置されています。
こちらの奥の院無漏窟の中央に座っているのは、お釈迦様のようですね。これらの石仏を見学しながら、最後に大きな仏像である薬師瑠璃光如来へとたどり着きます。

大仏さんを見学又は参拝された後は、大黒堂、通天窟、仁王門と見学し保田駅を目指すか(徒歩30分)、階段を汗だくになって上り、ロープウェー乗り場へと引き返すパターンの2通りあります。2通り経験したことのある私としては保田駅まで行ってしまった方が気分的に楽でした。

●犬吠埼灯台(いぬぼうさきとうだい)
千葉県の銚子市にある犬吠埼灯台は世界灯台100選に選ばれた灯台で、明治時代に建てられたという歴史的にも価値ある灯台となっています。又、日本で最も早く初日の出が拝める場所としても知られています(山や離島を除く)。

<住所>
千葉県銚子市犬吠埼9576

<寄付金>
200円。
<アクセス>
千葉駅から銚子駅まで約2時間。そこから銚子電気鉄道の犬吠駅まで約20分。駅前の通りを左手に進み徒歩10分程度です。
なんとも言えない雰囲気が最高の銚子電気鉄道。一時は経営が悪化したものの、「電車修理代を稼がなくちゃ、いけないんです。」という内容の文章を公式サイトに掲載し、ぬれ煎餅の販売やファンからの支援もあって存続の危機を乗り越えました。醤油に漬けることによって湿っている感じの食感が楽しめる「ぬれ煎餅」は、土産物としてだけではなく出来立てを駅の構内で食べることも出来るんですよ。現在では、いわし、かつお、さんまの佃煮にも力を入れ、テレビや雑誌でも紹介されるほど人気の土産物となっています。
駅前にある廃車となった車両を利用した福祉喫茶「かふぇ・ど・えがお」。簡単な食事が出来ます。ちなみに駅前の飲食店はここだけとなります。
ここの名物が「ぶっかけ魚めん」。この魚(うお)めんは、なんとイワシが33%も麺に含まれているそうです。その為か麺はバサバサした食感であるものの意外に美味しい!
こちらは太平洋が一望できる犬吠崎灯台からの景色です。灯台にはエレベーターなどはなく、階段で上っていきます。ちなみに階段は99段あります・・・九十九里海岸、で99段だそうですぜアニキ〜!
灯台も周りは遊歩道になっていて、素晴らしい景色をバックに散策が出来ます。又、近くには水族館や犬吠埼マリンパークといった観光スポットもあり、恋人同士だけではなく子供連れでも楽しめる場所となっています。
灯台のすぐ横には資料展示館があります。写真は初代犬吠埼灯台のレンズ。この犬吠崎灯台のレンズは第1等という等級であり、灯台のレンズとしては最も大きく全国でも第1等レンズを使用した灯台は6箇所しかないらしい。
犬吠駅から犬吠埼灯台とは反対側へ少し歩くと、なんともド派手な朱塗りのお寺、満願寺があります。時間に余裕があれば立ち寄ってみては如何でしょう?おみくじもあるよ。
満願寺の左横の砂利道をトボトボ歩いて行くと(20分以上かかりますが・・・)、地球の丸く見える丘展望館といった小場所があります。空気の澄んだ日か、朝一でないと遠くの景色がかすんでしまい地球が丸く見えませんので注意。ちなみに料金350円。

●養老渓谷(ようろうけいこく)
千葉県はもとより、紅葉シーズンは関東でも有数のスポットとなる養老渓谷。正確には養老渓谷と梅ヶ瀬渓谷なる観光地で、大福山、梅ケ瀬コース(約9.6km、4時間)、滝めぐりコース(約4km、1時間)、中瀬遊歩道コース(約7.4km、2時間)の3ルートがあります。

