●出羽三山神社
山岳信仰の場である月山、羽黒山、湯殿山を総称して出羽三山といい、それぞれの山頂には神社があります。しかしながら、月山、湯殿山は冬は深い豪雪のために参拝が困難であったことから、羽黒山山頂の出羽神社に三山の祭神を合祀したのが出羽三山神社となります。

<住所>
山形県鶴岡市羽黒町手向手向7
<アクセス>
鶴岡駅から庄内交通バス羽黒山行きで50分→終点下車 。表参道の石段を登る場合は、同バスで羽黒センター下車。
山頂に駐車場があるらしい話と、ここから恐ろしい石段があることも知らずに随神門(旧仁王門)をくぐりぬけます。境内マップによれば山頂までは約60分、1.7kmだそうです。
おお!急勾配の下り石段が。ひいひい言いながら上ってくる人が大勢いました。
祓川にかかる神橋を越えると国宝の五重塔が立派にそびえ立っています。平将門の建立と伝えられていますが、その後室町時代に再建されています。
樹齢300年以上の杉並木に囲まれて、心も体もリフレッシュです。
緩やかな階段ですね。実に気持ちよいウォーキングじゃあないですか。
お?勾配が少しキツくなったような気がします。
ぬぬっ。ありえねぇ!足がプルプルしてきました。

実は後で知ったのですが、山頂まで2446段もの石段だそうです。同県の石段で有名な立石寺でさえ1000段程度です。全国的にも石段で有名な香川県の金刀比羅宮でさえ奥社まで行っても1368段。歩きづらさも考慮すれば日本一最難関の石段であることは間違いありません。
汗が止まりません。山頂までは一の坂、二の坂、三の坂と呼ばれる難所があります。写真は一番苦しい二の坂。写真中央に小さく写るおじさん。落とした杖がコロコロと長い距離を転がっていきました。写真では杖の行方を見守っているところです・・
そして、先には氷の文字が・・・ まさに天の助け、どうやらここの祭神はカキ氷屋さんだったようです。

写真のリュックを背負った人、杖を転がしていたおっさんです。
石段には33もの絵が彫られている石が点在しているようです。これを全部探せば大願成就とのことですが、苦しくてそれどころではありません。
道中には芭蕉塚(三日月塚)もあるよ。あの松尾芭蕉もこの地へ立ち寄り、涼しさやほの三か月の羽黒山と詠んでいます。

この日は8月の晴天、風も全くなしで全然涼しくありませんでした。
芭蕉も6日間滞在した羽黒山南谷への道。芭蕉来山当時の風景を再現させようと心字池などが整備・復元されているそうです。しかしながら、徒歩片道15分とかふざけた事が書いてあります。
ようやく山頂へ到着です。境内には出羽三山開祖と仰ぐ蜂子皇子を祀った蜂子社とか墓、鏡池や末社も点在し、それなりの見所もあります。
こちらがトップの写真にもある三神合祭殿。ここで参拝すれば月山神社、湯殿山神社に行かなくてもよいとは嬉しい限りです。

三社それぞれ参拝するも、仏塔をぐるり一周すれば四国八十八ヶ所霊場を全て行ったのと同じ功徳があるとか、特定日に1日お参りしただけで千日詣でたのと同じ功徳とか、あるいは経典を入れた台を回転させるだけで、実際に唱えたと同じ功徳があるなどの寺社のように、豪雪の時期でもないのにズル?して効果があるのかは疑問である・・・
この三神合祭殿のぶ厚い萱葺きの屋根には迫力があります。現在の合祭殿は1818年に建てられたもので、国の重要文化財にも指定されています。
こちらも重文となっている鐘楼と建治の大鐘。
奥にある出羽三山歴史博物館は300円で8:30〜16:30(木曜休館)です。仏像も多くかなり見応えあります。芭蕉の書翰などもあり、俳句愛好家も満足?な内容です。

●山居倉庫(さんきょそうこ)
明治26年、且田米穀取引所は、従来の受渡しの不便を緩和し、産米の改良と農村の振興をはかる目的で付属倉庫として7棟を建設します。明治30年には15棟におよび、厳正な入庫検査と託納調整による品質及び枡量の統一により、全国的にも高い評価を得るようになりました。

