徳川家康を祀った神社である日光東照宮をはじめ、隣接して日光二荒山神社や日光山輪王寺と、世界遺産が並びます。これらの日光の社寺からいろは坂を抜ければ日本三大名瀑の1つ華厳滝や中禅寺湖、その先には美しい湿原が広がる戦場ヶ原など観光名所も豊富です。鬼怒川温泉、川治温泉、那須温泉などの温泉巡りや地元グルメの佐野ラーメンや宇都宮餃子の食べ歩きも楽しいですよ。

<お土産>
定番は特にありませんが、苺(とちおとめ)を筆頭に宇都宮餃子、佐野ラーメン、日光の湯葉など観光地ごとに様々な土産物があります。
餃子の街として知られる宇都宮。JR宇都宮駅前には餃子像があります。少し分かりにくいですが、女の人が餃子の皮に包まれています・・・
栃木県一の繁華街となると宇都宮駅周辺となります。宇都宮駅はJR宇都宮駅と東武宇都宮駅とがありますが、特に賑わいがあるのが東武寄りにあるオリオン通りです。尚、JR宇都宮駅から東武宇都宮駅までは徒歩で20〜25分程度です。
こちらが宇都宮を代表する商店街、オリオン通りです。徒歩で移動できる周辺の観光地には、二荒山神社や宇都宮城址公園などがあります。
こちらが二荒山神社。日光の二荒山神社と区別し、宇都宮二荒山神社とも呼ばれます。源頼朝や徳川家康も戦勝祈願に訪れた二荒山神社ですが、戊辰戦争によって神社は破壊されました。現在の社殿は明治時代に再建されたものです。
こちらが宇都宮城址公園。関東七名城にも数えられる宇都宮城は宇都宮氏が約500年にわたって代々城主をつとめ、戦乱の世を乗り切ってきましたが、現存するものは一部の土塁のみとなっています。

●日光東照宮(にっこうとうしょうぐう)
徳川家康を祀った神社である東照宮は、隣接する二荒山神社、輪王寺とともに日光の社寺として世界遺産にも登録されています。本殿前にある国宝、陽明門をはじめ神厩舎の三猿(さんざる)や奥社入口にある眠り猫と、様々な動物や霊獣などの彫刻は見所の1つでもあり、写真にもある陽明門だけでも508体(東照宮全体で5173体)もいるんですよ。

<住所>
栃木県日光市山内2301
<拝観料>
1300円(奥宮・眠猫・鳴龍を含むセット券) 輪王寺と二荒山神社との共通券もあり。

<アクセス>
東京方面からは東武伊勢崎線で東武動物公園→東武日光線で東武日光駅まで約2時間。特急列車もありますが、こちらも2時間程度の時間を要します。駅からはバスで西参道を下車し徒歩10分程度。徒歩では約30分かかります。車では東北自動車道の宇都宮ICから日光宇都宮道路を経由し日光ICを下ります。
東照宮のみの観光であれば西参道バス停が最寄りとなりますが、神橋→輪王寺→東照宮→二荒山神社と観光される方は西参道より手前の神橋バス停での下車がお薦めです。

写真が日光の表玄関と言われる神橋(しんきょう)です。朱塗りの見事な橋は、旅行のパンレットでもよく使用され国の重要文化財にも指定されています。
一ノ鳥居、五重塔、表門へと進んでいくと、見所でもある神厩舎(しんきゅうしゃ)が見えてきます。神厩舎とは馬小屋のことであり、昔から猿は馬を病気から守るとされていたそうです。この神厩舎には全部で8枚もの猿の彫刻があり、左から見ていくと一つの物語になっていて、特に有名なのが写真の「見ざる・言わざる・聞かざる」の三猿の彫刻です。説明書きには、「子供の内は悪いことは見ない・聞かない・話さない」と書いてあります。
陽明門手前の右手には国宝でもある廻廊があります。外壁の彫刻が見事です。左手には薬師如来を祀る本地堂「鳴龍」もセット券に含まれていますので、こちらもお忘れなく。

