●盛岡城跡公園(岩手公園)
盛岡藩南部氏の居城、盛岡城。小田原征伐に参陣した功績により南部信直が築城し、没後は嫡子の利直によって完成します。南部利直はこの地を、盛り上がり栄える岡という意で盛岡と地名を名付けますが、天守は明治7年に残念ながら老朽のため取り壊されました。しかしながら美しい石垣などの遺構は今も残り、廃城後は岩手公園として市民の憩いの場となっています

<住所>
岩手県盛岡市内丸1-37
<アクセス>
JR盛岡駅から徒歩約20分、大通り商店街からだと約10分です。路線バス、循環バス(でんでんむし)を利用する場合は、盛岡城跡公園を下車。
三ノ丸跡の脇にあるのが、南部藩の総鎮守として信仰されてきた櫻山神社です。
この場所には、もと八幡社が鎮座しており、その傍らに三角状の岩があったそうです。この場所の高さが二ノ丸とほぼ同じ高さであったので、南部利直は地形を削るよう命じられ三角岩の周囲も削られました。しかし、岩の根は深くやがて烏帽子に似た巨大な岩石が出現しました。古代以来、人々は岩石に神が宿ると信じ崇敬していましたから利直公はこれを瑞兆と慶び「八幡社の重宝」として崇められたとのことです。
盛岡藩の政治、経済、文化となった盛岡城。観光コース的には三ノ丸跡→二ノ丸跡→そして写真の本丸跡となりますが、なにせ石垣や土塁は遺構として残るものの、天守などの建造物は一切ありませんので見所的なものはありません。当時、本丸と二ノ丸は廊下橋によって繋がっていたそうですが、残念ながら詳しい資料なども乏しく、天守などの復元は困難らしいです。
そんな高い丘に登った気はしませんでしたが、本丸跡からの見晴らしはなかなかのもんです。見晴らしと言えば、盛岡駅西口にあるマリオスというビルの20階から、無料で盛岡市内を見渡すことができますよ。

●もりおか歴史文化館
1階の無料エリアでは盛岡山車や盛岡さんさ踊りの紹介を、2階有料エリアでは盛岡城の歴史や南部氏についての資料展示のほか、盛岡の歴史や文化を紹介しています。

<住所>
岩手県盛岡市内丸1-50

<アクセス>
JR盛岡駅から徒歩約20分、商店街からは約10分、盛岡城跡公園内にあります。バスでは県庁・市役所前を下車。
<営業時間>
9:00〜19:00(11〜3月は18:00まで)年末年始、第3火曜日休館。

<入館料>
1階は無料、2階の常設展示室は300円。盛岡都心循環バス「でんでんむし」の一日フリー乗車券(当日発行のものに限る)をお持ちの方は,団体料金(240円)で入場可。
1階フロアでは、「見るだけではなく、誰もが参加でき、楽しめる夏祭りをつくりたい」そんな盛岡市民の願いから、昭和53年にスタートした盛岡さんさ踊りの歴史や、華やかな装束をまとった馬が、稚児を背中に乗せてゆっくり歩いていく初夏を代表する祭り、チャグチャグ馬コなどの資料展示を無料で見学できます。
2階有料エリアでは南部氏と盛岡城関連が殆どです。入館料が安い分、見学時間は10〜30分程度でしょうか。ただ、内容は価格の割には充実していると思います。
江戸時代や明治期のあたりも少しだけ紹介されています。

●盛岡八幡宮
盛岡藩の総鎮守であった盛岡八幡宮は、1680年に応神天皇を祭神とし南部重信によって建立されました。毎年6月には盛岡の初夏を代表する祭りであるチャグチャグ馬コや、9月の例大祭では山車が街を練り歩き、当社にて鏑馬(やぶさめ)も行われます。

<住所>
岩手県盛岡市八幡町13-1
<アクセス>
バスでは八幡宮前を下車です。徒歩では、もりおか歴史文化館より10〜15分です。
大黒さんや恵比寿さんもいらっしゃいます。他にも笠森稲荷神社に護國神社、流行の縁結美神社に定番の盛岡天神社、はたまた健康神社などなど、自ら盛岡八幡宮は神社のテーマパークというだけあって何でもあります・・・

●旧盛岡銀行(現:岩手銀行中ノ橋支店)
日本銀行本店や東京駅を手掛けた辰野金吾の設計によって明治44年に建てられた岩手銀行旧本店本館。現在も岩手銀行の中ノ橋支店として創建当初の目的で使用され、国の重要文化財にも指定されています。

