唐津焼や有田焼、伊万里焼など、日本の伝統的工芸品である陶磁器の産地として古くから知られ、現在でも数多くの窯元が存在する佐賀県。日本三大美肌の湯としても知られる嬉野温泉や、日本三大稲荷の1つである祐徳稲荷神社、弥生時代の大規模集落である吉野ヶ里遺跡などの見所も豊富です。グルメでは有名な佐賀牛、伊万里牛をはじめ、B級グルメのシシリアンライスに日本最大の干潟のある有明の郷土料理、ムツゴロウやワラスボなどの珍味もオススメ?
<お土産>
有田焼、唐津焼、伊万里焼などの陶磁器の他、白玉まんじゅう、小城羊羹、丸ぼうろ、さが錦、松露饅頭など。

佐賀県の繁華街は、佐賀駅南口から佐賀城跡まで延びる大通り沿いとなります。細かく言えば、唐人一丁目北〜白山一丁目交差点あたりまでで、正直賑わいは全くありません。小さなアーケード街も多少ありますが寂れてます。同様に歓楽街的なものもなく、メインストリートの東側あたりに、昔ながらのスナックがチラホラとある程度です。
もはや繁華街が無いといった方が正解でしょう。この寂れ具合は日本一かもしれません。それもそのはず、博多・天神まで電車で1時間ちょいですからね。写真は中央橋交差点。
中央橋交差点のすぐ近くには、かつては賑わっていたであろうアーケード商店街もありますが、現在はこんな感じです。

●祐徳稲荷神社(ゆうとくいなりじんじゃ)
伏見稲荷大社や豊川稲荷とともに(諸説あり)日本三大稲荷の一つに数えらている祐徳稲荷神社。もとは1687年、鹿島藩主鍋島直朝公の夫人、花山院萬子媛が京都御所内の花山院邸内の稲荷大神の御分霊を勧請されたのがはじまりとされます。主祭神は伏見稲荷と同じく、倉稲魂大神(ウカノミタマ:ウガノミタマ:稲荷大神)を祀っています。

<住所>
佐賀県鹿島市古枝1855
<アクセス>
佐賀駅からはJR長崎本線で肥前鹿島駅まで約30分、そこから駅正面にある鹿島バスセンターからバスで約10分、祐徳神社前、又は東山公園入口を下車です。鹿島バスセンターから複数の路線があるみたいです。
参道にある門前商店街。当神社の定番の土産物でもある稲荷ようかんは、どこのお店でも売られていました。買わなかったけど・・・
鳥居をくぐった先に見えてきたのは、見事なまでの懸造りの本殿。京都の清水寺にも負けないくらいの懸造り(舞台造り)には圧巻です。

境内マップはこちら
御本殿の手前にあるのは総漆塗りで建てられた楼門です。
こちらは神楽殿で、昭和に建てられたもの。ちなみに、楼門や本殿も残念ながら昭和になってから再建されたものだそうです。ここから御本殿までは左手にある上り専用の階段を上って参拝し、帰りは右手側の下り専用階段を使って下りてきます。
トップの写真と同じく本殿です。見事なまでの極彩色(ごくさいしき)の派手派手カラーが再建というハンデを補っています。
ここから見る景色は格別!とまではいきませんが、まぁ眺めはいいほうです。いいですか?
稲荷神社といったらキツネさんですね。稲荷大神のお使いである狐は本来、白狐と呼ばれる目には見えない狐なのだそうです。私達に馴染みのある、きつねうどんや、お稲荷さんといったキツネの名の付く食べ物の由来は、狐の大好物といわれる油揚げを供え物としていたことにはじまります。
本殿での参拝後に奥の院を目指します。その途中には萬子媛(御神名萬媛命)を祀っている石壁神社(せきへきじんじゃ)があります。脇には萬子媛が吉凶を占ったとされる水鏡(水溜り)もあります。
総本社でもある京都の伏見稲荷大社にある千本鳥居を思わせるような鳥居がズラリと建っています。
まだまだ続く奥の院までの道。途切れ途切れに奉納された鳥居が建っています。
こちらは稲荷大神の神令使(お使い)の白狐の霊を祀る命婦社(みょうぶしゃ)。江戸時代頃のものだそうです(移築)。
険しい道はまだまだ続きます。奥の院まで健脚であれば10分程度ですが、足場はごつごつとした石が多くて多少歩きづらいです。
こちらが奥の院。九州にある神社では福岡県にある太宰府天満宮に次ぐ参拝客数を誇るという祐徳稲荷神社ですが、ここまで上ってくる人は誰もいませんでした・・・
ここからの景色は御本殿の比ではありません。遠くには美しい有明海も見えますよ。