続いて、一番の見所でもある陽明門(ようめいもん)を通り抜け、拝殿、本殿へと向かいます。拝殿、本殿と同様に国宝でもある唐門もこのエリアにあります。当時の総工費は、金56万8000両、銀100貫匁、米1000石と、今の価格にすると約400億円に相当するというのだから驚きですね。
東照宮にある鳥やら植物やら霊獣等の多くの彫刻。これらの動物は全て平和を象徴するものとして描かれています。そんな彫刻の中でも一番有名なのが家康の墓所がある奥宮宝塔への入口にある「眠り猫」です。眠っている猫の姿は、寝てしまうほどの平和だという意味や、寝ていると見せ掛け、いつでも飛びかかれる姿勢をしているとも言われています。この彫刻は伝説の彫刻職人、左甚五郎の作と伝えられていますが、物凄くちっちゃい彫刻なので携帯で撮影するのは大変です。。
眠り猫の裏側には雀の彫刻があります。猫の裏で雀も暮らしているほど平和だということを表しているのだとか。見落としやすい場所(背後)となるので注意です。有名ではないせいか大半の方は見落としてますけど。。。
普段、運動不足の人には辛いでしょうが、ここから先にある徳川家康のお墓のある場所までは約200段もの長い石段があります。
拝殿の奥に写真の奥宮宝塔があります。徳川家康のお墓ですね。家康の遺言では、柩を久能山に納めて神に祀り、一周忌の後は、日光山に堂を建て我が霊をまねくべし。そして、八州の鎮守となろうと言っています。八州の鎮守とは、日本全土の平和の守りということであり、戦乱が治まったこの時代に、家康は平和な時代が永遠に続くことを願っていたのでしょう。
日光東照宮周辺には同じく日光の社寺として世界遺産に登録されている日光山輪王寺もあります。東照宮からも歩いてもすぐの場所にあります。
こちらも同じく日光の社寺として世界遺産に登録されている日光二荒山神社。輪王寺とともに、楽々歩いていける距離にあります。

●華厳の滝(けごんのたき)
中禅寺湖より豪快に流れ落ちる華厳の滝は日本三名瀑の1つにも数えられていて、その落差はなんと97mもあります。紅葉シーズンは最も混雑し、日光東照宮と並び栃木県の代表的な観光名所でもあります。

<住所>
栃木県日光市中宮祠2479-2
<アクセス>
JR日光駅、又は東武日光駅から中禅寺温泉、湯元温泉行きのバスでで中禅寺温泉を下車、約50分です。そこから道路右手方向に進み徒歩約5分です。左手方向に進めばすぐに中禅寺湖があります。観光コースとしては神橋→輪王寺→東照宮→二荒山神社→大通りに出た右手方向にある西参道バス停から中禅寺湖(華厳の滝)へと向かってください。尚、西参道からは運賃950円、路線バスですが観光バスそっくりなので、お乗り忘れのないように。
こちらが観瀑台です。料金無料で自由に滝を見学できます。さらに岩盤をくり抜いて造られたエレベーター(往復530円)を使えば、滝壺まで見える観瀑台へと下りることができます。こちらは滝を見上げる分、多少は迫力が増します。

●中禅寺湖(ちゅうぜんじこ)
男体山の噴火によってできた中禅寺湖。全国的にも有名な紅葉の名所でもあり、シーズン中は周辺道路は大変混雑します。

<住所>
栃木県日光市中宮祠

<アクセス>
華厳の滝に同じく日光駅から中禅寺温泉、湯元温泉行きのバスで中禅寺温泉を下車。

●戦場ヶ原(せんじょうがはら)
美しい湿原地帯が広がり、奥日光を代表する観光地でもある戦場ヶ原。伝説によれば戦場ヶ原は二荒山の神と、男体山の神が、それぞれムカデとヘビに化けて戦った場所でもあります。

