米どころ、酒どころとしても有名な新潟県は、越後湯沢温泉や美人の湯として知られる月岡温泉、豪雪地帯でもある秘境!奥只見の冬景色など自然環境に恵まれた土地です。又、あの上杉謙信も居城し難攻不落と言われた春日山城跡や、かつて日本最大の金銀山として栄えた佐渡島(さどがしま)など、大人向けの観光地が豊富な場所でもあります。

<お土産>
日本三大銘菓の越乃雪本舗大和屋の越乃雪をはじめ、米菓、笹団子など。
新潟県の中心地までのアクセスは上越新幹線で新潟駅、新潟空港からはバス25分410円で新潟駅です。

駅周辺や万代シティも活気はありますが、県下一の繁華街は少し離れた場所にある古町周辺で、新潟駅からはバスで10分程度210円です。ちなみに、決して歩けない距離ではありません。

佐渡島までは佐渡汽船新潟港から高速船、ジェットフォイルで約60分、カーフェリーでは約2時間30分です。料金は目安で往復1万円程度です(燃料油の価格によって変動)。
県下一の繁華街、古町(ふるまち)です。NEXT21、新潟三越やアーケード街を中心に活気のある街並みです。ただし、最近では駅前〜万代シティあたりに賑わいが移りつつあり、実際に観光客が気軽に立ち寄れる飲み屋さんは駅周辺に集まっています。
江戸時代から日本有数の遊郭としても栄えた古町は、万代シテイほどの大型店舗は少ないものの今も町の中心として多くの人が集まります。但し、夜になると寂しいほど人通りはなくなります。
こちらは古町のアーケード街。昼も夜もそれほど人の往来は激しくありません・・・
地元グルメとしては、ふるまちモール6番街商店街を進んで1つ目の交差点を右に曲がった場所にある新潟名物タレカツ丼で有名な、とんかつ太郎がお薦めです。揚げたカツを醤油ベースのタレにくぐらせたカツ丼で、衣が薄いので女性でもサクッと食べられます。でもカツ丼といいながら卵で閉じていないし、肉も薄そうで見た目はあまり美味しくなさそうでしょ?実際に食べれば分かりますが、さすが元祖の店だけあってかなり美味しいですよ。

●朱鷺(とき)メッセ
2003年に全面開業した複合コンベンション施設、朱鷺メッセにはホテルをはじめオフィス、会議室、美術館などが入っています。なかでも最上階にある展望室は無料で新潟市街、日本海、佐渡島を見渡すことができます。

<住所>
新潟市中央区万代島6番1号

<利用時間>
9:30〜17:30(金曜日17時まで)

<アクセス>
新潟駅からバス約15分。徒歩で約20分程度。

新潟駅から歩くと萬代橋(ばんだいばし)の手前を右手方向へ進みます。左側の写真はさらにタワー寄りの柳都大橋から撮影。右側の写真が新潟の象徴とも言われる萬代橋。この橋、重要文化財なんですよ。
眺めは最高!しかも無料なのが嬉しいですね。地上約125mと、ちょっと高くて怖いですが震度7クラスの地震にも対応できる設計なんだとか。
周辺に飲食店は殆どありませんが、朱鷺メッセから歩いて直ぐの場所に、ときめきラーメン万代島という小さなラーメン村があります。

●新潟市歴史博物館(みなとぴあ)
新潟の地に暮らしてきた人々の営みとのかかわりを展示した博物館で建物の外観もレトロチックで素敵です。朱鷺メッセからも近いのでお薦めです。

<住所>
新潟県新潟市中央区柳島町2-10

<開館時間>
4月〜9月 9:30〜18:00
10月〜3月 9:30〜17:00
休館日 月(祝祭日の場合は翌日)、年末年始
常設展示300円。
<アクセス>
新潟駅からバスで約15分程度。新潟歴史博物館で降車。徒歩で25分程度。朱鷺メッセからは信濃川を挟んで対岸側になります。

新潟と言ったらやっぱり米ですね。こちらは稲の収穫風景のジオラマ。
初代の萬代橋。昔の信濃川は今よりも川幅が随分と広かったみたいです。

●湊稲荷神社(みなといなりじんじゃ)
願懸け高麗犬がいる全国でも珍しい神社。高麗犬の石造が回転します。入船出船で新潟湊が賑わっていた頃、船乗りが遊びに来ることを願った遊女たちは、西風が吹いて海が荒れ、船が出帆できなくなるようにと、夜中に高麗犬の頭を西に向けたそうです。

