●子規堂
俳人、正岡子規が17歳まで過ごした邸宅を模して建てられた子規堂には、実際に子規が使っていた机や遺墨、遺品、写真などが展示されています。

<住所>
愛媛県松山市末広町16-3
<アクセス>
松山市駅から徒歩5分程度、正宗寺境内にあります。

<料金>
50円。 8:30〜17:00
市内を走る坊ちゃん列車はディーゼル機関の復元された列車であるのに対し、ここに保存されているは、現存する当時の客車です。夏目漱石の小説、坊ちゃんでは「マッチ箱のような汽車だ」といわれ、以来多くの人々に坊ちゃん列車の名で親しまれています。
玄関脇の三畳の部屋が出来るまで、子規はこの窓際に机を置いて勉強をしていたそうです。
こちらが三畳の部屋。他にも病床で横になる子規の痛々しい写真や、夏目漱石の小説、坊ちゃんに関する原稿なども展示されています。

全体的に見所も少ないので、子規記念博物館とセットで観光しておきましょう・・・

●宇和島城
戦国時代の1546年に前身となる板島丸串城に入城した家藤監物。1595年には築城の名手でもあった藤堂高虎が宇和郡7万石に封ぜられ、その本城として1596年に築城を開始し、石垣や天守をはじめ大小数十の矢倉などを構えました。1615年には伊達政宗の子である秀宗が入城し、名も宇和島城と改め、その後は代々伊達氏の居城となりました。今見る天守は伊達氏の頃のものですが、全国にある現存12天守のうちの1つでもあり、国の重要文化財にも指定されています。
<住所>
宇和島市丸之内1(内1・2・3)

<営業時間>
9:00〜16:00 200円。

<アクセス>
JR宇和島駅より城山登山口まで約10分、天守まで約15分。比較的緩やかな登山道です。JR松山駅からは電車(特急)、車(有料道路使用)どちらも約1時間半です。
残念ながら追手門(大手門)は戦災により焼失。北登山口にある桑折(こおり)氏武家長屋門が城山への入口となっています。
緩い石段です。天守までは10〜15分くらいでしょうか。入口はこの北登山口の他に、上り(のぼり)立ち門がある南登山口とがあります。かつては南登山口から天守に至るまでに7つの門があったそうです。
特徴でもある反りのない石垣もしっかりと残っています。築城の名手であった藤堂高虎は、同じく築城の名手であった加藤清正や黒田孝高と度々対比されます。ここ宇和島城においては、外郭を四角形ではなく不等辺五角形にするなどの視覚トリックを用いています。一見すると敵は四角形の外郭に見え、死角となる場所から敵を迎え撃ったり、避難用、脱出用としても利用することが出来ます。実際に江戸時代に四国の各城を探らせた幕府の隠密は、宇和島城の見取図を四角形と誤って描いています。
一之門跡の石段を上れば天守があります。現存天守とは言え、場所が場所だけに観光客の姿は松山城の比較にならないほどありません・・・
現存天守らしい急勾配の階段です。
毎度のことですが、現存天守の内部ってのは資料展示とかも少なく、見所はあまりありません。取りあえず、へぇ〜などと呟いて、知ったかぶって天井や柱を眺めておきましょう・・・
当時と比べ海も遠くなり、堀も埋められてしまいましたが、眺望はなかなか素晴らしいものです。
上り(のぼり)立ち門から天守に行くこともできますが、駐車場もなく、駅からも遠くなるため、どうやらここからアクセスする人はいないようです。せっかくですから、宇和島に来たら美味しい鯛めしでも食べて帰りましょう。

●大洲城(おおずじょう)
大洲城の歴史は、鎌倉時代末期、伊予国守護宇都宮豊房の築いた地蔵ヶ岳城に始まると言われています。激動の戦国時代を経て、小早川隆景が伊予を平定した後、戸田勝隆、藤堂高虎、脇坂安治が相次いで城主となり、この頃に4層4階の天守を中心とした本格的な近世城郭に整備されたと考えられています。残念ながら明治時代に天守も取り壊されてしまいましたが、4棟の櫓は現存し国の重要文化財に指定されています。
<住所>
愛媛県大洲市大洲903

<観覧時間>
9:00〜17:00(札止め16:30) 500円。臥龍山荘との共通券は800円。

<アクセス>
JR大洲駅から徒歩約20分。松山駅からはJR予讃線で約1時間半、950円です。
大天守を失ってしまったため、現存天守の仲間には入れてもらえませんでしたが、小天守の台所櫓、高欄櫓、苧綿櫓、三の丸南隅櫓は遺構として残されていて、国の重要文化財にも指定されています。
明治時代に撮影された大洲城。大洲城は木造で復元(平成16年)された天守とはいえ、このような古写真や天守雛形(木組み模型)、絵図などの資料も多く残されていて、正確に復元されたものらしいです。なので、復元天守のくせに入城料が高く感じられるのは気のせいでしょう・・・
4層4階の天守なので少しは期待しましたが、眺めは普通です・・・

●八日市・護国の町並み(内子の町並み)
江戸時代末期から明治時代に建てられた家々が建ち並ぶ内子の町並みは、国選定の重要伝統的建造物郡保存地区にもなっていて、旧街道の雰囲気を今に伝えています。

<住所>
愛媛県喜多郡内子町内子
<アクセス>
JR内子駅から徒歩約10分(内子座)〜20分(重要伝統的建造物郡)。松山駅から内子駅まではJR予讃線で約1時間、760円です。
駅から10分程度歩いた場所には、大正5年に大正天皇の即位を祝って建設された歌舞伎劇場、内子座があります。現在のものは昭和期に復原されたものです。
今も歌舞伎の公演がされている内子座。
花道から奈落を抜けるのが順路となっています。当時の奈落は人が立ってられないほどの低さだったそうです。よく耳にする奈落の底という言葉は、暗くて地獄のようなこの舞台の床下から生まれた言葉です。
白壁の町並みと表現されながらも、地域で採掘される壁土を使ったことから、黄味を帯びた厚い漆喰で塗り籠められた外壁が特徴です。この分岐路を右手に進めば無料の八日市・護国町並保存センターがあり、左手へ進めば室町時代に創建されたという高昌寺があります。
こちらは八日市・護国町並保存センター。町並み保存に向けた取り組みなど詳しい資料が豊富です。
こちらは高昌寺。誰が言っているのかは知りませんが、諸堂が回廊でつながれている上に、七堂加羅も整っていることから、伊予のミニ永平寺とも呼ばれているのだとか。
巨大な石造の涅槃仏(ねはんぶつ)は思わず笑ってしまいます。いえいえ、笑ってはいけません・・・ 涅槃仏とは釈迦入滅の姿であり、現世でのお釈迦様の最後の姿なのですよ。


愛媛県の観光