豊かな海や山々に囲まれた和歌山県には、円月島や那智の大滝などの迫力ある景勝地の他にも、日本三美人の湯で知られる龍神温泉や白浜温泉などの温泉地も豊富です。熊野地方には熊野三山をはじめ熊野へと続く歴史を感じる熊野古道、弘法大師空海が開いた日本仏教の聖地である高野山などもあり見所満載です。グルメでは和歌山ラーメンや、めはりずし、高級魚クエ、ウツボ料理などに舌鼓を打つのも旅の楽しみの1つです。

<お土産>
那智黒、紀州みかん、梅干など。
県下一の繁華街、歓楽街は駅周辺となっています。それほど賑わいは感じられませんが、熊野方面から到着すれば物凄く都会に感じられる街並みです。
あえて繁華街っぽい場所といえば、和歌山駅と和歌山城との中間地点から右側(北側)に少し外れた場所にある、ぶらくり丁商店街でしょうか。駅から歩けば20分くらいかかります。
かなり長く続くアーケード街で、昔は賑わっていたであろう雰囲気が漂います・・・
和歌山県へのアクセスには南紀白浜空港を利用する方法もありますが、東京(羽田)間くらいしか飛んでおらず、便も少ないので注意です。又、県下一の繁華街のある和歌山駅から各観光地までは距離もあり位置がバラバラなため、マイカー又はレンタカーでの観光が便利です。車での移動が困難な場合は観光地を絞るか、宿泊場所には工夫が必要です。いずれにせよ和歌山県の旅行は、ゆとりのある日程が望ましいです。

●高野山(こうやさん)
平安時代、真言密教の修行道場として弘法大師(空海)によって開かれた日本仏教の聖地、高野山(こうやさん)。壇上伽藍と呼ばれる根本道場を中心に、山内には百以上もの寺院が集まる宗教都市を形成しています。

<住所>
和歌山県伊都郡高野町高野山

入山自由ですが、金剛峯寺500円 金堂200円 大塔200円 霊宝館600円 徳川家霊台200円、大師教会500円(授戒料)。
<アクセス>
南海高野線の極楽橋駅から高野山ケーブルで約5分380円で高野山駅へ。高野山駅前からは山内バスで各目的地まで約15分、女人堂210円、千手院橋280円、奧の院前320円。路線によっては大門、金剛峰寺前、奥の院口なども停車します。大、小の無料駐車場多し。ただし混雑期は注意。
ちなみに大門から奥の院までの距離は約4kmで、景観も良いので決して歩けない距離ではありません。山内はとても広いので参拝、見学ルートは金剛峯寺→奥の院をメインに高野山の境内マップ1又は境内マップ2を見ながら大門や霊宝館、女人堂などを好みで組み合わせてください。又、高野山には宿坊を兼ねている寺院も多く、驚くことに寺院の約半数が宿泊可能となっています。
高野山の総門となる大門。1688年に焼失し1705年に再建されたもので、重要文化財にも指定されています。ちなみに壇上伽藍から0.6kmです。

参考までに、大門→金剛峯寺は約1km  金剛峯寺→奥の院は約2kmです。
トップの写真は壇上伽藍にある高野山の総本堂、金堂で昭和7年に再建されたもの。壇上伽藍には他にも根本大塔や御影堂、国宝の不動堂などもあります。又、壇上伽藍は奥の院とともに高野山の二大聖地とされています。尚、高野山は紀伊山地の霊場と参詣道の一部として世界遺産に登録されています。

左の写真は豊臣秀吉が亡き母公の菩提を弔うために1593年に建立された金剛峯寺(1863年再建)で、元は青巌寺、興山寺を明治期に合併した寺院です。
かご塀や経蔵、鐘楼を見学した後は寺内へ。寺内は有料となりますが、美しい襖絵がある大広間や梅の間、柳の間、国内最大の石庭、蟠龍庭(ばんりゅうてい)は必見です。。

