活火山によって今も噴煙を上げ続ける桜島は鹿児島県の定番の観光スポット。鹿児島市内と桜島を見渡せる城山展望台の周辺には、西郷洞窟や西南戦争の激しい銃弾痕が残る私学校跡など西郷さん関連の観光名所が多く見所満載です。又、鹿児島県は大久保利通や島津氏ゆかりの土地でもあり、それらの歴史探訪もお薦めです。薩摩揚げや黒豚も美味しいですよ。

<お土産>
黒豚が有名ですが、お土産となると定番はやっぱり、さつま揚げでしょう。
上にある写真は鹿児島中央駅で、隣駅でもある鹿児島駅よりも大きな駅であり、九州新幹線の発着駅となっています。鹿児島空港からはバスがこの鹿児島中央駅や鹿児島一の繁華街のある天文館(てんもんかん)まで10分間隔(鹿児島中央駅までは10〜20分間隔)で走っています。40~50分、料金は1250円です。
県下一の繁華街、歓楽街は鹿児島中央駅から少し離れた天文館周辺になります。駅からの移動や、桜島へ向かう場合には路面電車が便利で料金は市内均一170円です。アーケード街にある氷白熊の本家、天文館むじゃきのカキ氷は大人気!他にも鹿児島名物の美味しい黒豚を食べられるお店も多いですよ。路面電車の走る道路を城山側に渡った一角に黒豚横丁といった場所があり、黒豚料理の店が密集しています。その角にある老舗のとんかつ十兵衛は値段も手頃で個人的にお薦め。人気店では鹿児島中央駅前の商店街にある、とんかつ川久が混んでいますが最高に美味しい黒豚を食べられますよ。
市内を散策すると、訪れる日によってはあることに気が付きます。道路を走る車や市電が、ものすご〜く汚いんです。これは桜島の火山灰が降ってくる影響です。歩道にも灰が積もり、バイクや自転車を利用する人は滑りやすいので注意が必要です。
江戸時代、薩摩藩の明時館という天文学を研究する施設がこの地にあったことが天文館の名前の由来だそうです。天文館は他の地方都市と同じようにアーケード街を中心に若者が多く集まります。

ここから桜島までは路面電車で水族館口を下車し徒歩5分程度の場所にフェリー乗り場があります。バスを利用する場合は水族館前を下車。目の前がフェリー乗り場です。ちなみに鹿児島駅からは徒歩7分程度です。
路面電車の乗り方は後方から乗車して下車時に運賃箱に170円を入れます。市内はおよそ6分間隔で走っていますので便利ですよ。

●桜島
鹿児島県を代表する観光地と言えばやっぱり桜島ですね。桜島は過去に何度も大噴火をしており、今現在も活発に活動しています。そのために噴煙によって灰が鹿児島市内にも運ばれてきます。何処までも続く溶岩地帯の風景は見応えがあり、サイクリングやジョギングにも最適です。

