本州最北端に位置し、8月のねぶた祭でも知られる青森県には、現存12天守の内の1つ、弘前城をはじめ、縄文時代の大規模集落跡である三内丸山遺跡、美しい十和田湖や白神山地、八甲田、高野山、比叡山と並んで日本三大霊山の1つでもある恐山など観光スポットは豊富です。海の幸は勿論、せんべい汁や、貝焼き味噌、いちご煮、じゃっぱ汁、けの汁などの郷土料理もお酒が進みます。

<お土産>
南部せんべい、気になるリンゴを含む林檎のパイや菓子、ねぶた漬、せんべい汁セットあたりが定番です。青森県のお土産
新幹線でアクセスした場合、新青森駅から市内の中心地となる青森駅まではJR奥羽本線で約6分です。この区間に限り、特急のスーパー白鳥、白鳥、つがるに限り、自由席であれば乗車券だけ(特急券不要)で乗ることができます。八戸へ行かれる場合も、市内中心地は本八戸駅と少し離れており、JR八戸線までは約8分です。尚、この区間の運行本数は1時間1本程度なので注意です。また八戸の中心市街地も本八戸駅からさらに徒歩約15分と少し離れた場所になります。

青森空港からアクセスした場合は、JRバスで青森駅まで約35分、680円です。
青森県下一の繁華街は本八戸から少し離れた三日町〜十三日町(表通り)周辺と青森駅前から延びる地図の新町通り周辺となります。どちらも繁華街と呼べるほどではありませんが、多少の賑わいがあります。
写真は青森駅から延びる新町通り。奥へ進むほどスナック等の歓楽街の雰囲気が少々ありますが、手前にも居酒屋さんは多くあるので、観光客がここから奥まで進むことは少ないでしょう。お酒を飲まない人には通沿い左手にある居酒屋兼食堂の「おさない」が有名です。一般的な定食から郷土料理も手頃な価格で味わうことができます。
この新町通りを駅から少し進むと大きな複合施設、アウガ(AUGA)があります。この地下には土産にも最適な巨大な新鮮市場もあります。
青森県1,2を争う県下一の八戸側の繁華街は、新幹線の八戸駅から2駅先にある本八戸駅周辺となります。三日町〜十三日町(表通り)周辺が一番賑わいのある場所で、本八戸駅からは徒歩10分程度です。
ただし、青森駅と本八戸駅、どちらが栄えているかと言えば、どちらも微妙な感じです。尚、本八戸のことを地元では『ほんぱち』と呼ぶそうです。写真の大通りは一方通行で、同じく一方通行の反対車線が、並行するように少し離れたところにあります。
青森駅のアウガ(AUGA)と同じく、八戸にも八食センターという巨大な市場があります。ただ、八戸駅と本八戸駅の中間あたりに位置しているので、繁華街から徒歩で向かうのは困難です。アクセスには繁華街(十三日町バス停)からは200円以下(イカ)バスで200円、八戸駅からは100円バスが運行しています。どちらも毎時1本程度の運行です。
青森県を代表する郷土料理のせんべい汁。汁の中にせんべい?と思われるかもしれませんが、その昔はすいとんの代わりとしても食され、煮込んでも型崩れしなく、出汁を吸ったせんべいは見事に具の一部となっています。県内の食事処や居酒屋であれば大抵はメニューにある、県民のソウルフードとも言える料理です。南部煎餅はそのまま食べても、ふやけても美味しいんです。

●弘前城(ひろさきじょう)
津軽藩歴代の居城となった弘前城は、1611年に2代藩主である津軽信枚(つがるのぶひら)によって築城されました。その後、落雷により焼失しますが、1810年に再建され、全国に現存する12天守のうちの1つでもあります。

