●郡上八幡(ぐじょうはちまん)
日本三大盆踊りの1つでもある郡上おどりで有名な郡上八幡。古い城下町の面影を残す町並みには用水路が張り巡らされ、風情ある光景が広がります。他にも玉石の路地に全国名水百選の第1号の宗祇水、郡上八幡城や精巧な食品サンプルを見学したり、食べ歩きも楽しいです。

<住所>
岐阜県郡上市八幡町島谷520−1(観光案内所)
<アクセス>
長良川鉄道の郡上八幡駅を下車し、徒歩約20分。バスでは駅からまめバス(100円)赤ルートで約15分、城下町プラザを下車です。郡上八幡駅までのアクセスは岐阜駅からJRで美濃太田駅まで行き、長良川鉄道に乗り換え約2時間半、1850円かかります。長良川鉄道の運行本数が1時間1〜2本なので注意です。他、JR岐阜駅又は名鉄岐阜駅から1〜2時間に1本程度ですが、郡上八幡城下町プラザへ行く高速バス(約70分、1520円)があります。
ライン線2本が観光スポットでもある古い町並みとなります。観光案内所は郡上八幡旧庁舎記念館となります。
昭和11年に建てられた洋風建築の郡上八幡旧庁舎記念館(郡上八幡旧庁舎)は国の重要文化財です。観光案内所も兼ねていますので、ここで散策マップを手に入れておきましょう。
郡上八幡旧庁舎から長良川の支流である吉田川を越えて古い町並みを目指します。郡上八幡旧庁舎の横にあるこの橋、新橋は通称飛び込み橋と呼ばれ、夏には多くの子供達が12m下の川へと飛び込むそうで、日本の音風景100選にも選ばれています。奥に見える橋は宮ヶ瀬橋。
こちらが郡上八幡の見所でもある古い町並みです。ただ、観光客の多くは食べ歩きや、食品サンプルの店に多く集まり、このあたりは人気があまりありませんでした。写真を撮り忘れましたが、郡上八幡は美しい水路も有名なので日本名水百選のひとつ宗祇水も見所の1つとなっています。
このあたり(宮ヶ瀬橋あたり)が一番賑わいがあります。位置的には宗祇水や、さんぷる工房があるあたりになります。
食品サンプルのお店は郡上八幡には数多く、飲食店の店頭を飾る食品サンプルは、八幡町出身で故岩崎瀧三氏が創立した岩崎グループが全国の大半を作り出す郡上八幡を代表する地場産業なんだそうです。他にも色んな種類の食品サンプルがあり、販売もされています。
こちらはまた別のサンプルの郡上屋という有名なお店。マグネットタイプもありました。それにしてもよく出来ていてその完成度には驚きます。
サンプルの郡上屋さんと並んで有名なお店がこの食品サンプル創作館さんぷる工房です。サンプル作り体験もできるお店です(要電話予約)。
充実したおかめ納豆シリーズにスイーツから中華、洋食、和食と、まぁ何でも揃っています。
食べたくなるほどの完成度。
腹減ってきました。
水が綺麗なことで有名な郡上八幡。郡上八幡旧庁舎記念館の裏手側にはいがわ小径(こみち)と呼ばれる美しい用水があります。鯉に岩魚、鮎、アマゴやサツキマスなども泳いでいて、餌も売ってましたよ。
用水の所々には共同の洗濯場があり、芋洗いや季節ごとの菜っ葉洗いなど今でも生活の一部として利用されています。
続いて郡上八幡城を目指します。車の方は脇に駐車場がありますが、ここまでの道が細く一方通行になっていて、帰りは違うルートとなってます。道が細い上にヘアピンカーブ連続で運転に慣れていない人や大き目の車の方はカーブの切り返しに苦労します。この為、下から徒歩で登られる方も多いようです。
現在の八幡城は昭和になってから作られたものとなっていますが、石垣だけが遺構として今も残ります。
八幡城は1559年に遠藤盛数が東殿山の東家を滅ぼして城を築いたのがはじまりで、豊臣秀吉が天下統一した後は盛数は左遷させられ、稲葉貞通が城主となり城郭を修理し天守台等を設けました。やがて関ヶ原合戦が起こると、盛数の子である遠藤慶隆は家康に味方し1600年に再び遠藤氏が城主となりました。
全国の城には多くの人柱伝説が残りますが、ここ八幡城にもありました。江戸時代の初め、八幡城が修理されることになり、工事中に一番大切な柱がうまく立たず、人柱として数え歳で17歳になる「およし」という美しい娘が選ばれ、城の下に埋められたそうです。長い年月が経ち、石垣からおよしの泣き声が聞こえるようになり、祠を建て祀ったと伝わります。
模擬天守というと鉄筋コンクリートで建てられているが殆どですが、八幡城は木造で建てられています。なんかそれだけでも気分はいいですね。
城内には遠藤慶隆が1570年の姉川の戦いで実際に使用していたという甲冑が展示されていました。
定かではありませんが、郡上八幡で有名な郡上おどりは慶隆が領民との親睦のために、盆祭りで踊りを奨励したのが始まりだともされます。展望は言うまでもなく最高でした。