<住所>
鹿児島県鹿児島市
<アクセス>
路面電車で水族館口を下車し徒歩約5分でフェリー乗り場へ。バスでは水族館前を下車、目の前がフェリー乗り場です。又、JR鹿児島駅からは徒歩10分程度。桜島フェリーは24時間運航し、日中は約10分間隔で発着します。所要時間は15分程度です。料金は160円で、自動車やバイクも運べます。参考までに自転車110円、原付220円、自動二輪330円(750cc以上は440円)、乗用車1500円程度(全長により変動)です。
写真は鹿児島本港の桜島フェリーターミナルです。ここから桜島へと向かいます。隣には、かごしま水族館(大人1500円)もあります。ちなみに、フェリー乗り場には食堂が1軒しかありません。他、船内でもそば・うどんを食べることが出来ます。
せっかく桜島に渡ったら、そのまま引き返すのではなく周辺を少し観光してみましょう。天気が良い日は右斜め前に桜島レンタカーがあり、自転車のレンタルもしてくれますのでお薦めです。自転車のレンタルは1時間300円で、手軽なコースとしては、フェリー乗り場から見て右側に進んで烏島展望所や西郷岩で折り返します。道路右側にある溶岩なぎさ遊歩道を通るのもいい眺めです。片道は3km程度で、往きは緩やかな上り坂となっています。お店に散策マップもありますよ。体力がある方は桜島1周4時間以上のコースもお薦め?逆に体力がない方や高齢者にはフェリー乗り場に数台のタクシーが待機していますので安心です。
烏島展望所です。自転車でサイクリングするのであれば、ここを目的地に決めて走るのもいいでしょう。1時間1本程度ですが、サクラジマアイランドビューという周遊バス(桜島港発)も、ここ烏島展望所(120円)や赤水展望広場(140円)、湯之平展望所(310円)などに停車します(尚、停車時間長いです・・)。ゴツゴツした溶岩と桜島の風景は、写真撮影にも絶好の場所です。ちなみに、車が走る道路と海沿いの溶岩なぎさ遊歩道はこの辺りで合流します。
こちらは溶岩なぎさ遊歩道です。こちらはより海に近い道なので違った景色が楽しめます。往きは上り坂ですが、かなり緩やかな道です。
烏島展望所の少し先にある西郷岩。どう見ても西郷さんには見えません・・・
桜島には他にもフェリー乗り場近くに足湯や温泉、この位置からは逆方向ですが桜島自然恐竜公園があります。又、少し上り坂が急ですが湯之平展望所は鹿児島市内を見渡せ最高のロケーションですよ。

●城山展望台(しろやまてんぼうだい)
鹿児島市街と錦江湾(きんこうわん)とが一体となった桜島の風景もまた素晴らしいものです。城山展望台の近くには西南戦争で西郷隆盛が最後の5日間を過ごした西郷洞窟や、その先には鶴丸城跡、私学校跡、西南戦争の銃弾跡、西郷隆盛銅像と、どれも比較的近い場所にあります。

<住所>
鹿児島県鹿児島市城山町
<アクセス>
鹿児島中央駅や天文館、桜島フェリー乗り場近くの、かごしま水族館前などを巡回するカゴシマシティビューというレトロなバスがお薦めで、30〜35分間隔で運行しています。城山下車で徒歩5分程度、運賃は190円。他にもこのバスは西郷銅像前や西郷洞窟前などの主要な観光場所に停車します。一日乗車券600円(車内で購入可能)もお得です。尚、赤色と青色のバスがあり、城山まで行くのは赤色のバスなので注意が必要です。
ここ城山は、もともとは南北朝時代の上山氏の山城跡であり、明治の西南戦争では最後の激戦地となった場所でもあります。

夜景も美しいので、デートスポットとしても人気のある場所です。又、桜島の撮影スポットとしても有名ですが、展望台から東に位置する桜島は逆光によって上手く撮影出来ない場合も多いので、遅めの時間帯に訪れるのがお薦めですよ。
体力に自信があれば天文館辺りから徒歩での移動も可能です。コース的には、天文館から徒歩で西郷隆盛銅像→照国神社→城山自然遊歩道(約2km)→城山展望台→西郷洞窟(ひたすら坂を下ります。カーブが続き歩道がないので注意!)→薩摩義士碑→鶴丸城跡→私学校跡→西郷隆盛終焉の地がお薦めです。ちなみに、最後の西郷隆盛終焉の地は線路を渡って直ぐ左前にあります。
西南戦争
明治時代に突入すると、政府は士族(武士階級)への廃刀や秩禄廃止をします。つまりは今の時代、お侍さんの刀や高額な給料は必要無いんではないの?といったものです。これに対して士族は当然怒ります。また当時、西郷隆盛は鹿児島県に私学校という幼年学校、銃隊学校、砲隊学校からなる施設を創設していて、近代化を進める強力な士族の部隊は政府への反乱部隊となる危険性もあり恐れていました。時代とともに、戦いにおける武器は刀から銃に変わり、当時日本では最新であったスナイドル銃と呼ばれる銃の弾薬は、薩摩藩(鹿児島)のみで製造されていました。何故、鹿児島なのかと言うと、欧米諸国によって次々と植民地化されるアジア諸国に次は日本か?との危機感から島津斉彬が鹿児島県を中心に集成館事業を進めていったことが切欠となっています。ここである事件が発生します。弾薬の製造設備を政府がこっそり盗んだのです。ここまで薩摩藩の努力とお金で築いてきた近代的な工場群の中の設備が盗まれ、さらには西郷隆盛の暗殺計画までも発覚し、これでは士族が怒るのも当然です。

