●浄蓮の滝(じょうれんのたき)
落差25m、幅7mの伊豆最大の名瀑である浄蓮の滝。かつて近くに浄蓮寺という寺院があったことから名付けられ、歌や小説の舞台にも登場し、伊豆半島を代表する観光スポットでもあります。

<住所>
静岡県伊豆市湯ヶ島892-14

見学は自由です。
<アクセス>
伊豆半島は静岡県とはいえ、静岡駅からは随分と離れた位置にあります。東京駅、又は静岡駅からは新幹線の停車する三島駅から伊豆箱根鉄道で修善寺駅まで約35分。そこから昭和の森・河津駅方面のバスで浄蓮の滝を下車、約30分。運行本数も1時間1〜2本程度と少なく、観光にはマイカー、レンタカーがお薦めです。
伊豆半島は大きく分けて半島の地図右側の東伊豆、左側の西伊豆、半島の先端の南伊豆、そして浄蓮の滝のある中伊豆に分けられます。温泉地が多い伊豆半島。温泉旅行であればアクセスは鉄道、バスでも問題ありませんが、アクティブに動くとなると各観光地までのバスの本数は少なく、鉄道も熱海〜下田(東伊豆)と、三島〜修善寺(中伊豆)までしかありませんので、周辺の観光には車がお薦めとなります。

車でのアクセスの場合、東伊豆は所々で渋滞が発生するので注意が必要です。特に海水浴シーズンは恐ろしい混雑となります。
近くには歌や小説にも登場する天城峠があり、川端康成の短編小説である伊豆の踊り子では孤児根性(孤独で不幸だと思う性格)で歪んでいる主人公(20歳)が旅の途中で旅芸人の一行と出会い、一人の踊り子(14歳)に慕われ、自分もまた心を惹かれていくという物語の舞台にもなっています。滝までの遊歩道入口には踊子と私の像があります。

青年の指差す方向には天城峠があり、湯ケ島温泉まで続く3.5kmの天城遊歩道が整備されています。
ちなみに、この踊子と私の像は滝入口にあるのですが、滝までは他の近くにある駐車場からもアクセスが可能で、そちらの入口から行くと見落としてしまいます。又、観光案内板にある伊豆の踊子碑とは違いますので要注意。
滝の断崖に群生しているのは伊豆半島と九州南部にのみ確認されているハイコモチシダという植物です。
周辺にはわさび園も多く、ここ天城へわさびが入ってきたのは1737年、椎茸栽培を教えに駿河の国・有東木(現静岡市)に行った板垣勘四郎がそこから苗を持ち帰って植えたのが始まりです。

江戸後期になって江戸前寿司(にぎり寿司)が盛んになり、それに使われるわさびとして、天城のわさびがその良質の香りと辛味によって、多くの人に喜ばれるようになったそうです。

●土肥金山(といきんざん)
江戸時代から昭和にかけて多くの金を産出した土肥金山。明治から昭和にかけては佐渡金山に次ぐ金の産出量を誇ったといいます。金山は昭和40年に閉山し、現在は観光坑道として利用されています。又、資料館にはギネスにも認定されている250kgもの巨大金塊に触れることも出来ます。

<住所>
静岡県伊豆市土肥2726
<営業時間>
年中無休 9:00〜17:00(季節変動有り) 840円。

<アクセス>
浄蓮の滝までと同じく修善寺駅からバスが出ています。約50分、1280円。三島駅からのバスも有ります。修善寺方面からは国道136号線を進み、突き当たりを左折です。
敷地内には約400mの観光坑道の他、黄金館(資料館)、砂金館(砂金採り体験:別料金)もあり広々しています。
観光用は400mしかありませんが、実際の土肥金山の坑道は総延長100km、地底深度180mに及び、切羽(きりは:採掘現場)が深くなるにつれ温泉熱や通気が悪くなり各所には木製の送風器などが置かれていたそうです。
しばらく進むと、なんとも贅沢な金箔貼りの鳥居があります。奥には金山守護の神、大山祇尊(おおやまずみのみこと)を祀った山神社(さんじんじゃ)があります。
土肥金山の生産量は金40t、銀400tを産出したそうです。産金が増えると人の交流も多くなり、江戸時代には奉行所、武家屋敷、坑夫長屋、勝場、床屋などの金山関連の建物をはじめ、商家、旅籠、遊女屋など山内、町屋は繁盛し昼夜を問わず活気があったそうです。

