四国八十八箇所霊場の第一番札所
●霊山寺(りょうぜんじ)
四国八十八ヶ所霊場の第一番札所(ふだしょ)の竺和山 一乗院 霊山寺は、聖武天皇の勅願により、行基によって開基された高野真言宗の寺院です。弘法大師(空海)の修行道を辿った地を巡礼することを遍路と呼び、その基点となるのが第一番札所の霊山寺となります(起点や順序に決まりはありません)。

<住所>
徳島県鳴門市大麻町板東塚鼻126
<アクセス>
JR高徳線坂東駅から徒歩約10分。徳島駅からは電車で30~40分程度、運行本数は1時間1本程度になります。
お?ここが入口なのかな??車を駐車場に止めて諸堂を目指すと、恐らくここを通ることになります。さすが1番札所、手前にある売店では白衣(はくえ・びゃくえ)、菅笠、金剛杖、輪袈裟、経本、納札、納経帳、御影入、数珠、頭蛇袋、遍路地図、鈴・・・遍路用品が全てそろっています。
発心門を抜けると立派な山門(仁王門)が建っています。なんとも遍路のスタート地点に相応しい荘厳な眺めです。
1番札所に相応しい立派な山門(仁王門)には、これまた凛々しい金剛力士像(仁王像)が境内を守ります。右手に安置された阿形像は、口を開け怒りの表情を剥き出しにしています。
左手には口を閉じ、怒りを内に秘めた吽形像が睨みを利かせています。
仁王門をくぐって右手に見える泉水池には、色鮮やかな鯉がたくさん泳いでいます。
インスタ映えしそうだったので思わずパチリ。いや映えないか... ちなみに、この子たちの目線の先には水子地蔵が安置されています。つまりこの子たちは水子なのでしょう。お地蔵さんとこに賽銭(浄財)箱があるのに、池にもお賽銭がたくさん投げられています。なんでもかんでも肖ろうはバカ野郎。これ言いたかっただけ...
境内に入ると、右手に水子地蔵や泉水池、左に見えるのがこちらの多宝塔です。霊山寺の諸堂は、長宗我部元親に兵火によって焼失。後に再建されたものの、明治になると本堂と多宝塔を残し再び焼失してしまったそうです。つまりは室町~明治時代あたりの建造物らしく歴史を感じます。塔内には五智如来像が祀られているとのこと。
泉水池の奥には大師堂があります。尚、四国八十八ヶ所霊場では、全ての札所に大師堂が建てられています。大師堂や本堂では、むーじょーじんじんみーみょうほう~と唱えるらしいのですが、正式には合掌し三礼した後に開経偈⇒懺悔文⇒三帰⇒三竟⇒十善戒⇒発菩提心真言⇒三摩耶戒真言⇒般若心経⇒本尊真言⇒光明真言⇒ご宝号⇒回向文と、長い長いお経を唱えるそうです。本格的に巡礼するには、お遍路前から修行しとかなくてはですね...
行基が開基の後、弘法大師(空海)は、人間の持つ八十八の煩悩をなくそうと、四国に88の霊場を開く決意をされたと伝わります。その弘法大師の修行の足跡とされる四国八十八か所霊場を巡り歩くことを遍路といい、その巡礼者はお遍路さんとの名で地域の人々から親しまれています。
自分と向き合う心の旅とも言われる遍路。遍路さんの服装は基本的には自由ですが、白衣に輪袈裟、金剛杖を持ち菅笠を被るのが正装となります。他にも経本、納札、納経帳、御影入、数珠、頭蛇袋、遍路地図、鈴・・・必要に応じ買い揃えましょう。

ちなみに、道中や霊場では同行二人(どうこうににん)と書かれた菅笠を被っているお遍路さんを見かけます。これは道中、決して一人で巡礼しているのではなく、常に弘法大師に見守られながら共に巡礼しているという意味です。
札所を巡拝する順番には決まりはありませんが、基本的には1番札所から四国を時計まわりに巡拝することを順打ちと呼び、逆まわりを逆打ちと呼びます。『打つ』の由来は、巡礼者が納札を柱や壁などに打ち付けていたことからそう呼ぶようになったそうです。巡拝は逆打ちの方が弘法大師と会えるなどの言い伝えがあり、3倍もの功徳があるのだとか。ただし、基本は順打ちです。
また、お遍路さんは同行二人、弘法大師と共にあることから、道中で飲食物をふるまわれたり、宿や休憩所を提供されたりする、お接待と呼ばれる風習が今も尚あります。

写真は死者を供養する十三仏。奥より不動明王、釈迦如来、文殊菩薩、普賢菩薩、地蔵菩薩、弥勒菩薩、薬師如来、観音菩薩、勢至菩薩、阿弥陀如来、阿閦如来、大日如来、虚空蔵菩薩。
十三仏、立像は十二仏なのですが十三仏堂の中に不動明王様がおられます。
なんとも凛々しい?いや...愛くるしい不動明王でした。
写真トップにもある本堂。天井には龍が描かれてあり、その天井を囲うように吊るされた灯籠は幻想的であり心洗われます。
四国八十八箇所霊場の第二番札所
●極楽寺(ごくらくじ)
寺伝によれば行基菩薩の開基と伝えら、 後に弘法大師(空海)がこの地での21日間にわたり阿弥陀経を読誦(どくじゅ)したところ、満願日に阿弥陀如来が現れ、大師はそのお姿を忘れないうちにと、ただちにその姿を刻んで本尊としたそうです。この阿弥陀如来の後光は遠く鳴門まで達し、魚が採れなくなったため、困った漁民たちが本堂の前に山を築いて光をさえぎったということから『日照山』と号されました。1582年に長宗我部元親の兵火により焼失。1659年に阿波藩主によって再建されました。
<住所>
徳島県鳴門市大麻町檜字段の上12