写真は心地よい音色(歩くとキュッキュと床が鳴ります)の鶯張りの廊下。
柳の間は豊臣秀次の自刃の間とも呼ばれ、謀反の疑いをかけられた秀次は高野山に追放され、秀吉によって自害を命じられました。さらには多くの親族すらも秀吉によって処刑され、この秀次事件はその後の関ヶ原の合戦にも影響し、時代は徳川家の江戸時代、明治、大正と繋がっていくのかと思うと、ちょっと感慨深いものがあります。

ちなみ梅の間、柳の間などにある美しい襖絵は撮影禁止となっていて、写真は昔、天皇・上皇が登山された際に応接間として使われた上壇の間です。
おっ、こんなところに美しい石庭があります。しかしこんなのはまだ序の口です。
うお〜!広い。さすがは国内最大の石庭、蟠龍庭。石庭の広さはなんと2340uもあり、写真一枚には納まらない広さです。お題は青海波大雲海だそうです。よく意味は分かりませんが、字からして凄いことだけは理解できます・・・

尚、ここから(金剛峯寺から)タクシーを利用する場合、高野山駅1470円、奥の院前830円、大門950円だそうです。
他にも寺内には弘法大師の死後、後を任されたと伝えられる弘法大師の甥、真然僧正を祀った真然大徳廟(写真左)や奥書院、これまでに(現在未使用)多くの僧侶の食事を賄ってきた台所(写真右)など見どころも豊富です。
高野山の見どころと言えば、二大聖地の壇上伽藍と奥の院となりますが、他のお薦めとして先ほど紹介した金剛峯寺以外では霊宝館をお薦めします。国宝だらけで内部撮影が禁止なため画像はありませんが、息を呑むほど美しい仏像に出会えます。個人的には高野山の見どころは、この霊宝館と奥の院といっても過言ではありません。
1643年に徳川家光によって建立された家康と秀忠を祀った徳川家霊台のある道をひたすら直進すると写真の女人堂(にょにんどう)があります。こちらの女人堂(女人堂)は、一千年余りの間女人禁制であった高野山の七つの入口にそれぞれ建っていた女人堂の唯一の残存建造物となっています。山内に入れない女性信者はこれらの(高野七口、高野街道、女人道)女人堂をたどって参籠をしていたそうです。
生きたまま仏(即身成仏)になったとされる真言宗の開祖、弘法大師空海。つまり今も尚、瞑想をしているといわれるのが奥の院、御廟です。入口となる一の橋から御廟所までは約2kmあります。バスでは奥の院口を下車となりますが、時間がない方、足腰が弱い方は御廟所により近い奥の院前での下車が便利です。大きな駐車場があるのも奥の院前となります。
一の橋から弘法大師御廟までは樹齢数百年もの杉の巨木が並び、木洩れ日が揺れる両脇には20万基以上といわれる数の供養塔が建ち、その数たるや圧巻です。若者風に言えば、ちょ〜、パワー感じるんだけど。マジやばくねって感じです。
常に人々の犯した罪に苦しみ、その苦しみを慈悲によって代わって受けるとされる汗かき地蔵。地蔵さんの右横には恐ろしい姿見の井戸があります。昔から井戸を覗き込んで、自分の影が映らなければ、三年以内に亡くなってしまうと言う、怖い言い伝えがあります。恐る恐る覗き込み影が映ったので安心。夕暮れ時もあり、かなり薄暗く映るので正直ビビリました・・・
写真は武田信玄、勝頼の墓所です。奥の院には他にも伊達政宗、上杉謙信、景勝、結城秀康、石田三成、明智光秀、本多忠勝、織田信長、豊臣家・・・と、名立たる戦国武将の墓所が多いのですが、信玄など3年間は死んだことを隠されていて遺骸があるのかすら分かってませんし、政宗は仙台の瑞鳳殿より遺骨が発掘されています。つまりは表現的には墓所と言うよりは墓碑、供養塔となります。他にも松尾芭蕉や初代市川団十郎などの文化人や法然、親鸞など宗教、宗派を問わず墓所が存在します。
ここから先、御廟橋を渡ると空海入定の地となり撮影は禁止となります。正面には燈籠堂があり裏手側に弘法大師御廟があります。燈籠堂内には物凄い数の燈籠が吊り下がり、美しく幻想的な光景です。真然によって初めて建立され、その後に藤原道長によって1023年に現在に近い大きさの燈籠堂が建立されました。堂内には祈親上人が献じた祈親灯、白河法皇が献じた白河燈もあり、これらは消えずの火、又は消えずの燈明とも呼ばれ、千年近くも燃え続けているそうですよ。続いて、私たちへ救いの手を差し伸べていらっしゃるという弘法大師のもとへ。
飛鳥時代、日本に伝来された仏教(奈良県のページ参照)。奈良時代には南都六宗が勢力を拡大し政治的な影響力をも持つようになります。平安時代に入ると桓武天皇は、宗教勢力を弱めるため密教を世に広めさせようと、空海や最澄らを遣唐使とともに唐へと学びに行かせます。最澄が学んだ天台宗(天台密教:台密)や空海が学んだ真言宗(真言密教:東密)は平安仏教と呼ばれ奈良仏教に対抗しました。密教とは心を研ぎ澄まさなければ聞くことの出来ない教えであり、最澄は比叡山に延暦寺を、空海は真言密教の根本道場をこの地に開きました。