こうして明治10年に西郷隆盛を中心とした士族の反乱が起こります。官軍(政府軍)を相手に戦った日本最後の内戦である西南戦争は鹿児島や熊本で激戦となり、序盤は優勢であった薩摩軍(西郷軍)ですが、最後には城山を包囲され、7ヶ月に及ぶ政府軍6403人、西郷軍は6765人にもなる死者を出した西南戦争は終わりました。

●西郷隆盛銅像
1867年に大政奉還が京都で行われると、翌年の戊辰戦争では後の権力争いのために明治新政府軍(討幕派、薩摩藩、長州藩からなる薩長軍)と旧幕府軍との間で戦いが起こります。この薩摩藩の指揮をとっていたのが西郷隆盛。戦いに勝利した新政府軍ですが、1877年の西南戦争では再び大規模な戦いを起こし、その中心人物としても活躍しました。

<住所>
鹿児島県鹿児島市城山町4-36
<アクセス>
路面電車で朝日通を下車し徒歩8分程度。カゴシマシティビューでは西郷銅像前を下車。

●照国神社(てるくにじんじゃ)
鹿児島県は島津氏ゆかりの土地でもありますが、この照国神社では幕末で活躍した薩摩藩の第11代藩主、島津斉彬(しまづ なりあきら)を祀ってます。

<住所>
鹿児島県鹿児島市照国町19-35

<アクセス>
路面電車で天文館を下車し徒歩10分程度。
日章旗(日の丸)の発案者でもある島津斉淋は、幕末の内外多事多難な状況に対応して国事に奔走、欧米諸国のアジア進出の情勢を踏まえて、日本を強く豊かな国にするため、積極的に西洋の科学技術の導入に努めたとされます。又、大久保利通や、下級武士であった西郷隆盛らを見出したことでも知られます。

神社の近くには島津斉淋の銅像や、斉淋が亡くなり遺言によって後を継いだ島津忠義、その父であり藩政の実権を握っていた島津久光らの銅像もあります。

●西郷洞窟
西南戦争最後の司令部として使われた洞窟。城山に立てこもる薩軍兵士は、わずか300余。これを囲む政府軍は、何重もの柵をめぐらし、その数4万。死を決した西郷は夜明けを待って5日間過ごしたこの洞窟を出たそうです。

<住所>
鹿児島県鹿児島市城山町
<アクセス>
カゴシマシティビューで西郷洞窟を下車。西郷洞窟の直ぐ上の方には、おみやげセンターがあり、隣には「目で見る西南戦争始末記」などという紛らわしい洞窟もありますので注意です。

●薩摩義士碑
薩摩義士とは木曽川、揖斐川、長良川の治水工事で犠牲になった薩摩藩の人のことであり、1753年に幕府の薩摩藩に対する弾圧政策よって短期間での完成を命じられた難工事は、多くの犠牲者を出しました。工事を担当した総奉行の平田靱負は、この難工事の責任と取って切腹しました。

