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●妙成寺(みょうじょうじ)
日蓮の孫弟子、日像によって1294年に開山された妙成寺。江戸時代には加賀藩前田家から手厚い加護を受け隆盛を極めたとされます。多くの建造物は国の重要文化財にも指定されており、中でも二王門や本堂、五重塔は見応えがあります。
<住所>
石川県羽咋市滝谷町ヨ−1 |
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<拝観料>
500円
<拝観時間>
4月〜10月 8:00〜17:00 11月〜3月 8:00〜16:30
<アクセス>
JR羽咋駅から北鉄能登バス富来線で約20分。 妙成寺口を下車し徒歩約10分。バスの運行は1〜2時間に1本程度なので注意です。 |
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能登随一の大伽藍と言われるだけあって、かなり見所満載の寺院ですので、見学時間は最低でも1時間は見積もっておいた方が良いでしょう。 |
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最初にまず度肝を抜かれるのは国の重要文化財にも指定されている1625年に建立された二王門(仁王門)。上に掲げられている山号は加賀藩書家の佐々木志津磨の筆。 |
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怒りを表に出した阿形像。江戸時代の作とのことです。 |
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怒りを内に秘めた吽形像。 |
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とにかく境内が広い。一応順路は右回りに行くのが正解らしいです。 |
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こちらは1677年に建立された開山堂。 |
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寛文10年(1670年)に建立されたこちらの経堂は、国の重要文化財に指定されていて、堂内には天海版一切経と北陸最古で応永22年版(1415)妙法蓮華経8巻分の版木64枚が納められています。 |
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北陸唯一の五重塔は1618年に建立され、こちらも国の重要文化財に指定されています。 |
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富山県高岡市にある国宝、瑞龍寺を建てた加賀藩のお抱え大工、の山上善右衛門が親子一門で取り組んだ大仕事の代表例とのことで、屋根は薄い板を何層にも重ねた栩葺(とちぶき)工法。栩葺は反りを出すことが難しいとされ、特に五重塔としてはとても珍しい工法です。 |
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色は抜けていますが、扉の彫刻も凝っていて見応えあります。 |
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江戸時代の三大お家騒動の1つとして有名な加賀騒動。その騒動の中心人物でもある大槻伝蔵の墓があります。 |
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加賀騒動
前田吉徳が加賀藩の第六代藩主となると、お気に入りの家臣、大槻伝蔵を重用し財政改革を行います。しかし思ったほどの成果は上げられず、門閥から不満が出るも吉徳は大槻を厚遇します。吉徳が死去すると、次に宗辰が第七代藩主となります。大槻は先の問題もあり、宗辰から蟄居を命ぜられた上に、数年後には流刑となります。その後、宗辰が病に倒れると、弟の前田重煕が第八代藩主となりますが、ここで重煕らへの毒殺未遂事件が発生します。主犯は吉徳の側室であった真如院とされ、さらには真如院と大槻との密通が発覚。大槻は自害し、翌年には真如院も殺害されました。事実関係には不明な点も多く毒殺未遂事件自体が陰謀だったという説もあります。 |
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こちらは三代藩主、前田利常の長女となる浩妙院の墓。 |
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続いて藩祖、前田利家の側室で三代藩主、前田利常の母でもある寿福院の墓もあります。 |
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底から少し進むと一際と大きな丈六堂(釈迦堂)があります。1686年に建立し、昭和55年に解体修理を行った後、創建当時の姿に復元されたそうです。 |
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堂内には約5mもの大きな釈迦如来立像(釈迦牟尼仏)が安置されています。 妙成寺の言い伝えでは、羽咋市柴垣の海岸に同立像の頭だけが流れ着き、これに合わせて胴体が造られたそうです。後から胴体を作ったせいか、天井から飛び出しちゃってますね... |
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大きな丈六堂の隣には、小さな閻魔堂がありました。1678年、 日遼上人によって建立とのこと。 |
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カラフルな閻魔王がいました。小さなお堂に小さな閻魔様でした。 |
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1614年に建立された三十番神堂(さんじゅうばんじんどう)は、加賀藩第3代藩主の前田利常が、大坂冬の陣での戦勝祈願をするために建てられたと伝わります。こちらも国の重要文化財に指定されています。堂内には30柱の神々が祀られているとのこと。 |
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三十番神堂の本堂手前にある拝殿。もともとは同じ時期に建てられたものですが、明治6年の廃仏毀釈によって取り壊され、今見る拝殿は解体修理を経て平成2年に復元されたものだそうです。 |