●那智の滝(なちのたき)
直下133m、滝壺の深さ10m、平時の水量は毎秒1t程度もある那智の滝は、華厳滝、袋田の滝とともに日本三大瀑布(ばくふ)に数えられています。紀伊山地の霊場と参詣道の一部として世界遺産にも登録されている和歌山県を代表する観光地です。

<住所>
和歌山県東牟婁郡那智勝浦町那智山

お滝拝所300円。
<アクセス>
JR紀伊勝浦駅よりバスで約30分600円、那智の滝前を下車。ただし、熊野那智大社・青岸渡寺も参拝する場合、15分程度山を登る為、熊野那智大社・青岸渡寺側から観光するほうがお薦めです。ちなみに終点の寺社のある那智山までも同運賃です。勝浦駅〜那智山〜勝浦駅の往復割引券1000円も多少お徳です。

JR紀伊勝浦駅発のバスはJR那智駅も停車します。那智駅からは470円です。
駐車場はおおまかに左図の通りです。熊野古道を少しだけ体験歩きされるのであればバスで大門前を下車(410円)です。ただし、殆ど登山となるので注意です。左図の緑色のPマークが無料の駐車場となりますが、那智の滝前の駐車場は4〜5台分しかなく止められたらラッキーです。

熊野三山と呼ばれる熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社。このうち、熊野那智大社は那智の滝からも徒歩圏内で、他に青岸渡寺や熊野古道大門坂も近くにあります。
嬉しいことに結構、足腰にくる石段もあります。古くは那智は本宮や新宮(速玉)とは性格が違い、修行道場として知られていました。なので、これもまた修行・・・
その昔、神倭磐余彦命(神武天皇)が、この大瀧を神と祀られ大穴牟遅神の御神体と仰がれました。後に飛瀧権現と称し、今日では飛瀧神社となりました。

正面に見える鳥居から先は有料となります。鳥居からでも滝は見学可能ですが、ちょっと角度が斜めなのが残念。ここから先は300円を支払いお滝拝所へと進みましょう・・・
熊野三山への参詣路として整備された伊勢路、紀伊路、小辺路、中辺路、大辺路などからなる熊野古道。鎌倉時代の面影を残す三重県の波田須の苔むした石畳や、熊野古道中辺路の一部でもある熊野那智大社への参道、大門坂など、これらは紀伊山地の霊場と参詣道として世界遺産に登録されています。大門坂は杉の巨木と石畳の美しさが素晴らしく、よく観光ポスター等に紹介される風景もこの場所となります。ただし、大門坂入口から那智の滝までは徒歩約30分となります。

●熊野那智大社
熊野速玉大社、熊野本宮大社とともに熊野三山の一つでもある熊野那智大社は、神話上の話では神倭磐余彦命がこの地に上陸され、八咫烏の案内で大和の地に着き神武天皇となりました。その時に那智の瀧を大己貴命の御霊代として祀られた(那智の瀧を神として祀る)のが那智山信仰の起こりと伝え、約1680年前この地に社殿を建立したとされます。