<住所>
岩手県盛岡市中ノ橋通1-2-20

<アクセス>
バスでは盛岡駅から約10分、盛岡バスセンター下車。

●三ツ石神社(みついしじんじゃ)
さんさ踊りや岩手の県名の起源される三ツ石神社の境内には、今も大きな岩に鬼の手形が残されています。

<住所>
岩手県盛岡市名須川町2-1

<アクセス>
100円循環バスでは本町通一丁目を下車です。五百羅漢で有名な報恩寺から歩いても5分程度です。境内自由。盛岡駅からは徒歩20分程度です。
三ツ石と鬼の手形
伝説によると昔この地方に羅刹という鬼が住んでいて付近の住民をなやまし旅人をおどしていました。そこで人々は三ツ石の神にお祈りをして鬼を捕まえてもらい境内にある巨大な三ツ石に縛りつけました。鬼は二度と悪さをしないし、又二度とこの地方にはやってこないことを誓ったので約束のしるしとして三ツ石に手形を押させて逃がしてやりました。
この岩に手形を押したことが「岩手」の県名の起源といわれ、又鬼が再びこないことを誓ったのでこの地方を「不来方」と呼ぶようになったと伝えられています。鬼の退散を喜んだ住民達は幾日も踊り、神さまに感謝のまごころを捧げました。この踊りが「さんさ踊り」の起源といわれています。尚、この手形は岩にある手形ではありません、実際に三ツ石にある鬼の手形というのは殆ど消えてしまって発見困難です。いけない事ですが、もっと昔に小細工でもしておけばよかったのではと思ったのは私だけ?

●報恩寺(ほうおんじ)
1362年に創建された曹洞宗の寺院である報恩寺は、旧盛岡藩における名高い寺であり、1731年から1735年という短い期間で、9人の京都の仏師によって造立されたとされる木造の五百羅漢が見所となっています。

<住所>
岩手県盛岡市名須川町31-5
<アクセス>
100円循環バスでは本町通一丁目を下車。三ッ石神社から歩いても5分程度です。

<拝観料>
境内及び、本堂内も自由ですが、羅漢堂は300円。
まずは立派な山門が迎えてくれます。建立は昭和になってからですが、奥に小さく見える中門は盛岡城より移築してきたもので、そこそこ古いようです。写真トップが本堂で、こちらも比較的に新しい建物です。本堂裏手には座禅堂があり、それはそれは大きな禅床があるらしい・・・
宮沢賢治も高校時代に参禅したらしい・・・
石川啄木も中学時代、周辺によく遊びに来てたらしい・・・
報恩寺の見所は、なんといっても羅漢堂にある木造の五百羅漢像でしょう。尚、羅漢堂自体は1735年に建てられたもの。中央には弘法大師(空海)作といわれる毘盧舎那仏像が安置されています。
正確には499体らしいのですが、どの像も表情豊かで見飽きません。なんでもこの中にマルコポーロの像も安置されているとか、いないとか。
こんなちょっと怖い顔もあります・・・

●啄木新婚の家
盛岡で生まれ育った歌人、石川啄木が明治38年に3週間だけ妻の節子と両親、妹と暮らした家が、ほぼ当時のまま現存しています。

<住所>
岩手県盛岡市中央通3-17-18

<開館時間>
8:30〜18:00(季節変動あり)年末年始休館、冬季は火曜日も休みとなります。見学無料。
<アクセス>
100円循環バスで啄木新婚の家口を下車すぐ。建物内無料です。8:30〜18:00(季節変動あり)。盛岡駅からは徒歩で約15分です。
たった四畳半しかなかった啄木と節子の部屋。この家で稿を起こした随筆「閑天地」は連日、岩手日報の紙面をにぎわし、「我が四畳半」はよく新婚の夢あたたかな情景を描きました。よく知らないんですけど、そう書いてありました・・・

●もりおか啄木・賢治青春館
明治43年に建てられた旧第九十銀行本店(重要文化財)を保存活用し、青春時代を盛岡で過ごした偉人、石川啄木と宮沢賢治について紹介しています。尚、フロアの半分程度は喫茶店が占めており、見所は少ないです。

<住所>
岩手県盛岡市中ノ橋通1-1-25
<アクセス>
バスでは盛岡バスセンター下車ですが、もりおか歴史文化館、もりおか啄木・賢治青春館も近いので、歩いてセットでまわられるのがオススメです。

<開館時間>
入館自由 10:00〜18:00 第2火曜、年末年始休館。



岩手県の観光