<住所>
新潟県新潟市中央区稲荷町3482

<アクセス>
新潟歴史博物館から徒歩で5分程度です。
自分の願意(ねがいごと)を心に念じながら男の人は向かって右、女の人は左の高麗犬を回して祈願して下さい。と書いてあります。
Y字路を細い道の右方向へと進みます。新潟駅から直接行く場合は、バスで新潟歴史博物館を降車です。Y字路を左方向に進めば古町方面で、繁華街までは徒歩で約15分程度。

●白山神社(はくさんじんじゃ)
新潟の総鎮守(守り神)として知られる白山神社は、由緒によると加賀(石川県〜岐阜県)にある霊峰白山の神様でもある白山比淘蜷_(石川県の白山比盗_社)を勧請して新潟の地に祀ったとされます。

<住所>
新潟県新潟市中央区一番掘通町1-1
<アクセス>
繁華街の古町又はJR越後線の白山駅から徒歩10分程度です。
新潟駅からのバスでは白山公園前を下車となります。
随神門です。すいません訪問したのが日没時だったもので写真がかなり暗くなってしまいました。写真トップは1648年に造営された拝殿で後ろに本殿があります。記録によると1716年、1747年に建替、修理が行われ、昭和34には屋根が銅板に変更されています。
境内(白山公園内)にある白山神社の福石、歯固め石だそうです。お百度参りで知られる百度石は見えますが、どれが歯固め石かは謎。なんでも白山神社は歯の神様としても知られているそうで、その昔に後桜町天皇が歯痛で苦しんでいたところ、白山神社(東京)から持ち帰った神箸と神塩をつけたところ、たちまち歯痛は治ったそうです。東京の白山神社っていうのも謎ですが・・・
他にも写真の大黒様(大国主大神)とか、住吉大神や稲荷大神といった名立たる神様がこの白山神社にはいらっしゃいました。

●春日山城跡(かすがやまじょうせき)
上杉謙信の居城として知られる春日山城は、今から約600年程前の南北朝時代に築かれ、越後府中を守る拠点でした。その後に謙信の父、為景・謙信・景勝の三代にわたり普請に努め、現在見られるような大城郭になったと考えらています。

