●足尾銅山観光
足尾銅山は江戸時代の頃から昭和48年の閉山までの間、多くの鉱石を採掘し、明治時代には国内生産の40%以上を産出する日本一の銅山にもなりました。その足尾銅山の当時の坑道の一部が公開されています。

<住所>
栃木県日光市足尾町通洞9-2
<入坑料>
800円。9:30〜16:30 無休。

<アクセス>
わたらせ渓谷鐵道の通洞駅から徒歩約5分です。JR宇都宮駅からは約3時間、群馬県の高崎駅からでも約2時間30分とアクセスは悪いのが難点です。
こちらが足尾銅山観光への入口です。なんか人が誰も歩いていないんで、やってないのかな?って心配してしまうほど人気がありません。時期にもよるんでしょうが・・・
坑道へはトロッコ電車で向います。トロッコ電車は特に発車時刻があるわけでもなく、適当に人が乗ったら出発します・・・
なんだかワクワクしますね。横には当時銅山で働いていた人らしき作業風景がマネキン人形とかで再現されているんですが、ブレて上手く写真撮影できません。でも最後には結局歩いてここに戻ってくるんですが。
ワクワクして乗ったトロッコ電車ですが、トンネルを少しばかり進んで停車。ここからは徒歩で移動です。
昭和の閉山までの間に、銅山内部には鉱石の採集のため縦、横に数多くの坑道が掘られました。通洞抗口からは、電車坑道のレールが奥へ6.5km続き、その上には約600m、下には約540mと何層もの坑道が掘られ、その総延長は約1200kmにおよび、これは東京から九州博多までの距離に相当します。
坑道はこんな感じです。地下水があちこちの岩の隙間からチョロチョロと湧き出ています。人類が初めて手にした金属は銅だといわれているそうで、足尾銅山では精銅以外にも銅の中に含まれる金や銀も取り出していたそうですよ。
時代を追って鉱石の採掘を再現した等身大のマネキンたち。たまに腕とかカクカク動いているものもあります。最初は江戸時代から。時代が時代ですから地道に手掘りです。
足尾銅山は1610年に足尾村の二人の農民によって発見されました。江戸時代の頃は作業は、全て手作業と大変厳しいものでした。槌にタガネで鉱石を掘る掘り大工や、運搬役の手子(てこ)や負夫(おいふ)、坑道の支柱をする留大工(とめだいく)、水をくみ出す樋引(といびき)など約530名の労働者が働いていたとされます。
あまりにも再現ジオラマの数が多くて全部は紹介しませんが、ボタンを押すと当時の作業員の会話がしたり、説明アナウンスが流れたりするものも多くあります。ボタンを押したら片腕がカクカク動くだけ・・・なんていう雑なものも。
さらに大正時代になると、足尾式削岩機が考案され手掘りから機械掘りとなり効率も上がり、桐生〜足尾間の鉄道も開通し、馬車に変わる輸送機関として大きな役割を果たしました。
昭和になると、さらなる機械化と合理化によって労働環境も少しずつ改善されました。
途中で開運洞と銅資料館(出口)への分かれ道があります。で、開運洞へ。5〜10mくらいしか道がないんですが。。
で、すぐに戻ってきて銅資料館(出口)へ向います。あ、通路にもマネキンが!
こちらが銅資料館です。足尾銅山の歴史や坑道の仕組みを説明するミニシアターもあったりしますよ。
で、坑道を出てきました。右に小さく見えるトンネルがトロッコ電車の入口で、左の方から歩いて出てくる感じです。
外にも再現風景のジオラマがあります。ちなみにこちらは江戸時代の運鉱・製錬作業とのこと。
さらには足尾で作られていた寛永通宝(足字銭)の製造過程をジオラマで見ることができる鋳銭座ってのがあります。
こんなジオラマが沢山、寛永通宝をつくる作業の順を追うように展示されています。ちなみに帰りのお土産屋で本物の寛永通宝も売ってたりします。是非記念にお買い求めを。
最寄駅となる通洞駅より1つ先にある足尾駅。なんともレトロな駅舎で雰囲気がよいです。
この足尾駅周辺には足尾銅山の遺構が数多く残されています。
こんなんとか。すごい田舎道なのに一眼レフを持った写真好きの人も多く見かけます。
中には入れませんが、こんなんとかも。



栃木県の観光