観光坑道は江戸時代の金山採掘の様子を人形を使って再現されていて、電動で動いたり、喋ったりしています。
江戸時代には女性も坑内で働くことが多く、なかには夫婦一緒に働き男は金掘り、女は運搬の仕事をしていたそうです。

この他にも地下水を汲み上げる作業や留木(坑木)を使って落盤や落石を防ぐための作業などが人形で再現されています。
ここに露出している金鉱脈は坑口前面の露頭を手掛かりに天正年間から掘り始めた跡です。天正年間とは江戸時代より前の安土桃山時代になります。
黄金館では江戸時代の貨幣制度についてや、お金の単位などを学ぶことができます。しかし、なんと言っても見所はギネスにも認定されている250kgの巨大金魂で、訪問時の価格に換算すると、9億7500万円!だそうです。嬉しいことにこの金魂、触ることが出来ます。12.5kgの金魂も展示してありましたが、こちらも触ったり多少動かすことが出来ます。
砂金採り体験は30分間採り放題だそうです。ちなみに坑道見学とは別に料金がかかります。

●富士山本宮浅間大社
全国にある浅間神社の総本社、富士山本宮浅間大社(ふじさんほんぐうせんげんたいしゃ)は、日本神話によるニニギの妻、海幸彦、山幸彦の母でもある木花咲耶姫(コノハナノサクヤビメ)を祀り、富士山を神体山とした神社で世界遺産にも登録されています。

<住所>
静岡県富士宮市宮町1-1
<アクセス>
JR身延線の富士宮駅より徒歩約10分。マイカーであれば駐車場は最初の30分は無料です。

境内自由。
 本宮の境内の広さは約17000坪もあるそうです。もっとも奥宮は富士山の山頂にあり、8合目以上が浅間大社の境内なのですが・・・
毎年5月5日には流鏑馬祭が行われます。弓術には装束から的の形状まで異なる小笠原流と武田流とがありますが、こちらでは小笠原流となっています。
こちらは美しい楼門。社伝によれば、浅間大社は第7代孝霊天皇の時代に富士山が噴火し、人民が離散し国内が荒れ果てたので、その後、第11代垂仁天皇が富士の山足(山麓)の地に浅間大神(木花咲耶姫)を祀ったのが当社の始まりと伝えています。
鉾立石。その昔、4月、11月の大祭礼に山宮へ御神幸の際、鉾を立てた石と書いてあります。
こちらは重要文化財に指定されている本殿。ちなみに写真トップにあるのが拝殿で、その奥側にあります。幣殿・拝殿・楼門とともに1604年に徳川家康が奉賽のために造営したものが現存しています。
武田信玄お手植えの枝垂れ桜(二世)。他にも拝殿前には火山弾とか、何故か南極の石だとかが置いてあります・・
霊水を汲んでいる人が多かったです。飲用は煮沸を勧めていました。隣にある池は湧玉池(わくたまいけ)。
この池の水は霊峰富士の雪解け水が溶岩の間から湧き出るもので、水温は一年を通じ13℃と一定しているそうです。昔から富士道者はこの池で身を清めて六根清浄を唱えながら登山するのが習わしなのだそうです。
柿田川公園にも負けない美しい池でした。ただ、鯉と間違えるほど大きなマスだかイワナだかが沢山いるのが不気味でしたが。まだ時間に余裕のある方は、ここから村山口登山道(未整備)を抜けて奥宮へどうぞ。

