江戸時代の頃には一生に一度はお伊勢参りと願うほど庶民の夢でもあった伊勢神宮は、全国の神社の頂点に位置するキング・オブ・ザ神社!でもあり毎年多くの人が訪れます。他にも子供から大人まで楽しめる鳥羽水族館や忍者の里として知られる伊賀、リアス式海岸の景色が美しい志摩に絶景!御在所岳と見所が豊富です。

<お土産>
名物、伊勢うどんも有名ですが、三重県の土産物と言えばダントツで人気の赤福でしょう。嬉しいことに三重県なら何処でも販売しています。
三重の県下一の繁華街と言えば写真の近鉄四日市(よっかいち)駅周辺、諏訪栄町(すわさかえまち)一帯になります。JR四日市駅も近くにありますが、当駅から2km程度離れています。
円で囲った地域が諏訪栄町で、繁華街は一番街商店街を中心としたアーケード商店街で、歓楽街は諏訪公園近くの二番街あたりとなります。
繁華街の中心とも言えるアーケード商店街です。昼夜どちらも微妙な賑わいですが、そこそこ人が歩いていました。
こちらはJR四日市。駅舎も役所っぽく駅前には特に何もありません。ここから近鉄四日市まで歩いていく人が多いようです。時間にして歩いて約15分くらいでしょうか。

●伊勢神宮
お伊勢さんや伊勢神宮などの名称で親しまれている神宮は、全国にある神社の頂点として立ち、神社本庁の本宗でもあります(靖国神社や日光東照宮等、神社本庁に属さない神社もあります)。又、内宮(ないくう)、外宮(げくう)を中心に、神宮が管理する宮社は125にも及びます。

<住所>
内宮:三重県伊勢市宇治館町1
外宮:三重県伊勢市豊川町279
正式な参拝ルートは外宮→内宮の順で、お互いに距離が4km程度離れているので注意です。電車では名古屋駅からは約1時間30分、京都駅、大阪駅からは約2時間程度です。
外宮へはJR、近鉄の伊勢市駅から徒歩5分程度。そこから内宮まではバスで約15分、運賃は420円です。時間に余裕がない方は、外宮に向かわず、内宮だけで参拝を済ませる方も多いようです。
日本神話
奈良時代になると712年に日本最古の歴史書である古事記が、720年には日本書紀が完成します。日本には古くから神社を中心とした多神教の宗教である神道(しんとう)が存在します。ちなみに寺院は仏教の施設です。神道はこれらの歴史書を神典とし、最初に登場する神は古事記では天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)、日本書紀では国常立尊(くにのとこたちのみこと)となっています。

え〜、両書によりますとキリスト教のように神様が天地を作ったのではなく、先ずは宇宙が形成された後に神様が現れたんだそうです(天地開闢:てんちかいびゃく)。古事記では初め、天と地がどのように分かれていったのかは記述していませんが、日本書紀によりますと明るく清いものが天へ、重たく濁ったものが地へとなったそうです。う〜ん、なんか単純。んでもって、この天地開闢で様々な神様が誕生し性別をもった神様も登場してきます。それが日本各地の誕生(国生み)を命じられたイザナギ(男神)と、イザナミ(女神)。さらに2人は多くの神様を生むわけなんですが(神生み)、古事記によればイザナミは火の神、カグツチを生んだ時に陰部を焼かれて死んでしまいます。怒ったイザナギはカグツチを殺してしまい、その清めとして左目を洗った時にアマテラスが、同時に右目からはツクヨミが、鼻からはスサノオが生まれます。

なんのこっちゃ!と言わずにもう少し話を続けますと、このアマテラス(天照大御神、天照大神:あまてらすおおみかみ)、日本書紀ではイザナミは死なずにイザナギと共にアマテラスを生んでいます。まぁ、なんにせよこのアマテラスが高天原(日本各地)を治めるよう命じられ、日本神話ではこの子孫が現在の天皇となるわけです。話だけ聞けば、なんとも馬鹿げた作り話と思うかもしれませんが、昔の人々は動植物や天候、山や川などの自然現象に対し現代人と同じく神秘的な何かを感じ取ったのでしょう。

