平安時代につくられた朱塗りの社殿をもつ厳島神社は、まるで海に浮かんでいるかのような美しい光景です。他にも平和記念公園や平和記念資料館、負の世界遺産ともよばれる原爆ドームは国内外から多くの人が訪れます。それらの陰に隠れてしまいますが、広島県は毛利氏ゆかりの史跡も多く見所は満載です。また瀬戸内海に面した土地はカキの養殖も盛んであり、お好み焼きとあわせてグルメ旅行もいいですね。

遠方から広島駅までのアクセスは新幹線、飛行機であれば広島空港を利用するのが便利です。空港から広島駅までは片道1340円で40〜50分程度です。
<お土産>
カキや広島風お好み焼きも有名ですが、お土産と言えば定番は、もみじ饅頭ですね。

広島の中心部は広島駅から少し離れた場所にあります。八丁堀を中心に紙屋町から銀山町あたりまでが大きな繁華街となっていて、円の中の下の方にある流山付近は歓楽街となっています。繁華街までは、徒歩やバスよりも路面電車がお薦めです。時刻表を見なくて済むくらい運行本数が多く、とても便利です。
写真は紙屋町付近で、ここから平和記念公園や広島城も歩いていける距離にあります。
広島に来たのなら是非、路面電車に乗ってみましょう。乗り方は後ろの方から乗車して整理券を取ります。降りるときは整理券と一緒に運賃を入れます。市内であれば一律160円で、乗り降りする人も多いので降車ボタンを押さなくても各停留所で止まってくれます。

●厳島神社(いつくしまじんじゃ)
日本三景の1つ厳島。この島にある厳島神社の歴史は古く、佐伯鞍職によって593年に創建され現在の厳島神社の社殿の殆どは平清盛によって平安時代に造られたものです。その後に火災や台風によって壊されるも見事に修復し、平安時代の建築様式を知ることができる神社であり、朱塗りの社殿は美しい!の一言。

<拝観料>
300円(宝物館は別途300円。共通券は500円です。)
無休 6:30〜17:30頃(季節により変動)
<住所>
広島県廿日市市宮島町

<アクセス>
広島駅からはJRで約30分410円、宮島口駅から道路を渡るとフェリー乗り場があります(徒歩5分程度)。広島電鉄(路面電車)でもアクセス(260円)は可能ですが、広島駅から約1時間程度かかります。終点の広電宮島口駅からは目の前がフェリー乗り場となっています。
宮島へと渡るフェリーは2つあり、1つはJR西日本宮島フェリー。こちらはJRの連絡船となっているため、フェリーの運賃を含めた広島駅からの切符を購入できます。もう1つは宮島松大汽船。こちらは路面電車の広電グループの会社であり、フェリー乗り場はお互い同じ場所にあります。フェリーの運賃はどちらも180円です。宮島までは約10分程度ですが、JRのフェリーは日中の便に限って、厳島神社の鳥居を近くで見学できるよう少し大回りの航路となっています。
厳島神社の大鳥居です。この鳥居は海中に埋まっているのではなく、自重だけで立っているんですよ。そのため重さは約60トンもあります。

厳島神社の祭神はアマテラスとスサノオの誓約(宮崎県のページ参照)でアマテラスがスサノオの十束剣より産んだ三柱の女神、宗像三女神を祀っています。
潮が引いていれば、上の写真にある鳥居の下まで歩いて行くことができ、小魚やカニなどが沢山ウロチョロしている光景を見ることもできます。逆に満潮時は鳥居の下までは行くことができませんが、まるで社殿が海に浮かんでいるような光景を目にすることができます。干潮、満潮の時刻は宮島のサイトにある年間潮汐表を参照して下さい。尚、大鳥居の根元まで歩いて行ける潮位の目安は100cm以下、神社が海に浮かんで見える潮位の目安は250cm以上とのことです。潮位は6時間周期で干潮、満潮を繰り返しますので、そこから訪問する時刻を計算しておきましょう!

<例> 干潮10:00 潮位20cm 満潮16:00 潮位300cm
この場合、12時に訪問した場合、干潮時の潮位20cmから1時間当たり(300-20)÷6=約47cmも海面が上昇します。12時では2時間後なので約94cmですね。つまり20cm(干潮時)+94cm(2時間後)=114cmとなり、大鳥居まで歩いていける100cmをオーバーしてしまい大鳥居の下までは行くことができません。
厳島には鹿が沢山います。現在の鹿は奈良公園からやってきたのが野生化したものらしいです。奈良の鹿よりは多少凶暴であり、普通に歩いている分には問題ありませんが、食べ物を持って歩かないように注意してください。あっという間に鹿に囲まれますよ。