●三嶋大社(みしまたいしゃ)
大山祇命(おおやまつみのみこと)、積羽八重事代主神(つみはやえ ことしろぬしのかみ)の二神を祀った三島市にある神社であり、創建時は不明ですが奈良、平安時代の古書にも記録が残っているそうで、伊豆国へと流罪となった源頼朝も深く崇敬していたそうです。

<住所>
静岡県三島市大宮町2-1-5

<アクセス>
静岡駅から約70分、JR東海道本線の三島駅から徒歩10分程度です。
こちらは境内にある、たたり石。もともとは大社前の旧東海道の中央にあった石だそうで、行き交う人の流れを整理する役目があったそうです。やがて東海道が往来頻繁となり、この石を取り除こうとする度に災いがあったらしいです。この為、今では交通安全の霊石としての信仰があるそうです。
時間のある方は三島駅の観光案内所に置いてある、せせらぎマップ片手にここから散策してみましょう。写真は中郷温水池です。せせらぎマップの中では、よくばりコースとなるそうで、ここまで結構歩きます。
帰りは源兵衛川水辺の散歩道を通るのがお薦めです。ただし、コース中には飛び石を渡る箇所も多く、老人、子供は危険です。途中には伊豆箱根鉄道の三島広小路駅があり、この駅前に桜屋と言う人気の鰻屋さんがあります。三島駅周辺にも美味しい鰻屋さんはありますが、こちらは行列するほど繁盛しています。余談ですが、豆知識として三嶋大社の神使いが鰻であることはあまり知られていません。

●久能山東照宮(くのうざんとうしょうぐう)
武田氏滅亡の後、徳川家康が領有した久能山。家康は大御所として駿府に在城当時「久能城は駿府城の本丸と思う」と、久能山の重要性を説いていたとされ、家康薨去後には遺言によりここへ葬られました(続きの遺言にて後に日光東照宮へ改葬)。権現造り総漆塗り極彩色豊かな豪華な社殿は、本殿・石の間・拝殿が国宝に指定されています。

<住所>
静岡県静岡市駿河区根古屋390
<拝観料>
500円。9:00〜17:00(10〜3月末までは16:00まで)