<住所>
山形県酒田市山居町1-1-8
<アクセス>
JR酒田駅よりバスで約10分、山居町を下車です。山形県とはいえ隣の秋田県(秋田駅)のほうが近く、山形駅からは電車で3時間程度もかかります。
徒歩だと30分程度かかってしまいますが、観光案内所にて無料で観光用自転車の貸出しもしています。
テレビドラマで伝説の視聴率を叩き出したNHKの連続テレビ小説、おしんのロケ地にもなっているのが倉庫の裏側となり、正面よりも人気の撮影アングルなのだそうです。日本海からの強風と夏の直射日光をさえぎり、倉庫内の温度変化を少なくする目的で植えられた欅が一体となった絵が素敵かも。
その山居倉庫の裏側に鎮座するのが三居稲荷神社。旧藩主酒井家の太郎稲荷と徳川家の禎祥稲荷の二柱を勤請(勧請)し、従来より鎮座していた山居稲荷神社と合祀して倉庫鎮守の神としています。
土蔵と屋根の間に空間を作り、風通しをよくし、土蔵内の温度を上げないようにした構造の二重屋根。お米の貯蔵は温度が高くても低くても駄目なんですね。
山居倉庫は現在は内12棟が残り、今も現役(資料館、物産館含む)として運用されています。
山居倉庫の奥にある1棟は庄内米歴史資料館となっており、入館料300円 9:00〜17:00(季節変動あり)となっています。それほど大きくはないスペースの資料館ですが、庄内米、山居倉庫の歴史についてはもちろん、普段我々が食べている米について様々な知識を得ることができます。ここに来れば、いかに米づくりが大変なのかがわかります。
再現ジオラマに置いてある様々な道具について、横のボードには1つ1つ分かりやすい説明や名称が書いてあります。とても勉強になります。
昔は5俵も担いでいた人がいるなんて驚きです。これ1俵が60kgあるらしいんですが、実際に体験することができます。まぁ、一般的な女性でしたらピクリとも動かないでしょう。
まぁ、普通は1俵ですね。って、この写真だけでも恐ろしい状況だということがわかります。俵を運んでいる女性を女丁持(おんなちょうもち)と呼んでいたそうです。
明治末期の山居倉庫。
大正末期、山居倉庫への米の搬入風景。
鳥海国定公園にある三崎公園より望む、日本海に沈む夕日。マイカー・レンタカーであれば、ここから美しい日本海に抜けて新潟方面・秋田方面と足を伸ばしてみるのもいいと思います。

●蔵王樹氷(ざおうじゅひょう)
山形県から宮城県にまたがる蔵王連峰。四季折々の自然を楽しめる蔵王ですが、なかでも冬の風物詩(1月下旬〜2月上旬)であるアイスモンスターと呼ばれる山形蔵王の樹氷は、日本だけではなく世界的にも有名で、自然の雄大さを感じることができます。

