三陸の魚介類をはじめ、名物わんこそばや盛岡冷麺も美味しい岩手県。観光では定番の平泉の中尊寺、毛越寺をはじめ、美しい景観の厳美渓や浄土ケ浜、日本三大鍾乳洞の1つにも数えられている龍泉洞など観光資源が豊富です。又、宮沢賢治生誕の地としても有名な花巻にある花巻温泉郷や八幡平温泉郷などの温泉地も豊富で旅の疲れを癒せます。
岩手県の面積は広大で、世界遺産の平泉へも中心都市である盛岡からはかなり離れた位置にあります。又、各地への交通の便も決して良いとは言えず、可能であればマイカー・レンタカーの利用がおすすめです。

<お土産>
盛岡冷麺、じゃじゃ麺、南部せんべい、ごま摺り団子など。
県下一の繁華街、歓楽街は盛岡駅周辺となり、南口から北上川を越えたあたりの大通り商店街を中心とした大通・菜園地区が特に賑わいをみせます。

地図のピンクのラインが大通り商店街で盛岡駅からは徒歩10分程度の場所となります。道中(盛岡駅近く)には盛岡冷麺で有名な、ぴょんぴょん舎や盛岡じゃじゃ麺の専門店HOT JaJaもその隣にあります。
こちらが岩手県一賑わいのある大通り商店街です。盛岡駅からは徒歩で10分程度です。珍しく地方にありがちなアーケード街ではありません。
大通り商店街から徒歩で5分程度も離れた場所に肴町商店街というアーケード街もあります。こちらも大通り商店街に負けないほどの賑わいがあります。

●中尊寺(ちゅうそんじ)
天台宗東北大本山の寺院である中尊寺。1124年に奥州藤原氏初代、藤原清衡(ふじわらのきよひら)が多宝塔や二階大堂など多くの堂塔を造営しました。趣旨は前九年・後三年という長い戦乱で亡くなった人の霊をなぐさめ、仏国土を建設するものでした。後に堂塔の大半が焼失してしまいますが、創建当初の唯一の遺構でもる金色堂は言葉を失う美しさです。

<住所>
岩手県西磐井郡平泉町平泉字衣関202
<拝観料>
境内自由ですが、讃衡蔵(さんこうぞう)、金色堂(こんじきどう)は800円 8:00〜17:00(11月11日〜3月31日 8:30〜16:30)

<アクセス>
盛岡駅からJR東北本線で約1時間20分(1490円)、平泉駅まで。駅から徒歩約25分です。
平泉駅前の道を右手に進めば中尊寺(1.6km)へ、直進すれば毛越寺(0.7km)があります。尚、中尊寺までタクシーで800円程度。駅を出て右手にレンタサイクル(1日1000円)もあります。9:45〜であれば巡回バス「るんるん」150円(1日フリー乗車券400円)が周辺の観光にも使えて便利です。
中尊寺の表参道、月見坂がトップの写真で、本堂や国宝でもある金色堂へと続く道の途中には、右の写真の不動明王を祀った不動堂をはじめとした多くの堂が建っています。
こちらが阿弥陀如来を本尊とした本堂で、残念ながら明治時代になってから建てられたものです。
中尊寺の見所といえば寺の中心となる本堂ではなく、写真の建物内にある金色堂(こんじきどう)になります。国宝でもある金色堂はガラスケースに納められて大切に保存されていています。全てにおいて漆塗りの上から金箔が貼られているその美しさには圧巻です。又、見ることはできませんが、壇内には藤原四代の遺体(ミイラ)が安置されています。金色堂と、手前にある讃衡蔵は有料となりますが、中尊寺の一番の見所となる場所ですので、しっかり見学しておきましょう。尚、金色堂、讃衡蔵は残念ながら撮影禁止となります。
こちらは金色堂の隣にある中尊寺経を納めていた経蔵です。写真に載せきれないほど(単に面倒なだけですが・・・)境内には多くの建築物があり、中尊寺の見学時間は最低でも1時間はみておきましょう。
平安時代、東北地方では清衡、基衡、秀衡、泰衡と、およそ100年に渡り大きな勢力を保ってきた奥州藤原氏でしたが、源頼朝に追われた義経をかくまった罪として頼朝に滅ぼされてしまいました(奥州合戦)。その後に松尾芭蕉が平泉を訪れ、100年にわたり平泉文化を築き上げた奥州藤原氏の栄華が今は夏草に埋もれた地となってしまい「夏草や 兵どもが 夢の跡」と詠んだ句は有名ですね。
参考までに松尾芭蕉による紀行文集、おくのほそ道のルートマップです。足跡をたどって徒歩で観光するのもいいですね。何日かかるのかは知りませんが、芭蕉は半年でこのルートを歩いたそうです・・・
こちらは金色堂覆堂。鎌倉幕府によって金色堂の修復が行われた際に、覆っていた堂であると考えられています。
境内の一番奥にあるのが写真の能舞台(白山神社内)です。こちらも1853年に再建されたものですが重要文化財として保護されています。