<アクセス>
JR静岡駅からバスで約50分、終点の日本平から(日本平山頂に無料駐車場あり)出ている日本平ロープウェイを利用(往復1000円)。又は久能山下(500円程度の有料駐車場あり)からの徒歩ルートもあります。
アクセスに関しては、公式サイトにて詳しく書かれています。
全国的に猛暑日の中、久能山下ルートを選択してみました。なにせ運動も出来てロープウェイ代1000円もお得です。車で行ったので駐車場代500円を考えるとお得感は疑問ですが・・・ ちなみにロープウェイ乗り場はこの山の向こう側なので、両ルートとも全く異なる場所からアクセスするようになります。
上ってすぐにある久能山徳音院。徳川家康をはじめ三代将軍に仕えた南光坊天海(慈眼大師)によって開かれた徳音院。薬師如来を御本尊としていますが、明治の神仏分離令からの廃仏毀釈運動によって山上の寺院は取り壊され、徳音院だけが元三、慈眼両大師堂として残されました。
さぁさぁ、本殿を目指しましょう。ここから山頂までは石段が1159段もあるらしいです。約20分とありましたが、一段一段がとても低いので、あまり苦にはなりませんでした。尚、公式HPによればこの石段、1159段あることから「いちいちご苦労さん」と言われているとか。まるでロープウェイから来る人に言われているような・・・
上から見下ろすとこんな感じです。あんまり運動にはならないかと思います。自分でも意外でしたが・・・
この一ノ門までくれば、長い石段もほぼ終わりです。ここまで909段だそうですよ。
ここからの眺望は最高です。ロープウェイを利用された方も、わざわざここまで来る人も多くいました。
こうやって見ると、随分と高い場所まで頑張って上ってきたものだと思いますが、それほど辛くはないです、本当に。
ここから先は有料エリアとなります。ロープウェイ利用者ともここで合流となります。写真は重要文化財にも指定されている楼門で、後水尾天皇の御宸筆(直筆)の「東照大権現」の額が掲げてあります。
礎石しか残っていませんが、神仏分離令までは五重塔が建っていたらしいです。
他にも写真の鼓楼とか神馬の彫刻がある神厩とかのミニスポット?も点在しています。んでもって何気に重文だったりします。
元は薬師如来像を安置する薬師堂として扱われていたそうですが、神仏分離令によって仏像を廃し日枝神社と名称を改めたそうです。こう見えても1617年に建てられたもので、重要文化財に指定されています。
写真トップが国宝の拝殿です。日光東照宮と比べると彫刻の数は随分と劣りますが、久能山東照宮あっての日光東照宮、なかなか見応えあります。拝殿の奥には本殿があり、二つを石の間で接続した権現造と呼ばれる建築法は、当時の最高の技術を使って建てられています。家康の没後、徳川秀忠は家康を祀る神社を建てることを命じ、大工棟梁の中井正清によって1年7ヶ月という短期間でこの社殿が建てられたそうです。ちなみにこの神社の神様は東照大権現であり、つまりは徳川家康公であります。お間違えなく・・・
拝殿正面の上部には、とある故事にちなんで施された小さな彫刻があります。この彫刻は司馬温公(しばおんこう)の甕(かめ)割りと呼ばれ、中国北栄の政治家、司馬温公の少年時代のお話です。ある日、一緒に遊んでいた友達が水甕の中に落ちて溺れてしまいました。もう一人の友達はハシゴをかけて助け出そうとします。一方、聡明な司馬少年は「それでは間に合わない!」と近くの石で甕を割って助け出しました。命の尊さを説いているとか、いないとか。。
こちらが家康の墓所である神廟へと向います。なんか入り組んでいて境内は迷路のような楽しさもあります。
こちらが家康の墓所。後に遺骸は日光東照宮へと移されています。尚、御廟所は家康の遺命によって西向きに建てられています。

●三保の松原(みほのまつばら)
東海道五十三次で知られる歌川広重の浮世絵、六十余州名所図会にも描かれた日本新三景のひとつ三保の松原。霊峰富士の眺望、絶景をもって、遠く万葉歌人に詠歌され、また日本の伝統芸術である能「羽衣」によって平安時代より多くの人々に親しまれている名勝地で世界遺産にも登録されています。

<住所>
静岡県静岡市清水区三保
<アクセス>
車以外は特にお薦めはしませんが・・・ JR清水駅から三保山の手線の三保車庫前、又は東海大学三保水族館行きで白浜町を下車、徒歩約10分です。車の場合は羽衣の松の近くに大きな無料駐車場があります。土産物屋さんも数店舗あります。
地上に舞い降りた天女が浜辺の松に懸け忘れた羽衣。漁夫、伯梁(白龍)はその美しい羽衣を見つけて大喜び。天女は羽衣がないと天に帰ることができず、それを返してもらうために天人の舞を舞うというのが羽衣伝説。長くなりましたが、そん時の松なんだそうです。ちなみに写真の羽衣の松はだいぶ老いているため、隣には世代交代した羽衣の松(新松)が植えてありました。で、伝説がねじ曲げられていくぅ・・・
浜辺に出て左手に5分くらい歩くと、もしくは美しい松林の遊歩道を左手に進めば霊峰富士、松、浜辺の美しい世界遺産に相応しい?素晴らしい光景を目にすることができます。

地図の下(北)方向へ行くと、松並木(神の道)が500mほど続き、その先には羽衣の松を神木とした御穂(みほ)神社があります。なんと、羽衣の切れ端があるそうです。羽衣、天女に返したとちゃうんか〜い!!!