●吉野ヶ里歴史公園(よしのがりれきしこうえん)
弥生時代の遺跡としては国内最大の規模を誇る吉野ヶ里遺跡。広大な敷地には竪穴住居や高床住居など数多くの建造物が遺構跡に復元されています。また、物見櫓や環濠、敵の侵入を防ぐための逆茂木などは城郭の先駆的形態とされ見どころも豊富です。

<住所>
佐賀県神埼郡吉野ヶ里町田手1843
<開園時間>
9:00〜17:00(季節変動あり)12月31日、1月の第3月曜日とその翌日は休園。入園料420円。

<アクセス>
JR長崎本線の吉野ヶ里公園駅から公園東口(メインゲート)まで徒歩約15分。佐賀駅からは吉野ヶ里公園駅まで約10分。他、公式サイトにかなり詳しく記載されています。
こちらがメインゲート。とにかく園内は広いです。見学時間は2〜3時間を目安にするといいでしょう。園内マップはこちら。一般的なルートは、入口から展示室のある右手方向に進み南内郭→北内郭→北墳丘墓となります。帰りは周遊バス(無料)で戻られてもいいですし、時間のある方は、中のムラ→倉と市→南のムラと見学するのもおすすめです。
この辺りに存在していた村の王やリーダーが住んでいたという南内郭の入口です。
復元住居がたくさん建っていますけど、ここの見どころはなんと言っても、敵の侵入を見張る物見櫓です。日本における戦の歴史は、弥生時代から始まっていたのですね。
こちらが物見櫓です。縄文時代にも戦があったとされますが、そもそも縄文時代と弥生時代の線引きは、はっきりとしてないそうです。
外壕には堀や土塁、柵列(木柵)などが置かれ、これで敵の侵入を防ぎます。村全体はこの外壕で囲まれ、範囲は南北1km以上、東西は最大で0.5km以上もあったそうです。写真は物見櫓に上って南のムラ方向を写したもの。にしても、なんか広くてヤバイ。。
こちらも敵の侵入を防ぐために設置されていたという逆茂木(さかもぎ)。吉野ヶ里遺跡では、頭骨のない男性の人骨や、傷ついた人骨に剣、鏃の刺さった人骨が数多く発見されています。中には材質の異なる10本の鏃を射込まれた男性の人骨など、本当に戦で命を落としたのかは謎の人骨も発見されています。
吉野ヶ里遺跡では王の住居をはじめ数多くの竪穴住居が復元されています。これら多くの復元された建造物は、適当な場所に建てられているのではなく、ちゃんと遺構の真上に建てられているそうです。
多くの建物内部には、このように人形で生活風景が再現されていて楽しいです。そのかわり、いちいち内部が気になって覗いてしまうので見学に時間がかかります・・
トップの写真もこの櫓(同アングル)から撮影したもので、北内郭方面を写しています。ここから、右奥に見える一際大きな建物である主祭殿のある場所を目指します。
南内郭の入口手前には、遺跡から発見された資料などを公開している展示室があります。吉野ヶ里遺跡について何の予備知識がなくても、ここで勉強してから見学すれば安心です。
南内郭の物見櫓からも見えた一際大きな建物である北内郭にある主祭殿。ここではクニ全体の重要な事柄を決める会議を行ったり、祖先の霊への祈りや祀りを行ったりしたとされます。
ここにも再現された人形が。どうやら周辺の支配者層らが集まって会議をしているようです。
その上の階では最高司祭者である巫女が祖先の霊のお告げを聞く祈りを行っています。
ここにも物見櫓が建っていて上まで上ることができます。南内郭の物見櫓と違って、それほど景色は良くないです・・・
北内郭からは、祭司者達の生活の場であったと考えられる中のムラに立ち寄ってから、吉野ヶ里集落の歴代の王が埋葬されているという北墳丘墓へ。この墳丘からは、甕棺(かめかん)と呼ばれる北部九州に多く見られる棺14基が見つかっています。
甕棺の中にはガラス製の管玉や有柄銅剣が一緒に収められているもの多く見つかっています。尚、遺構面と甕棺は発掘調査で出てきた本物です。
北墳丘墓あたりで引き返しても良いのですが、時間もあったので、さらなる奥地の古代の森ゾーン内にある甕棺墓列へ向かいます。吉野ヶ里全体では15000基を超える棺が埋められていると考えられ、これまで発掘された約3000基の甕棺のうち、約1000基がこの一帯で発掘されたそうです。
棺が埋まってる様子。北墳丘墓の手前にも甕棺が埋まってるレプリカが見れるのですが、こっちの方が数が多いです。当時の盛土なのかは不明です。もはや見学も疲れてきて、どうでもよくなってきました。。。
そこから弥生時代の森に近い植生を再現した古代植物の森を通り抜け、古代植物館へ。ここでは弥生時代の森と人との係りをテーマとした植物資料の展示がされているとのことです。
建物が大きいのでちょっと期待してしまいましたが、建物の大半が体験プログラム用のスペースで見どころは殆ど無しでした・・・
祭りの広場を抜けて倉と市へ向かいます。かなりの距離があるので周遊バスを使ったほうがいいかもです。
倉と市。こちらでは海外との交易品や日本各地のクニグニの特産品などが集まり、倉庫群などが復元されています。
倉庫以外の機能をもつ大型の建物。この時点では、もはや疲れすぎて上に上がる気力も失せてしまってます・・
倉庫内はこんな感じです。疲れているのに、取りあえず建物内は全てチェックしている私。。
吉野ヶ里集落の一般の人々が住んでいた地域と考えられてる南のムラです。ここまでくると、どの建物も今まで見てきたものと同じ感じがして飽きてしまいました。見学時間は最低でも1時間(弥生時代に興味なしの早歩き)、普通で2時間、私のルートで3時間、マニアならそれ以上と、とにかく広すぎる吉野ヶ里歴史公園でした。