<住所>
和歌山県東牟婁郡那智勝浦町那智山

境内自由です。
<アクセス>
JR紀伊勝浦駅よりバスで約30分600円(JR那智駅からは470円)、終点の那智山を下車です。バスでのアクセスの場合、那智の滝から熊野那智大社・青岸渡寺まで15分程度の山登りがあります。このため、熊野那智大社・青岸渡寺→那智の滝のルートほうが体力的にもお薦めです。さらに那智の滝→(下り)→熊野古道大門坂で大門坂バス停から駅へと戻る(410円)のもお薦めです。熊野交通ではJR紀伊勝浦駅から熊野本宮大社→熊野速玉大社→熊野古道大門坂→那智の滝→熊野那智大社・青岸渡寺→JR紀伊勝浦駅と戻る定期観光バスもあります(8:30発で予約不要、食事付き8500円)。
那智の滝から熊野那智大社・青岸渡寺へと向かうには長い石段があります・・・ このため、路線バスでアクセスされる方は先に那智大社・青岸渡寺→那智の滝というコースがよいでしょう。
写真は境内にある樟霊社。樹齢800年余の老樟の空洞に入り無病息災を祈願する胎内くぐりがあります。初穂料300円ですけど・・・

写真トップにある本殿を含む社殿は織田信長(熊野水軍:堀内氏善による)との戦いで焼失。江戸時代の再建となりますが重要文化財に指定されています。

このすぐ隣に青岸渡寺があります。
熊野三山と呼ばれる熊野那智大社、熊野速玉大社、熊野本宮大社は、紀伊山地の霊場と参詣道として世界遺産に登録されています。熊野のクマには奥まった処、隠れたる処の意があるそうです。クマとカミは同じ意味がありクマノはカミノ、熊野→神の野となるそうです。熊野三山の主祭神は、熊野本宮大社の家都美御子神、熊野速玉大社の熊野速玉男神、熊野那智大社の熊野牟須美神(くまのむすみのかみ)であり、これらを熊野三所権現と呼びます。熊野三所権現以外の祭神を含め、熊野権現(熊野神、熊野大神、十二所権現)と呼びます。那智の飛瀧権現を含めると十三所権現(熊野十三神)となります。

●青岸渡寺(せいがんとじ)
寺伝によれば青岸渡寺は313〜399年頃、インド(観音浄土)より裸形上人が熊野の浦に漂着、現在の堂の地に庵を結んだのに始まります。その後、大和の生仏上人が来山し本尊、如意輪観世音(秘仏)を彫み裸形上人が感得した観世音菩薩を胸仏として納め安置しました。

<住所>
和歌山県東牟婁郡那智勝浦町那智山

境内自由です。
<アクセス>
熊野那智大社と同じです。大社から徒歩1分。神社防災道路通行料800円を支払うと、山登り不用となります。足腰弱い方にはお薦めです。尚、境内は自由です。

トップの写真が焼失後、1590年に豊臣秀吉によって再建された本堂(重文)。左の写真は三重塔で、この角度からの三重塔は那智を代表する美しい絵です。
那智の滝から熊野那智大社・青岸渡寺まで徒歩で向かう場合、長い石段がありますが、熊野那智大社・青岸渡寺自体も本殿・本堂までは近くの駐車場からでも長い階段があります・・・ しかしながら、こちら側には多くの土産物屋さんが建ち並び賑わいがあります。
元亨二壬戌三月日(1322年)の刻銘があり、鎌倉後期のものとされる宝篋印塔で、本堂とともに重要文化財に指定されています。
除夜の鐘も鳴らす鐘楼堂。この右手から山を登れば、熊野古道のミニ歩き体験が出来ます。ミニといってもかなり雰囲気ありますけど。
熊野本宮大社の家都美御子神、熊野速玉大社の熊野速玉男神、熊野那智大社の熊野牟須美神(くまのむすみのかみ)の熊野三山の主祭神は、神々は仏教の仏様が仮の姿(権現)で現れたとされる神仏習合(しんぶつしゅうごう)により、家都美御子神は阿弥陀如来、熊野速玉男神は薬師如来、熊野牟須美神は千手観音とされます。神社の中に寺院がある理由もこのためで、全国的に多く見られます。又、神仏習合とは逆に廃仏毀釈(はいぶつきしゃく、廢佛毀釋)は、明治新政府により寺院の特権廃止を目的とした神仏分離令による神仏習合の禁止であり、仏教自体を取り除くのが目的ではなかったものの、結果的には廃仏運動によって全国にある多くの寺院や仏像などが破壊されました。