<住所>
栃木県日光市中宮祠
<アクセス>
日光駅から湯元温泉行きのバスで約1時間、赤沼を下車です。尚、マイカーの場合は大きい無料駐車場があります。戦場ヶ原自然研究路コースは竜頭の滝→赤沼→湯滝と続いていて、がっつり散策したい方はバスを竜頭の滝(りゅうずのたき)で下車します。ハイキングをされない方は、赤沼の先の三本松を下車すると展望台があります。
戦場ヶ原は、今から13000〜14000年前は、男体山の溶岩などによって川がせきとめられてできた湖でした。その後、男体山後期の火山活動により流れ出した火砕流や土砂が湖を埋め、その上に植物の遺体が低温のため分解しきらず泥炭となって積もり、現在見られるような湿原になったものだそうです。写真は展望台(三本松)より撮影したもの。
バスを赤沼で下車すると、すぐ近くに戦場ヶ原自然研究路の入口があります。尚、赤沼バス停近くにある赤沼自然情報センターでハイキングコースマップを必ず購入(50円)しておきましょう。しばらく歩くと途中に分岐があり、湯川の下流、左手に進めば竜頭の滝方面(1.7km)です。ここでは右手に進み湯滝(4.4km)を目指します。
湯川沿いに歩く戦場ヶ原自然研究路は空気も美味しくて気持ちがいいです。運が良ければリスや鹿、熊にも出会うことができます。熊はちょっと嫌ですね。実際に熊避けの鈴を付けて歩いている人も多かったりします。。。
赤沼から湯滝までは歩いて約60〜90分程度かかります。言い忘れましたが飲み物は事前に用意しておきましょう。
湿原の中には草が盛り上がった奇妙なものを多く見かけます。これは谷地坊主(やちぼうず)と呼ばれるもので、自ら草の株が水に浸らないようにしているそうです。
中間地点の展望台あたりで引き返す人が多いようで、ここから先は人影もまばらで、鈴を付けた人が多くなってきます^^;
湿原には多くのカラマツやシラカンバの木が見られます。戦前に植林された50年以上も経ったものが多いそうです。
こちらがコース終点の湯滝。落差は50mもあり、すぐ上にある湯の湖から豪快に流れてきます。
華厳の滝よりも滝を近くで見られるせいか、かなり感動する滝ですよ。滝上にある湯の湖までは近いのですが、階段かなり辛いです。。帰りは湯滝入口からバスに乗って帰りましょう。
こちらの滝は戦場ヶ原自然研究路のスタート地点にある竜頭の滝です。湯滝のような豪快さはありません。
しかし滝上には段々に流れ落ちる水を見ることができ、これはかなり美しいです。この美しい湯川はやがて中禅寺湖へと流れ込みます。

●足利学校(あしかががっこう)
日本最古の学校といわれる足利学校。創建については平安〜鎌倉時代と不明な部分が多いものの、室町時代中期には上杉憲実(のりざね)が関東管領に就任され、鎌倉の円覚寺の僧快元を庠主(しょうしゅ:校長)に招き、全国から来る多くの僧がこの学校で学びました。1532 〜1554には学徒三千もいたとされ、事実上日本の最高学府となりました。

<住所>
栃木県足利市昌平町2338
<アクセス>
JR両毛線足利駅から徒歩約10分、又は東武伊勢崎線の足利市駅から徒歩約15分です。

<受付時間>
9:00〜16:00(季節変動あり) 400円。
都内からも2〜3時間でアクセスが可能な足利学校。足利氏宅跡となる鑁阿寺(ばんなじ)も足利学校から歩いてすぐのところにあるのでセットで観光しておきましょう。

