●岡崎城
室町時代、西郷弾正左衛門頼嗣が現在の岡崎城の位置に城を築いたとされる岡崎城。のちに家康の祖父である松平清康が入城し本格的な岡崎城を構え、徳川家康はここ岡崎城内で誕生しました。現在の天守閣は昭和34年に復興された3層5階の鉄筋コンクリート構造で、2〜4階が江戸時代の岡崎を紹介した展示室で、5階は展望室になっています。

<住所>
愛知県岡崎市康生町561
<アクセス>
名鉄の岡崎公園前駅が最寄駅となりますが普通列車のみ停車する駅なので、東岡崎駅から徒歩約15分がオススメです。尚、岡崎駅からは近くないので注意です。

<入館料>
200円。岡崎城・家康館共通券は510円。9:00〜17:00 年末休館。
岡崎城は残念ながら明治時代の廃城令によって殆どの建造物は壊されてしまいました。当然、この立派な大手門も復元されたものとなっています。
毎時0分・30分に家康人形が音楽に合わせて能を舞うからくり時計塔。待ち構えていたわけではありませんが、たまたま定刻だったので撮影できました。
三河武士のやかた家康館という歴史資料館もあります。
生涯を徳川家康に仕え、数多くの武功をあげ、豊臣秀吉からも賞された徳川四天王の一人、本多忠勝の銅像(本多平八郎忠勝公銅像)。さすが、多くの武勇伝を持つ猛将だけあって銅像も勇ましいですね。
家康の有名な顰像(しかみ像)もあります。1573年、武田信玄との三方ヶ原の戦いで、命からがら浜松城へ逃げてきた家康は、道中恐怖のあまり馬上で脱糞したとされます。その後、家康は今後の自身の戒めのために、絵師にこの苦渋に満ちた自分の情けない表情の肖像画を描かせたそうです。尚、現物は徳川美術館が所蔵しています。
幼少の頃より人質として苦難の道を歩き、1600年の天下分目の関ヶ原の合戦では大勝して天下を治めるに至った徳川家康。こちらの銅像は昭和40年に家康公300年祭を記念し建てられたものだそうです。岡崎公園内には他にも松平元康の怪しげな像とか家康(竹千代)誕生の時に産湯として使用されたと伝わる井戸など見どころも沢山?あります。
多目的な利用が可能な岡崎城二の丸能楽堂とか・・
建造物はなくとも堀や石垣は現存しています。
岡崎城にあった東照宮を明治維新後に現在地へ移し、本多忠勝を合祀し建てられた龍城神社は天守閣のすぐ脇に建っています。
城内の2〜4階(1階は受付場所で見学場所はなし)までは江戸時代の岡崎を紹介し、5階の最上階が展望室となっています。尚、各フロア見どころ殆どありませんが、多くの展示物が借り物らしく展望室以外は撮影禁止です・・・
明治5年頃の取り壊し前の岡崎城。天守の左に月見櫓、右には井戸櫓が建っています。
三河平野を一望できる展望室。ぐるっと一周できますが、まぁこんなものでしょう・・という程度の景観です。

●伊賀八幡宮
1470年に松平四代親忠が、松平家(徳川家の祖)の子孫繁栄・武運長久の守護神、氏の神として創建なされたのが伊賀八幡宮です。徳川家康により社殿の改築が行わ、三代将軍家光の頃には社殿を拡張し、祭神の応神天皇、仲哀天皇、神功皇后に家康(東照大権現)を加えました。本殿、幣殿、拝殿の他、随身門や神橋、鳥居などが国の重要文化財に指定されています。

<住所>
愛知県岡崎市伊賀町東郷中86
<アクセス>
愛知環状鉄道線の北岡崎駅より徒歩約5分です。東岡崎駅からはバスで約10分、八幡社前を下車です。尚、境内は自由です。
大きな蓮池があり中央には歩くことはできませんが、国の重要文化財にも指定されている神橋があります。その先には立派な随神門があります。
蓮池の横から撮影。真ん中に見えるのが重文の石橋、神橋です。ここから左手には重文の石鳥居、中央に重文の神橋、右手に重文の随神門、拝殿、幣殿、本殿と豪華に重要文化財で参道が続いています。昭和初期の頃までは国宝、重文の区別はなく、これらすべての建造物が国宝となっているのですから凄いですよね。でも訪れる人は、ほぼ皆無なんですが・・・
国の重要文化財に指定されている立派な随神門(随身門)。門の両側には随神(随身)様が安置されていて、随神を安置する神社は愛知県では伊賀八幡宮だけだそうですよ。
写真トップの極彩色の美しい拝殿(奥に本殿)は本殿、幣殿、拝殿がつながった権現造りで、江戸前期(1636年)に三代将軍家光によって造営されたものです。その隣に建つ写真の御供所もまた同年に建てられたもので国の重文となっています。

