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●三峯神社(みつみねじんじゃ)
社伝によれば、三峯神社(三峰神社)は景行天皇41年(111年)、日本武尊(ヤマトタケル)が東国出征の折に登った当山にて、山川が清く美しい様子をご覧になり、伊弉諾尊(イザナギ)、伊弉册尊(イザナミ)の国造りを偲んで創建されたそうです。
<住所>
埼玉県秩父市三峰298-1
境内自由です。 |
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<アクセス>
秩父鉄道の西武秩父駅からバス、三峯神社線で約80分、900円、同じく秩父鉄道の三峰口駅からは約50分、650円です。大宮駅や池袋駅からは2時間程度の位置にあります。又、バスは1日3〜5本程度しかありませんので注意です。 |
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バス停、又は駐車場から歩いて2〜3分のところにある鳥居。鳥居の両脇に小さな鳥居が寄り添っている珍しいもので、三ツ鳥居(みつとりい)と呼ばれています。この意味は今現在も謎なのだそうです。 |
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古事記や日本書紀に登場する伝説の英雄、ヤマトタケル。日本神話の登場人物として実在は疑われますが、第12代景行天皇の子とされています。尚、この日本武尊銅像は本体5.2mもあるそうです。日本神話については宮崎県あたりのページを参照して下さい。 |
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本殿へは左手にある随身門を抜けていきますが、その前に右手にある遥拝殿に寄ってみましょう。ここでは奥秩父の美しい山々を見下ろすことが出来ます。 |
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こちらが1691年に建立、1792年に再建された随身門。もとは仁王門であり、明治の神仏分離によって随身門となりました。 |
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獅子でも狛犬でもなく、稲荷神社で見られる狐とも違います。日本武尊(やまとたけるのみこと:ヤマトタケル)が東国の出征の折に雁坂峠で道に迷い、その時山犬(秩父狼)が現れて尊をこの地まで導いたそうです。この山犬は狛犬と同じく神使と呼として、お犬様の名で親しまれていますが、犬でなく狼なんだそうです。 |
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1849年に奉納されたという石段(下段)の上には、その昔に荒川を筏(いかだ)で引いてきたという青銅鳥居が建っています。奥に見えるのが、写真トップにもある拝殿(1800年建立)です。拝殿奥には本殿があり、1853年に建立された手水舎とともに豪華絢爛な彫刻が施されています。 |
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舞劇(神楽)が行われる明治41年に奉納された神楽殿。 |
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引いて撮影するとこんな感じです。右手に拝殿、その手前にある大杉(一番右の太い杉)が神木となっています。おおよそ樹齢800年なんですって! |
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拝殿は昭和37年(1962年)に改修されていますが、彫刻の美しさには思わずうっとりします。 |
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境内には祖霊をまつる祖霊社や国常立神社、伊勢神宮、他にも三峯神社にゆかりの深い摂末社がたくさん建てられています。 |
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再び、駐車場・バス停付近まで戻り、さらに逆手に進むと古民家がポツンと建っています。かつてここには、60戸ばかりの集落があったそうです。江戸時代にはここは三峯神社の神領とされ、住民は神社に年貢を納め、神社の賦役に従事していました。昭和54年に実際に使われていた民家の寄贈を受け、ここに移築、復元したものです。建築年代は1818〜1829年だそうです。
尚、この道の先には奥宮があるそうですが、徒歩1時間半と聞いて引き返しました・・・ |
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●埼玉県立歴史と民俗の博物館
旧石器時代から現代までの埼玉の歴史と民俗に関する資料を収集・保管している県立の博物館です。
<住所>
埼玉県さいたま市大宮区高鼻町4-219 |
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<営業時間>
9:00〜16:30(7・8月は17時まで) 300円。月曜、年末年始休館。他臨時休館あり。
<アクセス>
東武アーバンパークライン(野田線)の大宮公園駅を下車し徒歩約5分。大宮駅からは2駅目となります。 |
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博物館周辺は大宮公園内遺跡と呼ばれ、縄文時代や弥生時代の住居跡などが発見されています。写真は弥生時代の住居を復元したものだそうです。 |
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館内の様子です。県立博物館とはいえ規模はそれほど大きくはありません。建物の雰囲気も役所っぽいし・・・ ただ県立なので展示されている文化財のレベルも高く、それなりに見応えはあります。尚、館内は撮影禁止の部分が多く(大半はOKです)ありますので注意です。 |