●筑後川昇開橋(ちくごがわしょうかいきょう)
現在は廃線となった旧国鉄(日本国有鉄道)佐賀線の鉄橋で、筑後川河口にあるこの鉄橋は、潮位の影響によって満潮時には船の航行が困難になるために、中央部が上下に可動するような構造になっています。現在は1時間毎の30分間は歩道橋として対岸に渡ることも可能です。

<住所>
佐賀県佐賀市諸富町大字為重
<アクセス>
佐賀駅からは早津江行きのバスで約25分、490円、昇開橋前を下車です。バスは毎時1本程度です。

●佐賀県立九州陶磁文化館
唐津焼や有田焼(伊万里焼)といった日本を代表する佐賀県の陶磁器(陶器・磁器)だけではなく、館内には蒲原コレクションや柴田コレクションをはじめ、九州各地の陶磁器が展示してあり、焼物ファンでなくとも一見の価値ありです。

<住所>
佐賀県西松浦郡有田町戸杓乙3100-1
<開園時間>
9:00〜17:00 無料。年末及び月曜休館。

<アクセス>
JR佐世保線・MR(松浦鉄道)の有田駅から徒歩約10分。佐賀駅からはJR長崎本線の肥前山口駅でJR佐世保線に乗り換え有田駅まで約1時間です。
館内はこんな感じです。中は幾つかの展示室に分かれています。無料の割にはかなり広いようです。
こちらは唐津焼。肥前の陶器を総称して唐津焼と呼ぶのだそうです。陶器とは分かりやすく言えば土でできた焼物のことで、見ても触っても温かみがあります。
同じく肥前の磁器を総称して伊万里焼と呼びます。初期のものはとても素朴です。磁器とは分かりやすく言えば石っころの入った土でできた焼物のことです。陶器と磁器の違いは、吸水性や耐久性、肌触りや透光性など様々ですが、難しい話は抜きにして、磁器の場合は叩くとカンカン♪という金属音がするのが特徴です。
伊万里焼がずらりと並んだ蒲原コレクションは圧巻。別のフロアには有田焼が物凄い量、展示してある柴田夫妻コレクションってのもあります。ちなみに、有田焼とは伊万里焼とも言われ、江戸時代に有田周辺でつくられた磁器が長崎県あたりの磁器とともに伊万里港から積出されたため総称して伊万里焼と呼ばれるようになりました。明治以降は陸送が主流となったため、その後に伊万里市内で焼かれる磁器だけを伊万里焼と限定して呼んでいます。
何度も言いますが、本当に入館無料でいいのでしょうか?と思うくらい数多い展示物です。
素晴らしい色合いです。すいません、正直言うと私は焼物にはあまり興味も無く、どうしても色絵磁器にだけ心を奪われてしまいます・・・
なので、お〜青が淡くていいですね〜!という感想しか・・・
う〜ん、渋い色だ。すいません・・・
温かみのある優しい色合いです・・・



佐賀県の観光