●鳥居観音(とりいかんのん)
白雲山鳥居観音は埼玉百選に選ばれた観光名所であり、広さが約30haほどあり、その山内各所には開祖、平沼彌太郎氏 (雅号:平沼桐工、元埼玉銀行頭取・元参議院大蔵委員会)が亡母の遺志を継がれ、昭和15年聖観音を刻彫して以来仏刻を続け、山林を開拓植樹して30年以上もの長い歳月をかけて築かれた建造物が存在します。

<住所>
埼玉県飯能市上名栗3198
<アクセス>
西武池袋線の飯能駅下車し、バス(名栗車庫行、又は湯の沢行き)で連慶橋停留所下車、徒歩5分です。

<拝観時間>
9::00〜15:00頃 入山料金200円(徒歩約40分)、車500円(約5分)、バイク300円。尚、山頂の救世大観音は平日と12〜2月は閉館しています。別途、拝観料200円。
昭和32年5月に建立された本堂。内陣には平沼氏が彫った多くの仏像が安置されています。
山全体が境内となっています。歴史の浅い単立寺院ですので、車の方は一気に山頂の観音様を目指しましょう。道幅狭く急斜面なので運転は要注意です。静かな場所で空気も綺麗なので、天気の良い日はハイキングがてら山頂を目指すのもいいでしょう。
どど〜んと、そびえ立つ高さ33mもの救世大観音と脇にいる小観音。
救世大観音の中は、126段もの螺旋階段を使って屋上まで行くことができます(200円)。階段は狭いし疲れるし夏場は蒸暑いしと、悪いことだらけですが、展望台からの景色は素晴らしく、涼しい風が吹いています。
他にも美しい仁王門や西遊記で知られる玄奘三蔵法師の霊骨が祀られている玄奘三蔵塔など、見所?は意外とあります。観光客も皆無な場所なので癒されたい人向けなスポットです。

●鷲宮神社(わしのみやじんじゃ)
日本武尊が造営したとされる鷲宮神社は、社伝によれば出雲族の草創に係る関東最古の大社とのことで、徳川家康をはじめ歴代の将軍によって古くから社領が安堵されてきました。祭神には天穂日命、武夷鳥命、大己貴命の三柱が祀られています。

<住所>
埼玉県久喜市鷲宮1-6-1
<アクセス>
東武伊勢崎線鷲宮駅から徒歩約10分です。大宮駅からは久喜駅で乗換え、約30分程度です。
中世以降、関東の総社、関東鎮護の神として武将の尊崇も厚かったとのことで境内も広いです。アニメのモデルにもなった神社との事で、それ風の人が多いのかな?と思いましたが、実際には家内安全系の御利益を求めた子連れの参拝者が多くて驚きました。
出雲系の神社に多い珍しい構えの狛犬です。
龍神様が住んでいると言い伝えられているこの池は、『天まで光り輝くような池』という意で光天之池(みひかりの池)という名前だそうです。
手水舎にあった立派な彫刻。
能舞台にあった珍しいタコの彫刻。
写真のトップが拝殿で、その拝殿の向かいに能舞台があります。鷲宮神社に伝わる鷲宮催馬楽神楽(土師一流催馬楽神楽)は関東神楽の源流とされ、国の重要無形民族文化財に指定されています。
拝殿奥にある本殿です。本殿の周囲には多くの摂末社があります。

●平林寺(へいりんじ)
平林寺は、正式には金鳳山平林禅寺といい、専門道場をもつ関東の代表的な臨済宗妙心寺派の禅刹です。南北朝時代の1375年に岩槻城主、大田備中守(おおたびっちゅうのかみ)を開基、石室善玖禅師(せきしつぜんきゅうぜんし)を開山として岩築(槻)城の北西、金重村の地に建立されました。その後、大河内松平家の霊廟となり、幕府の老中で川越藩主となった松平信綱の遺言により、その子の輝綱によって1663年に岩槻から野火止の地に伽藍および墓石に至るまで移築されました。
<住所>
埼玉県新座市野火止3-1-1

<アクセス>
東武東上線の志木駅、朝霞台駅、又は西武池袋線の東久留米駅からバスで平林寺を下車。位置的にはJR武蔵野線の新座駅が一番近いのですが、バスの本数が少なく徒歩だと40分程度かかります。車でお越しの方は有料駐車場あり。