<住所>
新潟県上越市中屋敷字春日山
 

見学自由です。
<アクセス>
最寄駅となるJR信越本線の春日山駅からは徒歩約40分。
道中には上杉謙信が7〜14歳まで修行を積んだ林泉寺があります。

JR直江津駅からは春日山・佐内線バスで春日山下を下車、約20分(320円)。さらにバス停から徒歩約20分。バスは1時間1本ペースなので注意。尚、直江津駅からタクシーでは約2000円とのこと。こちらは道中に謙信公出陣 御前清水といった湧水がありますので、ペットボトルにでも補充しておきましょう。徒歩で来られる方は、この湧水のある辺りから左手に進む大手道入口から上るコース、又は直進(途中、坂を上りきって左折)して謙信像のある場所から上っていくコースとに分かれます。
マイカーでないと不便な場所にある春日山城なのですが、歩くのが全く苦でない方は、直江津駅から謙信が再興したと伝わる五智国分寺→居多神社→浜善光寺(十念寺)→春日神社→林泉寺→春日山城などと歩いてみては如何でしょう。どのくらいの時間がかかるのかは知りませんが・・・ 五智国分寺にウォーキングマップがあり、要所要所にもガイドマップが置いてあるポストがあります。
春日山城の入口付近には上杉謙信像が川中島へ向け睨みを利かせています。この謙信像の右手から春日山神社を抜けて天守閣跡へ上っていくコースと、左手の広い道を上っていくコースとに道が分かれます。
明治34年に童話作家、小川未明の父親である小川澄晴が昔のままに謙信公にお住まい願おうと建立した春日山神社。尚、林泉寺近くにある春日山城の名前の由来となった春日神社という似たような名の神社もありますので注意です。
お薦めコースは謙信像の左手の広い道を上り、三の丸→二の丸→天守台→本丸跡→大井戸→景勝屋敷→毘沙門堂→直江屋敷→春日山神社と戻ってくるのが一通りの見学もでき、疲労も少なく短時間で済みます。
こちらは三の丸屋敷跡です。跡なので何もありません・・ 城跡には石垣や土塁などが現存している場所も数多くありますが、ここ春日山城には何にもありません。一応、井戸や縦堀、空堀、土塁はありますが建造物や石垣がないので、歴史に興味がない方はパスした方がよい観光地です。
二の丸屋敷跡の奥にある井戸(笹井戸)です。古い絵図によると「お茶屋」「台所屋敷」「人数溜」「お二階」「二段目」などがあった場所らしいです。こんなんでも、木の棒を穴に差し込んでみると1mくらいの水深がありました。
頂上にある天守台跡です。下から見上げると結構な高さに見えましたが、上ってみれば、のんびりと上杉三郎景虎屋敷跡や米蔵、土塁、縦堀などを見学しながらでも30分程度です。
天守台からの眺めです。自然を最大限に利用した難攻不落といわれた春日山城、かかってこいや〜!と、叫びたくなります。
隣にあるのが本丸跡です。当然ここにも何にもありませんが、ここに立派な本丸があったことを想像してごらん(ジョン・レノン風)。
本丸と天守台の間の道を山の裏手側に少し下ると、井戸曲輪があります。今なお満々と水をたたえる大井戸は当時、どのようにして水が湧く地点を調べたかは定かではありませんが、地質学的には西方の山々と礫層(れきそう)でつながっていて、サイフォンの原理が仂いて、水が湧いているそうです。

向かって右手には油流しと飛ばれる急斜面があり、左手には1〜2分歩いた場所に景勝屋敷跡があります。
ここに落っこちたら、どうやって這い上がればいいのか・・・と思ってしまうような怖い井戸です。

考えた結果、壁土を削り足場をつくり、草木を束ねて掴んで這い上がり、1m上にある大きな木の根っこまで上れれば助かります。んな、くだらないことを考えていました。。。
本丸跡から直江屋敷跡方面へと山を下ると、謙信が戦勝や息災を祈祷していた護摩堂と、真言密教を深く信仰していた謙信が籠っていた毘沙門堂跡がその奥に見えます。
こちらは毘沙門堂跡ではなく、しっかり建てられている毘沙門堂(昭和6年に完成)です。謙信が実際に信仰していた毘沙門天像は、謙信の死後に上杉景勝とともに会津を経て米沢に移ります。明治時代の廃城令や火災などによって傷みが増した毘沙門天像ですが、昭和3年になって修復され、その際に欠け損じた一部を御分身のお腹に入れたものがここに安置されています。
よく見ると腰に手を当てている変わった姿の毘沙門天像です。毘沙門堂内にあった泥の足跡が毘沙門天像に続いていたことから泥足毘沙門天像とも呼ばれます。

ちなみに修復した毘沙門天像は法音寺(米沢)にあります。林泉寺の宝物館にも毘沙門天像がありますが、こちらは複製です。
直江屋敷跡を見学した後には、千貫門跡があり奥には写真の空堀が見えます。空堀(堀切)は通常尾根を分断するように造られますが、ここでは堀の形に見せながらも、門から侵入した敵を沢に落とすように巧妙に仕組まれた道のように思われます。と、案内板に書いてありましたが、確かにこの道に見える場所を進むと突然、崖になります(危険!の看板あり)。

●林泉寺(りんせんじ)
林泉寺は1497年に上杉謙信(虎千代→長尾景虎・・)の祖父である越後守護代、長尾能景が父の重景の17回忌にあたり、越府鎮護の古寺址を浄め、長尾家の菩提所として建立されました。謙信が7歳から14歳まで修行を積んだだけでなく、境内には謙信の墓もあります。