日本神話の概要は宮崎県・天岩戸神社のページ参照して下さい。さらに、その続きの話になりますが、ニニギが降臨した際にアマテラスから鏡・玉・剣の三種の神器(八咫鏡・八尺瓊勾玉・草薙剣)を授かります。このうちの八咫鏡(八尺鏡:やたのかがみ:やたかがみ)はアマテラスが自身の御神体として祀るように命を下され、後にこの神鏡を鎮座させる地を探し求めて皇大神宮(内宮)に辿り着いたとされます。
車や観光バスで向かう参拝者が多いせいか、JR伊勢市駅から外宮へと向かう道はひっそりしています。ちなみに、近鉄宇治山田駅も最寄駅となっていて、伊勢市駅よりは活気がある街で参拝者も多く集まっているようでした。
外宮外宮と呼ばれる豊受大神宮(とようけだいじんぐう)は食物、穀物を司る神、豊受大御神(とようけのおおみかみ)を祀ります。
内宮内宮と呼ばれる皇大神宮(こうたいじんぐう)は太陽を神格化した天照大御神(あまてらすおおみかみ)を祀ります。
伊勢神宮にお参りしたら是非とも寄っていきたいのが内宮前にある、おかげ横丁です。土産物屋さんも豊富で賑わいある横丁です。
おかげ横丁のなかでも人気なのが、なんといっても赤福本店です。赤福は伊勢名物としても有名ですが、三重県だけではなく名古屋駅とかにも売っています。でも何故か本店が驚くほど人気。どこで買っても同じだと思うのですが、私もちゃっかり本店で購入。。。
干物屋も多いのですが、どのお店も豪快な試食が出来ます。試食用の秋刀魚やキス、イワシなどを次から次へと焼いていますが追いついていません。写真は人気のお店、ひもの塾です。
そして忘れてはいけないのが、これまた名物でもある伊勢うどん。写真にあるように見た目は物凄くシンプル。んが、しか〜し!これが旨いのなんの。是非とも食べて帰りましょうね。

●御在所岳(ございしょだけ)
春夏秋冬とそれぞれに美しい景色を映しだす御在所岳。山頂へと向かう御在所ロープウェイからの景色はまさに絶景です。関西の奥座敷とも呼ばれた麓にある湯の山温泉では、日帰り入浴可の旅館等も多く、宿泊しなくとも楽しめる温泉地です。

<住所>
三重県三重郡菰野町菰野
湯の山温泉駅の1つ手前の無人駅、大羽根園駅近くには地元では有名な自然薯を使ったとろろ料理店、茶茶があります。美味しい料理に古い歴史のある温泉、雄大な景色と三拍子揃った素敵な土地ですなぁ。
<アクセス>
近鉄四日市駅→約30分→近鉄湯の山温泉駅(終点)よりバス又はタクシーで10分程度。電車は20分に1本(近鉄四日市駅から約30分)程度ありますが、駅からのバスは1時間に1本程度なので注意です。
御在所ロープウェイ乗り場の手前には、湯の山温泉があります。スーパー銭湯のような施設が好きな方は湯の山温泉駅近くにある加温、加水、循環もしていない源泉掛け流しの片山温泉を、のどかな雰囲気の温泉が好きな方はロープウェイ乗り場近くのホテル湯の本(日帰り入浴は600円)が個人的にお薦めです。
御在所岳の見せ場は高低差のあるロープウェイからの眺めですが、山頂から見る景色も美しいですよ。
冬には一面が白銀の世界となり、御在所岳は美しい樹氷が観られることでも知られ、この時期多くのカメラファンも訪れます。

●鳥羽水族館(とばすいぞくかん)
鳥羽水族館は全国最多入館者数という記録も持っている素晴らしい水族館で、海水魚や淡水魚、イルカにペンギン、ラッコなど1日いても飽きない水族館です。

<住所>
三重県鳥羽市鳥羽3-3-6

<営業時間>
9:00〜16:30(季節変動あり) 2400円。
<アクセス>
JR鳥羽駅、近鉄鳥羽駅から徒歩約10分です。近鉄四日市駅からは約2時間、1200円。伊勢市駅からは電車で約20分です。

以前にも一度だけ来たことがあった鳥羽水族館。そのときの感動が忘れられなかったのですが、二度目も感動する素晴らしさでした。全長約240m、通路全長約1.5kmという巨大な水族館は見飽きませんよ。
さすが日本最大級の水族館と言われるだけあって色んな生き物がいたりします。これは、え〜っとなんだっけ?
草をモグモグと食べている可愛らしいマナティー。ジュゴンだったかな?どっちだか忘れました。。。
なんか、本物の自然の中にいるような感じで癒されます。

