日本三大盆踊りの1つである阿波おどりが全国的にも有名な徳島県。豪快な鳴門の渦潮や四国を代表する剣山に、絶景の祖谷渓などダイナミックな景勝地は定番の観光スポット。又、ここ徳島県は、四国霊場八十八箇所の巡拝の起点とする人も多く、こちらも時間があれば人生一度は体験しておきたいものです。グルメでは鳴門の天然桜鯛(マダイ)に、ご当地ラーメンの濃厚な徳島ラーメン、阿波牛や鱧・鮎・あめご(アマゴ)料理、手軽に食べられる鳴門金時やでこまわしなど美味しいものも豊富です。
<お土産>
金長まんじゅうをはじめ、鳴門金時、和三盆、すだち等のお菓子やジュース類にご当地土産の祖谷そば、半田そうめんなど。徳島県のお土産

阿波おどり空港からはリムジンバスで約30分430円で徳島駅まで。路線バスも同料金です。鉄道では高松経由で、車では瀬戸大橋または明石海峡大橋経由でアクセスします。他、和歌山県からフェリーという手段もあります。

徳島県の繁華街は、徳島駅周辺も若者を中心に賑わいがありますが、昔ながらの繁華街・歓楽街は駅から少し離れています。
写真は東新町商店街付近です。地方にありがちな寂しいアーケード街なのですが、アニメの祭典、マチ☆アソビ期間中は眉山ロープウェイのアナウンスがアニメの声優さんだったり、野外ステージがあったりと妙な活気があります。この期間、阿波おどり空港もアニメ化されてしまいます・・・
徳島と言えば徳島ラーメンも有名です。写真は中でも有名な『いのたに』。ラーメンに生卵をトッピングする人が大半で、ライスを注文も多く、もはやラーメンはおかず的な地位にあります。うっかり生卵をライスにオンしないように注意しましょう。あくまで食べ方は自由ですけど...

●鳴門の渦潮(なるとのうずしお)
鳴門海峡に発生する鳴門の渦潮、その大きさは直径最大20mにも及び日本一であるのみならず世界でも最大規模とうたわれています。見学スポットは無料の鳴門公園内にある千畳敷展望台、橋の下から見学可能な有料(500円)の渦の道、同じく有料の小型高速船のうずしお汽船(1500円)、大型船(1530円)の鳴門観光汽船(2200円の中型の水中観潮船も有)などがあります。
<住所>
徳島県鳴門市鳴門町土佐泊浦福池65 鳴門公園内

<アクセス>
JR鳴門線の鳴門駅からバス鳴門公園行きで約25分、鳴門公園下車しそこから徒歩約5分、鳴門観光汽船に乗船する場合は鳴門観光港で下車。
徳島健一の人気の観光スポットでもある大鳴門橋の海上遊歩道、渦の道。こちらはその入口です。見学には500円かかりますが、他、近くにある大鳴門橋架橋記念エディや鳴門観光汽船、うずしお汽船、シースルーエスカレーターのあるエスカヒル鳴門、だいぶ離れますが鳴門市大麻町にある鳴門市ドイツ館とのセット券もあります。
橋の下にある遊歩道は450mあるらしいです。途中には海が真下に見えるガラス床がありスリル満点です。
鳴門海峡は、孫崎(鳴門側)と門崎(淡路島側)に挟まれた、海峡幅1340mの狭い海峡で、激しい潮流のあることから鳴門(鳴る瀬戸)の名が生まれたと言われています。この鳴門海峡に発生する鳴門の渦潮、その大きさは直径最大20mにも及び日本一であるのみならず世界でも最大規模とうたわれています。
タイミングさえ合えば大潮の干潮⇒満潮、もしくは満潮⇒干潮へと潮位が変化する最大の潮流発生時に行くのがベストです。詳しくは公式サイトの潮見表(干満時刻ではなく最大流速時刻を表示)を参照のこと。
月の引力によって発生する干潮と満潮。潮が引いている干潮から満潮へと向うとき、又はその逆に満潮から干潮へと潮位が変化する時、海は岸から沖合、もしくは沖合から岸へと潮の流れがおこります。この干満時に発生する潮の動きは、海峡の狭い鳴門海峡では、はっきりとその潮の動きを見ることが出来ます。
船に乗ればより近くまで寄ることが出来ますが、どうせ乗船するのであれば3月下旬~4月下旬の大潮の最速潮流時がオススメで、見事な大渦が見られる可能性が高くなるそうです。なかなかタイミングを合わせるのが・・・