●補陀洛山寺(ふだらくさんじ)
比叡山延暦寺を総本山とする天台宗の寺院、補陀洛山寺。補陀洛渡海(生きたまま行者を小舟に乗せ補陀洛山に往生しようとする宗教儀式)で知られる当寺は、313〜399年頃に遠くインドから海を渡ってきた裸形上人によって開かれたとされます。補陀洛渡海では実際にはインドに向かうのではなく、補陀洛(観音の浄土)を目指し浄土往生を目的とするものであり、捨身の行であったとされます。

<住所>
和歌山県東牟婁郡那智勝浦町浜ノ宮348
<アクセス>
JR那智駅から徒歩5分程度。近くの観光名所には熊野那智大社・青岸渡寺・那智の滝・熊野古道大門坂があります。熊野那智大社から熊野速玉大社、又は逆コースでの途中に寄ってみて下さい。

尚、境内は自由です。紀伊山地の霊場と参詣道の一部として一応、世界遺産です。一応・・・

●熊野速玉大社(くまのはやたまたいしゃ)
熊野那智大社、熊野本宮大社とともに熊野三山の一つでもある熊野速玉大社は、熊野速玉大神(イザナギ)と熊野夫須美大神(イザナミ)を主祭神として祀った神社です。境内は紀伊山地の霊場と参詣道として世界遺産にも登録されています。

<住所>
和歌山県新宮市新宮1

境内自由。
<アクセス>
JR新宮駅から徒歩15分程度です。バスでは権現前を下車。又、ここから熊野本宮大社へのバスも出ています。熊野速玉大社は新宮とも呼ばれ、旧宮である神倉神社は大社、又は新宮駅から徒歩15分程度です。行ったことはありませんが、御神体のゴトビキ岩までは538段の石段があるそうです。
庶民の間に熊野信仰(熊野詣)が広まったのは1090年の白河天皇による熊野行幸からと伝わります。中右記によると1110年の御幸には総人数814人で一日の食料16石2斗8升、米だと16280合分、単純に計算すれば、なんと一人一日20合のお米を食べていたことになります。御幸の道順は京都、住吉、和泉、紀伊半島を海岸沿いに南下して田辺、中辺路、本宮、往路コースを逆行して帰京されるまで、およそ20数日に及ぶ難行苦行の旅であったそうです。
熊野速玉大社の御神木、なぎの老樹は平重盛によるお手植とされます。古書によれば昔から家内安全和楽の信仰があり、熊野詣のしるしに小枝を手折って持ち帰ったことなどが記してあるそうです。なぎの実で奉製した「なぎ人形」は家内安全の御守りとして有名らしい。

●熊野本宮大社(くまのほんぐうたいしゃ)
熊野三山の一つでもある熊野本宮大社(くまのほんぐうたいしゃ)は、全国に散在する3000社以上もある熊野神社の総本宮で、熊野大権現として広く世に知られています。御主神には家都美御子大神(熊野坐大神、スサノオ)を祀り、残念ながら現在ある社殿は明治の洪水によって失い、後に再建されたものです。

<住所>
和歌山県田辺市本宮町本宮1100

境内自由。
<アクセス>
JR新宮駅から熊野交通バスで本宮大社前を下車、約90分1500円です。バスの運行は毎時1本程度。和歌山駅からは新宮駅まで特急列車でも約3時間かかります。南紀白浜温泉からも同程度の時間で、観光タクシーでは約半分の時間で済みますが、料金が列車の倍程度のかかります。マイカー、レンタカーは料金的には断然お徳ですが、走行距離もあり疲れます。熊野交通ではJR紀伊勝浦駅から熊野本宮大社→熊野速玉大社→熊野古道大門坂→那智の滝→熊野那智大社・青岸渡寺→JR紀伊勝浦駅と戻る定期観光バスもあります(予約不要、食事付き8500円)。要予約(3500円)ですが、熊野本宮大社を参拝後にJR新宮駅から熊野速玉大社→熊野古道大門坂→那智の滝→熊野那智大社・青岸渡寺→JR紀伊勝浦駅と移動する定期観光バスもあります。
長い階段(158段)の先に江戸後期に移築された上四社があります。また、境内は紀伊山地の霊場と参詣道として世界遺産にも登録されています。