●ミキモト真珠島
養殖の真珠発祥の地でもあるミキモト真珠島。真珠の工芸品や、海女の実演も見れます。鳥羽水族館の近くにあるのでセットでの観光をお薦めします。

<住所>
三重県鳥羽市鳥羽1-7-1

<営業時間>
8:30〜17:00(季節変動あり)、1500円。

<アクセス>
JR鳥羽駅、近鉄鳥羽駅から海岸沿いに歩いていくと、鳥羽水族館の手前にあります。

●花の窟神社(はなのいわやじんじゃ)
日本書紀によれば皇室の祖先とされる女神、アマテラス(天照大神)の母神であるイザナミ(伊弉冉尊)は、火の神・カグツチ(軻遇突智神)を産んだとき、火傷を負って死に、この地に葬られました(諸説あり)。尊の魂を祀るため、土地の人々は花が咲く季節に花を飾り、のぼりや幡旗を立て、笛太鼓を鳴らし、歌い踊って祭を行うとされていることから花の窟という名前が付いたそうです。尚、この花の窟には社殿はなく、高さ約45mの巨巌そのものを御神体としています。
<住所>
三重県熊野市有馬町130

<アクセス>
JR熊野市駅から三重交通バスで花の窟を下車、約5分、190円です。バスは毎時1本程度なので注意です。無料駐車場有。境内自由。
『いざなみのみこと、火神(ひのかみ)を生むときに、灼(や)かれて神(かむ)退去(さ)りましぬ、故(かれ)、紀伊国(きのくに)の熊野の有馬村に葬(はぶ)りまつる。土俗(くにひと)、此の神の魂(みたま)を祭るには、花の時には亦(また)花を以(も)て祭る、又鼓吹幡旗(つづみふえはた)を用(も)て、歌ひ舞ひて祭る。』

日本書紀神代の巻一書より
詳しくは伊勢神宮や宮崎県のページを参照してください。
日本書紀に記されていることが今に引き継がれて、毎年2月2日と10月2日には、お綱かけ神事が行われます。お綱かけは、わら縄で編んだ110尋(約180m)の大綱(7本の縄:7つの自然神)に季節の花、扇を括り付け、白装束姿の7人が巌の上から引き延ばして松の大樹の梢に引き渡し、境内南隅の松の根元に結び(左回りで7回半、残りを右回りで固定)つけるそうです。
熊野三山の中心である本宮大社は、主神がイザナミの子の家津御子神(ケツミコ:家都美御子神)であるため、今も花を飾って祭が始まります。このことからもわかるように花の窟は熊野三山の根源ともされ、我が国の古代信仰の重要な意味を持った場所なのです。

写真は三重、和歌山、奈良にまたがる熊野古道の一部、波田須の道〜大吹峠で、近在の熊野古道の中でももっとも古風で約80mにわたり鎌倉時代の石敷道がそのまま残っています。

●鬼ヶ城
鬼ヶ城は海風蝕と数回の大地震で隆起した凝灰石の大岩壁。東口から西口の弁天神社まで約1kmの間に大小無数の洞窟が階段状に並んだ奇岩奇勝で知られる名勝です。その昔、桓武天皇(737〜806)の頃、この地に隠れて熊野の海を荒らし廻り、鬼と恐れられた海賊多娥丸(たがまる)を天皇の命を受けた坂上田村麻呂(751〜811)が征伐し、その伝説に基づいて鬼の岩屋と呼ばれ後に鬼ヶ城と言われるようになりました。
<住所>
三重県熊野市木本町

<アクセス>
JR熊野市駅から大又大久保行きで鬼ヶ城東口を下車、約5分、170円です。バス停からは約15分程度です。尚、バスは1日数本程度しかありません。大泊駅からも似たようなもんです・・・
長い時間の海風とともに削られてできた千畳敷は見所の一つでもあります。
岩盤がもろくなっているとかで、訪れた日は写真の先の方までは行くことができませんでした。かなり奥まで続いているようですよ。

●津城跡(つじょうせき)
別名、安濃津城とも呼ばれる津城は、1580年に織田信長の弟、信包(のぶかね)によって築かれ、五層の天守閣を持つ城でした。その後、富田氏を経て1608年に入府した藤堂高虎により内堀、外堀の整備に加え石垣を高くするなどの大改修を行いました。明治に廃城となり建造物は破却され、現在ではお城公園として昭和になってから丑寅櫓が復元されただけとなっています。
<住所>
三重県津市丸之内27