<拝観料>
500円 9:00〜16:30
新座駅からは交番やバスロータリーのある南口を出て左手に進みます。そこから信号2つ目を右折し、しばらく進めば用水路が見えてきます。駅からは徒歩で早足でも30分、ゆっくり歩いて1時間程度の道ですが、歴史の趣を感じながら野火止用水(のびどめようすい)に沿って歩けばいい運動にもなります。
野火止用水(のびどめようすい)
野火止用水は1655年に徳川家康の家臣、大河内久綱の子でもあり、川越藩主であった松平信綱(松平伊豆守信綱)が、武蔵野開発、野火止台地開拓、生活用水の確保を目的として開削した用水路です。幕府の老中職を務めていた信綱は、1653〜1654年にかけて、江戸市中の上水を確保するため難工事の末に玉川上水を完成させ、この功績により玉川用水から三分(三割)の分水許可を得て、野火止用水の開削に取りかかります。工事は家臣である安松金右衛門らに命じておこなわれ、全長25kmにも及ぶ用水は多摩群小川村(現、東京都小平市)で玉川上水から分水され、費用は三千両を要したとのこと。川越の商人、榎本弥左衛門が書いた萬之覚(よろずのおぼえ)によると、掘り始めたのが1655年2月10日頃で、40日後の3月20日頃には水が流れてきたことが記されているそうです。その後、平林寺堀、陣屋堀などの支流がつくられ、豊かな水を得た土地の人々はこの用水に深く感謝して伊豆殿堀とも呼んだそうです。
周辺の雑木林には多くの自然が残されていて、平林寺の境内を中心とした約56haの森が国の天然記念物に指定されています。また、ここは県内平野部における屈指の鳥類生息域でもあるそうです。
拝観受付のある総門を過ぎると正面に立派な山門が見えてきます。1663年に創建された山門の両脇には迫力ある金剛力士像が、楼上には見ることはできませんが釈迦三尊佛、その左右に十六羅漢像を安置しているそうです。
1663年に創建され釈迦堂とも云われる佛殿(仏殿)。本尊は釈迦牟尼佛で左右に迦葉(かしょう)尊者、阿難(あなん)尊者を安置しています。
その先にあるのが写真トップの本堂(1880年再建)の手前にある中門です。総門、山門、仏殿、中門は県指定有形文化財にも指定され、これらの建築物が本堂まで一直線に並んでいるのも禅宗様式の特徴です。
川越藩主で三代将軍家光の老中を務めた松平信綱をはじめとする大河内松平家歴代の廟所は広大です。
こちらが松平信綱のお墓です。墓が沢山あって分かりづらいんですが、看板があります。法名『松林院殿乾徳全梁大居士』と書いてある(信綱の文字も小さく見えます)のが信綱のお墓です。他にも境内には豊臣五奉行の1人でもあった増田長盛の墓や、夏目漱石の小説、草枕に登場する熊本小天温泉の美人、那美(なみ)のモデルとされる前田卓(つな)の墓などマニアックな墓もあります。
平成21年に天皇皇后両陛下も訪れた平林寺。前回の昭和52年に訪れた時のお言葉『このかけがえのない武蔵野の自然を訪れる人々が自然の生態系の微妙な仕組みに十分留意することによって美しく豊かな自然が保たれいつまでも人々を楽しませてくれるよう願っております』

●金昌寺(きんしょうじ)
西国三十三箇所、坂東三十三箇所とともに日本百番観音に数えられてる秩父札所三十四箇所の中の札所4番、高谷山金昌寺。表情豊かな1319体にも及ぶ石仏は見所の1つです。