平安時代の頃より盛んになった熊野詣。那智大社、速玉大社も熊野神社の総本社という位置づけですが当時、熊野三山の中心であったのがこの熊野本宮大社でした。後白河上皇は本宮だけでも新宮(熊野速玉大社)、那智を差し置いて34回と最も多く訪れています。
第一〜第四殿からなる上四社の手前にある神門。ここから先は撮影禁止。奥にある本殿は、一番左の結宮に第一殿(西御前)、第二殿(中御前)があり、中央の本宮に第三殿(證証殿)、一番右にあるのが若宮の第四殿(若宮)があります。第四殿の右に満山社もあり、こちらも参拝します。

参拝の順番は第三殿(中)→第二殿(左の右側)→第一殿(左の左側)→第4殿(右)→おまけ的な満山社(右の右側)とややこしい・・・
参拝順にそれぞれ第三殿は家都美御子大神、第二殿は速玉之男神、第一殿は熊野牟須美大神、事解之男神、第四殿は天照大神、満山社には八百万の神を祀っています。家都美御子大神はスサノオ(宮崎県のページとか参照)であるともされます。当時の神仏習合から家都美御子大神は阿弥陀如来とされ、以下参拝順に薬師如来→千手観音→十一面観音となります。尚、上四社はどれも江戸後期のものですが重要文化財にも指定されています(満山社は平成)。下四社、中四社の社殿は再建されず、徒歩で10分程度歩いた大斎原と呼ばれる場所に、かつての熊野本宮大社があり、2基の石祠が建てられています。

●和歌山城
和歌山城は徳川御三家の居城として55万5千石の偉容を誇っていた天下の名城です。残念ながら現在の天守閣は戦災によって焼失し鉄筋コンクリート造によって復元されたものとなっています。

<住所>
和歌山県和歌山市一番丁3

<営業時間>
9:00〜17:30 年末休み。天守閣のみ350円。
<アクセス>
JR和歌山駅から徒歩で約20分。又は南海電鉄の和歌山市駅から徒歩約10分。バスでは公園前を下車です。車の場合、駐車場は有料のみです。
紀伊攻めの戦功により豊臣秀長は兄である秀吉によって周辺の所領を与えられ和歌山城を築きます。しかし直ぐに秀長は郡山城に移封となり城代は桑山氏が務めます。秀吉の死後は関ヶ原の戦いで戦功をあげた浅野幸長が入城、江戸時代には徳川家康の子、頼宣が入城しています。写真の岡口門は、もとは浅野幸長によって大手門(表門)として創建されましたが、後に搦手門(裏門)として徳川頼宣によって改修されたものです。重要文化財に指定されており、北に接する土塀も当時のものだそうです。岡口門以外の遺構としては、石垣、堀、追廻門なども現存しています。
本丸(御殿跡)と、江戸時代には他に江戸城と名古屋城にしかなかった大奥のあった二の丸跡が現在の和歌山公園となっていて、県庁がある場所も当時の三の丸跡だそうです。

有料エリアにある写真の二の門櫓や乾櫓、天守などの建造物は復元とは思えないほど良い?汚れ具合です。
回廊からは和歌山市を一望できます。
天守閣の見学順路で最後にあるのが、非常用に設けられたトンネル状の隠し門、埋門です。広い和歌山公園には他にも護国神社や頼宣によって築造された名勝西の丸(紅葉渓)庭園とかもあり、のんびりとした時間を過ごすことが出来ますよ。

●円月島(えんげつとう)
幅35m、長さ130m(南北)、高さ25mの小さな島、円月島(高嶋)。中央には海食によって出来た大きな穴が開いているのが特徴で、南紀白浜を代表する景勝地です。すぐ近くには名湯、南紀白浜温泉や千畳敷、三段壁などの自然景勝地もあります。

