●氣比神宮(けひじんぐう)
北陸道の総鎮守として702年に建立したとされる氣比神宮は、日本有数の古名大社として地元では「氣比さん」の愛称で親しまれるそうです。残念ながら社殿は戦災により焼失し、現在のものは再建されたものとなっていますが、空襲を免れた大鳥居は木造としては厳島神社(広島県)、 春日大社(奈良県)と並び、日本三大木造大鳥居として国の重要文化財に指定されています。

<住所>
福井県敦賀市曙町11-68
<アクセス>
JR北陸本線の敦賀駅からコミュニティバスの松原線又は、ぐるっと敦賀周遊バス観光ルートで約3分、気比神宮を下車です。駅から徒歩だと約20分です。個人的にはモニュメントを見ながらアーケード商店街を抜けて徒歩で向かうのがオススメ。
敦賀は全国有数の鉄道と港のまちとのことで、銀河鉄道999と宇宙戦艦ヤマトに因んだモニュメントが、駅前から氣比神宮まで続くアーケード商店街の両脇に数多くあります。暇なので一応全て写真撮りましたけどね...
越前国の一宮に位置する格式高い氣比神宮。参道入口からして立派です。目の前にそびえ立つ大鳥居は、1645年に再建されたもので国の重要文化財にも指定されています。鳥居中央の有栖川宮威仁親王が書かれた氣比神宮の扁額も必見です。
大鳥居の歴史は通称、赤鳥居として810年の造営時に東参道口に創建されたものの度重なる災害により倒壊した為、1645年境域の西門に配し、同礎石を移し榁樹1本で両柱を建て再建されたのが現在の朱塗の大鳥居なんだそうです。明治時代には国宝に指定(現在は重文)されていたそうです。
参道の広さからして大きな神社ですね。702年に建立ということは、鎌倉時代や、その前の平安時代、奈良時代よりも古い飛鳥時代には、既にこの地にあったというんだから驚きですよね。
手水舎まで行く途中にある末社、猿田彦神社。御祭神は猿田彦大神で、1775年に鎮座と書いてありました。
中鳥居の前に植えてある旗掲松。南北朝争乱時代の延元元年(1336)当神宮宮司氣比氏治が南朝後醍醐天皇を奉じ氣比大明神の神旗を掲げたと云う「旗掲の松」。現在は旧松根から芽吹いた二代目らしいです。
旗掲松の背後には芭蕉像と句碑がありました。芭蕉もまた1689年9月27日(旧暦8月14日)、月見の為にここ氣比神宮を訪れ句を詠んだそうです。
トップの写真が拝殿で、他の社殿と同じく、残念ながら戦後に再建されたものとなっています。拝殿左手には摂末社がずらりと一列に並んでいました。この一画には伊佐々別神社、擬領神社、天伊弉奈彦神社、天伊弉奈姫神社、天利劔神社、鏡神社、林神社、金神社、劔神社の摂末社の九社之宮と、伊勢神宮より勧請奉祀された神明社(内宮・外宮の二社)が鎮座します。
拝殿裏にある本殿。再建前の焼失した建物もまた江戸時代に再建されたものでしたが、それまでは国宝に指定されていたそうです。
越前国の一宮に相応しい、格式の高さをうかがえる大きな菊花紋。
門扉を通り拝殿の右手の方にも摂末社の大神下前神社、兒宮神社、角鹿神社が鎮座します。尚、一番右手にある角鹿神社は、当地敦賀の地名の発祥とされる神社なんだそうですよ。
絵馬殿。絵馬は全くなかったですけどね。
その奥にはあまり手入れされていない池がありました。絵馬殿も池も立派なだけに少し残念。。

●気比の松原(けひのまつばら)
古くは万葉集や日本書紀にも詠まれ、国の名勝にも指定されている気比の松原は、静岡県の三保の松原、佐賀県の虹の松原と並び日本三大松原の一つでもあります。

<住所>
福井県敦賀市松島町
<アクセス>
JR敦賀駅よりバスで約15分。 コミュニティバスの松原線で気比の松原を下車。又は、ぐるっと敦賀周遊バス観光ルートで松原海岸を下車です。
長さ約1.5 kmも続く赤松、黒松は約17000本にも及びます。そんでもって平均樹齢はなんと約200年というから、さらに驚きです。
敦賀湾の最奥に位置するため、外海からも離れて海面がとても穏やか。まるで池みたい!海が荒れた日の釣りの逃げ場としても最適で、時期によってシロギスやカレイが釣れるらしいですよ。

●金崎宮(かねがさきぐう)
南北朝時代や戦国時代に戦いの場となった金ヶ崎城跡の中腹にある金崎宮は、後醍醐天皇の皇子、恒良親王(つねよししんのう)と尊良親王(たかよししんのう)を祀った神社です。