●毛越寺(もうつうじ)
中尊寺と同じく慈覚大師(円仁)によって開山され、その後に奥州藤原氏第2代当主、藤原基衡(ふじわらのもとひら)によって造営された毛越寺。当時は中尊寺をしのぐ大規模な伽藍でありました。建造物は全て兵火により焼失してしまいましたが、当時の面影を残す浄土庭園や礎石、遣水(水路)などが現存しています。

<住所>
岩手県西磐井郡平泉町平泉字大沢58

<拝観料>
500円(宝物館見学含む) 8:30〜17:00
<アクセス>
平泉駅から直進、徒歩約10分です。

境内に入ると左手には宝物館があります。先ずはここでしっかりお勉強しましょう。右手には有名な松尾芭蕉の直筆「夏草や兵どもが夢の跡」の句碑があります。入口近くのため見落としやすいので注意です。
写真は平成元年に再建された本堂で、本尊である薬師如来を安置しています。
トップの写真は作庭当初の姿を残す大泉が池。池の東南に出島(でじま)、その先の飛島(とびしま)には約2.5mの景石が立てられて周辺の中小の石や玉石は荒磯の風情を表してします。荒磯です。。。

右の写真は水面から約4mの高さに築かれた築山(つきやま)です。平安時代の指導書「作庭記」に記されている枯山水の様の実例として考えられているそうです。水辺にせまる岩山の姿が造り出されていています。せまっています。。。
毛越寺を開いた慈覚大師円仁を祀った開山堂です。
こちらは嘉祥寺跡。2代藤原基衡〜3代秀衡(ひでひら)によって完成された御堂で、境内には池の入口にある南大門跡や金堂円隆寺跡、講堂跡など多くの伽藍跡が残されています。と言っても礎石だけなので寂しいですが・・・
写真の遣水(やりみず)は庭園の発掘調査中に往時の姿のままに発見されたもので、作庭記の様式を余すことなく伝えています。
1732年に再建された常行堂(じょうぎょうどう)です。宝冠阿弥陀如来を本尊とし、奥殿には秘仏である摩多羅神(またらじん)を祀っています。

●高館義経堂(たかだちぎけいどう)
源義経は兄の頼朝に追われ平泉に落ち延びました。3代藤原秀衡は義経をかくまい、ここ高館に居館を与えました。頼朝の圧迫に耐えかねた秀衡の子、泰衡の急襲にあい、義経は22歳の妻と4歳の娘を殺害し自殺しました。義経堂の堂内にある本尊、源義経公像は堂創建時より残るものです。

