会津磐梯山は 宝の山よ〜♪の民謡でも知られる磐梯山の他にも猪苗代湖や阿武隈川、湿原が美しい尾瀬など、海・川・沼・湖・山と自然に恵まれた福島県。名所旧跡も多く、鶴ヶ城(会津若松城)や飯盛山にある白虎隊士の墓、宿場町であった大内宿など観光名所は豊富です。蔵のまち喜多方では、全国的にも有名な喜多方ラーメンを食べ歩くのもいいですね。

福島の県下一の繁華街と言えば郡山駅周辺となります。福島駅も似たような感じですが、どちらとも繁華街と呼ぶほどの賑わいはありません。

<お土産>
定番の「ままどおる」にエキソンパイ、家伝ゆべし、薄皮饅頭など。
郡山駅までのアクセスは福島空港の場合、国内では大阪、札幌以外の路線はありません。この場合、空港からリムジンバスを利用し郡山駅まで40分1100円。新幹線の場合は東京駅から約90分程度で郡山駅に到着します。郡山駅から福島駅は約50分840円、会津若松駅までは約70分1140円。会津若松駅から喜多方駅までは約20分320円です。会津若松、喜多方方面は列車本数が1時間1本ペースなので注意が必要です。

●会津若松城(鶴ヶ城)
会津若松城、鶴ヶ城、黒川城など呼び名は色々ありますが、福島県に来たのであればここは外せない観光地でしょう。白虎隊の悲劇の舞台として知られる鶴ヶ城の歴史は、1384年に葦名直盛(あしななおもり)が築いた東黒川館が始まりと伝えられます。

代々、葦名氏の黒川城でありましたが、当時葦名義継と伊達政宗は敵対していました。ある時、義継によって政宗の父が拉致され、それを追った政宗軍によって父もろとも殺されてしまった事件を切欠に(人取橋の戦い)、政宗は豊臣秀吉による大名間の戦いを禁止する惣無事令をも無視して侵攻を続け、1589年に黒川城は落城します(摺上原の戦い)。
やがて黒川城の城主は伊達政宗から蒲生氏郷へと変わり、その後も城主は豊臣秀吉の命で新潟の春日山城から上杉景勝が入城するも、会津征伐や関ヶ原の戦いでの西軍の敗北などで景勝は米沢に移封。続く城主は蒲生氏郷の子、秀行や加藤嘉明と変わっていきますが、1611年の会津地震によって天守が傾き、七層から五層に改築されています。現在の鶴ヶ城は、戊辰戦争によって傷みが激しく取り壊されてしまったため、当時の写真を元に外観復元されたもので、城内は博物館になっています。
白虎隊(びゃっこたい)
1868年、会津藩を中心とした旧幕府軍と薩摩、長州藩などの新政府軍との内戦、戊辰戦争(ぼしんせんそう)が勃発します。そんな中、鶴ヶ城を守るために戦った16〜17歳で構成された約340名からなる白虎隊は、戦況が不利な状況でありながらも前線に投入されます。中でも士中二番隊42名のうち飯盛山までなんとか落ち延びた20名は、山から見た城下町が炎で包まれる光景を見て、鶴ヶ城が落城したと思い込んで全員が自刃するという悲劇がありました。この話は、うち飯沼貞吉の1名が命を取りとめ、地元の人に助けられたために知られるようになったそうです。尚、あまり知られない話として、この戦争ではさらに若い12〜17歳からなる二本松少年隊も多くの戦死者を出しています。
天守の見学を終えて、さらに土産物屋さんの先にある復元された走長屋も見学できるようになっていますが、うっかり出口の看板に沿って歩いてしまうと、私のように見逃して外に出てしまいますので注意・・・
茶室麟閣(りんかく)
鶴ヶ城公園内にある移築復元された茶室で、有名な茶人、千利休の子である少庵が建てたと言わます。入園料は200円ですが、鶴ヶ城見学と一緒の共通券のほうがお得です。
<住所>
福島県会津若松市追手町1-1

<入場料>
500円(茶室共通券) 8:30〜17時 無休
天守閣の復元は外観のみのため、城内は鶴ヶ城博物館と呼ばれます。
<アクセス>
郡山駅から会津若松駅まで磐越西線で約70分1140円です。福島駅からは2時間以上かかります。駅からは正面の道路を渡った場所にあるバスターミナルよりバスで約10分、鶴ヶ城北口を降車。バスターミナル手前には周遊バス(ハイカラさん)も停まっていますが、周遊するので鶴ヶ城までは約20分かかります。

●白虎隊十九士の墓(飯盛山)
戊辰(ぼしん)戦争で飯盛山(いいもりやま)まで辿りついた白虎隊士20名、うち19名は鶴ヶ城が落城したものと思い込み、ここで自刃(じじん)します。ここにはその19名の墓と、近くには他31名の墓があります。又、生き延びた飯沼貞吉の墓もあります。