<住所>
埼玉県秩父市山田1803
<アクセス>
西武鉄道の西武秩父駅からバスで約20分、金昌寺を下車し徒歩約5分。境内自由。
入口にある仁王門にある大わらじも人気の1つ?全国の寺院でたまに見かける大わらじは、旅の安全などを祈願し奉納されたものが由来になっているそうですよ。なにせ巡礼が広まった江戸時代には、当然汽車も車もありませんから草鞋命となる訳ですね。
巡礼と言えば、お遍路さんで知られる四国八十八箇所が有名ですが、こちらは弘法大師空海の足跡をたどったものです。一方の秩父札所巡りは、観音霊場を巡礼するもので、西国の三十三箇所と、坂東三十三箇所を足して、縁起よく100箇所になるように、西国、坂東より1つだけ多い三十四箇所となったそうです。
現在何体あるのかは分かりませんが、これら数多くの石仏は、宝永年間より江戸、北陸、山陰、山陽を問わず全国的に分布する信者により菩提供養のため奉納された石仏だそうです。
写真トップが本堂で、江戸中期に建てられたもの。本尊は十一面観世音立像となっています。回廊脇にある子育て観音像も密かに人気らしい。←なんとなく・・・
こちらが子育て観音像。
この盃を頭に乗せた禁酒地蔵とかいうのも有名らしい。
本堂裏手の奥の院への道は、ぐるっと一周しても3〜4分程度です。

●調神社(つきじんじゃ)
伊勢神宮への貢(調)物の御倉を建てるため、崇神天皇の勅命により創建したと伝わる調神社。当社に搬入する妨げになるとの理由から鳥居や門は一切なく全国的にも珍しいものとなっています。調(つき)=月=兎の結びつきにより古くから月待信仰における神使いとして狛犬の代わりに狛兎がいるのも特徴です。

<住所>
埼玉県さいたま市浦和区岸町3
<アクセス>
JR浦和駅から徒歩約10分です。浦和駅までは都内からでも池袋駅から約20分、新宿駅からでも約30分です。
神使いのうさぎちゃんが出迎えてくれます。
ご覧のように境内もそこそこ広い神社ではありますが鳥居がありません。ちなみに右手のほうにある裏口的な参道には鳥居が建ってました。
手水舎も勿論うさぎちゃんです。別な場所にも手水舎があるのですが、ここにも、そこにも『水汲み禁止』という貼紙がありました。もしかして美味しい水なんでしょうか?気になります。。
総欅の権現造りで建てたれた現在の本殿は、焼失もあり江戸時代に建てられたものです。彫り物にもちゃんと兎が彫られていました。
こちらは神楽殿です。普段はひっそりとした境内ですが、明治時代から続いている『十二日まち』では毎年多くの露天が並び、たいへん賑わうそうですよ。
神池と呼ばれている池にも兎ちゃんが水出してます。他にも当社にゆかりのある摂末社や樹齢数百年とも言われているイチョウの木なんかも見所?です。

●所沢航空発祥記念館
日本初の飛行場として知られる所沢飛行場の跡地にある所沢航空発祥記念館。館内では航空機の仕組みから歴史まで、航空機に関する多くの実機や資料をもとにを紹介しています。

<住所>
埼玉県所沢市並木1-13

<開館時間>
9:30〜17:00 月曜、年末年始休館。
<入館料>
510円。大型映像館との共通券は820円。

<アクセス>
埼玉県内でも、そこそこ栄えている所沢駅の隣駅、西武鉄道新宿線の航空公園より徒歩7〜8分程度です。大宮駅から電車で約1時間ですが、都内からのアクセスのほうがよく、池袋駅から約30分、西武新宿駅からでも約40分です。
最寄駅となる航空公園駅前にあるエアーニッポンのYS-11。年に何回か内部が公開されるようです。
駅から所沢航空発祥記念館までは所沢航空記念公園という大きな公園を通り抜けていきます。写真はかつて航空自衛隊でも使用されていたC-46。
日本庭園もあったりします。とにかくこの記念公園は広いのです。
公園をぐるっと一周してから館内へ。それほど館内は広くはないのですが、日本初の国産軍用機、会式一号機(レプリカ)をはじめ、昔の戦闘機やヘリコプターなどが数多く展示されています。何故だかエンジンの展示もとても多かったです。他、零戦の設計者である堀越二郎氏の生涯なども詳しく紹介されてました。
実機の展示も多くて見応えありますが、航空機の仕組みなども分かりやすく解説してあって勉強になります。日本の航空機史だけでなく、動力を使った飛行機の飛行に初めて成功したライト兄弟の話とか、世界初のガス気球が着陸したゴネス村のちょっと笑える話などもありました。
日本航空協会が重要航空遺産の第1号に認定したという九一式戦闘機も保存されています。時間がある方は縦15m、横20mもの大型スクリーンで上映される大型映像館もどうぞ。