<住所>
青森県弘前市下白銀町1
<営業時間>
9:00〜17:00(冬季は長期休業のため注意) 300円。

<アクセス>
JR弘前駅からバスで約15分、市役所前公園入口を下車。100円バスも10分間隔で運行しています。青森駅からは弘前駅までJR奥羽本線で約50分、670円となります。
弘前城には当初、10棟もの城門があったそうですが、現在では二の丸南門、二の丸東門、三の丸追手門、三の丸東門、四の丸北門(亀甲門)の5棟が残されていて全て重要文化財に指定されています。写真は三の丸追手門です。
現存天守とはいっても、訪れたのが晩秋とあってか、観光客は皆無にも等しかったです・・・ ここ弘前城は紅葉よりも桜の方が有名です。
こちらも重要文化財の南内門です。お城の門は全国的にも道の突き当りの右手や左手に配置されている場合が多いのですが、これは桝形(ますがた)と呼ばれる虎口(城の防御)の一種で、攻撃側はコの字に進まないと天守まで辿りつけず、進軍の勢いが削られるだけではなく、閉ざされた門に到着するたびに敵からの攻撃にさらされます。
南内門をくぐり正面へ進むと、これまた重文の二の丸の未申櫓(ひつじさるのやぐら)が見えてきます。未申櫓の名は、櫓の方角を十二支で示したもので、この位置は城の南西に当たります。物見(見張)の役割があったとされ、構造は防弾、防火のために土蔵造りとなっています。
こちらは辰巳櫓(たつみのやぐら)で、先ほどの未申櫓と同じような姿ですが、窓の形など細部の造作に違いがあります。先ほどの名の由来通り、今度は辰巳なので位置は天守から見て南東になります。この櫓で、藩主が三の丸を通る弘前八幡宮の山車行列などをご覧になったそうです。城郭の角には後で登場する丑寅櫓を含め、全部で3つの櫓があります。これらの櫓は5つの城門や天守と同じく全て重要文化財に指定されています。
ようやく立派な天守が見えてきました。やっぱり現存天守って感動が違います。興味がない人が見たら、がっかりするくらい小さなお城なんですけど・・・ 弘前城は江戸時代に再建された城ですが、落雷で焼失する前は華麗な五層の天守だったそうですよ。
戦国時代の末期に南部氏に臣従していた津軽為信(大浦為信)は、内部抗争に乗じて謀反し、津軽一帯を支配したとされます。当時、為信(ためのぶ)の南部氏からの独立は、豊臣秀吉の惣無事令(領土紛争の禁止)に触れる行為でしたが、様々な工作により難を逃れ、さらには秀吉から所領安堵の朱印状を受けて大名としても認められました。秀吉亡き後も、幸運にも関ヶ原の戦いでは東軍につくなどし、弘前藩の基礎を築きます。
1603年には鷹岡城(現在の弘前城)の築城が開始されますが、1607年に病で死去します。その後、家督を継承した三男の信枚(のぶひら)によって築城は再開されて完成するも、1627年に落雷により焼失。その後の長い期間は天守のない弘前城でしたが、1810年に9代藩主の津軽寧親(つがるやすちか)によって現在の天守が再建されました。

眺望はこんな感じです。やっぱり三階程度だと低いなぁ・・・
こちらは最後の櫓である二の丸の丑寅櫓(うしとらのやぐら)。もともと櫓は全部で5棟あったそうなのですが、明治39年に2棟が焼失しています。丑寅は天守から見て北東になります。

●長勝寺(ちょうしょうじ)
津軽家の菩提寺である長勝寺。一画には弘前城を築城した津軽信枚が禅院33ヶ寺を集め、城の西南の押さえとしての役割を果たしてきた寺院街も形成され、桝形や土塁、空堀など随所に当時の面影も残ります。

<住所>
青森県弘前市西茂森1-23-8
<本堂拝観料>
300円 9:00〜16:00

<アクセス>
バスでは茂森町長勝寺入口を下車。弘前を中心に観光するならレンタサイクル(300円)で周辺の最勝院五重塔 誓願寺、革秀寺、旧市立図書館、石場家住宅、藤田記念庭園、弘前教会、ねぷた村、りんご公園などの散策もオススメ。
出城(お城の外側の防御)としての性格を持った長勝寺を中心とした禅林街(寺院街)の入口にあるのが、弘前市の文化財に指定されている黒門です。
津軽為信から弘前城の建設を受け継いだ子の信枚。信枚は新城建設とともに、領内の寺院神社に対して新しい城下町に移るよう命じました。これらの寺院は城下の要所に配置されました。道の両脇には今でも多くの寺院が建ち並んでいます。
蘭庭院の六角堂、俗称さざえ堂もあります。全国でも珍しい螺旋構造の仏堂で、右回りの回廊と直進階段を併用しています。東北では福島の飯盛山と、ここにしかない貴重な建物です。尚、内部拝観には事前予約が必要です。
トップの写真の本堂も国の重要文化財に指定されているのですが、同じ重文で1629年に建立されたこちらの三門も、見事な三手先組で立派です。
鎌倉時代後期につくられた銅鐘、嘉元鐘も国の重要文化財に指定されています。弘前駅周辺には他にも重文の建造物が豊富で、最勝院五重塔や誓願寺、弘前教会や青森銀行記念館といった美しい洋館も見所となっています。詳しくは弘前駅にある観光案内所に立ち寄って聞いてみましょう!