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トップの写真の本堂は、前田家御用大工の坂上又三郎によって1614年に建てられたとされています。
左に写る1624年に建立されたとされる祖師堂も本堂と同じく国の重文で、堂内には宗祖、日蓮聖人の坐像を安置し、その両脇には開山日像と日像の師、日朗の坐像を安置しています。 |
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こういった回廊がある寺社って、なんだかグッときますよね。 |
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こちらは書院庭園。名前の通り、書院の前庭として作られたそうです。縁側から眺める五重塔を借景とした庭園が見事なんだそうです。なんか...でしたけども。 |
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1625年建立とされる鐘楼もまた重文。他にも省きましたが、三十番神堂の隣にある1623年建立の三光堂や、前田綱紀が参拝の際の休息所とするために建てたと伝わる1659年建立の書院、1593年建立と伝わる妙成寺で最も古い建築物の庫裡などが、同じく国の重要文化財に指定されています。 |
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そんな重文の建築物よりも、私はこのあまりにも正確過ぎる日時計に感激。これって季節問わず正確なんだろうか? |
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とにかく見所が多い妙成寺ですが、訪れる人があまりにも少ないのが驚きです。やはりアクセスの問題ですかねぇ。いずれ五重塔が国宝にでも指定されたら凄く人気が出るのかもしれませんね。 |
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●氣多大社(けたたいしゃ)
能登の地を開いたとされる大国主神(大己貴命)を主祭神として祀る氣多大社は、万葉集にその名が記されるほどの古社であり、創立年代は第10代崇神天皇の御代と伝えられています。本殿、拝殿、神門、摂社が国の重要文化財にも指定され、1万坪もの原生林を有する入らずの森や縁結びの御利益がある神社としても有名です。
<住所>
石川県羽咋市寺家町ク1-1 |
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<アクセス>
JR羽咋駅から北鉄能登バス富来線で約10分、一の宮下車。バスの運行は毎時1本程度なので注意です。 |
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さすが創建二千年もの歴史を持つ能登国一宮。大社の名に相応しい立派な鳥居です。額の文字とかほとんど消えて見えないですけどね。 |
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幸福のだいこく像だそうです。それ以外の情報はありません... |
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社伝によれば1584年建立とされる神門。国の重要文化財に指定されており、加賀藩の大工頭、清水多四郎の代表作の1つであるそうです。 |
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鳥居の写真だけ見ると、境内はとてつもなく広大に見えますが、それほど敷地面積はありませんでした。
写真トップの拝殿もまた国の重要文化財に指定されており、1653年から1654年にかけての建立で、山上善右衛門造とされます。拝殿の左側には摂社の若宮神社、右側には白山神社があり、同じく国の重文に指定されています。 |
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拝殿奥にある本殿もまた国の重文で、こちらは1787年に建立。清水次左衛門、清水多四郎造とされます。 |
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本殿の裏手に広がる原生林は神域とされ、入らずの森と呼ばれ樹齢300年〜500年の広葉樹が自生しているとのこと。一般人は神域なので入れませんが、嘘か本当か神官ですら神事を勤めるため年1回だけ目かくしをして通行するとのこと。 |
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境内には摂末社もいくつか建っていました。こちらは太玉神社。太玉命(フトダマ:布刀玉命)を祀っています。太玉命は日本神話の有名な岩戸隠れにおいて、天児屋命(アメノコヤネ)とともに太占を行ったとされる神様です。 |
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学問の神様でお馴染みの、菅原道真を祀った菅原神社もありました。 |
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境内入口の鳥居から海側に少し進めば、一の鳥居がひっそりと建っています。たまたま道を間違えて偶然見つけたんですけど... |
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●千里浜(ちりはま)なぎさドライブウェイ
全長約8kmにわたり車で砂浜を走ることができる日本で唯一のドライブウェイ。その砂浜の秘密は、砂のきめの細かさにあります。砂一粒一粒が海水を含んで固く締まり、バスやバイク、自転車でも走ることができます。
<住所>
石川県羽咋市千里浜町〜宝達志水町今浜 |
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<アクセス>
のと里山海道(無料道路)の千里浜IC、あるいは今浜ICを下り海側へ。 |
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千里浜なぎさドライブウェイは全長約8kmもあるので、大体どこからでも侵入することができるのですが、その基点となるのが出入口に位置する千里浜レストハウスのある場所です。 |