●氷川女体神社(ひかわにょたいじんじゃ)
同県にある有名な氷川神社はスサノオを祀りますが、氷川女体神社(氷川女體神社)ではスサノオの妻であるクシナダヒメ(奇稲田姫命)を祀り、ここを女体社としています。

<住所>
埼玉県さいたま市緑区宮本2-17-1
<アクセス>
JR武蔵野線の東浦和駅からバスで朝日坂上、又は宮本1丁目バス停を下車し徒歩約10分。境内自由です。
氷川女体神社は、大宮の氷川神社とともに武蔵一宮といわれ、武蔵国有数の古社であります。また、古来より見沼の竜神を祀るための御船祭を行う神社としても知られています。
御船祭は干拓によって沼が消え、しばらくは途絶えましたが、幕末から明治初期頃は磐船祭と呼ばれ復活し、祭礼場の跡が今も隣にある見沼氷川公園に残されています。現在でもこの祭りは祇園磐船竜神祭と、さらに名前を変えてはいますが、毎年5月4日に行われています。

●浦和くらしの博物館民家園
さいたま市立浦和博物館の分館として、江戸時代から大正時代に建てられた民家や倉庫などが移築復原され野外展示してあります。

<住所>
埼玉県さいたま市緑区下山口新田1179−1
<アクセス>
JR武蔵野線の東浦和駅から徒歩約25分、又はJR浦和駅からバスで念仏橋を下車。入園無料、9:00〜16:30。年末年始、月曜休。

写真は大正時代に、かんぴょう問屋の倉庫として建築された旧浦和市農業共同組合三室(みむろ)支所倉庫を移築復元したもの。
写真左手の綿貫商店は明治初期に店を構えたとされ、主に肥料と荒物を扱っていたそうです。写真右手にある高野煎餅店は明治後半になって、傘製造業・池田彦吉家から買い取ったもので、戦中・戦後の食糧難の時期には、お客さんが持ってきた米を煎餅に加工し、委託加工賃をもらうことで商売を続けていたそうです。
江戸時代中期と考えられている旧蓮見家住宅。
江戸時代後期と思われる旧武笠家表門。
庫裏として使われていた旧野口家住宅。床板から1858年の墨書が確認され、この時期またはそれ以前の建立と考えられているそうです。

●見沼通船堀(みぬまつうせんぼり)
見沼通船堀は江戸時代に築造された閘門(こうもん)式運河で、徳川幕府の命を受けて、見沼の新田開発を行った幕府勘定方の井沢弥惣兵衛為永(いざわやそべえためなが)によって1731年、東西の見沼代用水路(農業用水路)と排水路である芝川の間に開かれました。

<住所>
埼玉県さいたま市緑区大間木・下山口新田
<アクセス>
JR武蔵野線の東浦和駅から徒歩約10分。駅から端の東縁の関まで行って帰って30〜60分程度でしょうか。
見沼代用水路と芝川の間の3mの水位差を調整するために、東西とも2ヶ所ずつの閘門が設けられ、この通船掘の開通によって、江戸からの船が見沼代用水路縁辺の村々へ、また見沼代用水路縁辺の村々から江戸へと舟運が発達したそうです。尚、この閘門式運河の実用化は、パナマ運河のものよりも歴史が古いそうです。規模が違いますが・・・
こちらが芝川です。先ほどの写真は西縁で、この芝川を越えたあたりにも立派東縁の閘門があります。あくまで復元されたものですが・・・
仕組みは枠抜き担当の人が角落板を1枚ずつ積み上げ、最終的に10枚近くを積み上げ、一の関と二の関との水位を同じになるように調整します。見沼通船に使われた船は「ひらたぶね」と呼ばれ、底は平らで長さ11m、幅2m程、約60kgの米俵を100〜150俵も積めるものでした。年1回の実演があるそうです。
近くには江戸時代に建立したと考えられている附島(つきしま)氷川女体神社とかもあります。かつては女体明神社と呼ばれていたそうです。見沼通船堀と並行する県道103号線沿いにあります。
他にも井沢弥惣兵衛為永に従って、見沼干拓事業に参加していた鈴木家住宅とかもあったりします。駅からだと芝川の手前あたりになります。上の地図では稲荷神社の少し先、県道103号線沿いです。



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