名湯、皆生温泉や三朝温泉を有し、鳥取砂丘や三仏寺などダイナミックな景勝地に史跡も多く存在します。街全体がゲゲゲの鬼太郎の世界観に包まれ、今では県を代表する定番の観光スポットとなった水木しげるロードも外せません。グルメでは松葉ガニに大山そば・大山おこわ、豆腐ちくわ、ばばちゃん鍋などの名物料理の他、ホルモン焼きそばや鳥取カレー、あごカツ、牛骨ラーメン・・・B級グルメも充実しています。
鳥取県の繁華街は駅から北側の大通りと、その左側にあるサンロード商店街となっています。一方、飲み屋さんが集まる歓楽街は、もう少し北側の弥生町周辺となっています。ただし、繁華街もスーパー以外は賑わっているわけでもなく、歓楽街も昔ながらのスナックが集まっている感じです。

<お土産>
定番の因幡の白うさぎ(いなばのしろうさぎ)に、グレードアップした白ウサギフィナンシェに、ふろしきまんじゅう、打吹公園だんごあたりの定番に砂の丘や妖菓目玉おやじなども喜ばれます。
こちらが地図の点線部分、サンロード商店街です。閑散としていますね。
駅前通り(県道25号)の写真です。この道を真っ直ぐ進むと久松山(きゅうしょうざん)があり、鳥取城の遺構が今も残っています。

●鳥取砂丘(とっとりさきゅう)
南北に約2km、東西16kmに広がる日本最大級の砂丘、鳥取砂丘は、鳥取県を代表する観光地です。サハラ砂漠を思わせるようなその地形は、中国山地の風化作用によって出来た砂が千代川によって運ばれ日本海に注ぎ、長い年月を経て、風や波によって再び内陸へと運ばれてきたものです。

<住所>
鳥取県鳥取市浜坂
<アクセス>
JR鳥取駅からバスで約20分(370円)、終点の鳥取砂丘を下車です。土・日・祝日運行のループ麒麟獅子バスも有。バスは砂丘センター展望台、砂の美術館前も停車しますが、砂丘に一番近い(人気スポットの馬の背)のが鳥取砂丘(砂丘会館)になります。
想像していたことですが、砂丘といっても広い砂浜海岸って感じです。そんでもって広い!といっても、見渡す限りの砂漠地帯とは程遠く・・・ 写真は鳥取砂丘の中でも一番人気の場所でもある馬の背と呼ばれる丘です。この丘、近付くにつれ、とてつもなく大きな丘であることを実感します。上りはいいですが、丘を下る時に靴に砂がギッシリ入り込みます(笑)
丘の上まで上ると、目の前に日本海が一面に広がり、見事な絶景が待っています。海沿いの高い丘なので、風が強い日には砂が舞って大変なのですが、砂一面にできる波模様の風紋は美しいらしい。訪問日は微風でした。
日が暮れると、それはそれで美しい姿を見せてくれます。なんちゃって風紋も綺麗でしょ?
海岸線を見渡すとこんな感じです。ところどころ緑もあって、サハラ砂漠のようにはいきませんが、まぁ砂漠と言っちゃ〜砂漠っぽい。鳥取砂丘の周辺には日本で唯一「砂」を素材にした彫刻作品を展示する砂の美術館や、鳥取砂丘の自然や生い立ちを学べる鳥取砂丘ジオパークセンター、観光用のラクダとか砂丘観光リフトなんかもあります。鳥取砂丘周辺で栽培される白ねぎ、らっきょう、長いもは特産品らしいです。以上、プチ鳥取砂丘情報でした。
鳥取砂丘は一年を通して見学することが出来ますが、冬はこのあたりでも雪が結構降りますし、晴天でも砂が湿ったようになっているんで、見に行くなら春以降がオススメです。梅雨時期から夏までは、運がよければ恐怖のアリ地獄も見られるそうですよ。

●白兎神社(はくとじんじゃ)
日本神話において葦原中国をつくったとされる大国主(おおくにぬし:オオナムヂ)と白うさぎの神話(因幡の白兎:いなばのしろうさぎ)で知られ、古事記にも記されている由緒ある神社。