<住所>
山形県山形市蔵王温泉
<アクセス>
JR山形駅からバスで約40分、終点の蔵王温泉ターミナルを下車し徒歩10分程度。バスは往復2000円。蔵王温泉ターミナルから樹氷の見える地蔵山頂駅までのロープウェイは往復で2600円となります。山形駅からの公共機関では往復で合計4600円となりますが、山形駅前バス案内所にて4100円の乗車券を買われるのがお得です。尚、バスの発着場所は山形駅(東口)前バス案内所のすぐ近く1番乗り場より毎時運行しています。
バス停からは蔵王ロープウェイの乗り場まで徒歩で10分程度移動し、樹氷高原駅(山麓線)⇒地蔵山頂駅(山頂線)とロープウェイを乗り継ぎます。左図のロープウェイは上から蔵王スカイケーブル、蔵王中央ロープウェイ、蔵王ロープウェイの順になっており、樹氷見学の場合はバス停から向かう際に見える途中の蔵王中央ロープウェイではなく一番奥の蔵王ロープウェイですのでお間違えなく。
道中の店で多く見かける一串100円の玉コンニャクはジンギスカンと並び蔵王名物です。
蔵王ロープウェイの出発点である蔵王山麓駅です。スキーヤー・ボーダーよりも優先して乗車することが出来ますが、この日は樹氷シーズンの中で1〜2回あるかないかの晴天と言うことで30分くらいは待たされました。
樹氷高原駅までは樹氷は全く見られず、景色がいいなぁという程度です。この日は乗客の半数はスキー・ボードで残りの半数が樹氷の見物客でした。
樹氷高原駅からはゴンドラで地蔵山頂駅へと向かいます。ロープウェイと違って、ここでは次々とゴンドラが来る上に、樹氷見学者は優先となり待ち時間はありませんでした。
ここから美しい樹氷が見られます。往きのゴンドラは右側の方が眺めがよいです。ゴンドラに乗る際は、可能であれば手前側(入口側)に乗ってください。
山頂駅には展望台があり、トップと同じこのアングルは展望台から撮影したものです。山の上のほうに見える黒い粒々は人なんですが、スキーのコースがあるわけでもなく、なんとなく皆さん山のてっぺんを目指しているだけです。尚、立ち入り禁止のロープが張られていますが、ほぼ全員無視してます。
なので、私もほんの少しだけ侵入してみました。ただ、あまり奥(上)に行くと普通の靴では大変なことになってしまうので注意です。
アイスモンスターと呼ばれる樹氷は、じーっと眺めれば眺めるほどにその名の通り何かの形に見えてきます。この樹氷もスヌーピーみたいじゃないですか?
ダチョウみたいなものとか。
左には太った王様がいらっしゃいますね。
樹氷の林に入ってみると、こんなにも密集しています。樹氷近くには大きな穴がある場合もあるので、奥まで入り込むのは大変危険です。
蔵王の樹氷は、日本海から吹き付ける風が蔵王連峰にぶつかり雪雲をつくり多くの雪を降らせます。ここで発生する雪雲の中の雲粒(過冷却水滴)は、針葉樹のアオモリトドマツの枝や葉にぶつかって凍りつくことによって樹氷は完成するそうです。
帰りのゴンドラは、スキーヤー・ボーダーは当然いませんのでガラガラです。往きに撮り損ねた写真も、帰りはゆっくりと撮影が可能です。
せっかく来た蔵王温泉ですから帰りは温泉に浸ってから帰るのがオススメです。一番のオススメはバス停から蔵王ロープウェイまでの道中にある新左衛門の湯(スーパー銭湯風)。他には少しバス停を通り越しますが、源七露天の湯(自然の露天風呂風)。他、大きな露天風呂が人気の蔵王温泉大露天風呂は残念ながら冬季は閉鎖となっています。

●専称寺(せんしょうじ)
最上義光の二女駒姫の菩提寺、専称寺。駒姫はその美しさから豊臣秀次に側室入りを何度も求められ、結果的には関白であった秀次に逆らえずに渋々差し出すことになりました。駒姫が京都に到着して3日後、秀次は秀吉の逆鱗に触れ高野山にて切腹(秀次事件)。不幸にもまだ正式な側室ではなかったものの駒姫も処刑されてしまいました。

<住所>
山形県山形市緑町3-7-67
<アクセス>
JR山形駅からは徒歩で30分程度かかるため、100円循環バスで七日町を下車してから徒歩で向かうのがオススメです。繁華街のある七日町からは約10分。
こちらは山門。周辺には寺院が数多く寺町を形成しています。
県指定有形文化財にもなっている梵鐘ならびに鐘楼です。駒姫の死後11年後の1606年に製作されたそうです。
トップの写真が1703年に建立されたという本堂となります。最上氏の家紋である二引両があることからも、最上氏ゆかりの地であることが分かります。駒姫の死を知った義光は食事も喉を通らぬほどに深く悲しみ、これが原因で関ヶ原の戦いでは豊臣側ではなく家康率いる東軍に味方し、結果的には兼続率いる上杉軍を撃退して功をあげ、大大名となり初代山形藩主として今日の山形の礎を築きました。
本堂の四隅にある力士像は左甚五郎作と伝えられるものだそうです。大概、全国にあるかっこいい彫刻は左甚五郎作と言われるだけあって、どこまで本当だかは分かりません・・・
義光は必死で助命嘆願をし、後に秀吉も了承し処刑中止の早馬を出しますが、あと一歩のところで間に合わなかったとのこと。まだ15歳と短い命でした。尚、娘を失ったショックのあまり駒姫の母は14日後に自殺したと言われています。駒姫の墓は墓地を抜けた空き地みたいな場所(案内板あり)にポツンとあります。

●光禅寺(こうぜんじ)
山形藩の初代藩主、最上義光の菩提寺でもある光禅寺は、最上義光が向川寺九世春林弾寺冬和尚を拝請して開創した寺院です。元は慶長寺と称し現在の七日町にありましたが、元和年間に光禅寺と改称し移転しました。境内には義光をはじめ、家親、義俊、義光公に殉死した四家臣の墓もあります。