<アクセス>
若松城から近いものの歩くには距離があります。バス、又は周遊バス(ハイカラさん)で飯盛山下を下車し徒歩10分程度。
<住所>
福島県会津若松市一箕町大字八幡

白虎隊のお墓まで行くには長い長い階段があります。えぇ〜!と思った方は隣にエスカレーターがあったりします。上まで250円。途中からは100円です。
ここに白虎隊士19名の墓が並んでいます。大半の方は、お線香あげていますが、他31名のお墓のほうに観光客は関心が少ない様子・・・ 

生き延びた飯沼貞吉の墓も同じく関心薄・・・ 白虎隊士自刃者唯一人の蘇生者、飯沼貞吉(後に貞雄)少年は、印出新蔵の妻ハツに助けられ治療をして一命をとり止めます。白虎隊の悲劇の話も、長年誰にも話さなかった飯沼貞雄氏によって後に知ることが出来ました。
階段を少し降りると、白虎隊士が自刃した場所があります。遠くには鶴ヶ城が見えますが、確かに一帯が炎に包まれていたら、城が燃えているのかの区別がつかない距離にあります。
白虎隊の自刃した場所から街を見下ろすと、中央から左半分の方角に分かりづらいのですが長〜い棒のようなものが見えます。その棒に重なるように鶴ヶ城が見えます。ここに来る観光客は皆、この鶴ヶ城を一生懸命探しています。歴史を知れば探してみたくなるのも当然ですね。
飯盛山を下りていくと、途中に通称、さざえ堂という仏堂があります。正面から右回りにスロープを登り、上まで行ったら今度は左回りで降りてきます。中には西国札所の三十三観音像が祭られ、一度入れば巡礼を終えたことになるという、江戸時代には庶民の身近な巡礼場所であったようです。
上りも下りも階段がない。一度通った所は二度通らない。が歌い文句で、拝観料は400円と少しお高い感じ・・・
今から400年前、猪苗代湖の水を会津地方に引くため、山腹約150mを人工的に穴をあけ、使役人夫55000人、3年の歳月を費やし完成させた戸ノ口堰洞穴。白虎隊士中二番隊は戸ノ口原に布陣している味方軍応援のため派遣されたが戦に利あらず、お城の安否を確かめようと帰城の途中隊士20名が通過した洞穴だそうです。

磐梯山(ばんだいさん)
イヤ〜会津磐梯山は宝の山よ〜♪の民謡でも知られる磐梯山は標高1819mの活火山です。登山も人気がありルートが幾つかありますが、有料道路の磐梯山ゴールドラインを使えば、八方台登山口から頂上まで約2時間程度で登ることが可能です。ただし、バスがないのでマイカーかタクシーを利用しなければなりませんので注意です。

<アクセス>
磐梯山を眺めるだけであれば、JR磐越西線の車窓から。又は猪苗代駅を下車。会津若松駅からは約30分、500円。近くには大きな猪苗代湖や野口英世記念館などがあります。
日本で4番目の広さを誇る猪苗代湖。湖は猪苗代駅からは少し離れています。駅からは磐梯東都バスで遊覧船がある長浜まで約15分程度です。又、野口英世記念館はバスで約10分程度です。バスは1時間1本程度の発着なので注意です。

●五色沼(ごしきぬま)
磐梯山の噴火によって出来た五色沼は、磐梯山の猪苗代湖側からみて裏側にあります。大小様々な形をした沼や湖は、美しい青色を基調にしてさらに幾つかの色が混ざり合い、それぞれに微妙な色合いを見せてくれています。

<住所>
福島県北塩原村

<アクセス>
JR磐越西線の猪苗代駅から磐梯東都バスで約25分程度。五色沼入口を下車します。ちなみに、タクシーでは5900円。
五色沼自然探勝路は距離にして3.6km、60〜90分程度かかります。バスは五色沼入口を下車し毘沙門沼から柳沼へ抜けるか、裏磐梯高原駅を下車して柳沼から毘沙門沼へと抜けるかは好みですが、バスが来るまでの暇潰しを考えると、毘沙門沼からのルートのほうがお薦めです。マイカーをご利用の方は無料駐車場がどちら側にもあります。
五色沼入口を下車し歩いて5分程度の場所に毘沙門沼があります。五色沼の中で唯一、ボートに乗ることが出来ます。奥には磐梯山(裏磐梯)が見えます。ちなみに、猪苗代湖方面から見る磐梯山を一般的に表磐梯と呼ぶそうです。
自然探勝路は勾配もなく、とても歩きやすい道です。ただし多少、石がゴツゴツしているので足元には十分気をつけましょう。
それにしても綺麗な水の色です。五色沼の水にはアロフェンと呼ばれる鉱物質の微粒子が大量に含まれており、これらが水中に入った太陽光を反射することで、神秘的な五色沼湖沼群の色合いを作り出します。