足利市駅から足利学校とは反対側の改札を出て徒歩5分くらいの場所に手打らあめん 丸山という美味しいラーメン屋さんがあります。佐野市にも近く味はまさに佐野ラーメン。喜多方ラーメンのような味が苦手でなければお勧めですよ。
足利学校には入口から順に入徳門(にゅうとくもん)、学校門、杏壇門(きょうだんもん)という三門があります。なかでも「校學」の額が掲げられてある学校門は足利学校のシンボルにもなっています。ちなみに校學=学校です。、額は復元されたもので、現存している実物の額は庫裡(くり)の中に展示されています(撮影不可)。
杏壇門(焼け残った部材で再建)を抜けると、中国明代の古廟を模したとされる1668年に建てられた孔子廟(こうしびょう)があります。孔子廟は儒学の祖の孔子を祀る廟で聖廟とも呼ばれています。入徳門、學校門、杏壇門、孔子廟は国の史跡指定にもなっています。
大成殿(孔子廟)の正面に座っているのが孔子坐像で、儒服を身に付け頭巾をかぶり弟子たちの教育にあたる姿は行教像といわれます。尚、この彫像は文化財保護のため複製だそうです。右手には小野篁像もあり、江戸時代には平安時代に公家・歌人で学問にすぐれた小野篁(おののたかむら)を創健者とする説がとられていたそうです。
こちらは復原された衆寮(学生寮)で、遠くから通う学生たちが勉強したり泊まったりした場所です。学生は儒学の他にも易学、兵学、医学などの多くを学び、戦国時代には多くの学生が軍師(占い師)として活躍したそうです。あの武田信玄も軍師を採用する際に「占いは足利にて伝授か?」と訊ねたとの記録もあるほどです。
ほとんどの建造物は焼失してしまい、写真の方丈(ほうじょう)、奥にある庫裡(くり)、裏門、衆寮、菜園場、書院、木小屋、土蔵、庭園と、どれも復原されたものとなっています。
多くのキリスト教宣教師らが日本の文化を海外に紹介する際、フランシスコ・ザビエルは、日本国中最も大にして最も有名なる坂東の大学と足利学校と記し、ルイス=フロイスは日本史の中で、最も重要な足利の大学でキリスト教を広めることができれば、日本人のキリスト教への改宗は簡単になるだろうと記しており、ヨーロッパ諸国はキリスト教の布教と香辛料などの資源確保に向け東洋に進出しようと企んでいました。
方丈前にある南庭園と同じく築山泉水庭園の北庭園。池の中央には中島があり、石の祠が置かれています。
庠主(学長)の墓所で、庠主は明治2年に足利学校が藩校になるまでの約430年間にわたり、23代まで続きました。このうち17名の歴代庠主の墓があります。

●鑁阿寺(ばんなじ)
昔から足利の大日(本尊の大日如来像より)さまとして人々から信仰され親しまれている鑁阿寺。足利氏の館であったものを足利義兼が大日如来を祀り、その後に足利義氏が伽藍を整備し足利一門の氏寺としました。足利氏宅跡として国の史跡に指定され、東国の密教の代表的な寺となっています。

<住所>
栃木県足利市家富町2220
<アクセス>
足利学校と同じ。足利駅、又は足利市駅から徒歩約15分。道中に見える渡良瀬川は綺麗です。尚、境内自由です。
参道の途中には足利尊氏の銅像があったりします。義兼の銅像でもいいような気がしますが、足利氏と言えば室町幕府を開府した足利尊氏が一番の有名人ですから・・・
足利義兼が1196年に創建した楼門(仁王門、山門)。現在のものは兵火による焼失のため、1564年に足利幕府13代将軍、足利義輝が再建したもの。手前に架かる反橋は江戸時代安政年間の再修とのこと。
正面には写真トップにもある本堂(1296年建立)が、右手には本堂と同じく重要文化財にも指定されている鐘楼(1296年建立)、左手には多宝塔(多宝塔としては国内最大だそうです。)や樹齢550年前後といわれる太い銀杏などがあります。
当時はもっと広かったそうですが、境内はかなり広いです。境内には鎌倉時代から室町、江戸、明治と年代も様々な建造物が多く並びます。
重要文化財指定の鐘楼。足利義兼によって建立されたもので、梵鐘は元禄時代の再鋳で戦時の供出は歴史資料としてまぬかれると書いてあります。
本堂の左手にある重要文化財にも指定されている経堂。足利義兼が妻の供養の為、一切経会(お釈迦の教えの翻訳本みたいなもの)を修する道場として鎌倉時代に創建したものといわれ、現在の建物は1407年に関東管領、足利満兼により再建されたものだそうです。