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道しるべがたくさん!たぶんここは撮影禁止ではないはずなんですが、写真の一番左に写る係員さんが近付いて、ご覧の通りこっちを見ているので駄目だったのかな??謎です。 |
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●橋立鍾乳洞
埼玉県で唯一の観光洞である橋立鍾乳洞。洞内の通路は殆どが人、一人が抜けられる程度の幅しかなく、全長も150m程度しかありません。洞窟内の構造は竪穴になっており、最後には長めの階段が待ち構えています。
<住所>
埼玉県秩父市上影森675
<営業時間>
8:30〜16:30 200円。12〜2月休み。 |
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<アクセス>
秩父鉄道の浦山口駅から徒歩約15分。秩父駅からは10分程度、大宮駅や池袋駅からは2時間程度の位置にあります。車の方は、参拝者用の無料駐車場が道の奥にあります。満車の場合は手前の有料駐車場(300円)へ。 |
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すぐ隣には秩父札所28番の石龍山橋立堂があります。写真の左側が鍾乳洞の入口となります。決して観光名所と呼べる場所ではありませんが、それなりに観光客はいます。 |
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通路も狭いうえ、鍾乳石も少なく撮影するほどのものでもありませんが、洞内は一応撮影禁止となっています。右の写真は出口です。 |
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こちらは比較的近くにある浦山ダム(秩父さくら湖)です。何があるわけではありませんが、堤防からの景色や空気も綺麗なので、車の方は寄り道にでもどうぞ・・・ |
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●聖天宮(せいてんきゅう)
聖天宮は、中国、台湾の伝統宗教、道教(どうきょう)のお宮です。道教は中国三大宗教(仏教、道教、儒教)の一教です。信仰は中国史に遡り、聖天宮には道教の最高神、三清道祖(さんせいどうそ:元始天尊、道徳天尊、霊寶天尊)と道教の神々が祭祀されています。
<住所>
埼玉県坂戸市塚越51-1
<拝観時間>
10:00〜16:00 年中無休。 |
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<拝観料金>
300円。中学生、障害者は無料。
<アクセス>
東武東上線の若葉駅の東口からひたすら直進、約2.5kmで徒歩30分です。川越駅方面へ向かうバスで戸宮交差点前を下車すれば徒歩300m。大きな無料駐車場あり。大宮駅、東京都の池袋駅からは約40分、約500円。蔵造りの町並みのある川越からも近いです。 |
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聖天宮は康國典大法師(こうこくてんだいほうし)が建立されました。大法師は、若くして大病を患いましたが三清道祖に祈願し、七年の闘病生活を経て病が完治されました。大法師は感謝の気持ちを抱き、多くの人々にも三清道祖にすがれる様にお宮を建てることにしました。建立地を探していたところ、坂戸のこの地にとお告げがありました。聖天宮は、台湾ではなく日本に、さらにはまだ若葉駅もない雑木林の中に昭和56年より着工し15年の歳月を経て、平成7年に開廟しました。
聖天宮の入口には天門(てんもん)があり、神社でいえば鳥居になります。伝説の万物が生ずる天に登る門戸です。 |
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道教のお宮としては国内最大となる聖天宮。その装飾品は台湾より運び、台湾の宮大工によって建造されました。写真の前殿(ぜんでん)の左右にはミニ展望台もあります。 |
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聖天宮は道教の伝説にある天界の宮殿であります。絢爛豪華な創りは神様の世界を現しており、特徴である飛軒式屋根(反り返った屋根)は地平線の彼方までも広がる壮大な「天」を表しています。黄青白赤黒の配色は中東西南北、万物を示し、特に屋根瓦の黄色は道教のお宮または皇帝(天子)の建物にしか用いることが出来ない決まりがあります。 |
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屋根飾りには伝説の瑞獣(ずいじゅう)、龍、鳳鳳などがあり、また仙人が住む霊山が雲海のすき間から顔を覗かせています。これらは中国台湾のお宮の特徴であり、見地に行かれるとよく見られます。 |
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前殿の前には日本の寺社で見かける狛犬(獅子・狛犬)のような獅子もいます。こちらの獅子像は右に雄の獅子、左には雌の獅子がいます。阿吽ではなく両方とも口は開いています。雄は働く役割を象徴として帯びにお金を持ち、雌は子供を宿し、子供と一緒になっています。配置は「陰陽」基づき雄は太陽が昇る陽側、雌は日が暮れる側にあります。獅子像の両脇には観音石の一本柱から彫られた九龍柱があります。 |
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九龍柱には九頭の龍が彫られ、間には雲に乗っている神様も彫られています。皇帝の時代では「九」という龍の数は最高位の神、または皇帝しか用いることが出来ず、許可無く用いることは反逆とみなされ死罪を伴いました。 |