厳島神社までは、フェリーを降りてから10分程度歩きます。静かな海沿いを歩いて向かうのもお薦めですが、1本内側の土産物屋さんが並ぶ表参道商店街を通っていくのもお薦めです。
古くは毛利元就が1555年の厳島合戦で神聖を傷つけたお詫びとして、奉納したのがはじまりといわれる能舞台。毎年4月16日〜18日には桃花祭御神能が行われます(能や狂言が演じられます)。
厳島合戦
1555年に毛利元就(もうりもとなり)が厳島に陶晴賢をおびき寄せ、陶軍2〜3万の兵力に対し毛利軍4〜5000の兵力で勝利した戦いです。狭い厳島に大軍を誘い込み、見事に勝利したこの戦いは日本三大奇襲作戦の1つと言われており、その後に毛利元就は勢力を拡大し中国地方を支配下に置くほどの戦国大名となりました。尚、策略家で知られる元就の生涯の合戦数は200以上とも言われます。
千畳閣(せんじょうかく)
1587年に豊臣秀吉が戦没者への供養として建立した大経堂であり、857畳の畳を敷くことができる広さから千畳閣(豊国神社)と呼ばれます。秀吉の死去によって工事は中止され未完成のままの状態で保存されています。厳島神社の境内にあり、昇殿料は100円です。
1587年、羽柴秀吉(豊臣秀吉)は惣無事令(大名間の戦を禁止)を無視して九州で勢力を拡大する島津義久を征伐するために20万の大軍を率いて九州へ向かいますが、その途中で厳島神社に立ち寄っています。その後、秀吉は小田原の役(秀吉と後北条氏との戦い)を経て1590年に天下統一を成し遂げました。
厳島には他にも五重塔や多宝塔、大元神社、清盛神社、徳寿寺、大願寺・・・などの寺社も多く見所満載です。それらに興味がない方は、宮島ロープウエーで弥山の頂上を目指し、瀬戸内海に浮かぶ沢山の島々を一望できる展望台へ行くのもお薦めです。

●原爆ドーム(広島平和記念碑)
1945年8月6日午前8時15分、アメリカ軍のB-29爆撃機エノラ・ゲイが原子爆弾を投下し、原爆ドームから南東上空600m付近で炸裂しました。建物内(広島県産業奨励館)にいた職員は全員即死したと推定されます。衝撃波を受けた方向が真上だったこともあり建物は倒壊せずに今も尚その場に残っています。

<住所>
広島県広島市中区大手町1-10
<アクセス>
広島駅からはバスで平和記念公園前下車か路面電車で原爆ドーム前下車です。原爆ドームの近くには平和記念公園、広島平和記念資料館があります。

この爆発によって周囲2kmの殆どの建物が破壊され、その年に亡くなった人だけでも、およそ14万人にのぼると言われます。その後も白血病やガンといった病気に苦しむ人々が数多くいます。
そんな白血病で亡くなった当時高校生、楮山ヒロ子さんの1959年8月6日の日記に「あの痛々しい産業奨励館だけが、いつまでも、おそるべき原爆のことを後世に訴えかけてくれるだろう」と書かれています。この日記の影響によって原爆ドームは取り壊されずに、永久に保存されることになります。世界遺産にも登録されていて、負の世界遺産とも呼ばれています。

●広島平和記念資料館
原爆や平和に関する資料が展示してあります。テレビや本だけでは伝わらない本当の原爆の恐ろしさを知ることが出来ますので、是非とも立ち寄ってください。

<住所>
広島県広島市中区中島町1-2

<観覧料>
大人50円。小・中・高生30円。3月〜11月 8:30〜18:00 (8月は19時閉館) 12月〜2月 8:30〜17:00
<アクセス>
広島駅からはバスで平和記念公園前下車か路面電車で原爆ドーム前下車です。原爆ドーム→広島平和記念資料館→平和記念公園の見学ルートがお薦めです。

東館から入場して渡り廊下を通り西館(本館)を見学するルートになっており、東館で最初に目に飛び込んでくるのが、原寸の73%の大きさの原爆ドームの複製模型です。又、万が一に原爆ドームが崩落した場合に備えて、当時の状態に復元できるよう細かなところまで資料があるんですって。
被爆後の広島市の様子です。この原爆によって当時の広島市の人口推定35万人のうち約14万人が亡くなりました。その爆破の威力は凄まじく、東京大空襲の約9倍の破壊力に匹敵し、爆心地付近の地表温度は4000度に達し台風の約1000倍とも言われるエネルギーで爆風を発生させて建物を一瞬にして破壊しました。熱線により一瞬にして黒焦げになった人や、飛ばされてしまった人、ガラスが体に突き刺さった人、眼球や内臓が体外に飛び出して死亡した人も多かったそうです。
さらには放射能汚染が人々を襲います。原爆により発生した雲と爆風で舞い上げった粉塵により、空は一瞬にして暗闇となり放射能を含んだ黒い雨が街に降り注ぎました。それらの放射能は白血病や癌などを発生させる原因となりました。
資料館には多くの遺品も展示されています。写真の黒焦げた靴の下にはこう書いてあります。県立広島第一中学校1年生の佐々木一彦さん(当時12歳)は、建物疎開作業の待機中に校舎内で被爆しました。母親が一人で懸命に捜し歩き、8日朝になって学校のプールのそばで息絶えていた我が子を見つけ、その場で火葬にしました。この靴は、付近の瓦礫の中から家族が見つけた遺品です(以下省略)。当時、母親が必死に自分の息子を捜した光景を思い浮かべると、涙が止まりません。