●来宮神社(きのみやじんじゃ)
來宮神社は、古くから来宮大明神と称し、熱海郷の地主の神であって来宮の地に鎮座し、来福・縁起の神として古くから信仰されています。平安初期の征夷大将軍坂上田村麻呂公は、戦の勝利を神前で祈願し、各地に御分霊を祀ったとも伝えられています。

<住所>静岡県熱海市西山町43-1
<アクセス>
JR来宮駅から徒歩約5分です。熱海の中心街からもアクセス可能ですが、往きが上り坂となりますので要注意です。
熱海に泊まりに来た時に散歩しながら見つけた来宮神社。そんな神社があることだけは知っていたのですが、あまりの訪問者の数に驚きました。
竹に囲まれた参道が美しく映える場所として有名なのか若い人が目立ちます。
京都伏見稲荷大社より勧請されたという来宮稲荷社。
大きな岩の上には來宮弁財天がありました。
さらに趣のある小道を進んだ先に、この神社一番の見所ともいえる大楠があります。
どど〜んと天高く伸びる本州1位の巨樹。樹齢は推定で2000年以上もあるという大楠。この楠を一周すると寿命が延びるとか延びないとか...
第二大楠も樹齢は2000年を超えているらしいです。どうやら来宮神社は日本屈指のパワースポットとのことで、どうりで若者が多かったんだと納得です。

●清見寺(せいけんじ)
奈良時代に創建したと伝わる清見寺は、足利尊氏や今川義元らに外護され繁栄したそうです。徳川家康も今川氏の人質であった頃に、当時の住職であった太原雪斎によって教育を受け、天下統一後も家康はここ清見寺に度々足を運んだといいます。

<住所>
静岡県静岡市清水区興津清見寺町418-1
<拝観料>
300円。

<アクセス>
JR東海道本線の興津駅から徒歩約15分です。駅を出て国道1号線を右にひたすら直進して下さい。右手上に見える小さな総門が目印です。
1651年に建てられたという山門です。ちょっとした彫刻が見事に施されています。清見寺は古くは奈良時代に関所が設けられ、この守護として仏堂が建立さらたのが始まりとされます。
釈迦如来坐像を安置する1842年に建てられた仏殿(1844年)です。写真トップは大方丈(1628年)で、内陣正面に琉球王子筆の「永世孝亨」の額が掲げられています。
琉球国王一行に従って江戸幕府に赴く途上に駿府に於いて病死した具志頭朝盛(尚寧王の弟)。後に駿河王子とも呼ばれ、王子の墓も当寺に残っています(移葬により遺骸はないらしい)。
拝観順路は本堂→庭園→書院→潮音閣だそうです。

写真は、なんとも恐ろしい血天井のある間。正治2年(1200年)正月、梶尾景時は一族を率いて上洛のため鎌倉を出ますが、途中の清見関にて一戦交えます。この建物の一部は清見関の古材を使用しているそうで、戦いの血痕が今も天井板に残ります。
手形のように、はっきりしたものは残りませんが、あきらかに木目とは違う不自然なシミが怖いです・・・・
竹千代(家康)が今川氏の人質だった頃の手習いの間(勉強部屋)が残っています。本堂は改築されていますが、この欄間、床、違棚等は当時のままだそうです。
江戸初期に作庭された築山池泉廻遊観賞園と呼ばれる庭園は立派です。初期の築庭には家康の意向もいれられているとか。虎石、亀石、牛石などを家康公が配置とありますが、どれが亀だか牛だか・・・
1876年に建築された書院です。この清見寺には夏目漱石や島崎藤村、高山樗牛、北原白秋、与謝野晶子など、多くの文人詩人も訪れたことがあるそうです。観光客は皆無ですが、何気にすげ〜なと思った清見寺・・・
境内左奥には五百羅漢像もあったりします。どれも江戸時代中期に彫られたものらしいです。


静岡県の観光