<アクセス>
千葉駅からは内房線で五井駅まで行き、そこからローカル線である小湊鉄道に乗り換え約1時間(1490円)、養老渓谷駅下車。
大福山、梅ケ瀬コース、中瀬遊歩道コースは駅からスタート(駅を降りて線路沿い右手に進み踏切を渡ってからスタート)。滝めぐりコースは少し離れていますのでバス(徒歩だと2時間30分かかります)で粟又の滝まで移動してからのスタートとなります。
なんともローカルな小湊鉄道(こみなとてつどう)。
こちらは大福山、梅ケ瀬コース。コース中には所々、写真のような小川を渡るような場面に遭遇します。軽装備でも構いませんが、ハイヒールや革靴などは避けましょう。
紅葉シーズンは見事な美しさです。
大福山、梅ケ瀬コースでの最終目的地はこちらの日高邸跡。紅葉も一番の見所となっています。
後ろを振り返ると、これまた見事な美しさですね。明治の偉人、日高誠実が理想郷梅ヶ瀬を建設すべくこの地に居を移した跡だそうで、教育者でもある彼が梅ヶ瀬書堂を開校した場所でもあります。
日高邸跡を見学した後は、コースを少し戻り大福山展望台を目指します。展望台からの眺めもまた格別です。

コース説明:養老渓谷駅から線路沿いを右手に進むと、すぐに踏切があります。それを渡って右へ進みます。すると今度は左、梅が瀬コースと小さな看板がありますが、そのまま行けば宝衛橋。真っすぐ行けば渓谷橋であり、この道はいずれ合流します。さらに進んでトンネルを抜けると再び左、梅が瀬方面の非舗装、右が大福山の舗装道路となる分かれ道があります。体力的には先に大福山を目指した方が楽です。
粟又の滝(あわまたのたき)
こちらは滝めぐりコースの見所、粟又の滝です。養老渓谷駅からは粟又行きのバスで粟又の滝を下車。岩から流れ落ちる滝と言うか、岩の上を流れる川は千葉県随一の名瀑と呼ばれるだけあって美しいですよ。
自然遊歩道が整備されていて、マイナスイオンを沢山浴びて実に気持ちのよい散策ができます。
こちらは万代の滝。他にも千代の滝や昇龍の滝など多くのミニ滝があります。

●佐原(さわら)の町並み
江戸時代、東北から江戸まで海路で物資の搬送をするには房総半島を迂回しなければなりませんでした。やがて、この解消として佐原を流れる小野川の河岸を、荷揚げが出来るよう整備し利根川を経由して江戸へと多くの物資が運ばれるようになりました。小江戸とも呼ばれた佐原は舟運によって大きく栄え、今も残る江戸から昭和にかけての古い建造物は当時の面影を残します。
<住所>
千葉県香取市佐原イ1900-1

<アクセス>
東京駅からは約2時間、千葉駅からは約70分の位置にあるJR佐原駅から徒歩10分程度。日曜、祝日限定ですが、佐原駅→佐原の町並み(忠敬橋)→香取神宮と運行する循環バス(300円)もあります。
黄色のラインが徒歩のルートで、駅から直進すると左手に観光案内所がありますのでマップを入手しておきましょう。赤色のラインは日曜、祝日限定の諏訪神社を経由する循環バスのルートです。香取神宮まで行かれる方は便利です。
こちらがトップの写真と同じく忠敬橋(ちゅうけいばし)から右手を見た佐原の町並みです。
小舟に乗っての水郷見学も人気があり、30分コースで1200円です。時間に余裕があれば風情ある小野川沿岸の風景を楽しんでください。
忠敬橋から右手に進むと写真の樋橋(とよはし)があります。江戸時代初期に佐原村の灌漑用水を東岸から西岸に送るため、木製の大きな樋をつくり小野川に架けられたものです。後に人が渡れるようになり、大樋から水がジャージャーと流れ落ちていたので「ジャージャー橋」とも呼ばれていたそうです。尚、現在の橋は昭和に架け替えられたものですが、今でも一定時間おきに水が樋からジャージャー流れています。
樋橋のすぐ横に写真の伊能忠敬旧宅(無料)があります。橋の反対側には伊能忠敬記念館(500円、館内撮影禁止)もあります。佐原で商人として暮らしていた伊能忠敬ですが、初めて実測による日本地図を完成させた人物でもあります。測量家として50歳を越えてから歩いた距離はなんと地球1周分!その精度は極めて高く、ものすごく細かい部分まで書かれています。