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千里浜レストハウスの駐車場から見える景色です。海岸線ギリギリを並行して車で走れるなんて夢のようです。 |
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そんでもって、道がふかふかして走りにくいわけでもなく、快適ドライブが楽しめます。ただ、日によっては波が高いなど安全に走行できないと判断された場合には通行規制が行われるらしいです。 |
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実は場所によっては多少ふかふかしてるとこもありまして、レッカー呼んでいる人も見かけましたが... この場所は写真で見る通りに、しっかりと固まった砂浜でしょ。 |
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こんなショットも千里浜なぎさドライブウェイならではですね。釣りしている人もいっぱいいましたけど、そりゃ〜羨ましいですよ! |
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●巌門(がんもん)
浸食によって丸くくり抜かれたような巌門は、能登半島国定公園の中でも特に有名な景勝地です。また、巌門・ヤセの断崖・機具岩に代表される一帯は、朝鮮半島有数の景勝地である金剛山にも匹敵するということから能登金剛と称されています。
<住所>石川県羽咋郡志賀町富来牛下 |
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<アクセス>
JR羽咋駅から北鉄能登バス富来線で約1時間、牛下を下車し徒歩約20分。バスの運行は1〜2時間に1本程度なので注意です。 |
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この巌門の観光には遊覧船からその雄大な景色を眺めるのが一番良いらしいんですが、歩いても見に行けるというので遊覧船には乗りませんでした。 |
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海が澄んでいて綺麗でした。 |
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遊覧船乗り場まで行く途中に怪しいトンネル階段があり、その先に巌門はあります。 |
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こんなゴロタ広場に出たところから、写真トップのにもある巌門が目の前に見えます。この写真で言えば右側にあります。 |
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夏なら泳ぎたいくらいに海が綺麗でした。そんでもって、あまりにも巌門に接近しすぎたせいか、やはり巌門は遊覧船から見たほうが雄大な景色が楽しめて良いかと思います... |
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●ヤセの断崖
ヤセの断崖・機具岩・巌門に代表される一帯は、朝鮮半島有数の景勝地である金剛山にも匹敵するということから能登金剛と称され、延長30kmにわたって奇岩怪石や断崖などが連なる能登半島国定公園の代表的景勝地となっています。高さが35mあるヤセの断崖から見る景色は迫力満点です。
<住所>石川県羽咋郡志賀町笹波 |
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<アクセス>
電車・バスは非現実的です。アクセスはマイカー又はタクシー、レンタカーで。 |
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アクセスは悪いんですが車であれば小さな駐車場から歩いてすぐです。 |
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ヤセの断崖という名前の由来は、作物を作れないほどやせた土地であるという説や、先端に立って海面を見下ろすと身もやせる思いがするなどの説があるそうです。 |
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能登金剛ヤセの断崖は、松本清張の推理小説『ゼロの焦点』の舞台で、悲劇のヒロインが最後に身を投じた断崖でもあります。 |
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このあたりはどこも海が青くてきれいです。小場所でありながらも何気に観光客はポツポツいます。 |
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●義経の舟隠し
義経の舟隠しは、文治二年(1186年)に兄頼朝の厳しい追手から逃れる義経と弁慶が、奥州へ下る途中に折からの海難を避けるため、入江に48隻の舟を隠したと伝えられる岩場です。
<住所>
石川県羽咋郡志賀町笹波 |
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ヤセの断崖から義経の舟隠しという案内につられて、こんなのどかな小道を進んだ先に目的地があります。ヤセの断崖から5分程度でしょうか。 |
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ここへ来てみると、確かに義経が48隻の舟を本当に隠した場所なのかもしれないと思ってしまう地形です。入り江を見学するだけならここでいいのですが、さらに崖の上に小道があるので進んでみると.... |
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いや〜、怖い。めまいがしてそのまま崖下に吸い込まれる気がします。柵もないし足元も不安定なので、崖の先端は危ないのであまりオススメしません。東尋坊の比ではない怖さがありました。 |
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崖の先端付近からは海へと下りることができます。釣り人がいないのが不思議なくらい釣りには最高の場所です。それにしても青くて綺麗な海でした。 |
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