<住所>
和歌山県西牟婁郡白浜町臨海
<アクセス>
JR白浜駅から明光バス町内循環線で約15分、臨海を下車です。温泉、円月島、三段壁、千畳敷と全て見てまわる場合、JR白浜駅でも購入できる1日フリー券1000円がお徳です。
温泉地と周辺の景勝地の位置関係です。わざわざ遠方から来て円月島だけ観光するという方は少ないかと思いますが、南紀白浜温泉に宿泊するなら是非とも見ておきたい景色ですね。

●千畳敷(せんじょうじき)
太平洋に突き出た広大なスロープ性砂岩です。このデコボコの岩畳は、第3紀層のやわらかい砂岩が打ち寄せる荒波に長い間浸食されてできたものです。

<住所>
和歌山県西牟婁郡白浜町千畳敷

<アクセス>
JR白浜駅から明光バス町内循環線で約20分、千畳口を下車です。温泉、円月島、三段壁、千畳敷と全て見てまわる場合、JR白浜駅でも購入できる1日フリー券1000円がお徳です。

●三段壁(さんだんぺき)
その昔、海上を運航する船を見張っていたこの崖は、岩頭に立ってみる壇から三段壁と呼ばれています。崖下には三段壁洞窟があり、平安時代の海賊、熊野水軍の隠し洞窟と伝わりエレベーターで降りることができます(有料)。

<住所>
和歌山県西牟婁郡白浜町三段
<アクセス>
JR白浜駅から明光バス町内循環線で約25分、終点の三段壁を下車です。温泉、円月島、三段壁、千畳敷と全て見てまわる場合、JR白浜駅でも購入できる1日フリー券1000円がお徳です。

写真は展望台の隣にある三段壁洞窟への入口となります。尚、三段壁は無料で見れますが、三段壁洞窟の見学には1200円かかります。
で、折角なのでと入ってみると、エレベーターで地底36mまでエレベーターガールの説明を受けながら降りていきます。おっ、洞窟だ!期待が膨らみますが・・・
ここは源平合戦で知られる熊野水軍が舟を隠していたとされる三段壁洞窟。平安時代末期、周辺の海上では大船が忽然と消えたり、燃えて海上から没していくのを見たと古い記録もあるそうで、熊野海賊(熊野水軍)の縄張りであったことは確かです。熊野水軍は有名な壇ノ浦の戦いでは源氏を勝利に導いたことでも知られています。
ここは瀬戸鉛山鉱山跡にもなっていて、鉛の採掘が行われていたそうです。特に鉄砲伝来以降、銃弾に用いる鉛の需要が増大し、周辺地域では数十ヶ所も開鉱されたそうです。

立派な洞窟のように見えますが、距離がすごく短く10分もあればじっくり見学することが可能です。高額設定の入場料には見合いません・・・
他にも熊野水軍の番所小屋を再現したものや、水の神様である弁天様もいらっしゃいます。。。

●橋杭岩(はしぐいいわ)
橋脚(橋の杭)を並べたような姿から橋杭岩と呼ばれ、今から約1500万年前は熊野層群と呼ばれる泥岩からできた海底の地層でした。それから約100万年後、周辺地域で火成活動がおこり地層の割れ目からマグマが噴出し板状の岩脈ができます。橋杭岩の岩脈は、まわりの泥岩より硬いため長い年月をかけて浸食により、橋の杭のように現在の美しい姿を残しました。

<住所>
和歌山県東牟婁郡串本町くじの川
<アクセス>
JR串本駅からバスで橋杭岩を下車、約10分です。駅からは徒歩でも20分程度です。無料駐車場あり。
朝日が美しいとしても有名な橋杭岩。残念ながら訪問時は早起きするも朝日に間に合わず・・・

伝説によればその昔、弘法大師(空海)が紀州行脚の際、この地に立ち寄り向かいの大島へ渡るため天邪鬼に手伝わして橋をかけ始めたが、天邪鬼がくたびれて鶏の鳴声をまねたので大師も夜が明けたと思って中止し、その橋杭だけが残ったといわれています。実はマグマが噴出してできた姿ではなかったのですね・・・