<住所>
福井県敦賀市金ケ崎町1-1
<アクセス>
JR敦賀駅から、ぐるっと敦賀周遊バス観光ルートで約8分、金崎宮を下車です。尚、敦賀周遊バス観光ルートは、おおむね10時〜16時に約30分間隔で運行しています。金崎宮、金ヶ崎城跡は敦賀赤レンガ倉庫からも歩いていけます。
参道入口に駐車場やコミュニティバスの停留所がありますが、敦賀赤レンガ倉庫からも楽々徒歩で移動できます。敦賀赤レンガ倉庫横に展示してあるキハ28という気動車のある脇道を抜け、約5分程度でしょうか(参道入口まで)。
石段の途中には記紀の神産みに登場する火の神カグツチを祀った愛宕神社があります。
金崎宮の周辺は大きな公園として整備され、その境内の殆どが金ヶ崎城跡となります。公園といってもただの山なんですが...
トップの写真が拝殿で奥に本殿が建ち並びます。拝殿手前には舞殿がありました。立派な舞台なので、時期によって神楽奉納とかあるのでしょうか謎。
拝殿右手には朝倉氏を祀った末社の朝倉神社。神社というか...ですけど。
拝殿の左手には摂社の絹掛神社がありました。1337年3月6日金ヶ崎城落城の際、尊良親王に殉じて総大将新田義貞以下321名の武士が自刃し、祭神はその人達とのこと。
たいして石段上った感じはしませんが見晴らしはいいですよ。時間に余裕があれば、ここから絹掛神社の脇道を通り金ヶ崎城跡の月見御殿を目指しましょう。

●金ヶ崎城跡(かねがさきじょうせき)
南北朝時代や戦国時代に戦いの場となった金ヶ崎城跡は「太平記」に「かの城の有様、三方は海によって岸高く、巌なめらかなり」とあり、この城が天然の要害の地であったことが分かります。現在の城跡は公園として整備され、周回することができ、最高地の月見御殿跡(88m)からの景色は素晴らしく、条件が良ければ遠く越前海岸まで望むことができます。

<住所>
福井県敦賀市金ヶ崎町
<アクセス>
金崎宮に同じです。金崎宮からはミニ登山で約15分です。ちなみに登山という程の勾配はありません。大きな山の公園といった感じです。
金崎宮の拝殿から左手に進むと山頂に続く道があります。逆でもいいんですが、流れ的には青線のルートで上り、赤線のルートで下ります。城跡には木戸跡(城戸とも書き防御施設のひとつ)や急峻な斜面等が自然の地形を利用した山城の面影を残しています。
ここからの眺めも敦賀湾が見渡せて素晴らしい!

南北朝時代の1336年10月、後醍醐天皇の命を受けた新田義貞が尊良親王・恒良親王を奉じて当時気比氏治の居城であったここ金ヶ崎城に入城。約半年間足利勢と戦い翌年に落城、尊良親王、新田義顕(義貞嫡子)以下将士300余名が亡くなったと伝えられます。
戦国時代の1570年4月には、織田信長が朝倉義景討伐の軍を起こして徳川家康、木下藤吉郎(豊臣秀吉)等が敦賀に進軍、天筒城、金ヶ崎城を落とし越前に攻め入ろうとした時、近江浅井氏が朝倉氏に味方するとの報告、信長は朝倉氏と浅井氏との間に挟まれ窮地に陥り急遽総退却。
この時金ヶ崎城に残り殿(しんがり)を務めてこの難関を救ったのが秀吉で、その活躍で無事帰京できたと伝えられる。またこの殿(しんがり)での危機を救ったのは家康で、後の1586年、家康上洛にあたり、秀吉は金ヶ崎での戦いの救援に謝意を表したとされている。すでに15、6年前のことで、天下人に一歩近づいた秀吉からすると、金ヶ崎の戦いはその後の二人の関係に大きな影響を与えたといえます。
若干、道をそれたところにポツンとある尊良親王御墓所見込地の碑。江戸時代末期、この地付近より経塚が発見された石室からいずれも銅製の経筒、円鏡、椀が出土したが史料に乏しく、京都市内には同親王の御墓所が指定されていることもあり、現在では自刃の地とされ大切に保存されているそうです。
古戦場についての説明書きがあるわけでもなく、山頂でも見晴らしがいいわけでもなく、道中に突如として現れる金崎古戦場の碑。
明治42年に発見された円墳で、竪穴式石室を有し、副葬品は直刀一振・銅鏡一面が出土しているそうです。古墳というか木も伸びていて、なんとなく盛り上がった場所です。
トップの写真が月見御殿跡で、この付近は金ヶ崎の最高地(海抜86m)で南北朝時代の本丸跡であり、戦国時代などにも武将が月見をしたと伝わります。景色は見ての通りで、それなりに良い眺めです。
三の木戸跡。ここは南北朝時代(1336〜1392年)金ヶ崎城の三の木戸跡で、地名は水の手といい、当時の用水場で付近から清水が湧き出ていたと伝えられるそうです。
この付近は南北朝時代(1336〜1392年)金ヶ崎城二の木戸跡であり、この付近で激戦があったと言われています。他にも一の木戸跡や兵糧庫があったと思われる焼米石出土跡など少々の見所あります。