●阿波おどり会館
盆踊りと言えば日本中誰もが知っている阿波踊り。阿波おどり会館では、そんな阿波おどりの歴史を学べるミュージアムの他、阿波おどりホールではその実演を見ることができます。さらに阿波おどり会館から眉山(びざん)とをつなぐ眉山ロープウェイに乗れば、徳島市を一望できる展望スポットへと行くことができます。

<住所>
徳島県徳島市新町橋2-20
<開館時間>
9:00~17:30。眉山ロープウェイは17:30までですが、4/1~10/31は21:00まで、ミュージアム300円、ロープウェイとの往復セットで1100円、踊りの実演を合わせれば1500円です。ミュージアム+踊りの実演は700円。踊りの実演は昼以外にも夜の部(20:00~20:50:若干割高)があります。6・10・2月の第2水曜日、年末年始、盆は休館。

<アクセス>
JR徳島駅から徒歩約15分です。
残念ながらミュージアム内は全て撮影禁止。こちらの写真は入口にて撮影したものです。館内は阿波踊りの歴史資料や衣装、鳴り物の展示品、阿波おどり3Dシアターなどが見所?です。
阿波おどり会館の5階には眉山山頂まで行けるロープウェイ乗り場があります。通常は15分間隔で運行し、年中無休です。4~10月までは夜も運行し、夜景を楽しむこともできます。
どの方向から見ても眉の形に似ていることから名が付いたと言われる眉山(びざん)。徳島のシンボルともいえる眉山ですが、標高は290mしかありません。ただ、ここから眺める景色は絶景です。

●徳島城跡(とくしまじょうせき)
1586年、阿波国の 領主となった蜂須賀家政によって築城された徳島城は、標高約61mの城山と北を助任川、南を寺島川(現在のJR線路)に囲まれ、東には堀を設けた自然 の地形を巧く利用した城でした。明治の廃城令に解体され、現在では石垣などの遺構だけが残ります。

<住所>
徳島県徳島市徳島町城内
<アクセス>
JR徳島駅から徒歩約15分です。位置的には徳島駅のすぐ隣なのですが、改札側からだと、しばらく線路沿いを進み、歩道橋で線路を越えてからの多少の山登りが待ち構えています。
天守というか櫓も門も当時のものは何も残っていない徳島城ですが、立派な堀や石垣だけは今も残されていました。
ご覧の通り、なかなか見応えある石垣が残されていることに驚きです。徳島城跡は現在は徳島中央公園として整備されていますが、園内には他にも徳島市立徳島城博物館や旧徳島城表御殿庭園の観光スポットがあります。ちなみに訪問時、博物館は閉館時間に間に合わず、庭園は一体何処にあったのだろう謎...
蜂須賀家政公(藩祖)は、天正13年(1585)豊臣秀吉の 四国平定の大功により阿波一国をたまわり、天正14年 (1586)に一宮城(徳島市一宮町西丁)から中世に築造され た渭津城を修築して徳島城とし、藩政の中心地とした。入国 の後は、藍、塩などそれまで阿波になかった産業を取り入れ、 新しく製塩・製藍工業を起こし盛んに日本中に売り広めた。 また、全国でも有名な阿波踊りも家政公時代に始まったと伝えられる。
城跡に整備された公園内には何故か蒸気機関車がありました。説明板を読むところ、こちらは8620形式蒸気機関車で、大正12年から徳島の町や野を走り、山や谷をめぐって「汽車ポッポ」の愛称で親まれてきましたが、 昭和44年7月22日、徳島 - 小松島間の運行を最後に鉄道からその姿を消してしまったそうです。
さて、登城しますか。上の方を見上げると不気味なほどに暗く、この写真の場所では多くの人が行き交っているのですが、誰も上へと登っている人を見かけません。
汗だくになりながら上っていくと見えてきたのが立派な帳櫓跡という場所です。この少し下には少しだけ見晴らしの良い西三の丸跡がありました。
続いて西二の丸跡です。ここまで汗だくと言いましたが、標高自体は低いので冬場なら楽々上れる高さですよ。冬場なら...
まだまだ続くよどこまでも。なにせ予習なしで上っていますから不安だらけです。ちなみに当時、藩主が城山を登ることなんて稀な事なんですって。夕方登っている人も稀らしく、ここまで誰ともすれ違いません...
インスタ映えする、えぇ~角度だなぁっていう石垣。
本丸近くにある弓櫓跡だそうです。
どうやらここが頂上なようです。ここ本丸跡にはその昔、弓櫓の他にも番所や馬具櫓、武具櫓や火縄櫓なども建っていたそうです。そう言えば、ここ来る前に観光案内所で本丸跡とかあるんですか?って聞いたら『無い!』って言われたけど、これほどまでに広い本丸跡を見た時には驚きました(笑)
ちゃんと整備されていれば見晴らしがいいんでしょうけど残念ですね。冬場は葉っぱがない分、視界が広いと思われます。さすが広々とした本丸まで来ると、散歩中の人やランニングをしている人などを見かけました。でも観光客らしき人は、駅付近を含めて皆無ですけどね。
清玄坊の由来について 清玄坊の元祖は清和天皇で、皇子民籍降下にあたり天皇より「源氏」の称号を賜わり、後に修験者となリ三好家と共に、阿波に移リ城山に祈祷所を建てていた。 蜂須賀公が阿波に入国、築城に際し付近の全寺社に移転を命じたが、清玄坊だけは頑としてこれに応じない為、公は一計を編み換地を与えると言って城下に連れ出し、紙屋町を通行中後から弓で射て謀殺した。 途端に蜂須賀家には、変事が続出したので公は清玄坊の崇に違いないと、前罪を悔いて石碑をたて、末代まで供養する事を誓った所、 此の変事はピタリと止ったという。信じるか信じないかはあなた次第。
こちらは本丸より一段下がった場所にある天守跡。徳島城の天守は山の頂上にはなく、本丸より下に位置する東二の丸に三層の天守が設けられていたそうです。天守の一階部分は長さが14mもあったそうですが、当時天守台はなかったそうです。

