●勝連城跡(かつれんじょうせき)
琉球王国のグスク及び関連遺産群として世界遺産にも登録されている勝連城は、琉球王国の王権が安定していく過程で、国王に最後まで抵抗した有力按司、阿麻和利(あまわり)の居城として知られます。1458年に阿麻和利は国王の重臣、中城(なかぐすく)城主の護佐丸(ごさまる)を滅ぼし、その勢いで首里城を攻めますが大敗し、その後に廃城となったそうです。阿麻和利が滅んだことによって、首里城を中心とする中山の王権は一段と安定したそうです。
<住所>
沖縄県うるま市勝連南風原

<見学時間>
日の出〜日没まで見学自由。

<アクセス>
那覇バスターミナルから屋慶名線の西原バス停を下車、徒歩約10分。又は那覇バスターミナルから与勝線の勝連団地前を下車、徒歩約5分。
勝連城は、五つの曲輪からなり、最も高い一の曲輪に上ると、北は遥か金武湾を囲む山原の山々や太平洋の島々が望まれ、南は知念半島や中城湾、それを隔てて護佐丸の城である中城城が一望できる景勝地となっています。
写真は二の曲輪の殿舎跡で、城の中でもっとも重要な建物であったと考えられています。礎石だけしかないのでアレなんですが。。。

世界遺産とは言え、石垣だけしかないので観光客もまばらです。同じような城跡である今帰仁城跡と比べても人気は薄いようでした。。。
北谷間切屋良(嘉手納町)で生まれた阿麻和利は、優れた才能の持ち主で、勝連の按司(9代城主、茂知附)に仕えました。領民の信望を得た阿麻和利は茂知附にかわって城主となると、本土をはじめとする対外貿易を活発に行い、この勝連を大いに繁栄させたと伝承されています。
二の曲輪にある洞窟、ウシヌジガマ。ウシヌジとは、伝説では敵に攻められ、危険なときに身を凌ぐ場所という意味があるそうです。

●古宇利島(こうりじま)
古くからウミナイとウミキの伝説が残る美しいサンゴ礁の島、古宇利島。屋我地島と古宇利島を結ぶ古宇利大橋からの景色は言葉にならぬほど感動の景色です。ウニ丼も有名ですよ。

<住所>
沖縄県国頭郡今帰仁村古宇利
<アクセス>
名護バスターミナルからバスで運天原まで約30分、徒歩約30分とアクセスは悪く、タクシー又はレンタカーが便利です。2010年12月に今帰仁村(美ら海水族館方面から)と屋我地島を結ぶワルミ大橋が開通しています。美ら海水族館方面から来る場合、又は古宇利島から美ら海水族館方面へと向かう際には便利な橋ですが、古いナビだと表示されませんので注意です。
天から古宇利島に落ちてきたウミナイとウミキ。毎日、空から落ちてくる餅を食べて幸せに暮らしていた二人はある日、もしも空から餅が落ちてこなくなったらと心配になり、そう思った日から毎日餅を少しだけ食べ残して貯えます。ところが、二人が餅を貯えるようになった途端に餅が空から落ちてこなくなりました。仕方なく二人は海で魚や貝を採り生活します。ある日、浜辺で交尾をするジュゴンを見て男女の違いに恥じらいを覚え、同時に子作りの方法を覚えて琉球の人々が増えていきました。そんな素敵な伝説が残る古宇利島へGO!
屋我地島と古宇利島を結ぶ古宇利大橋から見た景色です。ものすごく青い海だなぁと感じますよ。
古宇利島自体は特に見所のようなものは無く、小さな島なのでグルッと一周してもたいした時間はかかりません。ウニ漁も盛んで名物にもなっていますので、取り合えず美味しいウニ丼でも食べておきましょう。。。

●伊計島(いけいじま)
沖縄本島から海中道路を通り、平安座島、宮城島そして伊計大橋を渡った位置にある伊計島。本島からもかなり離れた位置にあるためイチハナリ(一番離れているの意)とも呼ばれ、その海の美しさには感動間違いなしです。美しい自然浜である伊計ビーチや仲原遺跡などのB級観光スポットもあります。