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無数にある石彫刻はどれも美しく圧巻です。前殿の中央は日本の神社同様に神様の通り道であるらしく柵があります。人間は東(右側)の龍亭(りゅうてい)から入り、西の虎亭(こてい)から出ます。 |
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前殿には楠木の一枚板から彫像された四大天王像など計10体、1万点以上の彫刻で飾られた八卦天井は、木彫刻に金箔を施し、釘なしで組んでおります。中心のドームは八角形に組まれ、中の宇宙生成の概念である「陰陽、八卦」の八卦(はっけ)を表します。八卦から万物万象が無限大に広がる様子を表しているそうです。神杯を使った聖天宮おみくじも楽しいので是非とも体験しておきましょう。 |
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前殿の左右にある楼閣(ろうかく)はちょっとした展望台になっています。絵馬のような陽紅布も中には飾られています。左にある鼓楼では太鼓が吊るしてあり、右にある鐘楼には鐘が吊るされて、毎日15時に大きな音量で太鼓と鐘が交互に鳴るので注意です。撮影後に運悪く鐘が鳴ったので思いっきりビックリしました(笑) |
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本殿前にある一枚の岩から彫られたという九龍網。皇帝の時代には龍の爪の数は厳格に制限され数にも意味があるそうです。日光東照宮の「鳴き龍」の爪も、中国明王朝に配慮して三爪なのだそうです(五爪が最強)。龍の口、手に力の象徴である「龍玉」があります。写真トップが本殿で本殿内は撮影禁止、もしくは撮影はあまりよろしくないのだそうです。お髭を生やした三清道祖や陰陽天井、双龍柱は必見です。三清道祖様、神々様と唱える参拝方法も変っていて12回お辞儀とか面倒で難しいのですが、ガイドさんが丁寧に教えてくれます^^ |
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道教は中国史の起源に遡る太古の民間信仰です。根源には「神仙思想」があり、いわゆる神様と超人的な妙技を持つ仙人を信仰の対象としています。神の力は絶大ではありますが仙人の技は、会得できるとされ、特に不老不死の探求は、漢方、中国料理、また人類の三大発明である火薬に繋がったといわれています。この様に理学とむすびついた道教は宇宙の摂理までも解読できるとされ、「陰陽」「八卦」をはじめとする思想は「占術」「風水」「気功」などに発展しました。「神仙思想」は古くから様々な形で日本に伝わり、天の四方を指す「四神」(朱雀、玄武、青龍、白虎)は、奈良のキトラ古墳の壁画に描かれています。また平安時代に隆盛した「陰陽道」はこの影響を受け、空海や安部清明が実践したことでよく知られています。 |
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やがて道教の信仰は中国の文化となり、道教が説く万物の根源を導く原理「道」(タオ)を主体とした哲学が生じました。乱期の中国春秋戦国時代、諸子百家と呼ばれる様々な思想家たちの登場により「道」に基づいた哲学が確立され、道家、儒家、墨家、陰陽家などの学派は後世まで影響を及ぼしています。諸子百家のあらゆる思想は、いずれも道教の要素の相生相克の産物であり、例えば老子は「道」を悟るには知や欲を働かせる「人為」を無くし、「無為」で「道」を仁義の道とされ、積極的に実践する必要があり、上下秩序、徳による王道で天下を治めるべきであると説いた幾つかの例があります。江戸時代には徳川家康公が儒家の一派である「朱子学」を国家運営に取り込み、武士道として確立し、武家社会に浸透させました。
信仰と哲学の両面を持ち合わせた道教の世界観は「タオイズム」として、古くから東洋のみならず、西洋でも根強い関心を集めています。道教は様々な世界観を包含しながら、現在も中華圏の人々のこころに息づいており、さまざまな中国文明の結晶と言うべき文化遺産そのものが、道教の具現化された姿といえます。 |
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●歓喜院聖天堂(かんぎいんしょうでんどう)
この地方を本拠とし、源平合戦でも名を馳せた齋藤別当実盛が、1179年に本尊の聖天(しょうてん)さまを総鎮守として祀り、民衆の祈願所として開創したと伝わる歓喜院(高野山真言宗)。地元では妻沼聖天の名で親しまれ、江戸時代に再建された本殿は国宝に指定されています。平成になって彩色修理された奥殿の彫刻は、日光東照宮のような豪華絢爛な見事なまでの美しさです。
<住所>
埼玉県熊谷市妻沼1627 |
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<アクセス>
高崎駅からは在来線使用の場合、約50分、740円でJRまたは秩父鉄道の熊谷駅まで。駅よりバスで約25分、聖天前を下車です。マイカーの場合は大きな無料駐車場有。
<拝観時間>
10:00〜16:00 境内自由ですが、権現造である拝殿、中殿、奥殿からなる本殿では、拝殿側は自由に見学できますが、奥にある中殿、奥殿は700円。一番の見所となる豪華絢爛な彫刻も中殿、奥殿側となります。 |
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境内入口にある重要文化財の貴惣門(きそうもん)。正面から見ると屋根(破風)の部分が2つあり、横から見ると実は3つの破風が妻側にあることが分かります。全国的にも例が少ないそうです。右側には毘沙門天像、左側には持国天像が安置されています。 |
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彩色修理はされていませんが、こちらにも見事な彫刻が多く施されています。この貴惣門は1855年頃に建立されたものとのこと。 |