<アクセス>
第一番札所霊山寺より約1km、徒歩では15分程度になります。門前の県道12号線を西方向にひたすら直進です。
2番札所の仁王門は、1番札所の霊山寺の仁王門と比べると、素人目にも新しい建造だというのが分かります。昭和48年に建立されたそうですが、両脇に立つ勇ましい姿の仁王像は江戸時代の作だそうです。
こちらは仁王門を通り抜けてすぐの場所にある願掛け地蔵。なんか知りませんが、湯のみがたくさん奉納されています。横には『お地蔵さんは必ずあなたの願いをかなえて下さいます』と書かれています。必ず...
少し先には招福弁財天がありました。手前で小さな子供が寝ているのかな?そんな像があります。境内には他にも子授招福大師だの、本尊と同体とされる阿弥陀如来坐像や水子地蔵など、見どころ?的なものは多かったです。
極楽寺の手洗場(手水舎)はとにかく派手。まるで孔子廟のような儒教だか道教だか知りませんが、なぜかここだけそんな影響を受けた手水舎なのです。
広いとこに出ました。左手に薬師堂、右手に鐘楼や観音堂があり、中央には仏足石があります。その先の石段を上がると本堂や大師堂があります。
薬師堂のさらに左手には立派な長命杉がありました。弘法大師お手植えだそうで、高さは30m以上、樹齢1200年あたりらしいです。植物って動物と比べて動きがないんで生きてる感じがピンとこないけど、食虫植物とか見ると、やっぱ我々と同じように生きているんだなと思うし、そんでもってそれが平安時代あたりからこの場所でずっと生き続けてるって思うと、ちょっと驚きなのです。
さて、石段。暑い日は堪えます... その先にあるのがトップの写真にもある本堂です。尚、本堂及び大師堂は江戸時代に建立されたものだそうです。
本堂の右手に大師堂があります。寺伝によれば、弘法大師(空海)がこの地での阿弥陀経を読誦された折、難波の難産に悩む女性が弘法大師のお加持によって無事安産。そのお礼にと木彫りの大師像を奉納し、以後安産祈願の本坊として多大な信者を集めたという。
時代は下り明治の頃、大阪住吉に住み難産に悩む婦人が妊娠したので、 安産祈願を受けたところ、ある夜夢の中に弘法大師があらわれ四国遍路をすすめられた。 そこで発心して讃岐まで巡拝して、ここ二番極楽寺までくると急に産気づいたが、 弘法大師より最後までめぐりつづけよとのお告げがあった途端におさまった。その後何事も無く結願し帰宅したら、男子を無事に出産することができたという。
当山安産縁起と同じ霊験を得て無事出産され感激した婦人は、大師堂の前に安産大師像を奉納された。これが現在、境内に安置せられる安産修行大師像なのだそうです。

写真は抱き地蔵と呼ぶそうで、いわゆる他寺院でもたまに見かける、重軽(おもかる)地蔵と同じであり、持ち上げてみて重ければ願いが叶いにくく、反対に軽ければ願いが叶いやすいという願掛けです。
四国八十八箇所霊場の第三番札所
●金泉寺(こんせんじ)
四国八十八箇所霊場の第三番札所の金泉寺は、亀光山(きこうざん)釈迦院と号する真言宗寺院で、聖武天皇勅願の寺として創立され、もとは金光明寺と称したと伝えられますが、弘法大師が訪れた際、霊水が湧き出しているのを見て金泉寺に改めたとのことです。

<住所>
徳島県板野郡板野町大寺字亀山下66
<アクセス>
第二番札所極楽寺より約3km、徒歩では約40分です。JR高徳線板野駅からは徒歩約10分です。
1番、2番、3番札所と次第に明るい色調になっていく山門(仁王門)。境内を守る両脇の仁王像はどこか愛くるしいお姿です。言い換えると、全然怖そうに見えません...
仁王門を通り抜けると本堂はすぐです。右手には大師堂があります。写真トップにもある本堂は、1582年に長宗我部元親の兵火により焼失し、その後に再建されたものとなっています。
こちらが四国霊場の札所には必ずある大師堂です。金泉寺も1番、2番札所同様に長宗我部元親の兵火により焼失。大師堂は唯一焼失を免れましたが、平成20年に改修されたそうです。
大師堂のお隣(本堂の向かい)には色鮮やかな八角観音堂があります。
不動明王の化身とされる倶利伽羅龍王が安置されています。
お?怪しい塔を発見!と思ったら、戦没者を顕彰する忠霊塔でした。見応えある立派な塔です。
忠霊塔のすぐ隣の石段を上ると、忠魂塔なるものがありました。こちらは納骨でもされているのでしょうか謎。忠霊塔と同じく戦没者を祀っている?ものと思われます。
おや?黄金地蔵尊?なんだろう、黄金の文字に惹かれます。寺名の由来ともなった黄金の井戸は、現在もこんこんと水が湧き出ていて、この井戸をのぞき込み、影がはっきり映れば長寿、ぼやけていると短命という言い伝えがあるそうです。また、井戸の傍らに祀られているお地蔵さんは、首から上の病気に霊験があるとのこと。
どれどれ?暗くて何も見えないじゃないか!ぼやけるまでもなく、私の人生、もはやこれまで... 他にもミニスポット的な弁慶が持ち上げたと伝わる弁慶の
力石があるそうなのですが、徳島ラーメンを食べるべく先を急いだ結果、見逃しました...



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