<住所>
沖縄県うるま市与那城伊計
<アクセス>
バスでは那覇バスターミナルから屋慶名バスターミナル、そこからタクシー又は、JAおきなわ与那城支店(屋慶名農協)前から出ている伊計屋慶名線のバスに乗り換え伊計ビーチを下車。こちらもレンタカーが一番便利です。。
ただただ美しいの一言です。ちなみに、こちらの場所は伊計島の手前にある宮城島、伊計大橋付近から撮影したものですが・・
市指定の名勝、犬名河(インナガー)から見る青く透き通った海です。その昔に島民が連れていた犬が湧水を見つけたそうで、上水道が引かれるまでは海に囲まれた島民にとって淡水の出る湧水は貴重なものでした。崖の下にあるため近くに、その後にアメリカ軍によって造られた汲み上げポンプが今も残ります。
すぐ隣には伊計ビーチとともに人気のある大泊ビーチがあります。
国指定の史跡、仲原遺跡(なかばるいせき)です。縄文時代から使われていたとされる竪穴住居址からは土器や獣・魚の骨、貝殻などが出土されています。住居は復元されたものですが、島一番の観光スポットなので是非?

●識名園(しきなえん)
識名園は首里城の南方にあることから南苑とも呼ばれ、かつて国王一家の保養や外国使臣の接待などに利用された琉球王家最大の庭園です。世界遺産にも登録されていますが、今見る識名園は残念ながら沖縄戦によってほぼ全ての御殿や池、木々は破壊されたため復元したものです。

<住所>
沖縄県那覇市真地421-7
<観覧料>
400円 9:00〜18:00(季節変動有り) 水曜休園。

<アクセス>
首里城からも近いのでタクシー又は、ゆいレールの牧志駅からバスで識名園前を下車。
沖縄戦によって御殿も池も破壊されてしまった識名園。日本軍の重砲陣地の砲弾が森の中に隠されていたため、これらが誘爆し一層無残な破壊をもたらしたそうです。

戦時中、識名園には日本陸軍病院識名分院が置かれ、その防衛隊の待機・避難のために掘られた壕が今も園内に残ります。
復元された御殿(うどぅん)には、中国皇帝からの使者、冊封使(さくほうし)を迎えた一番座、それに連なる二番座、三番座、台所、茶室、前の一番座、前の二番座など15もの部屋があります。
両岸と中島を結ぶ中国様式のアーチ状の石橋が見事です。
熱帯雨林で多く見られるタコの足のように伸びる支柱根が沖縄に来ているんだなぁと実感します。
勧耕台(かんこうだい)と呼ばれる展望所からの景色。海が近くにありながら、その海が全く見えない大陸的な景色は、中国から来た冊封使をここへ案内し、琉球が決して小さな国土ではないことを訴えたと言われています。

●アブチラガマ(糸数壕)
全長約270mに及ぶ自然洞窟は、昭和19年7月頃から日本軍の陣地としての整備が始まり、20年3月23日南部が艦砲射撃をうけ翌24日から糸数の住民約200名がこのガマに避難(5月以降は約600名の患者が担送)しました。

<住所>
沖縄県南城市玉城糸数667-1
<入壕料>
250円(ライト貸出しは別途100円) 9:00〜17:00

<アクセス>
那覇バスターミナルからバスで糸数入口を下車。又は、おきなわワールドからタクシーかレンタカーで。
南部観光総合案内センターで懐中電灯をレンタルし、ヘルメットをかぶりガマ(洞窟)へと向かいます。写真のような黄色の点線に沿って2〜3分の場所にガマがあり、内部は足場も悪く、光が全く差し込みません。尚、内部は撮影禁止となっています。
その当時は、日本軍の陣地・糧秣倉庫及び糸数住民の避難壕として使用され、地上戦が激しくなり南部への危険が迫ってきた4月下旬頃には南風原陸軍病院の分室として糸数アブチラガマが設定され、5月1日から約600名の患者が担送されたそうです。病院の撤退後は、重症患者が置き去りにされ、米軍からの攻撃もたびたび受け悲惨を極めた地獄絵が展開されたそうです。ガマには今も当時のものであろう薬瓶や茶碗などの生活用品が散乱しています。



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