●香取神宮(かとりじんぐう)
香取神宮は全国にある香取神社の総本社で、創建時期は不明ですが明治以前には神宮を社号とする神社が伊勢、香取、鹿島のみであり、東北地方の蝦夷(えぞ)に対しての大和朝廷の前線基地となるこの場所は古くから茨城県の鹿島神宮と同じく重要視されていました。このようなことから、国家鎮護の神である経津主神(ふつぬしのかみ)が祀られています。

<住所>
千葉県香取市香取1697
<アクセス>
東京駅からは約2時間、千葉駅からは約70分の位置にあるJR香取駅から徒歩30分程度。東京駅から高速バスも出ています。

佐原の町並みから約2kmほど離れた場所にあり、ここからは徒歩約40分。日曜、祝日限定ですが、佐原駅→佐原の町並み(忠敬橋)→香取神宮と運行する循環バス(300円)もあります。尚、通常の路線バスは日に数本です。。。
参道には土産物屋さんが建ち並んでいます。厄落しだんごや草だんごなどが名物となっています。
土産物屋を抜けると美しい朱塗の大鳥居(第二の鳥居)が見えてきます。ちなみに第一の鳥居は佐原方面にあります。
さすがは神宮の名を与えられた神社、立派な参道であります。モミジやカエデも多く、紅葉シーズンはさぞ美しい景観でしょう。
こちらは総門です。手前には亀とか鯉が泳いでいる神池があります。
こちらは重要文化財にも指定されている楼門(ろうもん)で、トップの写真の本殿と同じく徳川幕府の手により1700年に建てられたもの。
帰り道に第二の鳥居の手前、右手にある小道を2〜3分上って行くと写真の要石(かなめいし)があります。

古伝によれば香取・鹿島の二柱の大神は天照大神の大命をうけ芦原の中つ国を平定しますが、この地方は尚ただよえる国であり地震が頻発し、人々はいたく恐れていました。これは地中にいる大きな鯰(なまず)が住みつき、荒れ騒いでいると言われてました。大神たちは地中に深く石棒をさし込み、大鯰の頭尾を押さえ地震を鎮めたと伝わっています。

●誕生寺(たんじょうじ)
日蓮聖人の母、梅菊の病気平癒を記念し菩薩荘厳堂を建て、その後の地震により陥没し弟子の日家が日蓮の生家跡に高光山日蓮誕生寺として建立したのがはじまりです。やがて再度の地震により現在の地に移されました。1758年の火災により仁王門を除き焼失。現在の建物は1846年に再建されたものですが、日蓮宗の霊跡寺院,、大本山として全国信徒の参拝の地となっています。


<住所>
千葉県鴨川市小湊183

<アクセス>
JR安房小湊駅から徒歩20分程度です。車の方は海沿いを走っていれば標識があります。尚、駐車場は全て有料となります。

境内自由ですが、宝物館は400円(土・日・月・祝日の8:30〜16:00)。
 
こちらは1706年に水戸家の支援によって建てられた誕生寺の中でも最古の仁王門です。

毎日、朝のおつとめの後の6:30頃には法話を聞くことが出来ますよ。ぜひ早起きして行ってみよう!

●法華経寺(ほけきょうじ)
正中山(しょうちゅうざん)法華経寺は、祖師日蓮の足跡がみとめられる日蓮宗の霊跡寺院・大本山です。境内は広く、日蓮宗仏堂として最古(室町後期)に属する法華堂や四足門、比翼入母屋造の屋根が特徴の1678年に建立された祖師堂などの見所も豊富です。子育ての神様、鬼子母神も安置されていますよ。