<住所>
山形県山形市鉄砲町2-5-7
<アクセス>
JR山形駅、または七日町の繁華街から徒歩20分程度です。スマホをお持ちの方はグーグルマップで「光禅寺 山形」と検索すれば迷いません。
立派な入口ですが、訪れる人は皆無でした。両脇にある数字の二のような模様は最上氏の家紋、二引両というものです。
馬鳴(めみょう)菩薩も安置されています。
こちらは延命地蔵菩薩。他にも藤原国次の作とされる梵鐘もありました。何処にでもある、ただの梵鐘と思って写真は撮り忘れました・・・
最上義光の墓へ向かう途中にあるのが、市の名勝に指定されている心字の池と呼ばれる庭園です。江戸前期頃の作庭とされ実に見事です。雪でなにも見えないんですけどね・・・
墓地を突き当たり、そこから左奥へ進むと義光の墓があります。法名である光禅寺殿玉山白公大居士の文字が刻まれています。
ちょっと説明板がなくて分かりにくいのですが、義光の右隣に家親(右)、義俊(左)の墓があり、脇には殉死した四家臣の墓もあります。参考までに家親、義俊の法名はそれぞれ、盛光院殿安景道長大居士、月照院殿華嶽英心大居士となっています。尚、浄土真宗の寺院の場合は戒名ではなく法名と呼ぶのだそうです。

●慈恩寺(じおんじ)
さくらんぼの一大生産地である寒河江市にある慈恩寺の創建は古く、746年に聖武天皇の勅命によりインドからの渡来僧、菩提僊那(ボーディセーナ)が寺院を建立したと伝わる東北屈指の巨刹。

<住所>
山形県寒河江市慈恩寺地籍31
<アクセス>
JR左沢線の羽前高松駅から徒歩約20分。山形駅からは羽前高松駅まで約30分程度ですが、左沢線の運行が1時間1本程度なので注意です。
立派過ぎる仁王門(山門)です。慈恩寺は、江戸時代には幕府から多くの御朱印を付せられ、広大な寺領を所持していたそうです。
1683年に建立された鐘楼。小さいながら本堂にも負けない立派な茅ぶき屋根はちょっと愛くるしくもあります。
こちらはトップの写真と同じく1618年に建立され重要文化財にも指定されている本堂。この茅ぶき屋根は必見です。
出羽三山本社にも負けない迫力。・・・にしても観光客らしき姿は全くありません。本堂ならびに諸堂の堂内拝観は500円となっています。天井図の八方睨みの龍や、中央仏師による多くの仏像も見所の1つです。
こちらも重文の薬師堂(1693建立)です。他にも写真の絵がどれも同じなので掲載しませんが、釈迦堂(1695)、天台大師堂(1706)、阿弥陀堂(1693)もあります。
少しだけ(数十メートル)離れたところにある立派な三重塔も重要文化財です。1608年に建立も、後に焼失し1830年に再建されたものです。これで観光客が一人もいないのが驚きです。

天童市将棋資料館
天童温泉も有名ですが、遠方から旅行に訪れる人にとっては天童=将棋のイメージが一番強いかと思われます。将棋駒の生産量は全国一で、毎年4月に行われる天童桜祭りでの人間将棋は賑わいをみせます。天童駅1階には天童市将棋資料館もあり将棋駒は勿論、将棋の原形とも言われるインドのチャトランガ等も展示されています。

<住所>
山形県天童市本町1-1-1
<開館時間>
9:00〜18:30 水曜日(水曜日祝日の場合は翌日)、年末年始は休み
入館料300円

<アクセス>
山形駅から約20分230円で天童駅1階。列車の本数が少ないので注意です。
私が訪れた時には写真撮影は殆ど禁止と書いてありましたが、係りの人に一応聞いてみたらOKでした。さらにはフラッシュは駄目ですよね?と聞いてもOKでした。なんともアバウト・・・

かなり館内は狭いスペースです。全体で写真の2倍くらいの面積しかありません。
かつて豊臣秀吉が、秀吉の姉の子である豊臣秀次相手に伏見城で人間将棋を行ったとされます。写真は人間将棋のイメージ写真です。人間を使って将棋をしますが、指揮をとるのはプロの棋士達です。一般的な将棋のルールと少し違う点は、全ての人が動きます。応募の中から選ばれた駒役の人が可愛そうだからという噂が・・

会場は舞鶴山で、天童駅から徒歩で20分程度です。


山形県の観光