●三内丸山遺跡(さんないまるやまいせき)
江戸時代の頃には既に知られていた三内丸山遺跡は、縄文時代の集落跡です。発掘調査では約580棟の竪穴住居跡、10数棟の大型竪穴住居跡、100棟を超える堀立柱建物跡、盛土遺構、墓、他にも獣骨や魚骨、植物種子、漆器やカゴなども多量に発見されています。

<住所>
青森県青森市三内丸山305
<入館料金>
遺跡と縄文時遊館(さんまるミュージアム含む)は無料(駐車場も無料)ですが、縄文時遊館を通り抜けないと遺跡見学できないため、開館時間に注意です。9:00〜17:00(季節変動あり)

<アクセス>
JR青森駅から免許センター行きのバスで約25分、310円です。バスの運行は1時間1本程度なので注意。
こちらが縄文時遊館。遺跡への入口はこの建物の中にあります。
館内には縄文シアターや、さんまるミュージアム、ミュージアムショップ、体験工房、土産物屋などが集まっています。
縄文時遊館から遺跡のある広場へ出ると、トップにある写真の場所となります。トップの写真中央にある白いトンネルの中がこの写真になります。こちらは盛土の断面で、盛土(もりど)は人の手によって少しずつ堆積していった小山のようなもので、縄文人のゴミ捨て場と考えられています。この中からは多量の土器や石器、土偶などが見つかっています。
復元された縄文時代の茅葺住居です。柱にはクリ材を使用し、骨格の上に茅を敷いています。あくまで想像なので、樹皮葺住居も当時はあったのかもしれません。
今から約4500年前、縄文人はこんな場所に住んでいたかと思うと感動です。住居の中央部には穴が設けられ、地面をやや掘りくぼめ、そこで火を炊いて、炉としたものとみられます。住居の中には柱のないものも見つかっています。この場合、家の柱となる骨格の柱は、住居の外側にあったと考えられています。
下地の茅に土葺きで仕上げた土葺住居も縄文時代にはあったことが分かっています。
高床建物も復元されていました。倉庫又は住居と考えられています。これら三内丸山遺跡の復元建物にはクリの木が多く使われています。花粉分析などの結果から当時、遺跡周辺ではブナ・コナラ主体から成長の早いクリ主体の植生に変化したことが分かっています。これらのことから縄文人が森に手を加え維持管理もしていたと思われます。
こちらは大型の竪穴住居で今から約4300年前のもの。あまりに大きいので、共同作業所や集会所であった可能性があります。
この建物の発掘調査では、柱は19本もあり、周囲には溝が掘られ、柱穴が並んでいたことから、柱に支えられた壁があった壁立式の建物であったと考えられています。これら柱の間隔は全て70cmの倍数となっているので、当時、縄文時代の長さの単位(縄文尺)があったと考えることができます。
三内丸山遺跡ではとんでもない遺構も見つかっています。柱穴が3個ずつ2列に配置され、柱の間隔は4.2mと規則的です。柱の根入れは2mから2.5mで、柱穴は入念に埋め戻され、埋土が固く締まっていました。また、出土した柱はクリ材で、その直径は最大で103cmもあり、根元を焼き焦がしてありました。
柱が内側に若干傾いていたという可能性もあり、そうだとすれば、構造物の安定を保つために柱が丈夫で連結されていたと想定されます。で、想像してつくられたのが、この大型掘立柱建物(可能性だけで建てちゃった・・・)。復元建物は今から約4500年〜4000年前のもので、専門家の見解では、大きく建設説と非建設物とに分かれています。目的や用途も祭殿や宗教的な施設、物見櫓、灯台、魚の見張り台、天文や季節の基準を知るための施設などとする見方があります。
遺跡が一番の見所なんですが、縄文時遊館の中にある無料のさんまるミュージアムが凄いです。これで無料って凄過ぎです。
こちらは縄文人のこころコーナー。土器、土偶とかヒスイ、装身具、石箆、削器、石槍、釣針・・・ 国の重要文化財に指定されているものがゴロゴロ転がっています。いや、転がってはいないですね・・・
竪穴住居内での暮らしのようす。当時、縄文人の食材がとても豊富であったことには驚かされます。ニシン、マダイ、ブリ、サバ、ヒラメ、サメ、フグ、シジミ、アワビ、マガキ、アカニシ、タコ、イカ、カニ、シャコ、ムササビ、ノウサギ、イモ、マメ、クリ、クルミ、キノコ、ワラビ、ゼンマイ、クワ、キイチゴ、調理方法も蒸したり焼いたり、あ〜、あの頃に戻りたい。
土器展示ステージは、東北から北海道にかけての独特の形をした円筒土器についても学べます。他にも縄文人の交流・交易、技術や墓、環境などについても分かりやすく資料も豊富でした。