●大滝鍾乳洞・縄文洞
今から2億年以上も昔に、石灰岩中に生じた断層が地下水によって溶解、拡大され出来たという大滝鍾乳洞は、総延長2kmにも及ぶ東海地区最大級の石灰洞窟です。落差30mの地底滝や天上界の鍾乳石群など見所も多く、近くにある縄文人が暮らしていたとされる縄文鍾乳洞とセットで行かれるのがオススメです。

<住所>
岐阜県郡上市八幡町安久田2298
<営業時間>
8:30〜17:00 1000円。比較的近くにある縄文鍾乳洞との共通券は1300円です。年末年始は休み。

<アクセス>
マイカー又はレンタカーで。又は郡上八幡駅からタクシーで。
地元ではそこそこ有名な鍾乳洞らしく、食事処や土産物屋さんも充実しています。大きな釣堀もあって家族揃って楽しめるような場所になっていました。尚、竿は1つで300円(4竿1000円)、糸が切れたら終了なのですが、これがまたかなり細い糸なので、小さめのサイズの魚を狙って、針に掛かったら十分に弱らせてから釣り上げましょう。その場で肉や野菜と一緒にバーベキューなんかも楽しめます。
鍾乳洞の入口までは怪しい木製のケーブルカーで移動します。と言っても乗車時間は僅かなんですが、急坂を上るよりかはマシです。ギシギシと音を鳴らして今にも分解してしまいそうなレトロ感がいいです。
こちらが入口です。釣堀には多くの人がいましたが、洞内に人影はなく・・・ これでも一応、東海最大級と呼ばれる竜ヶ岩洞と同規模の鍾乳洞なんですけどね。
写真を何枚も撮ったのですが、鍾乳洞の写真ってどれも似たようなものなので見栄えの良いものだけアップします。
鍾乳石も沢山!って程ではありませんが、鍾乳洞自体大きいので、それはそれで見応えがあります。
綺麗な鍾乳石でしょ?鍾乳洞の紹介では毎回書いている気がしますが、詳しく説明すると、つらら状に垂れ下がったものを鍾乳石(しょうにゅうせき)、上から炭酸カルシウムを含む水滴が落ちてきて成長したものを石筍(せきじゅん)、これら鍾乳石と石筍が合体したものを石柱(せきちゅう)と呼びます。
珊瑚の化石も容易に発見できます。その昔はここも海の底であったという事実には驚くばかりです。
大滝鍾乳洞一番の見所でもある神秘の大滝。竜ヶ岩洞の滝よりは少し迫力負けしています。
帰り道はケーブルカーではなく徒歩で帰るらしいです。
続いては車で2〜3分のところにある縄文洞へ。受付で懐中電灯を借りて出発です。え、懐中電灯?そうです洞窟内は真っ暗なんです。
入口はこんな感じです。一応、撮影禁止とか書いてありましたけど、写真は暗くてまともに撮れません・・・ ただ禁止の理由は他にもあるようで、それは行ってからのお楽しみ。
縄文人も暮らしていたと言うこの洞窟は、真っ暗なだけに怖いです。コウモリも耳元でバサバサ音立てていて、これも怖い。

あまり関係ないですが、ライトのスイッチをオフにしてみると善光寺の戒壇巡り的な体験ができ、夜の暗闇とは比べ物にならない恐怖です。目が見えることへの感謝の気持ちが芽生えます。たぶん・・・

●うだつの町並み
うだつ『卯建』は、2階の壁面から突き出した漆喰い塗りの袖壁です。江戸時代は火よけ壁とも呼ばれ防火の役目をしていましたが、明治時代になると防火よりも装飾に変わってきました。裕福な商家は富の象徴として、この「うだつ」を競ってあげました。ことわざ辞典にいつまでもぐずぐずして一向に出世できないことを「うだつが上がらぬ」と記してあります。