<住所>
新潟県上越市中門前1-1-1
<拝観時間>
9:00〜17:00(冬期は16:00まで) 500円(宝物館含む)。

<アクセス>
バスでは林泉寺入口を下車し徒歩約10分。地図で見るとおり林泉寺〜春日山城までは徒歩で約15分の位置にありますが、坂になっているので徒歩で移動される方は春日山城→林泉寺と向かうのがお薦めです。
春日山城の搦手門を移築したと伝わる林泉寺の惣門。春日山城の唯一現存する建築物となっています。奥にはトップの写真にもある立派な山門(大正時代に再建されたもの)が見えます。
山門の両脇には見事な仁王像が立っています。左側にあるのが口を閉じて怒りを内に秘めた吽形(うんぎょう)。
右側にあるのが口を開けて怒りを表に出している阿形(あぎょう)。
山門の上に掲げられた「春日山」の額。決して山田春ではありませんよ。山号でもある春日山の文字は謙信自ら書いた文字で、ここにあるのは複製ですが、宝物館に実物(直筆)が展示されています。
当時から義理を通す人物として有名であった上杉謙信。そんな、義の心を重んじた謙信の、第一義という文字には奥深いものを感じます。謙信はこの「第一義」の真意を益翁宗謙(やくおうそうけん)から学ばれたそうです。尚、こちらの額も、謙信直筆の実物は宝物館に保存されていて、写真の額は複製です。
こちらは平成になってから建てられた本堂です。本堂の右手にある宝物館は撮影禁止のため写真はありませんが、謙信直筆の額をはじめ、直筆の書簡や軍旗など狭いながらも見応えあります。恐怖の首桶もあるよ。
本堂の左手には墓所があり、この地で49歳の若さで亡くなった上杉謙信もこの奥に眠っています。宿敵の武田信玄と同じく謙信も色んな場所に墓があるのですが、通説では本当の墓所は山形県米沢市にある上杉家廟所だそうです。
こちらが謙信の墓所。しかし、私はこっちが本当の墓だと思います。何故なら、墓所の前で手を合わせた瞬間に数十秒間、背中に針を刺されたような強烈な痛みが走ったからです。あれは一体なんだったのだろうか?気になります。。。
こちらは川中島戦死者供養塔。他にも長尾為景や能景の墓や、高田城、姫路城の城主でもあった榊原政岑などの墓もあります。

謙信の死後、秀吉の命により上杉家(米沢上杉家:上杉景勝)は会津へ、関ヶ原の戦いの後は西軍方であったため謙信の遺骸とともに米沢に移封されたこともあり、春日山林泉寺は山形県の米沢にもあります。同じくこちらも上杉氏の菩提寺としても有名なので、ネットで検索する際には注意です。
上杉謙信(長尾景虎)
春日山城に生まれた長尾景虎(上杉謙信)は、数々の越後の内乱を治め、謀反を起こした黒田氏を滅ぼすなど徐々にその頭角を現します。天文年間、武田晴信(武田信玄)の信濃侵攻と北条氏康による北関東侵攻に対しては、北条軍を撃退。武田信玄とはその後、計5回、12年余りにも及ぶ有名な川中島の戦いへと発展していきます。特に4度目の合戦は激しく、双方死者は7000余と言われています。戦国武将の中でも最も優れた戦略家、戦術家と知られる上杉謙信。その強さのあまり戦においては謙信の得意とする野戦を避ける大名が殆どで、あの織田信長ですら上杉謙信の存在を恐れ、手取川の戦いでは織田軍に大勝しています。以後謙信が死ぬまで信長は北陸に侵攻することはありませんでした。天正6年(1578年)3月15日、春日山城で、急死。享年49。

●五智国分寺(ごちこくぶんじ)
国分寺は聖武天皇が741年、1国1寺の建立を命じたのがはじまりです。当時の越後国分寺の所在については諸説があり、現在まで位置はわかっていません。現在の国分寺は1562年7月、廃寺のようになっていたものを上杉謙信が再興したものです。しかし、その後何回か火災にあって焼失し、三重塔を現在の姿に建て直した(未完成)のは1856年です。

<住所>
新潟県上越市五智3-20-21 境内自由
<アクセス>
JR直江津駅からバスで五智国分寺裏門下車、約10分、170円です。
運行本数が少ないので注意です。