●ねぶたの家 ワ・ラッセ
東北三大祭りの1つでもある青森ねぶた祭は、毎年8月2〜7日の間に開催され、弘前ねぷたまつり(8月1日〜7日)と並び、青森県を代表する夏祭りです。ねぶたの家 ワ・ラッセでは、祭の歴史や魅力を1年を通じて体感することができます。

<住所>
青森県青森市安方1-1-1
<入場料>
ねぶたミュージアム・ねぶたホール600円、9:00〜18:00(季節変動あり)ワ・ラッセ、アスパム、八甲田丸の三館共通券(1300円)もお得です。

<アクセス>
JR青森駅から徒歩約1分です。
多くのねぶたが展示されています。実際近くで見ると迫力があって、とっても美しいのです。
ねぶたの起源は不明な部分が多く、特定の寺社と結びついた祭礼でもありません。しかし、江戸時代に弘前藩がこの地に港を開き、人々が集まり住んだ頃には、毎年の恒例行事となっていたことが当時の記録により分かっています。
このように針金に和紙を1枚1枚貼り合わせて、ねぶたがつくられていきます。昔はロウソクを使用していましたが、現在では800〜1000個もの電球や蛍光灯を取り付けているそうです。
この電源になるのが発電機で、台車には1.3tの発電機が取り付けられています。ねぶた本体と合わせると約4tもあるそうです。この4tもあるねぶたには、大型車両用のタイヤと車軸が取付けられていて、これを成人男性約30人が前後左右に付き、誘導の指揮をとる扇子持ちの指示に従い、ねぶたを直進させたり回転させたりします。
幕末期、人々のねぶたにかける情熱は増大し、強引な金銭集めや喧嘩もたびたび起こったそうです。そうして徐々に大型化や手の込んだ細工が施されるようになったねぶたは、訓令や禁止令を何度出しても、繰り返されることとなります。やがて、ねぶたは野蛮な風習とみなされ約10年にわたって禁止されたそうです。
幕末から始まったねぶたの大型化は、明治時代に入っても続き、各町内は競って大きなねぶたをつくったそうです。
しかしながら、市街地に電線が普及し始めると、ねぶたによる電線の切断事故が相次ぎ、次第にねぶたは規則が定められたこともあり小型化されていきました。
ねぶたの製作は元々、各地域において、手が器用な人や、絵を書く人などが中心になり、地域のねぶた好きの人々が手伝いながら作られてきました。
戦後、大型化していくねぶたの製作には、専門家(ねぶた師)も登場します。ねぶた師それぞれの作風の違いも面白いです。
ねぶた師には流派のようなものも存在し、師弟関係もあったそうです。ある程度一人前に近い技術を持った人の中には、何人もの製作者から呼ばれることもあるんですって。
見学時間は30分〜1時間程度ですが、見応えはあります。駅からも近いですし。

●八甲田丸(はっこうだまる)
1964年から1988年(昭和63年)まで、青森港から函館港を就役していた八甲田丸。青函トンネルの完成とともに廃止されてしまいましたが、船体は往時のままの姿を残し、現在は博物館として公開されています。

<住所>
秋田県男鹿市船川港門前
<入場料>
500円。9:00〜18:00(季節変動あり)。ワ・ラッセ、アスパム、八甲田丸の三館共通券(1300円)もお得です。