   
みどろ沼。ここちらは、あんまり神秘的とは言えない沼。なんか普通だし・・・ 近くにも多くの沼があるのですが、お互い距離も近いのに、これほど色が違うのも面白いですね。
青沼。五色沼湖沼群の中での一番のハイライトです。何の加工もしていない写真ですが、見ての通りに青くて美しい沼です。

ちなみに、裏磐梯高原駅のバス停から五色沼入口までの運賃は240円。又、猪苗代駅までの運賃は870円です。本数が少ないので注意が必要です。

●喜多方
蔵のまち喜多方には酒蔵、味噌蔵、醤油蔵など多くの蔵が今も街のあちこちに存在します。又、喜多方ラーメンも全国的に有名で周辺には多くのラーメン屋があります。

<アクセス>
会津若松駅から喜多方駅までは約25分320円。列車の本数が少ないので注意が必要です。
蔵のまちと言っても、蔵が集中して存在するわけではなく、街の中に点々と散らばっているため、駅前の観光案内所にてパンフレットをもらって散策しながら、お目当ての喜多方ラーメン店に向かうのがよろしいかと思います。
喜多方には有名で美味しいラーメン屋さんも多くありますが、街全体に散らばって存在していますので、場所や営業時間などしっかりと下調べをしてから訪れましょう。

●あぶくま洞
あぶくま洞は、およそ8000万年という歳月をかけてつくられた鍾乳洞で各所にライトアップされた石筍や石柱はとても神秘的です。見学コースは約600mあり、最大のホールでもある滝根御殿は高さが30m以上もあり見所の1つです。

<住所>
福島県田村市滝根町菅谷字東釜山

<入洞料>
1200円。郡山駅などの観光案内所にある割引券があれば200円お得です。
<アクセス>
郡山駅から磐越東線で神俣駅まで約45分760円。本数は1時間1本程度です。神俣駅からはバスは無く、タクシーを使用します。料金の目安は1400円です。帰りもタクシーを利用しますので連絡先を聞いておきましょう。
あぶくま洞の入口です。比較的近い場所に入水鍾乳洞といった場所もあり、名前の通り入水しながら暗闇にライトを照らしながら進む鍾乳洞で、こちらは着替えが必要です。
あぶくま洞の年間の平均気温は14度前後で、コウモリやトビムシ、水路にはサンショウウオも生息しているらしいです。
つらら状になったものを鍾乳石と呼び、下から出来たものが石筍、この二つがくっ付いたものを石柱と呼ばれます。

●大内宿(おおうちじゅく)
会津藩が江戸時代初期に会津と江戸を結ぶ幹線道路1つとして整備したもので、廻米などの物資の輸送で栄え会津藩主も参勤交代の際にこの道を利用するなど重要な街道でした。

<住所>
福島県南会津郡下郷町大字大内
<アクセス>
会津若松から只見線で西若松。そこから会津鉄道で湯野上温泉駅を下車しタクシーで15分程度。会津若松から約40分、1030円。但し、行楽シーズンは駅周辺から大内宿までの渋滞が激しく、タクシー料金は時間によります。駅から6km程度ありますが、渋滞が激しい時期は3〜4時間なんてことも・・・ これだと歩いて行った方が早いです。。。 会津若松駅から定期観光バスもお薦め。
保存地区は旧街道に沿った旧宿場町を中心とする南北500m、東西役200mの範囲です。主屋の多くは江戸時代後期から明治にかけて建築されたものです。

ちなみに上の大内宿の全体像の写真を撮影する場合、宿の行き止まりのところまで行って、階段を上った先に神社があり、そこが良い撮影スポットとなっています。
こちらは大内宿町並み展示館(250円)です。大内宿の本陣跡であり復元されたものです。会津藩の初代藩主、保科正之、二代藩主、正経が江戸参勤のためこの街道を利用し、ここで昼食をとったという記録が残っているそうです。この時の行列の総人口は約600人で、宿場内はたいへんな賑わいであったそうです。
団子や煎餅が売られていて美味しそう!中でも地元の郷土料理でもある「しんごろう」はお薦め。うるち米を半つきにして、じゅうねん味噌を塗って焼いてあり1本200円と手頃な価格で美味しいですよ。

●塔のへつり
百万年もの長い年月をかけて、侵食と風化を繰り返し見事な景観をつくりだした塔のへつりは、奇岩怪石が塔のようにそそりたち見事な渓谷美となっています。

<住所>
福島県南会津郡下郷町
<アクセス>
車では大内宿から比較的に近い場所にあります。鉄道でのアクセスは会津鉄道で塔のへつり駅(無人駅)を下車し徒歩15分程度。

へつりとは地元の方言で断崖という意味なんだそうですよ。紅葉シーズンは人気のある観光スポットでもあります。周辺には土産物屋も充実しています。ペットボトルに入った生きたマムシも売っていたりします・・・
ぐらぐらと揺れる恐ろしい吊り橋を渡ると、崖の下を歩くことが出来ます。さらに階段を上った場所に洞窟があり、虚空像菩薩が祀られています。