<住所>
千葉県市川市中山2-10-1
<参拝時間>
9:00〜17:00 境内自由です。

<アクセス>
JR総武線の下総中山駅を下車、徒歩約15分。又は京成本線の京成中山駅下車、徒歩約10分です。東京駅、千葉駅からそれぞれ電車で30分以内でアクセスができます。
道はほぼ一直線となっています。参道は道幅も狭く、車で来られる方は要注意です。駐車場は突き当たりを境内の右側へと進み、奥のほうにあります。境内の広さの割りには駐車スペースが少ないので、混雑期は要注意です。
中世、この地は八幡荘谷中郷(やわたのしょうやなかごう)と呼ばれ、下総国守護千葉氏の被官である富木常忍(ときじょうにん)と太田乗明(おおたじょうみょう)が館を構えていました。彼らは曽谷郷(そやごう)の曽谷氏とともに、日蓮に帰依してその有力な檀越(だんおつ)となりました。時に鎌倉時代の中期、建長年間(1249〜55)の頃のことです。彼らの館には持仏堂が建立され、のちにそれが寺院となったのが法華経寺の濫觴(らんしょう)です。若宮の富木氏の館は法華寺、中山の太田氏の館は本妙寺となり、当初は両寺が並びたって一寺を構成していました。この両寺が合体して法華経寺を名乗るのは、戦国時代の1545年以後のことです。
富木常忍は出家、して日常(にちじょう)と名乗り、法華経寺の初代貫首となり、二代目は太田乗明の子日高(にっこう)が継ぎました。そして千葉胤貞(ちばたねさだ)の猶子(ゆうし)である日祐(にちゆう)が第三代貫首となった鎌倉末期から南北朝期ごろ、法華経寺は隆盛の時代を迎えます。千葉胤貞は当時、守護ではありませんでしたが、千葉氏の有力な一派として威をはり、下総・肥前などの土地を寄進して、日祐の後押しをしています。日祐は胤貞の亡父宗胤(むねたね)の遺骨を安置し、名実ともに法華経寺を胤貞流千葉氏の氏寺とし、その後の法華経寺の基礎をつくりました。その後、室町時代をへて江戸時代に至ると、ひろく庶民にまで信仰される寺院となります。-----市川市教育委員会
上記の話は難しいので要約すれば、法華経こそが仏教の最高の経典(真理)であると確信した日蓮ですが、他の宗派(浄土教などの)を非難したり幕府に助言したりなどし、恨みを買ってしまいます。そんな迫害を受けた日蓮を太田乗明や富木常忍らが保護した館が法華経寺の基となっています。
参道の石畳、中山駅から続くこの参道沿いには田楽や煎餅、法華経寺の名物でもある里芋、きぬかつぎなどを売っている店が建ち並んで賑わいがあります。
こちらは法華経寺の本堂となる法華堂(ほっけどう)。釈迦、多宝両尊像を本尊とし、創建は13世紀後半に富木常忍が若宮の館に建立し、後にこの中山に移されたと伝えられます。現在の法華堂は様式から室町時代後期に再建したと思われるそうです。

位置はトップの写真にある日蓮聖人を祀った重要文化財の祖師堂(1678建立)の裏手にあります。
法華堂の隣にあるのは、鎌倉の愛染堂にあったものをこの地に移したと伝わる四足門(しそくもん)。室町時代後期に多く見られる文様や形を良く現し、彫刻類の装飾が多いのが特徴です。はじめ本院の玄関門としていましたが、明治になって現在の場所に移されたそうです。
江戸時代(1622年)の研師であった本阿弥光室(ほんあみこうしつ)が両親の菩提を弔うために加賀藩主(石川県)前田利光公の援助を受け建立された五重塔。
他にも境内には寺宝が保存されている聖教殿(公開は年に一度の御風入れの日)や多くの堂があり見所満載です。

写真は境内奥にある本院・大客殿。さらに奥に鬼子母神堂があります。法華経を広めようとし、他宗派より恨みを買っていた日蓮。伝説では、その恨みによって日蓮が襲われた小松原法難(こまつばらほうなん)では大怪我を負います。しかし鬼子母神によって助けらたとのこと。江戸三大鬼子母神の一つにも数えられます(残り二つは東京都)。