他にも不動堂や稲荷堂(明治)、蛭子堂(江戸)、大黒堂(江戸)、大茜堂(江戸)、御霊屋(江戸再建)などの建物を見ることができます。足利義兼の父や祖父の墓もあるよ。
少し歩いた場所(10分くらい)に足利織物の守り神を祀った古い歴史を持つ織姫神社があります。現在の神社は昭和に建てられたものですが、縁結びとしても有名です。尚、車の方は山の上にも駐車場有。徒歩の方は229段の階段があります。景色も綺麗だし暇な方はどうぞ・・・ あくまで私のように暇な方はです・・・

●惣宗寺(佐野厄除け大師)
平安時代に藤原秀郷が平将門との戦いに向け、戦勝祈願として建てられた惣宗寺。佐野厄除け大師の名で知られる惣宗寺には厄年を迎えた人たちが多く訪れます。

<住所>
栃木県佐野市金井上町2233

<アクセス>
JR佐野駅、又は東武鉄道の佐野市駅から徒歩約5分。
佐野駅まで宇都宮駅から約1時間、950円です。周辺には観光名所といえるほどの場所はありませんが、駅周辺及び惣宗寺周辺には、ご当地ラーメン「佐野ラーメン」を味わうことができる店が多く建ち並びます。
青竹を使って麺を打ち、加水率の高い平麺が特徴の佐野ラーメン。例えるなら味は喜多方ラーメンによく似ています。周辺には美味しい佐野ラーメンが食べられるお店が数多く点在します。写真は行列店の『とかの』。残念ながら閉店してしまったようです。
こちらは佐野駅から徒歩5分程度のところにある有名な叶屋さん。ジロリアンや家系ラーメン等のこってりラーメンが好みの人以外は誰が食べても美味しいと感じることでしょう。それくらいあっさりラーメンです。
ちょっと寄り道してしまったので、ここから来た道を戻ります。佐野駅入口交差点を通り越し、本町又はその先の大町交差点を左折、ラーメン屋さんから徒歩10分程度で佐野厄除け大師に到着です。写真は境内にある金銅大梵鐘。鐘が金ってのも凄いですねぇ。
佐野厄除け大師と呼ぶだけあって惣宗寺では勿論、厄祓いをすることができます。

男性は25、42、61歳、女性は19、33、37歳が厄年(本厄)であり、厄年の前年が前厄、翌年を挑厄(はねやく)、男性の42歳と女性の33歳は大厄とも言われています。人生の疲れの節目とも言われる厄年には科学的な根拠はありませんが、該当する方はしっかり厄祓いをしてもらいましょう。尚、厄年は数え年で、生まれた時の年齢を1歳として計算し今年、既に誕生日を迎えた方は年齢+1、まだの方は年齢+2となりますので注意です。かなり注意です。。

●新町薬師堂(しんまちやくしどう)
慶長5年(1600年)、天下分け目の関が原の合戦を前に、真田父子3人(昌幸、信幸、幸村)が、東軍と西軍に分かれて戦うことを決断した密議の場所だと伝承されているのが、この薬師堂です。

<住所>
栃木県佐野市犬伏新町2060-2
<アクセス>
JR佐野駅から徒歩約40分。バスもありますが運行本数が無いに等しく、健脚の方以外はマイカー、タクシーがオススメです。
徳川家康による命で会津の上杉家討伐に向かった真田親子。陣を張っていた父子のもとに石田三成から密書が届き、そこには豊臣方に味方するよう書かれていました。この書状を受けて父子三人で話し合い、信幸が徳川方、昌幸と信繁が豊臣方に分かれ戦うことを決断したとされています。
内観も見学できました。歴史的には凄い場所なのかもしれませんが、観光スポットとしては寂しい建物です。でも裏山には米山古墳もあるよ。


栃木県の観光