●敦賀赤レンガ倉庫
1905年に石油貯蔵用の倉庫として建設され、途中、軍の備品倉庫や昆布貯蔵庫としても使用された福井県内でも有数のレンガ建築物。その後、北棟が鉄道と港の『ジオラマ館』、南棟が赤レンガ空間を楽しみながら食事ができる『レストラン館』として生まれ変わりました。

<住所>
福井県敦賀市金ケ崎町4-1
<営業時間>
9:30 〜 22:00 見学自由ですが、ジオラマ館は17:30まで(最終入館17:00)料金400円。水曜、年末年始は休館。

<アクセス>
JR敦賀駅から、ぐるっと敦賀周遊バス観光ルートで約10分、赤レンガ倉庫を下車です。金崎宮から徒歩でも楽々移動できます。尚、敦賀周遊バス観光ルートは、おおむね10時〜16時に約30分間隔で運行しています。
鉄道と港のまち敦賀を発信する鉄道遺産として、レンガ倉庫の道路横にはキハ28形の気動車が展示されています。この気動車は、かつて急行わかさとして小浜線で活躍していたものなんだそうで、全国的にも有名ながらも前面窓が側面まで回り込んでいるパノラミックウインドウに、運転台下部にスカート(排障器)という特徴をもち、国内において完全な形で残されているのは同車のみという大変希少な車両とのこと。
レンガ倉庫だけだと食事でもしない限り見学時間は3分もあれば十分です...なので暇つぶしにジオラマ館も寄ってみました。いや〜結構本格的なジオラマですね。明治後期から昭和初期にかけての敦賀のまちなみを鉄道と港のジオラマで再現したそうですよ。
全長約27m、最大奥行き約7.5mの大きさを誇る鉄道と港のジオラマ、その名もノスタルジオラマと呼ぶそうです。ダジャレかよ...
2階もありますが、何があるわけでもなく、ほぼほぼ撮影用ですかね。このジオラマの町並みは、『いま蘇る みなとまち敦賀の町並み』気比史学会創立10周年記念出版(1988年)の昭和20年(敦賀空襲被災時)の復元地図を参考に往時を約80分の1スケールで再現したそうです。
ジオラマって男のロマンがいっぱい詰まってます。鉄道にそれほど興味があるわけではありませんけど、旅行好きなら嫌いではないですよね。
蒸気機関車、ディーゼル機関車、敦賀の特徴となるスイッチバックなどの鉄道模型、自走式の船や自動車が、ところせましと走り抜けていきます。
車が走っている拘りには感動しました。時間も朝や夕方、夜と変化していき見ていて飽きません。
レンガ倉庫から楽々歩いていける場所にある旧敦賀港駅舎(敦賀鉄道資料館)
入口には敦賀鉄道資料館と書いてありますが、観光マップには旧敦賀港駅舎(敦賀鉄道資料館となってました。無料なので展示物はそれなりです。

●日本海さかな街
日本海さかな街は、敦賀港直送の魚介が並ぶ日本海側最大級のマーケットで、鮮魚店をはじめ水産加工店や昆布、珍味、銘菓の専門店やレストランなどの飲食店が軒を連ねる巨大海鮮市場です。

<住所>
福井県敦賀市若葉町1-1531
<営業時間>
午前8時半頃から順次開店(飲食店除く)。基本的に10:00〜17:30(季節変動あり)

<アクセス>
JR敦賀駅から、ぐるっと敦賀周遊バスショッピングルートで約10分、日本海さかな街を下車です。
ぐるっと敦賀周遊バスは市場の真横に停車してくれて便利ですが、日本海さかな街へ行く便は、おおむね10時〜17時で1時間1本程度なので注意です。

でもって場内はとにかく広い!似たようなレイアウトなので、大人でも軽い迷子になります。迷子になって一度外に出て、自分のいる場所を確認しようと思ったら外面も似たような感じで参りました...
地方の海鮮市場だと、どこも同じような雰囲気でしょうけど、客の呼び込みはまるで他のアジア国にいるみたい... カニを買った人にアジやらサバやらとにかくオマケの量が半端なかったです。ものによっては他所で買うよりもかなり安いと思いますよ。場内には飲食できる店舗も豊富で、どこで何を食べようかと悩むのも旅の楽しみです。


福井県の観光3