<アクセス>
近鉄名古屋線の津新町駅を下車し徒歩約15分です。近鉄四日市駅からは約30分、JR四日市駅(乗換え有)、又は名古屋駅からは70分程度かかります。
内堀も石垣も一部ですが立派に残されていました。
藩主であった藤堂高虎は、藩士やその子弟を教育するための藩校として有造館を創設し、その講堂の正門が写真の入徳門で何度も場所を変えながらこの場所に落ち着いたそうです。尚、老朽激しく、昭和になってから保存修理工事(解体復原)されています。
入徳門の奥に日本庭園があります。庭園といい、門といい、かなり存在が浮いてます・・・ かつてはここに番所や倉庫があったそうです。
復元された天守閣があると勝手に思い込んで、わざわざ電車を使って来てしまったのですが、そこにある建造物は唯一昭和になってから復元された丑寅櫓(うしとらやぐら)だけでした・・・ 当時は5つも櫓があったそうで、全て多聞櫓でつながっていたそうです。
藤堂高虎(とうどうたかとら)
15歳で浅井氏に仕え、姉川合戦で初陣を飾り、21歳には豊臣秀吉に300百石で召し抱えられ、1585年には1万石の大名となりました。その後、豊臣秀吉の下で7万石、関ヶ原の戦いでは家康方の東軍として貢献し20万石、1608年には32万余石の大大名となりました。築城の第一人者としても名高く、自身の居城として築城した板島城(宇和島城)、今治城や津城、伊賀上野城の修築、城下町形成はもちろんのこと、幕府の命で修築を行った聚楽第、膳所城、伏見城、江戸城、篠山城、丹波亀山城、大阪城、二条城と数多く手がけています。
戦国の世を連戦連勝負け知らずで過ごし、75年にわたる輝かしい生涯を終えた藤堂高虎。津藩の藩主で、現在の津の礎を築いた人物でもあり、近くにある高山神社では主祭神として藤堂高虎を祀っています。

●関宿(せきじゅく)
東海道47番目の宿場町である関宿は、古くから交通の要衝であり、東の追分から西の追分まで約1.8kmもの間には江戸時代から明治時代にかけて建てられた古い町家200軒あまりが現存し、国の重要伝統的建造物群保存地区にもなっています。

<住所>
三重県亀山市関町木崎〜中町〜新所
<アクセス>
JR関駅から徒歩5分程度です。JR四日市からは約40分です。尚、亀山駅から乗換えとなりますが、本数が毎時1本程度なので注意です。近鉄四日市駅(乗換え有)、又は名古屋駅からは約70分かかります。
東の追分からは伊勢別街道、西の追分からは大和街道が分岐し江戸時代は大変賑わいのある宿場町だったらしいです。
東の追分の端っこあたりです。とってもいい雰囲気の宿場町です。
永禄年代に関氏の菩提寺として建立された瑞光寺は、1580年に徳川家康の知友ともされる豊屋永隆によって再興されました。
家康が上洛の途中で同寺に泊まった際、賞味した柿の種から発芽したとされる老木が写真の権現柿と言われています。
職人の技が光る鯉の滝昇りの漆喰彫刻。よく見えませんね・・・ 見つけられませんでしたが、他にも亀とか鶴とか龍、虎などの漆喰彫刻もあるそうですよ。
両替商を営んでいた橋爪家の屋根は、丸みのある変わったもので、起(むく)り屋根と呼ばれるもの。
馬をつなぐための環金具(わかなぐ)。これまた見つけられませんでしたが、土台などの低い位置にあるものは牛用らしいです。
旅籠玉屋の美しい格子。宝珠窓と呼ぶそうです。
卯建(うだつ)のように見えるものは、庵看板(いおりかんばん)と呼ばれるもので、瓦屋根の付いた看板なんだそうです。旅人が向かう方向を間違えないように、看板の文字は京都側が漢字、江戸側はひらがなという工夫がされています。
立派な山門が見え、脇道に入ります。
山門の奥には織田信長の三男、信孝の菩提寺として1583年に創建された福蔵寺がありました。阿弥陀如来をご本尊として祀っています。
孝子の仇討ちで有名な?関の小万は、女の身で父の仇討ちをした仇討烈女として知られているそうです。その小万の墓碑がありました。
途中に百六里庭・眺関亭という無料の展望所みたいなとこがあり、そこから西の追分方向を撮影。
地蔵院のあるこのあたりは賑わっていました。
741年に聖武天皇の勅願によって行基により建てられたという国の重要文化財にも指定されている地蔵院。本堂の地蔵菩薩は我が国最古の地蔵菩薩と言われているそうです。なんかお祭りみたいなものをしていて、見落としてしまいましたけど、本堂の横には同じく重文の愛染堂があったらしいです・・・
地蔵院本堂の立派な彫刻。なんの古事に由来した彫刻かは不明・・
おびんずるさんもいるよ。特に説明書きはないものの、すりすり撫でてみました。
この鐘楼も重要文化財らしいです。
神の使いともされる鹿が野放しになってました。
ここから西の追分に進みます。人影はさらに無くなりますが、絵的にはここら辺のほうが雰囲気があって良かったです。
大黒さん?でしょうか、ここでも瓦職人の技が光ります。