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当寺を開創した平安時代の武将、斎藤実盛(さいとう さねもり)像。右手には筆を、左手には鏡を持っています。1183年の篠原の戦いにおいて、実盛が老兵と悟られないように髪を墨で黒く染めて出陣したという逸話が平家物語にも書かれていて、それを再現したものだそうです。尚、この戦いで実盛は討ち取られました。 |
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さらに進んで中門を抜けると、写真の仁王門があります。こちらは明治時代に再建されたものです。 |
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仁王門の先に写真トップにもある本殿があります。この本殿は拝殿、中殿、奥殿が1つになった権現造という様式で建てられ、正確にはトップの写真は拝殿となります。拝殿の上には琴棋書画(きんきしょが)という彫刻が彫られ、左から絵を見る子ども、碁を打つ人々、琴を弾く男、文字を読み書きする子どもの順で配置されています。これら琴、囲碁、書、絵の四芸は、中国古来の文人における必須の教養や風流事を意味するそうです。これら心和む彫刻からは、民衆の祈願所として開創された経緯が伺えます。 |
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有料ゾーンとなる中殿・奥殿です。一気に雰囲気が変わります。豪華絢爛な彫刻にはウットリです。妻沼の名工と呼ばれた林兵庫正清が設計し、1753年から25年の歳月を要して、1760に完成しました。その後、平成15年〜23年に行われた平成の大修理によって創建当初の美しい彩色彫刻が蘇りました。 |
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このように、ボランティアガイドさんが親切丁寧に説明してくれる場合もあるそうです。 |
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欄干を支えている13匹の猿。ガイドさんによれば、1匹だけ分かりにくい場所にいるそうです。もしも見つからなかった場合には、また来て下さいとのことです^^; |
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どの彫刻も素晴らしいのですが、なかでも有名なものが、拝殿にあった琴棋書画と、この三聖吸酸(さんせいきゅうさん)らしいです。中国の故事に由来したもので、孔子、釈迦、老子が酢をなめて、その酸っぱさを共感している様子なのだとか。つまり、酢が酸っぱいという事実は皆同じであり、儒教、仏教、道教など、宗教や思想が異なっているとしても、真理は1つであるという三教一致(さんきょういっち)を意味しているとのこと。 |
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ここにも碁を打っている彫刻がありました。ほのぼのと碁を打っているのは布袋さまと恵比寿さまです。大黒さまがそれを見守っています。この勝負、恵比寿さまが一目差で勝利しています。彩色修理では碁石の色が剥がれてしまい、想像した棋譜なんだそうです。 |
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●箭弓稲荷神社(やきゅういなりじんじゃ)
創建は和銅五年(712年)と伝えらる箭弓稲荷神社は、日本三大(または五大)稲荷にも数えられ、保食神とされる宇迦之御魂神と豊受比賣神を祀った神社です。その昔、平安時代の武将、源頼信が戦勝祈願し、願いが叶った礼として立派な社殿を再建したと伝わります。
<住所>
埼玉県東松山市箭弓町2-5-14 |
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<アクセス>
東武東上線の東松山駅から徒歩約5分です。都内からのアクセスでは、池袋駅から急行で約50分、650円です。 |
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平安時代、下総国の城主であった平忠常は下総に乱をおこし、安房・上総・下総を手中に収め、大軍を率いて武蔵国と押し寄せます。朝廷により忠常追討を命ぜられた源頼信が、当社にて太刀一振と馬一頭を奉納して一夜祈願すると、白矢の形をした白雲が起こり敵陣の方へと飛んでいったとのこと。これをお告げと感じた頼信は、ただちに攻め込んで勝利したと伝わります。 |
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稲荷神社といったら、やっぱりキツネさんですね。正確には稲荷大神様のお使いである白狐で、本来は目には見えないものなんだそうですよ。 |
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トップの写真が拝殿で、拝殿上にあるこの彫刻は、朝廷から作刀の依頼を受けた三条宗近が、童子に化けた稲荷明神の助けを借りて鍛冶をするという古事から。この姿が相槌を打つの語源の由来にもなっているんですよ。 |
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拝殿、幣殿、本殿とつながった立派な権現造りの社殿は1835年に造営したものだそうです。本殿の数多くの彫刻には驚かされます。色が無いのが寂しいですが、同県の国宝、歓喜院聖天堂にも負けない見事な彫刻だと思います。 |
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えっと、こちらも見所であるボタン園なんですけど時期が違ったもんで・・・ |
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