●大樹寺(だいじゅじ)
徳川家(松平家)の菩提寺として知られる浄土宗の大樹寺。桶狭間の戦いで今川義元が討たれると、徳川家康(松平元康)が命からがらこの大樹寺へ逃げ込み、自害をも覚悟した話は有名です。また本堂からは三門(山門)、総門を通して一直線上に岡崎城を望む事ができるように伽藍が整備され、この景観を守るために、今現在も市の条例によりこの直線上にマンション等の高層建築物を建てることはできません。

<住所>
愛知県岡崎市鴨田町字広元5-1
<アクセス>
愛知環状鉄道線の大門駅より徒歩約20分です。名鉄の東岡崎駅からはバス15分、大樹寺を下車し徒歩約5分。境内は自由です。
大樹寺は1855年の火災によって創建当時の建物はありませんが、写真トップの本堂は火災の2年後、1857年に規模を縮小して再建されたものです。本堂裏にある大方丈は位牌堂とも呼ばれ、家康の遺言に従って位牌が収められ、以後歴代将軍の位牌が安置されています。この位牌の高さは家康も含め各将軍の身長の高さと同じと言われています。左の写真の鐘楼はは1641年、家光によって建立されたものです。
本堂の左に見えるのは開山堂で、こちらは江戸時代前半に建てられたものと思われます。
三門(山門)は1641年に三代将軍の徳川家光が建立したもので、家康公17回忌を機に祖父生誕の地を望めるようにと、松平家の菩提寺である大樹寺の本堂から山門、総門を通して、その真中に岡崎城を望むように伽藍が整備されました。尚、三門は目の前までは行けますが通り抜けはできません。
本堂から後ろを振り返った絵です。この場所から3km先に岡崎城が見えるそうですが、さすがに遠くて見えません。
三門まで近づくと総門が見えます、この三門と総門の間には小学校の校庭があります・・・ なんとか、ここから肉眼で岡崎城が見えます。
拡大してみました。この景観が条例で今現在も守られている事はとても素晴らしいですね。
本堂左手より、墓地の中をズンズンと進むと、松平清康によって1535年に建立された国の重要文化財に指定されている多宝塔があります。火災を免れた大樹寺に残る創建当時からある建物となります。それにしてもこの建物が室町時代って・・・凄いですね。
1615年に徳川家康公が先祖八代の墓を寺内に建立しました。何故だか全部で9基ありますが、ちゃっかり家康公(昭和44年建立分骨なし)の墓もありました。

●有松町並み保存地区
有松町並み保存地区は旧東海道沿いにある趣のある町並みで、一帯は江戸時代には有松絞りや鳴海絞りといった絞り染めの生産を主な産業とし、東海道とともに発展してきた村です。町家には宿場町で見られるような連子格子や、なまこ壁、虫籠窓などを見ることができます。

<住所>
愛知県名古屋市緑区有松町
<アクセス>
名鉄の有松駅から徒歩約3分です。尚、名鉄名古屋駅からは有松駅まで20分程度です。
全長はかなり短いのですが、とても風情がある場所です。名古屋にも近い比較的に都会なこの場所に、こんないい景観がまだ残っているんですね。1608年に開かれた有松村ですが1784年には大火に見舞われます。村のほとんどが焼失してしまいましたが、大火後約20年で復興し、その後は防火対策として屋根を萱葺から瓦葺にし、さらに火移りを防ぐための卯建を設けたり、構造も外壁を厚く土壁で覆った塗籠造りとするなどの工夫が施されました。
観光客は皆無です。しかしながら一方通行なんですが、車はけっこう通り抜けるようです。一帯は戦国時代の大きな転機でもある有名な桶狭間の戦いの舞台の場所で、桶狭間古戦場公園や桶狭間古戦場跡も近いので合わせて観光してみるのもオススメです。たぶん・・・

●常滑(とこなめ)
常(床)が滑らかという事に名が由来する常滑市は、その粘土層の土壌を利用した伝統産業の常滑焼が有名です。その歴史は一般的に知られる唐津・有田焼や萩焼の誕生よりも古く、日本六古窯の一つ(常滑・瀬戸・越前・信楽・丹波・備前)でもあり、中でも常滑焼は最大の規模を誇りました。