<住所>
岩手県西磐井郡平泉町平泉字柳御所14

<拝観料>
200円 年中無休 8:30〜16:30 (11月5日〜4月4日は16:00まで)
有料とはいえ見学時間は5〜10分程度です。

<アクセス>
JR平泉駅から徒歩20分程度。中尊寺の地図を参照してください。

●達谷窟毘沙門堂(たっこくのいわやびしゃもんどう)
坂上田村麻呂が鞍馬寺の毘沙門天を勧請して本尊とし、108体の毘沙門天を安置し国を鎮める祈願所として建てられました。兵火により焼失し1615年に伊達政宗公により再建されますが再び焼失し、現在の堂は昭和36年に再建されたものです。

<住所>
岩手県西磐井郡平泉町平泉字北沢16
<拝観料>
300円 8:00〜17:00(季節変動あり)

<アクセス>
JR平泉駅から厳美渓行きのバスで達谷窟を下車すぐ。中尊寺、毛越寺から厳美渓に向かう途中にあり、観光バスやタクシーは一時停車してチラ見してから通り過ぎて行きます・・・
写真トップの毘沙門堂の内部は残念ながら撮影禁止です。仕方がないのでオンベイシラマナヤソワカと御真言を唱えましょう・・・

窟毘沙門堂の左手には写真の岩面大佛(がんめんだいぶつ)があります。
拡大するとハッキリ見えるでしょ?前九年後三年の役で亡くなった敵味方の諸霊を供養するために彫り付けたと伝わる大佛で、大日如来(又は阿弥陀如来とも)だそうです。
昭和21年の大火にも焼失を免れ「生けるが如し」と称される美しい御姿で名高い?蝦蟆ヶ池(がまがいけ)弁天堂です。隣には小さな蝦蟆ヶ池があります。

尚、縁切りの願いも叶うと伝えられ、仲良き男女は共に参らぬ習わしがあるそうで注意です。
窟毘沙門堂と同じく1615年に建立と伝わる鐘楼(しょうろう)。今でも辰刻(8時)、午刻(正午)、申刻(16時)に昔ながらの打鐘で時を報せています。
こちらは姫待不動堂(ひめまちふどうどう)。桂材の一木彫りで製作された平安後期の姫待不動尊は智証大師が達谷西光寺(たっこくせいこうじ)の飛地境内である姫待瀧の本尊として祀ったものを藤原基衡が再建したものだそうです。
昭和になってから再建された西光寺(せいこうじ)の金堂です。奥には本堂もあります。観光バスも通り過ぎる達谷西光寺(達谷窟毘沙門堂)ですが、車で中尊寺から厳美渓へと向かう方は道中にあるので寄ってみては如何でしょう。

●厳美渓(げんびけい)
今から約900万年前の火山活動による凝灰岩が、堆積当時の高温と自重の圧力のために変質してできた厳美渓(げんびけい)。伊達政宗も松島と厳美がわが領地の二大景勝地なりと自慢したほどの渓谷の美しさには一見の価値ありです。

<住所>
岩手県一関市厳美町字南滝ノ上
<アクセス>
JR一ノ関駅から厳美渓行きのバスで約20分、厳美渓下車です。平泉からも近いので車の方は中尊寺・毛越寺とセットで観光しておきましょう。

ハイキングコースは30分周遊コースと70分周遊コースがあります。大半の方はトップの写真の場所(橋下の展望所から)だけ見て帰って行きますが・・・
河床の岩盤に生じたへこみに入り込んだ石が、水流とともに回転しながらまわりを削ってできた丸いくぼみ、甌穴(おうけつ)も見所です。

写真は上図の右手方面の30分周遊コースにある吊り橋です。複数で渡ると結構揺れて怖いです。
70分周遊コースの一番奥にあるのが長者滝橋。景色はさほど変わりません。ここまで来る観光客は紅葉シーズンなどを除いては全くいません。なにせ、30分周遊コースでさえ歩く人が少ないんですから。。。

●龍泉洞(りゅうせんどう)
日本三大鍾乳洞の1つとしても知られる龍泉洞。洞口付近から平均毎秒1.5tもの湧水がつくり出す地底湖は、この洞窟の見所でもあり、見ているだけで吸い込まれそうな程、美しく透明です。