●祖谷のかずら橋
日本三奇橋の1つとも言われる祖谷のかずら橋は、野生のシラクチカズラ(サルナシ)で編んだ吊橋(見えませんが現在はワイヤー補強あり)で、徳島県の代表的な観光スポットにもなっています。その昔、かずら橋は源平の戦いに敗れた平家の落人によってつくられたとの言い伝えが今も残ります。

<住所>
徳島県三好市字善徳162-2
<橋の通行料金>
500円。日の出~日没、年中無休。

<アクセス>
JR大歩危駅からバスで約25分640円、かずら橋バス停を下車し徒歩約5分。路線バスの運行本数は1時間に1本、他に同駅から4~11月運行の臨時シャトルバス(こちらも1時間に1本程度)もあります。
3年ごとに架け替えするそうなので、維持するのも大変なのでしょうが、橋を渡るだけで500円って少し高い気が・・・

●小便小僧(祖谷渓)
祖谷渓谷のシンボルでもある小便小僧(小便岩)は、世界的にも有名なベルギーのブリュッセルにあるものとは由来が異なり、かつて地元の子供達や旅人が度胸試しをしたという逸話をもとにつくられたそうです。眼下に広がる深い渓谷は絶景(恐怖)の一言です。

<住所>
徳島県三好市池田町松尾
<アクセス>
JR阿波池田駅からバスもありますが日に3本しかありません。現実的にはJR大歩危駅からタクシーで約30分。他、マイカー・レンタカーで。車の運転に不慣れな方は、道中待避所以外すれ違いのできない道幅が長く続くので注意です。徳島自動車道経由で来られる場合、県道32号線上にある祖谷温泉の少し手前になります。近くに国道32号線もあり間違えないように注意です。

●奥祖谷二重かずら橋(おくいやにじゅうかずらばし)
奥祖谷二重かずら橋は、源平合戦(治承・寿永の乱)の一戦である志度合戦(しどかっせん)で敗れた平家の落人が、平家再興を願い馬場での訓練に通うために架けた橋と伝わります。