<住所>
愛知県常滑市栄町3-8(陶磁器会館)
愛知県常滑市栄町6-145(登窯広場展示工房館)
<アクセス>
名鉄名古屋駅より中部国際空港行きの特急で約30分660円、常滑駅を下車し徒歩約10〜20分。見学エリアは広いので、事前に駅にある常滑観光プラザ(観光案内所)でマップを手に入れてから散策しましょう。
やきもの散歩道の出発点となる陶磁器会館でもマップが手に入ります。
こちらを右クリックして『対象をファイルに保存』を選択すれば散策マップが見れます。左の写真の巨大招き猫は、とこなめ見守り猫「とこにゃん」です。かわいい!と言うか・・・ちょっと怖い。この、とこにゃんの下の道路の壁にも楽しいオブジェがいっぱいあります。
こんな、ちょっとした遊び心もいいですね。
散策をしていると、土管が埋まっているこのような壁を至る所で見ることができます。
こちらも廃材を利用した壁です。どこも絵になる風景です。
足元にも遊び心。
写真が趣味の人には、たまらない空間だと思います。周辺には常滑焼の販売しているお店も多いので、見学だけではなく焼き物目当ての方も多く訪れていましたよ。
とこにゃんの招き猫から歩いて1〜2分のところにある常滑焼窯跡見学館。窯内部は写真ではとても明るいですが、実際にはほぼ真っ暗です。
写真トップにあるのは常滑で一番有名な観光スポットでもある土管坂です。絵になる風景ですなぁ。この土管坂の壁には明治期の土管と昭和初期の焼酎瓶が埋まっているそうで、坂道にはケサワという土管の焼成時に使用した捨て輪の廃材が敷き詰めてあり、歩いても滑らないように工夫されているそうです。
散策範囲は思ってたよりも広く、なにせ事前に予習をしていなかったもので・・・ さくっと20〜30分くらいで観光するつもりが、見学に何時間も費やしてしまいました。そのくらい見学範囲が広いです。平均的に見学時間は2〜3時間あれば十分ですが、最短でも約60分程度はみておいたほうがいいです。まったり過ごすなら半日程度は楽に潰れてしまいます。
焼き物の町らしく、煙突のある風景もまた常滑らしさです。
全ては紹介し切れないですが、おそらく結構な枚数の煙突の写真を撮りました。
登窯広場にある展示工房館の横にある煙突。登窯広場展示工房館では陶芸教室も行われているそうですよ。
当初、見どころは土管坂あたりなのかな?と思っていましたが、どうやら観光のメインは賑わいのあるこの登窯広場あたりなようです。
近くにあるこの登窯は、日本で現存する登窯としては最大級の窯らしいです。
この登窯は1887年(明治20年)頃に築かれた窯で、1974年(昭和49年)まで使用されていたそうです。写真の焚き口で使用される燃料は薪材や松葉でしたが、明治後半には需要も増え、薪材や松葉が不足気味になり、これに代わる燃料として石炭が用いられるようになったそうです。
案内板によりますと、約20度の傾斜地に8つの焼成室を連ねた陶栄窯は、全長22m、最大幅9.6m、最大天井高3.1mと大型の登窯の部類に属しますが、明治末期の常滑では、このような登窯が60基ほどもあったと記録されているとのこと。その後、常滑では石炭窯が一般的となり、登窯の数は急速に減って、現在ではこの陶栄窯が残るだけとなりました。そして、この窯も昭和49年1月の窯出しを最後に操業を停止し、昭和57年に重要有形民俗文化財として指定され保存されることになったそうです。
常滑の登窯は江戸時代、1834年に鯉江方寿の父、方救が真焼け物を効率よく生産する為に導入したのが始まりといわれています。江戸期の主流であった鉄砲焼(大窯)では、真焼け物を効率よく生産することが難しいため登窯の導入は画期的な出来事であったと案内板に書いてありますが、焼き物に詳しくない私としては難しい話です。
観光客のあまり通らない小道もまた風情があります。
もっと写真が上手かったらなぁ。この時はカメラマン気取りで撮ってます・・・
レンガ造りの煙突や窯、陶器の廃材利用の坂道など、一帯はまるでタイムスリップをしたかのような素敵な風景でした。



愛知県の観光