<住所>
鳥取県鳥取市白兎603
<アクセス>
JR鳥取駅からバスで約40分(600円)、白兎神社前を下車です。運行本数は毎時1本程度です。
因幡の白兎(稲羽の素兎)は日本書紀には書かれていませんが、古事記では稻羽之素菟として登場してくる物語で、素兎とは元の姿に戻ったウサギ、あるいは裸のウサギという意味だそうです。古事記に書かれている稲羽という場所は、話の流れからここ因幡だとされ、県内には稲葉神社なるものも存在します。写真は白兎海岸で、物語の中でウサギが淤岐嶋から渡ってきた場所とされます。実際には淤岐嶋というのはどの島を指すのかは不明だそうで、そもそも神話の話なので実在する島なのかどうかは謎です。
因幡の白兎
(ここからは宮崎県・天岩戸神社と島根県・八重垣神社で紹介する日本神話の続きとなります)昔、一匹のウサギが淤岐嶋から対岸の気多岬(白兎海岸)に渡ろうとしましたが、良い方法が見つからず、海のワニをだまして上陸しようとしました。ここで登場するワニは勿論、海(もしくは日本)にはいませんので、サメだとする説もあります。ウサギの考えた方法とは、私たちのウサギの仲間と、あなたたちワニの数がどちらが多いか数えようというものでした。そして、私がその上を踏んで数えて渡ろうというものでした。
すっかり騙されたワニですが、数を数えるふりをしながらウサギが海を渡りきると、その嬉しさのあまりか、ワニに騙したことを告げてしまいます。すると、怒ったワニはウサギの皮をむいて赤裸にしてしまったそうです。そこに八上姫(ヤガミヒメ:スセリビメ:八上比売)に求婚するために通りかかった八十神(大国主の兄神)たちが、苦しんでいたウサギに「海の塩を浴びて、風に当ればよいと教えられますが、その通りにすると前よりも痛みが増してしまいます。
そこへ同じく求婚の為に遅れてやってきた大国主(オオクニヌシ:大国主命:オオナムヂ:大穴牟遅神)が、水門の真水で身を洗い、ガマの花粉を体に付ければよいと教え、その通りにするとウサギの体には毛が生え始めて元の体に戻ったそうです。
神話の世界では後にオオナムヂがオオクニヌシに改名し、この大国主が現在の私たちの日本(葦原中国)を作りあげたとされます。興味があれば、日本神話全体の流れは宮崎県のページを参考してください。

写真は大国主と八上姫の恋物語の砂像。結果的に白兎への優しさから八上姫は大国主との縁を結んだと言われ、当神社は白兔神を祭神とし、このウサギさんが縁結びの神様としても知られています。他、ウサギが赤裸にされたせいか、皮膚の病気にもご利益があるそうです・・・
ウサギ像がたくさん並んでいる参道です。海沿いの高台なので風がとっても気持ちいいです。
トップの写真が拝殿で、その後ろに本殿が建っています。尚、明治時代頃の再建らしいです。
本殿の土台には理由は分かりませんが、28の菊の紋章が彫刻された菊座石があります。このことから白兎神社は皇室の何らかの関わりがあるのではとされています。

●鳥取城跡(とっとりじょうせき)
信長の家臣、羽柴秀吉(豊臣秀吉)と毛利氏の家臣、吉川経家との戦いの舞台となった鳥取城。秀吉による鳥取の飢え殺し(渇え殺し)と称される残酷な兵糧攻めは有名。現在は遺構として石垣や堀の一部が残るだけですが、天守跡(山上の丸)となる山頂からの景色は絶景です。