<住所>
岩手県下閉伊郡岩泉町岩泉字神成1-1
<営業時間>
8:30〜17:00(5〜9月は18:00まで)年中無休。
龍泉洞・龍泉新洞科学館 1000円。

<アクセス>
最寄駅はJR岩泉線の岩泉駅となりますが、土砂崩れの運休によりマイカー・レンタカーもしくは盛岡駅発の高速バス(2660円)がおすすめです。ただしバスの本数が少ないので注意です。おおよその時間は盛岡駅から車で1時間30分〜2時間です。
こちら龍泉洞の入口です。アクセスがとんでもなく悪いのですが、さすが日本三大鍾乳洞、それなりに見学者はいます。近くには元々は龍泉洞と同じ一本の洞窟でもあった龍泉新洞があります。見学時間も5〜10分程度ですし、共通券なので帰りにでも寄ってみるとよいでしょう。正直、鍾乳石は新洞のほうが比較にならぬほど立派なのですが、残念ながら研究目的のためそちらは撮影禁止です。
洞窟を入ると最初に細くて暗い真っ直ぐな道があります。龍泉洞の洞口の標高は160mで、宇霊羅山の尾根の方向に伸びる主洞と、それと交差する多数の支洞からできています。それにしても最初に発見した人は、足元に板なんて敷いてなかったでしょうから、少し進むのも大変だったでしょうね。
しばらく進むと、とんでもなく綺麗な川が洞窟内に流れていました。写真ではわかりませんが、結構な勢いで、かなりの量が流れています。

鍾乳洞は数億年以前から海底に堆積してできた石灰岩が隆起して海面から顔を出し陸地となった時から雨水の浸食作用により洞穴が形成されます。鍾乳石は直径10cm、長さ1mの物は5万5千年、石筍はその倍の年月を要すると言われています。
龍泉洞の地下水は石灰岩層を通ってきたため、カルシウム成分を多く含む弱アルカリ性の水で、美味しい水としても地元の町民に親しまれているそうです。いや〜、体が吸い込まれそうなくらい綺麗です。
なんか不自然に感じますが、こんな光の演出もある空間もあります。さらに進めば、写真トップにある水深35mもある第一地底湖が目の前に現れます。なんと言っても龍泉洞の見どころっていうか魅力は、この地底湖でしょう。息を呑むほどの美しさとは、まさにこのことだと思います。
こちらは水深38mある第二地底湖。水中にはライトが設置され、その深さが良く分かります。コース序盤にある地底湖なので、長居せずに、さっさと先に進んでしまう人がいるので注意です。
左の写真は1967年の潜水調査で発見された第三地底湖。こちらは水深が98mもあるそうです。
龍泉洞は昔から大量の水が湧く底知れない洞穴として知られていましたが、なかなか中へは入れませんでした。龍泉洞探検は1920年代から始まり、やがて小舟を浮かべての観光も行われるようになりました。昭和34年(1959年)、この上の崖からゴムボートを降ろして、初めて第一地底湖の調査が行われたそうです。
後半は長い上り階段が我々探検隊を苦しめます。階段あるだけ感謝ですね・・

龍泉洞には5種類のコウモリが住んでいます。上を見上げると、一定の場所だけですが結構な数のコウモリが飛んでいます。コウモリは鳥類と思われがちですが、実は人間と同じく哺乳類なのです。哺乳類でも唯一鳥類並みの飛行能力を備えたコウモリは、暗闇では超音波を発し、餌や障害物に当たった反響音を聞き分けて目標を正確にとらえるといった技も持っています。龍泉洞では岩泉湧窟およびコウモリとして国の天然記念物に指定されています。
龍泉洞付近には無数あると言われている地底湖。先程、光の演出が不自然と言いましたが、このように幻想的に見える場所もあります。



岩手県の観光