<住所>
鹿児島県鹿児島市城山町
<アクセス>
カゴシマシティビューで薩摩義士碑前を下車。路面電車では市役所前を下車し徒歩15分程度です。

●鶴丸城跡(鹿児島城跡)
江戸時代に初代薩摩藩主でもある島津義弘の子、島津忠恒(家久)によって築かれた城で、石垣や堀が今も現存しています。過去に城での戦はありませんが、生麦事件から薩英戦争と発展した戦いではイギリス艦隊により砲撃されています。この薩英戦争を切欠に薩摩藩とイギリスの関係は深くなり、戊辰戦争ではイギリスが薩摩藩の後ろ盾となっています。

<住所>
鹿児島県鹿児島市城山町
<アクセス>
カゴシマシティビューで薩摩義士碑前を下車。路面電車では市役所前を下車し徒歩7分程度。本丸跡には鹿児島県歴史資料センター、黎明館(れいめいかん)もあります。入館料310円。

●私学校跡(しがっこうあと)
西南戦争の原因となった生徒達を育てた私学校跡です。多くの分校も建てられ、現存する私学校跡の石垣には西南戦争での多くの弾痕跡が残っています。

<住所>
鹿児島県鹿児島市城山町

<アクセス>
カゴシマシティビューで薩摩義士碑前を下車し徒歩5分程度。路面電車では水族館口を下車し徒歩15分程度。
石垣にボコボコと開いた穴が銃弾の跡で、横一面に無数の穴が開いています。当時、政府軍はこの戦いでの莫大な戦費によって財政難に追い込まれます。又、この戦争での国の財政難が切欠で、今の資本主義経済の発展に繋がったといわれます。

●西郷隆盛終焉の地
1877年(明治10年)9月24日、西郷隆盛は2発の銃弾を受け、城山洞窟を出てわずか300m、650歩でついに途は閉ざされたのです。「晋どん、もうここらでよか」東を向き、皇居を伏し拝む西郷に、別府晋介の介錯の太刀が振り下ろされました。

又、説明文によれば、西郷の死体が発見された時、政府軍の総司令 山県有朋中将は「翁はまことの天下の豪傑だった。残念なのは、翁をここまで追い込んだ時の流れだ」と語り、いつまでも黙祷をしたということです。
<住所>
鹿児島県鹿児島市城山町

<アクセス>
カゴシマシティビューで薩摩義士碑前を下車し徒歩10分程度。路面電車では市役所前を下車し徒歩7分程度。西郷洞窟から650歩。地図上ではウォーキングコースの矢印の終点部分で、踏切を渡って左前にあります。

●福昌寺跡(ふくしょうじあと)
玉龍山福昌寺は、島津家7代元久が建てて代々島津藩主の菩提所となった寺院でありましたが、1869年(明治2年)の廃仏毀釈によって廃寺となりました。分かりやすく言えば、明治政府が神道を支援し廃仏運動が起こったために寺院は破壊されました。日本三大僧録所といわれた巨大寺院の跡は広く、この墓地には島津家歴代(6〜28代)とその一族などの墓があります。

<住所>
鹿児島市池之上町48
<アクセス>
上之原行バスで玉龍高校前を下車。鹿児島駅からは徒歩で30分程度。

私学校や西郷隆盛終焉の地などから徒歩で向かう場合、西郷隆盛を祭った南洲神社(南州公園)を目印にして進んでください。南洲神社まで来ると福昌寺跡までの案内看板があります。
とにかく広い墓地です。ここに歴史的にも有名な島津斉彬や久光、忠義・・・などが眠っているのかと思うと、ただならぬ空気が!まさに本物のパワースポットといえる場所かもしれませんね。
さすが島津久光の墓は立派で目立ちます。墓地の入口には案内図があるので、お目当ての墓までは迷わずたどり着けるでしょう。
島津義久や義弘の墓の入口は別になっているので注意です。写真の島津義弘は関ヶ原の戦いでの捨て奸(すてがまり)戦法など数々の武勇伝を持ち、さらには人情味溢れる人柄はファンも多く、墓の規模は小さいものの、お供え物があったりします。