<住所>
徳島県三好市東祖谷菅生
<橋の通行料金>
500円。日の出~日没、冬季休業。

<アクセス>
祖谷のかずら橋からは約30km程度離れた場所になります。マイカー・レンタカーでは地図上の国道439号の野猿が目印となります。バスではJR大歩危駅から終点の久保(約1時間、1210円)へ。そこから市営バス剣山行で二重かずら橋を下車(約1時間、840円)。駅から約2時間、平日運休、運行本数が日に2~3本と、ほぼ絶望的です・・・
祖谷のかずら橋から奥祖谷二重かずら橋へ向う途中、県道32号線沿いに見晴らしのよさそうな吊り橋があります。看板には龍宮崖公園と書いてありましたが、端を渡ったところにあるのはコテージらしきものだけで特に見所はありません。ただ、ここからの眺めは、かずら橋の何倍も素晴らしいです。
奥祖谷二重かずら橋から下を覗いた写真です。2~3歳の子供が一人で渡っていましたが、見ていて、すっぽりと抜け落ちそうで怖かったです。親が落ち着いた様子で近寄ってきましたが・・・
男橋と渡り終えると、小さいですが美しい滝があります。
かずら橋と言えば、祖谷のかずら橋が有名ですが、アクセスに難あり、訪れる観光客も少なく、写真の通りです。
奥祖谷二重かずら橋には男橋と女橋の2つの橋があります。こちらは女橋から男橋を撮影したもの。他にも人力で動かすロープウェイ、野猿とかいうのがあるらしいです。完全に見落としました・・・
そろそろ奥祖谷二重かずら橋に到着といったあたりに、写真のような場所があります。道端におばあちゃんがいるからと思い車を減速するも・・・
あっ、人形だ・・・
この自転車野郎も人形でした。奥に見える畑にいる人も全部です。
どうやらここ、かかし工房とかいうところの人形、いえ案山子(かかし)らしい。聞くところによれば番組とかの取材も多いらしいとのことです。
そりゃ取材も多いでしょう。この仕上がり具合は立派です。
あまりにもリアル過ぎます。

●落合集落(おちあいしゅうらく)
祖谷のかずら橋や奥祖谷二重かずら橋と同じく、源平合戦(治承・寿永の乱)の一戦である屋島の戦い(やしまのたたかい)で敗れた平家の落人が住んでいたという伝承の地です。
一帯は平地が少なく谷が深いため、集落が山の斜面にあるという独特の景観をつくりだします。

<住所>
徳島県三好市東祖谷落合
<アクセス>
JR大歩危駅から久保行きで約1時間、1140円。JR阿波池田駅からは約2時間、1680円で落合バス停を下車。本数は一日4本程度と、マイカー・レンタカー以外は、ほぼ絶望的なアクセスです。車の場合、集落の向かいの山に展望所あり。ただし展望所までの道のりは予想以上に長かったりします。
祖谷に伝わる平家物語
落合は東祖谷のほぼ中央、祖谷川と落合川の合流地点より山の斜面に沿って広がる集落で、平家の落人伝説や開拓伝承などが残っています。集落は急斜面が多く、寒さが厳しい祖谷の地では、水田での稲作は不可能であったため蕎麦の栽培が盛んに行われていました。蕎麦作りに適した土地と綺麗な水があることから、この地方での蕎麦は大変美味しく有名です。平家物語の冒頭にあるように、平安時代末期に武士の棟梁として、権勢の階段を昇り、栄華を極めた平清盛とその一門。その栄華の時代は20年と短く、源氏の挙兵によって追い詰められた平氏一門は、壇ノ浦の合戦を最期に滅びますが、正史、あるいは平家物語で語られた歴史物語とは別に、日本各地には平家の落人伝説がたくさん残っています。この地、徳島県三好市祖谷地区にも、屋島合戦で敗れた後、幼い安徳天皇を擁して平国盛(平教経)とその郎党が、この地に逃れてきたという伝説が残っています。そして、いつの日か都に帰り、平氏再興を果たすという望みをつないでいました。
そんな祖谷の歴史を学べるのが、比較的近くにある東祖谷歴史民俗資料館です。国道439号線沿いにあります。バスでは京上バス停を下車すぐですが、落合集落までのルートと同じバスなので運行本数少なく、マイカー・レンタカーでどうぞ・・・ 落合集落からだと徒歩では30分以上離れています。尚、トップの写真は落合集落の向かいの山にある展望所から撮影したものです。
入館料は400円で館内はとても狭いのですが、とても勉強になりました。
落合集落以外にも祖谷地方には江戸中期~末期に建てられた主屋(母家)等が多く残されています。写真は小釆家(こうねけ)住宅で、祖谷地方の代表的な小規模民家であり、国の重要文化財にも指定されています。
江戸末期(1804~1843)に建てられたものだそうで、シンプルな間取りとなってます。すぐ隣に、いやしの温泉郷という湯宿があり、日帰り入浴も可能です。
平家物語や平家の落人伝説にも登場してくる平国盛(教経)が隠れ住んだとされる阿佐家住宅。平家屋敷のわずかな案内板を頼りに山道を長いこと上り、車を降りてテクテクと坂を下りていくと、怪しい民家で旦那さんらしき人が洗濯物を干していました。あれ?間違えたかなと思っていると、こんちは~!と旦那さんのほうから挨拶してくれました。実は現在も住居として使用されているそうです。色々と有難うございました。
こちらは重要文化財にも指定されている木村家住宅(1699年)で、わりかし祖谷のかずら橋にも近いです。
こちらも住宅として現在も使われているそうで、住宅兼喫茶店となっています。見学は原則、喫茶店利用となります。こちらで休憩がてらコーヒー&よもぎ団子を頂きました。