●平和記念公園
過去の過ちを二度と繰り返さないためと、人類の平和を願い公園がつくられました。写真は公園内にある原爆死没者慰霊碑で、奥に原爆ドームが見えるよう設計されています。そして、この公園の地中にも、多くの遺骨が未だに埋もれていることを私たちは決して忘れてはいけません。毎年8月6日には平和記念式典が行われ、原爆が投下された午前8時15分には1分間の黙祷があり、この間は広島市内のバスや路面電車も停車し黙祷を行います。

<住所>
広島県広島市中区中島町
<アクセス>
広島駅からはバスで平和記念公園前下車か路面電車で原爆ドーム前下車です。平和記念公園の近くには原爆ドーム、広島平和記念資料館があります。
公園内やその周辺には多くの慰霊碑や祈念碑があります。写真は原爆の子の像です。当時、2歳で被爆した佐々木禎子さんは、幸いにも病気や怪我もせず育ちました。しかし、小学校6年生の時に白血病と診断され闘病生活の後に昭和30年10月25日に亡くなりました。禎子さんは鶴を千羽折ると病気が治ると信じ、1300羽以上の鶴を折り続けたそうです。

●広島城
豊臣秀吉が天下統一(1590年)目前の頃になると、毛利氏が支配していた中国地方も次第に戦のない平和が訪れるようになります。それによって、これまで毛利氏が居城としていた吉田郡山城も海上の交易面から城下町を移転すべきとの考えから、1589年に広島城を築城し、拠点を山城の吉田郡山城から平野部の近世城郭へと移しました。築城主は,、後に関ヶ原の戦いで西軍の総大将となった毛利輝元(もうりてるもと)で、元就の孫にあたります。その後、西軍が敗れたことで減封され追い出された毛利輝元に代わって城主となったのが東軍として活躍した福島正則です。
<住所>
広島県広島市中区基町21-1

<開館時間>
9:00〜18:00 370円。平日の12〜2月は17:00まで。
年末年始休館。臨時に開館時間変更あり。

<アクセス>
広島駅から路面電車で紙屋町東、又は紙屋町西下車し徒歩15分程度。バスの場合は、合同庁舎前バス停から徒歩8分程度です。
朝鮮半島の侵略も視野に入れていた秀吉は、広島城を朝鮮出兵の後方基地とする期待もあり、当時は大阪城に匹敵する規模だったそうです。その後は、城主も変わり時代とともに城郭は縮小していき、最終的には原爆によって全てが倒壊します。現在の天守は昭和33年に鉄骨鉄筋コンクリートで外観復元されたものです。
現在、内部は博物館となっており、刀や鎧などの展示物は少ないものの、築城から戦後までの歴史を学ぶことができます。

●大和ミュージアム(呉市海事歴史科学館)
大和ミュージアムは、かつて日本一の軍需工場、呉海軍工廠がおかれた呉市にあります。建物内は歴史科学館となっていて、戦艦大和をはじめ太平洋戦争の資料などが保存されています。

<住所>
広島県呉市宝町5-20
<開館時間>
9:00〜18:00(入館17:30まで)
7月1日〜8月31日は9:00〜19:00(入館は18:30まで)。観覧料500円。火曜日定休(祝日の場合は翌日)

<アクセス>
広島駅からJR呉線で50分程度。駅から連絡通路を通って徒歩約5分です。歩いてすぐの場所に、てつのくじら館もあります。
入館すると、最初に目にするのが世界最大の戦艦、大和の10分の1の模型。様々な資料を基に細かなところまで再現されているそうです。戦艦大和は当時、世界最強と言われたものの大した活躍もなく沈んでしまっています。沖縄特攻作戦に向かう途上に、米艦載機の攻撃を受けて沈没。乗員3,332名のうち3,056名が亡くなりました。