●崖の観音(大福寺)
717年に行基(ぎょうき)によって開かれたと伝えられ、関東大震災後に再建された大福寺。寺の背後には断崖の中断に飛び出すように建てられた観音堂があり、寺伝によれば漁民の海上安全と豊漁を祈願するために建てられたとされています。

<住所>
千葉県館山市船形835
<アクセス>
JR館山駅からバスで約20分、崖の観音下を下車。又はJR那古船形駅から徒歩約15分。車では国道127号線沿いにあります。千葉駅からはJR内房線で館山駅、又は那古船形駅まで約2時間、1490円です。
大福寺の本堂から左後ろに見えるのが観音堂(崖の観音)です。尚、境内は自由に見学することができます。
磨崖仏を覆う観音堂が断崖の中段に飛び出すように建てられていることから通称、崖の観音と呼ばれています。観音堂から見える館山湾は美しいですよ。
堂の正面奥に見えるのが磨崖十一面観音立像(十一面観世音)です。像高は131cmあり、磨耗が激しいので表情はよくわかりませんが、頭上に菩薩面を刻み、左手に水瓶をもつようすや、着衣のひだなどが確認できます。と説明文には書いてありますが、金網が邪魔でよく見えません。。欄間には左甚五郎作と伝えられる四支や、可愛らしい興教大師と弘法大師の像もあります。

●久留里城(くるりじょう)
室町時代に武田信長によって築かれた山城は以後、真里谷武田氏の勢力下となります。後に里見義堯(さとみよしたか)が進出し本拠地を久留里城に移し、上杉謙信らと同盟を結び北条氏とも対立します。その後は徳川の治世となり、大須賀、土屋、黒田氏の各大名が入城し近世城郭として整備されていきました。明治5年に城の建物は解体され現在の久留里城は昭和54年に模擬天守として建てられたものですが、堀切や土塁が現存しています。
<住所>
千葉県君津市久留里字内山

<アクセス>
JR久留里線久留里駅を下車し徒歩約35分。千葉駅からは木更津経由で約1時間30分、970円。JR久留里線は本数が少ないので注意です。館山駅や勝浦駅からも木更津経由で2時間以上もかかります。車のほうがアクセスは良いものの房総半島の中心部となるため、観光の順番を決めて効率良くまわりましょう。
久留里駅からは久留里駅入口の交差点を右折し直進。ひらすら直進です。。。
尚、駐車場、復興天守閣、久留里城址資料館は全て無料です。
天守閣まで舗装された道が続いていますが、一般車両は通行禁止です。車でアクセスされた方も駐車場から天守閣までは10分程度この坂道を歩くこととなります。
坂の途中には堀切『道を削って堀をつくり橋をかけ、敵が侵入したときには橋を外します。』や、お玉が池『城主の里見義堯に池を掘るよう命じられた家臣の兵馬。池を掘っている最中に兵糧庫が焼失したため捕らわれてしまった兵馬(やがて兵馬は打ち首となったそうです)。これを哀れんで城将小川秀政の娘「お玉」が代わりに池を掘ったそうです。』などがあります。
さらに坂を上がっていくと久留里城址資料館があります。無料ですので先ずはここで久留里城について学んでから天守閣へと向かいましょう。当時の歴史を知る上での貴重な資料、久留里記も展示されています。尚、2階展示室は撮影禁止です。

写真は資料館から天守閣までの間にある男井戸・女井戸。里見義堯が城を築くと、敵対する北条氏が幾度か来襲しますが、この井戸により籠城にも耐えることができたそうです。江戸時代の頃には藩士の結婚式の際に、新郎・新婦がこの水を飲み、夫婦の誓いをかわしたと言われています。
トップの写真、天守閣の横には天守台跡となる土塁が残されており、発掘調査による礎石の配列状況から判断して、当時の建物は二層二階であったと推定されるそうです。
久留里記によれば、久留里城は築城後、三日に一度の割合で雨が降ったそうで雨城(うじょう)とも呼ばれるそうです。梅雨時だったんでしょうか・・・

天守からは美しい山々の景色を見ることができます。ちなみに城内には展示物といったものはなく、模擬天守なので景色を楽しむだけです。。


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