●うだつの町並み
うだつ『卯建』は、2階の壁面から突き出した漆喰い塗りの袖壁です。江戸時代は火よけ壁とも呼ばれ防火の役目をしていましたが、明治時代になると防火よりも装飾に変わってきました。裕福な商家は富の象徴として、この「うだつ」を競ってあげました。ことわざ辞典にいつまでもぐずぐずして一向に出世できないことを「うだつが上がらぬ」と記してあります。

<住所>
徳島県美馬市脇町
<アクセス>
JR穴吹駅からはタクシーで約10分。徒歩では2時間以上かかり、バスは駅からこちら方面には運行していないとのことです。
うだつのある町並みは、ここ徳島県の美馬市と岐阜県の美濃市が全国的にも有名です。1707年に建てられた国見家は、この通りでは一番古い建物です。敷地は表通りから当時の吉野川に達する広いもので、川岸に門があり石段を通じて吉野川の船着き場に出ることができたそうです。
この通りで2番目に古い(1711年)建物、田村家。敷地は表通りから当時の吉野川川岸まで占められていたと言われ、繭糸業を営む赤谷家のものであったそうです。田村家は明治初期に入居し現在に至るとされます。
こちらは16世紀後半より脇町に居住し、18世紀半ばから醸造業を営んでいた森家です。
こちらは呉服屋を営む野崎家。初代野崎儀平が1856年に呉服屋を創業し一代で財を築いたそうです。
こちらは将棋名人、小野五平の生家(平田家)で、1831年に宿屋で生まれた五平は、泊り客の指す将棋を見て病みつきになり、7~8歳の頃には五平を負かす者はいなかったそうです。19歳で江戸に出て名人(天野宗歩)に弟子入りし、明治23年、四国では唯一人第12世将棋名人となりました。
家と家との間には『うだつが上がらない』の語源でもある卯建(うだつ)が立派に立っています。

ここ脇町は、吉野川左岸を鳴門にいたる撫養街道と、高松へ通じる讃岐街道が交差する要衝の地にあり、鎌倉時代以降に城下町として形成されました。江戸時代には舟運を利用して吉野川中流域における阿波特産の藍の集散地として発展。明治以降は繭(まゆ)の仲買および生糸の生産の中心地として栄え、藍商、呉服商、その他各種の商家が軒を連ねる町となりました。
いつしかこの「うだつ」は、防火対策というよりは富の象徴として装飾に凝るようになっていきました。
二階に取り付けられた虫籠窓(むしこ窓)は格子のようにしている窓で、盗難除け、部屋の明かりとり、風通しをよくするなどの役目があるそうです。外面は漆喰で仕上げられており、卯建と同じくこのような場所にも防火対策がされています。
これは格子造り(出格子)と呼ばれ、細かい角木を縦横に間をすかして組み合わせ、窓や出入り口に取り付ける建具です。店の出入り口に近いところは中が見えるよう間を広くすかし、座敷にあたるところは、細格子となっています。

●阿波の土柱(あわのどちゅう)
阿波の土柱は、約130万年前の礫層が侵食されてできたものです。固い岩石や礫層のある、抵抗力の強い部分だけが雨水などの浸食を免れてセメント化し、柱状、突塔状、筍状、屏風状等の土柱を形成しています。

<住所>
徳島県阿波市阿波町桜ノ岡
<アクセス>
JR学駅からバスで土柱を下車、1日2本しかないため、現実的にはマイカー・レンタカーで。徳島自動車道の阿波パーキングエリアからも徒歩約7分で土柱観光が楽しめるそうです。
阿波の土柱はアメリカのロッキー、イタリアのチロルに見られる土柱と並んで、世界三大奇勝と称されているらしい。とは言っても、見る場所は写真の部分だけなので、時間に余裕があれば立ち寄ってみては如何でしょう。



徳島県の観光