<住所>
鳥取県鳥取市東町
<アクセス>
JR鳥取駅からバスで約7分、西町を下車し徒歩約3分です。くる梨100円バスでは仁風閣・県立博物館を、土日祝のみ運行のループ麒麟獅子バスでは鳥取城跡を下車です。尚、駅から徒歩だと約30分です。
中途半端な感じで堀も残っていました。吉川経家の前に城主であったのが山名豊国。山名豊国は第一次鳥取城攻めで降伏し毛利方から信長方へ臣従します。その後、毛利元就の子である吉川元春によって再び攻められ、降伏し毛利氏に臣従しています。山名豊国は、第二次鳥取城攻めの時には単身(信長方への内通の疑いで追放)で秀吉に降伏して信長方へ臣従し逆に鳥取城を攻める側にまわっています。
第二次鳥取城攻めでは、残酷とも言える兵糧攻めが行われました。兵糧は尽き、飢餓のため城内の兵士は死人の肉を奪い合って食べたという記録も・・・ 降伏後に兵士は配給された食糧を急いで食べ、大半がそれが原因(胃痙攣)で死んでしまったそうです。尚、城主の吉川経家は落城の責任を取って自害。

写真は菱櫓跡。石垣の多くは当時のものではなく江戸時代のものとなっているそうです。
菱櫓跡からの眺め。いまいちです・・・
こちらは三階櫓跡。天守櫓が焼失した後は、ここにあった櫓が鳥取城を象徴するものとなっていたそうですが、明治12年に解体撤去されてしまったそうです。
天守櫓跡を目指してさらなる上を目指します。
下調べもしなかったので、ちょっと山を上ったところに天守櫓跡があると思っていたんですが、なんか登山道っぽい気配。そして下りて来る人から「こんにちは〜」の登山を思わせるような挨拶が次々と・・・ しばらくして、一合目の標識を発見。熊出没注意とか、嫌な予感です。
たまらず、『すいません、上まで結構ありますか?』と下りて来る人に質問してみると、『いえ、それ程ないですよ25分くらいです。』

え?25分!確かに登山であれば25分とは短いのですが、心構えがありませんでしたし・・・ ちなみに10合目まであるらしい。写真は山頂付近の石垣。このあたりの石垣はだいぶ古そうです。
後半になるにつれ勾配もきつくなり、確かに25分くらいで山頂に到着。登山ですね完全に。ここには天守櫓の他、著見櫓、多聞櫓、それをつなぐ走櫓などの建物があったそうです。
本丸跡には鳥取藩の初代藩主でもあった池田長吉の改築の時に掘ったとされる車井戸なるものがありました。
向かいにある標高252mの本陣山。秀吉が兵糧攻めの際に本陣を構えた山です。本陣部分は太閤ヶ平とも呼ばれ、巨大な土塁や空堀などの陣跡が当時のまま残されているそうです。見に行きたいけど当然、こちらも登山なんでしょうねぇ・・・
天守櫓跡です。天守は落雷で焼失したらしいです。ここから見る景色は、登るだけの価値はあると思えるほど素晴らしいです。
鳥取市街を一望することが出来ます。5合目あたりも展望台があり、随分と見晴らしがいいのですが、右手に日本海が見える分、山頂は格別です!
右手には日本海が、鳥取砂丘も見えます。そして、その鳥取砂丘のしょぼさも実感してしまいますが・・・

●水木(みずき)しげるロード
ゲゲゲの鬼太郎で知られる漫画家、水木しげるのふるさとである境港市。境港駅から水木しげる記念館のあるアーケード商店街まで続く道は、水木しげるロードと呼ばれ、ゲゲゲの鬼太郎のキャラクターの他、様々な妖怪たちの銅像が数多く設置されています。両脇に建ち並ぶ商店も鬼太郎ワールド一色で、今では鳥取県を代表する観光スポットです。