<アクセス>
JR青森駅から徒歩約5分です。駅から歩けば、すぐに船体が見えます。
駅から海方向に向ってすぐの場所にある八甲田丸。現役当時はホームからの車両搬入口も残されています。
船内(博物館内)には入ると最初に昭和30年代の青森の街の姿や青森駅の光景などをジオラマ化した青函ワールドがあります。
魚泥棒でしょうか?2人の会話も流れていますが、何をしゃべっていたか忘れました・・・
いや〜、リアル過ぎます。東京のお台場にも青函連絡船の羊蹄丸が展示されているのですが、ここも同じようなジオラマがあります。
まだまだジオラマコーナーが続いて、これだけも見応えあるのですが、訪れる人は少ないようです・・・
全体的にはこんな感じです。当時の状態を最大限に残し、パネルや映像を取り入れて展示してあるそうです。青函連絡船シアターとかもあります。
これ、いいですね。どんなタイトルだったか忘れましたが、いい絵です。
寝台室だったかな?忘れましたが客室です・・・ 

青函連絡船の歴史は明治41年に青森港を出港した比羅夫丸から始まりました。比羅夫丸は姉妹船田村丸とともに、青函間の所要時間を2時間縮める4時間の高速で航行しました。大正になると石炭や食料の大量輸送のために、貨車航送船が次々に投入されていきました。
昭和では太平洋戦争中は連合軍による攻撃の標的となり多くの連絡船を失っています。戦後も青函航路の輸送力回復が急がれましたが、昭和29年には洞爺丸台風により5隻の連絡船を失う大きな被害を出します。その後も航送能力の大きな高性能船が次々と投入されますが、昭和63年に青函トンネルを利用する津軽海峡線の開業とともに連絡船はその使命を鉄道に譲り廃止されました。

写真は昭和31年頃の新町だそうです。今よりも活気があったんですねぇ。
見ての通り、こちらは操舵室(ブリッジ)です。他にも1階には鉄道車両を輸送する為の世界的にも珍しいスペースがあるのですが、この車両甲板の見学を忘れました。そんな場所があったとは・・・ 当時乗船されていた方でこの役割を知らなかったという人もいるそうです。
八甲田丸の全体像。アスパムの展望室からも良く見えます。人気はないけど日本の経済発展に大きく貢献してきた青函連絡船。なんか赤字が続いているそうで、皆さんで応援していきましょう!

●青森県観光物産館アスパム
青森県の産業・観光物産・郷土芸能などを総合的に紹介しているアスパム。地上51m、13階の展望台からは青森市街だけでなく、八甲田の山々をも見渡すことができます。

<住所>
青森県青森市安方1-1-40
<観覧料>
展望台 400円(自販機の飲み物サービス付)。他、パノラマ映画館や浅虫水族館、ワ・ラッセ、八甲田丸などとのお得な共通券もあります。

<アクセス>
JR青森駅から徒歩で10分程度です。八甲田丸からも見えますし、ワ・ラッセからでも海沿いを歩けば、すぐに発見できるかと思います。
そもそも、この季節(晩秋)に市内観光する人も少ないので、展望室も地元人らしき人が数名しかいません。そして、自販機の飲み物サービス付・・・ いらないから展望料金を100円下げて欲しいのだった。
青森駅方向を撮影してみました。この日は小雪が降ったり止んだり、青空が雲の間から覗いたりと、天気の変化が激しかったです。
さらに左方向を撮影。このへんも繁華街ですね。
こちらが陸奥湾方面。天気が良ければ北海道まで見えるそうですよ。観光物産館だけあって土産物屋も充実しています。

●青森県立郷土館
旧石器時代から現代までの青森県の歴史や自然を学べる青森県立郷土館。館内では多くの資料や文化財を有し、ジオラマ展示も豊富で見応えがあります。

<住所>
青森県青森市本町2-8-14
<観覧料>
1〜2月(250円)を除く通常時期 310円。9:00〜17:00(季節変動あり)休館日は不定休となりますので注意です。

<アクセス>
JR青森駅から徒歩約15分です。バスではワシントンホテル前を下車です。

残念ながら館内は撮影禁止。許可申請の用紙記入で撮影可能ですが、WEB公開等にはさらに申請が必要となります。


青森県の観光