1836年に名立出身の永井要壱と弟子2人によって製作された仁王門です。仁王像らしくない優しい表情の像が立っています。
こちらは本堂です。残念ながら幾度もの火災により現在の本堂は平成9年に再建されたものです。
周辺は浄土真宗の開祖、親鸞聖人(しんらんしょうにん)ゆかりの地でもあり、写真は代々領土の厚い保護を受けてきた越後国一宮、居多神社(こたじんじゃ)です。境内には葉が片方にのみ生える親鸞聖人の七不思議の1つ、片葉の葦があります。なんでも親鸞聖人が参拝後、一夜にして境内の葦が片葉になったそうです。。
こちらも比較的近くにある十念寺(浜善光寺)。上杉謙信が信濃善光寺の本尊を武田軍から守るために移した寺と伝えられています。お堂には戒壇めぐりもあるらしいのですが、早朝だったせいなのか、人の気配もなく断念。。。

●弥彦神社(やひこじんじゃ)
正式名を彌彦神社(いやひこじんじゃ)とする弥彦神社(やひこじんじゃ)は、万葉の昔から「おやひこさま」の愛称で人々の信仰を集める県内きっての古社です、主祭神には天照大神の曾孫にあたる天香山命を祀り、奥社の鎮座する裏山の弥彦山を神体山とします。

<住所>
新潟県西蒲原郡弥彦村弥彦2887-2
<アクセス>
JR弥彦線の弥彦駅から徒歩約15分です。弥彦駅までは新潟駅からは在来線で約70分、
上越新幹線の停車する燕三条駅からだと約30分です。
こちらはJR弥彦線の弥彦駅で終点駅になります。駅を出て左手に進むと県内でも有名な紅葉スポットの弥彦公園(もみじ谷)があります。そちらは帰りに寄るとして、駅前の道を真っ直ぐ弥彦神社へと向かいます。
駅から歩くこと10分程度で一の鳥居に到着です。そう言えば電車からは駅手前に大きな鳥居も見えました。とてつもなく大きかったです。
参道から少し離れた場所に神様が渡るとされる神橋(しんきょう)があります。なんで端っこにあるんだろう。神様可愛そう・・・
手水舎を越えて二の鳥居です。実はここに来る前まではひっそりとした神社を想像していたのですが、多くの参拝者を見て県内では有名な神社だと言うことを知りました。
津軽藩が奉納したという津軽石。パンフレットにはそう書いてありましたけど、案内板には津軽の火の玉石 重い軽いの石と書いてあります。願い事をして石を持ち上げて軽く感じれば「成就」、重ければ「難しい」とのことですが、この火の玉石は私にはどちらも重たかったです・・・ そもそも両方試したら駄目なんでしょうけども。
神馬舎にいる実物大の木彫の馬。昔は神社などに馬を奉納していたものが庶民では高価な為に、それがやがて絵馬へと変わっていったんですよ。的な豆情報も盛り込みつつ本殿を目指します。
随神門です。この先にあるのが写真トップの拝殿で、奥に本殿があります。
参拝後は脇道を抜けて帰ります。写真はおやひこさまの子孫などが祀られる摂末社です。
一番奥にあるのが国の重要文化財でもある十柱神社で、元禄元年の建物らしいです。末社ですが一段と大きな建物です。
神楽が奉納される舞殿です。誰一人見に来る人はいませんでしたけど。
拝殿の脇の小道、万葉の道を10分程度ミニ登山(無料シャトルバスも走っています)すると弥彦山ロープウェイの乗り場があります。道中にはちゃんとした登山道もありました。ロープウェイは往復で1400円(15分間隔)で、山頂まで一気に上ります。写真は展望台より。
美しい日本海と遠くには佐渡島がうっすら見えました。車で山頂まで行かれる方は下の駐車場からクライミングカー(往復380円)と呼ばれるケーブルカー的なもので展望台まで上っていきます。写真右に見える鉄柱は360度回転しながら上昇してゆくパノラマタワー(650円)だそうです。
反対側では越後平野が一望できます。弥彦山は標高634mと東京スカイツリーと同じ高さなんですよ。他、山頂脇には弥彦神社の奥社までの小道もあります。帰りはシャトルバスで麓まで戻りましたが、私の逆、つまりは行きはシャトルバス、帰りは万葉の道を徒歩で帰られるのが絶対オススメです・・・ 後で知りましたが、この万葉の道には万葉集に歌われている植物のうち弥彦山に自生しているものが60種もあるらしいです。
駅まではもみじ谷を経由して戻りました。残念ながら訪問時は来たのが少し遅かったせいか色あせて見頃を過ぎてしまったようです。


新潟県の観光