ここから左へ進むと展示室の他、呉の歴史の紹介があります。右へ進むと大型資料展示室があり、艦上戦闘機や人間魚雷、回天の実物が展示されています。
皮肉なことに大和の建造技術は世界一の大型タンカー建造や、自動車や家電品の生産など幅広い分野で応用されています。
全体的には資料が乏しく、大和の模型がメインの展示物となっています。
大和関連ということで、何故か館内には松本零士の世界の展示物として宇宙戦艦ヤマトがあったりします。ちなみに、このヤマトの波動砲の技術は、元々は日本の建造技術が未来に応用されたものではなく、イスカンダル星の技術の応用であることはあまり触れないでおこう。

●てつのくじら館(海上自衛隊呉史料館)
海上自衛隊の潜水艦部隊や掃海部隊(機雷撤去)の活動や技術の資料が展示してあります。海上自衛隊員の広報活動の場としての役割もあり、嬉しいことに館内は無料です。写真の潜水艦は実際に海上自衛隊で就役していた「あきしお」 で、2004年3月に除籍しました。

<住所>
広島県呉市宝町5-32

<開館時間>
9:00〜17:00(入館は16:30まで) 無料。
火曜日定休(祝日の場合は翌日)
<アクセス>
大和ミュージアムのすぐ隣にあります。この写真も大和ミュージアムから撮影したものです。ちなみに左手は海(呉港)になります。

広島駅からJR呉線で50分程度。徒歩約7分。
潜水艦あきしおの横にくっ付いている史料館には、海上自衛隊の歴史や現在の活動が紹介されています。特に機雷の展示物が物凄く多く、かなり機雷について詳しくなれます・・・ 館内にはガイドさんもいますので気軽に質問してみましょう。
潜水艦あきしおの内部です。右の写真は夕飯の食事時の様子を再現したもの。潜水艦は一度潜航すると長い時間浮上することはありません。その為、艦内は昼夜の区別がつきにくく、夜間は赤いライトを点灯しているらしいですよ。

●福山城(福山城博物館)
福山城は1619年に福島正則の改易により備後10万石の領主として入封した水野勝成が、三年の歳月を費やして構築した近世の城郭です。残念ながら昭和20年空襲により伏見櫓や筋鉄御門、石垣は戦災を免れますが、天守は焼失し、現在の天守は再建されたものとなっています。

<住所>
広島県福山市丸之内1-8
<開館時間>
9:00〜17:00(季節変動あり) 入館料200円(特別展示期間を除く)。月曜、年末は休館。

<アクセス>
新幹線やJR山陽本線、福塩線の乗り入れる福山駅北口から歩いて約1分です。
駅を出ると、いきなり目の前に大きな石垣が現れます。入口へは左手方向に進んでください。
国の重要文化財にも指定されている筋鉄御門。福山城本丸の正門で、築城の際に伏見城から移建したものと言われています。柱の角や扉に施された筋鉄からその名が生まれています。
こちらも重要文化財の伏見櫓です。同じく伏見城にあった松の丸東櫓を移築して建てられたそうです。
築城当時から城下に時をつげていた鐘櫓。江戸時代には緊急時に武士を招集するための太鼓も備えていたそうです。
現在は福山城博物館(天守)の文書館となっている鏡櫓。建物は昭和48年に外観復元されたもの。
天守(博物館)内部は、訪問時に行っていた特別展示が個人所有の甲冑が多く展示されていたせいか撮影禁止でした。
外側に廻縁のある最上階では福山市街を一望できます。
こちらは昭和41年に外見復元された月見櫓です。新幹線(上り)のホームから綺麗に撮影できました。

●広島県立歴史博物館
瀬戸内地域の民衆生活と文化に視点を当てた博物館で、瀬戸内における歴史や文化を学べるだけでなく、鎌倉時代から室町時代にかけて存在していた草戸千軒町の集落をフロア一面に再現した建物など見どころ満載です。

<住所>
広島県福山市西町2-4-1
<開館時間>
9:00〜17:00(月曜日休館) 入館料290円。

<アクセス>
JR福山駅から徒歩3分程度です。
県立博物館だけあって建物が随分と大きいのですが、入館料は安いです。実際の内部はブース自体が少ないので、それなりの料金設定となっています。
館内は残念ながら撮影禁止です。唯一撮影できるのが、この草戸千軒町遺跡コーナーです。
現在の広島県福山市草戸町あたりでは、中世の町の跡が埋もれていることは江戸時代には知られていたらしく、地元の人々には草戸千軒とうい名で語り伝えられていたそうです。やがて、昭和36年に初めての発掘調査が行われ、芦田川の中州に中世の集落遺跡が存在することが学術的にも確認されました。
当時(室町時代)の食事を再現した食品サンプル。
こんな食品サンプルも多いのですが、何故か食品サンプルとか蝋人形的なものって写真撮ってしまうんですよね〜、他にも沢山PC内に保存されています・・・


広島県の観光