<住所>
岐阜県美濃市加治屋町1959-1
<アクセス>
美濃市駅から徒歩約20分です。JR岐阜駅からは美濃太田駅まで行き、長良川鉄道に乗り換え約90分、1130円です。長良川鉄道の運行本数は1時間1〜2本なので注意です。岐阜駅からのバス(約60分、990円)もありますが1〜2時間に1本程度なので注意です。
まるで宿場町のような景観です。それにしても・・・GWだと言うのに観光客が見当たりません。
どの家も細かい角木を縦横に間をすかして組み合わせた格子造りが美しくていい雰囲気を出しています。
家と家との間にある防火壁が『うだつが上がらない』の語源となる卯建(うだつ)です。うだつの町並みは全国的には、ここ美濃市と徳島県美馬市の町並みが有名です。
この付近は明治初期に大火があり大半が被災したそうです。このため現在、この町に建てられている住宅の多くはその後に建築されたものですが、国の重要文化財にも指定されてる写真の小阪家住宅は江戸時代から残る貴重な建物で、軒に吊るされた杉玉でもわかるように代々酒屋を営んでいます。町中には味噌、醤油、材木、質屋を家業とし元禄年間には金融業を営み、明治時代には県会議長も努めたという名家で同名の小坂家住宅(常磐町)もあるのでお間違えなく。尚、そちらの小阪家も江戸時代の建築物です。
市指定文化財でもある旧今井家住宅もまた江戸時代から残る建物で、江戸末期には庄屋を、戦後には町の諸役を勤めた名家であったそうです。他の建物と違い一際大きな建物です。
軒に火防神を祀っている家々も多く見かけます。卯建に火防神、この時代いかに火が恐ろしいものであったかを窺い知ることができます。まぁ、現代も・・・ですけど。
うだつの上がる町並みから歩いて数分のところに小倉公園があります。どうやらそこには小倉山城と言うものがあるらしいです。
石垣や土塁は現存するものらしいです。下調べもせずに発見したので期待が持てます。雰囲気も最高です。
ガ━━(゚Д゚;)━━━ン!!!!!
なんか倉庫のようになってました・・・
小倉公園の先、長良川に架かる美濃橋は大正5年に竣工された吊り橋で、国の重要文化財にも指定されています。建設時は国内最長の橋であったそうです。
橋も美しいけど下を流れる長良川がなんとも綺麗。
この美濃橋は現存する最古の近代吊橋なんだそうです。最古で近代って、なんか意味が分かりませんが、とにかく看板にも書いてありましたけど老朽化が進んでいるらしく、歩くとギシギシと恐ろしい音が聞こえてきます。おまけにユッサユッサ揺れるので怖いです。
美濃橋から川沿いに歩くこと5分程度の場所にある川湊灯台。江戸末期に建てられたというこの灯台は裏手にある住吉神社の献灯も兼ね、明治時代に電車が開通するまでの間、一帯は長良川からの物資運搬の湊として栄えていたそうです。
すぐ脇には10年の歳月を経て1667年に完成したという曽代用水があります。長良川から取水されたこの用水路は今も人々の生活を潤しているそうですよ。とにかく水量もすごい上に、流れも速いので落ちたら大変です・・・

●旧名鉄美濃駅
平成11年4月に廃駅となった名鉄美濃町線の駅です。当時の駅舎やプラットホーム、線路はそのまま保存され、ホームにはモ512号とモ601号、カットボディのモ593号が保存されています。

<住所>
岐阜県美濃市広岡町2926−4
<アクセス>
長良川鉄道の美濃市駅から徒歩3分程度です。見学無料。
平成11年まで使われていた駅の割にはレトロ感が半端ないです。それもそのはず、開業したのが大正12年とのことで、保存されている駅舎・プラットホーム・線路はほぼ当時のままであり、大正期の貴重な近代化遺産なんだそうです。
いつ頃の写真はわかりませんが、廃駅前はこんな感じだったんですね。美濃市駅から、うだつの上がる町並みへ行かれる方は道中なので寄ってみましょう。美濃市駅もまた、現役の駅舎でありながら雰囲気が最高なんですけどね。

●千代保稲荷神社(ちよぼいなりじんじゃ)
『おちょぼさん』『お千代保稲荷』などの愛称で親しまれている千代保稲荷は、定説ではありませんが日本三大稲荷の1つともいわれています。商売繁盛の他にも縁結びや家内安全、合格祈願などに御利益があるとされ、年末年始や月末月始も大変混雑する県内・県外ともに人気の神社です。

<住所>
岐阜県海津市平田町三郷1980
<アクセス>
アクセスは岐阜羽島駅から海津羽島線のバス(1日6〜8本)で お千代保稲荷バス停を下車約20分、もしくは駒野駅よりタクシーで約10分。マイカー、レンタカーが断然便利です。尚、境内は自由です。
年末は空いているだろうと思い、行ってみたのですが、初詣ならぬ年末詣でしょうか。ちなみに初詣は、お正月の三が日がよいとされますが、宗教的には特に決まりがあるわけではないようです。それにしても、除夜詣ならわかりますが、訪れたのがまだ昼時だというのに物凄い混雑には驚きました・・・
参道には、おちょぼ名物の草もち、もろこの甘露煮も美味しいのですが、オススメは気軽に食べられる串かつ、どてでしょうか。串1本100円程度なのですが、食べた後に串で清算する変わったシステムは面白いです。
年末年始だけではなく、月末の夜から1日にかけても県外から多くの参拝客であふれるそうです。
全国にある稲荷神社では昔から供え物の中に狐の大好物といわれる油揚げがあります。これらの事から私達に馴染みのある油揚げを使った食べ物が、きつねうどんや、お稲荷さんなどと呼ばれるようになったそうですよ。この稲荷神社では、恐ろしいことに賽銭と一緒に先ほど無料で配られていた油揚げを一緒に投げ入れます。実際には、あげ専用の入物有。


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