<住所>
鳥取県境港市本町5(水木しげる記念館)
<アクセス>
JR鳥取駅からは特急利用で約2時間(3120円〜)、在来線のみでは約3時間(1940円)です。JR米子駅からはJR堺線に乗り換え終点の境港(さかいみなと)駅まで約45分320円。島根県のJR松江駅からアクセスする場合、直行シャトルバスの他、米子駅経由で約2時間840円で境港駅。バスで米子空港(990円)→JR堺線(190円)に乗り換え境港駅まで約1時間となっています。
米子空港からも近いので、飛行機でアクセスした場合、鳥取県観光(あるいは島根県観光)の最初に訪れるのがよさそうですね。米子空港からはJR堺線で約15分、190円です。
マップの青ライン部分が水木しげるロードになります。境港駅前から本町アーケードまで約800m(徒歩約15分)あるらしいです。
早速、公園に妖怪たちがたくさんいます。
歩道沿いにも妖怪がたくさんいます。このブロンズ像は水木しげるロードの一番の見所でしょうね。さすがに数ある像の中でも目玉おやじとかは当然人気があります。目玉おやじとは、漫画ゲゲゲの鬼太郎の主人公である鬼太郎の父親です。えっ、知らない?そんな方には厳しい観光地です・・・
写真を貼ってもキリがないんですけど、ぬりかべです。得意技は倒れこみです・・・
大きな像もあります。鬼太郎の他にも、ねずみ男の大きい像とかもありましたよ。
妖怪神社にあった目玉。くるくる回ります。一応これが手水舎なんだそうです。祭神は謎です。
妖怪像だけではありません。お店の看板もユニークです。
こんなのとか。
食べ歩きも楽しいです。
正直、子供連れでないと楽しくないかも・・・
タクシー会社も町おこしに協力してます。
ここに来る前は、そんなに人気の観光地だとは思わず、この活況ぶりに驚きました。
駅から歩いてくると水木しげる記念館あたりが水木しげるロードの終点です。水木しげる記念館は有料(700円)で館内は撮影禁止です。
妖怪もいます。たぶん本物です。

●燕趙園(えんちょうえん)
鳥取県と中国河北省との友好提携5周年を記念して建設された日本最大の中国庭園、燕趙園。建設に当っては、河北省石家荘市建築設計院により設計され、資材は全て中国産のものを使用し、施工は中国技術者の指導のもとで行われました。

<住所>
鳥取県東伯郡湯梨浜町引地565−1
<開園時間>
9:00〜17:00 500円。冬季の第4火曜日は休園。

<アクセス>
JR山陰本線の松崎駅から徒歩約10分です。鳥取駅からは約1時間580円です。
こちら入口です。外側には無料公開ゾーンもあります。トップの写真が園内の全体像ですが、外壁の大きさから(あまりにも塀が長かったんで)、思ったより狭く感じます。
燕趙園で見られる黄色の瑠璃瓦は、皇帝だけに使用が許されたという瓦です。瓦は単に建築材料としてだけではなく、呪術的な意味合いもあり、聖獣や言葉が刻まれているのは、こうした理由からなんだそうです。
なんか中国っぽい。
こんなことして遊んでみたり。
急斜面の橋を渡ったり。
滝もあります。この滝の上にも登れますし、滝の下の岩山もミニ洞窟みたいになってて楽しいです。
建物の梁に施されている2000を越える彩画は、全て中国人彩画師による手描きで、花鳥風月から三国志、西遊記などの物語もの、古くからの中国の暮らしなどが描かれています。
こちらでは、中国雑技ショーを毎日3回公演しています。訪問時はラッキーにも、中国では第1級国家秘密とされる、踊りながら瞬時にお面を変える伝統芸能、変臉(変面)を公演していました。

●白壁土蔵群
倉吉を代表する観光スポットの白壁土蔵群。玉川沿いに建ち並ぶ白壁の土蔵は、国の重要伝統的建造物群保存地区にも選定され、美しい赤褐色の屋根瓦(赤瓦)が特徴です。

<住所>
鳥取県倉吉市新町1(赤瓦1号館)
<アクセス>
JR倉吉駅からバスで約15分、赤瓦・白壁土蔵を下車し徒歩2〜3分です。鳥取駅からは約1時間670円です。
母屋の土蔵の屋根には石州瓦(赤瓦)と呼ばれる美しい瓦が葺かれています。
現在残る町屋は明治時代から昭和前期に建てられたものが中心なんだそうですよ。江戸時代の頃には鳥取藩家老の荒尾氏が治める陣屋町となりますが、木綿と稲扱千歯(稲扱千刃:脱穀の農具)等の特産を扱う商業活動が活発に行われ、明治・大正時代まで大いに発展したそうです。
写真は土蔵群のある玉川と平行に走る本町通りで、かつてはこの通りが商業の中心となり、今では当時の裏通りが人気の観光スポットになってしまっていると、地元のおばあちゃんが嘆いていました。